龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十の丙 張良再び

 

 

 (しん)(みやこ)咸陽(かんよう)は、戦闘らしい戦闘もなしに陥落(かんらく)した。

 

 樊噲(はんかい)が戦勝を報告して、翌日。

 劉邦は咸陽(かんよう)に入った。

 咸陽(かんよう)の人民は、こぞって劉邦を出迎えた。大人の男女はもちろんのこと、老人は介添(かいぞ)え人に支えられ、幼子(おさなご)は胸に(いだ)かれて、劉邦の乗る車の周りに詰め寄せたのだ。

 

 人民が言う。

「漢王様は、かつて先に咸陽(かんよう)に入りなさった。関中の(あるじ)となるべきお方は、漢王様です。

 それなのに、項羽が暴力によって約束を反故(ほご)にして……

 

 我らは日夜、漢王様のことを思い(した)っておりました。

 その漢王様が、こうしてまた咸陽(かんよう)に戻ってきてくださった……これこそ、万民の幸福です!」

 

 人民は、食べ物や飲み物を献上して劉邦を歓迎した。

 劉邦は、人々の好意をたいへん喜んだ。そして、咸陽(かんよう)の古い宮殿を掃除して、腰を落ち着けたのだった。

 

 

   *

 

 

 さて。

 劉邦が勝利にはしゃぐ一方、大元帥韓信には一息つく暇もなかった。

 

 まずは文武の大将を(ひき)いて、主君劉邦への拝礼(はいれい)を行う。

 次に、あれこれと命令を飛ばして、咸陽(かんよう)の人民を安心させる。

 それから、酒宴を(もう)けて将兵の苦労を(なぐさ)める……

 

 山のような仕事をテキパキとこなし、あらかた片付けたところで、韓信は劉邦の前へ出て奏上(そうじょう)した。

 

咸陽(かんよう)は手に入れましたが、まだ安心できる状況ではありません。

 この咸陽(かんよう)のすぐ東隣(ひがしどなり)には、項羽に封建(ほうけん)された十八王のうち2人が国を構えているのです。

 

 平陽に(みやこ)する、西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)

 洛陽(らくよう)(みやこ)する、河南(かなん)申陽(しんよう)

 

 咸陽(かんよう)(やぶ)れた今、項羽が攻めてくることは十分考えられる……

 このとき、もし魏豹(ぎひょう)申陽(しんよう)が項羽と連携したら、我らは3正面作戦を()いられ、極めて不利な状況に(おちい)ります。

 

 よって、すみやかに思案を(めぐ)らし、対策を打たねばなりません」

 

 劉邦は、身を乗り出した。

「うん。具体的には?」

 

 韓信が、水の流れるように()く。

「まず第1に、項羽の目を他の方面へ、そらす必要があります。

 

 かつて(しん)を滅ぼしたあと、項羽が十八人の王を各地に分封(ぶんぽう)しましたが、その人選は不公平(きわ)まりないものでした。

 そのため、王に封建(ほうけん)されなくて不満を持った者たちが、各地で()(そむ)き始めています。

(第二十回参照 https://kakuyomu.jp/works/16818093086063998484/episodes/16818093091990928440 )

 

 中でも(せい)の田栄は特に強大で、項羽にとって大きな悩みのタネとなっております。

 

 そこで……

 鬼謀(きぼう)の人物を探して()に送り込み、項羽に利害を()いて、漢の前に(せい)討伐(とうばつ)するよう誘導するのです。

 (せい)()のすぐ北隣(きたどなり)にあるうえ、勢力も強い。うまく説得すれば、必ず項羽は(せい)矛先(ほこさき)を向けるでしょう。

 

 そうやって時間を稼いでいる間に、臣は平陽・洛陽(らくよう)を攻め、魏豹《ぎひょう》・申陽(しんよう)を打ち破りましょう。

 こうして関東(中国東部。函谷関(かんこくかん)より東の領域)に勢力を広げれば、項羽と戦うのも難しくありません」

 

 劉邦は、大きくうなずいた。

「なるほどな。

 しかし、項羽と(せい)を争わせるだなんて、そんな難しいことのできる人材がいるかな……」

 

 そのとき、(たい)(ちゅう)大夫(たいふ)陸賈(りくか)が進み出た。

「漢王陛下。

 かつて陛下が(しん)討伐(とうばつ)のため西へ進軍していたとき、臣は洛陽(らくよう)で初めて陛下のお目にかかりました。

 

 そのまま陛下に付き従って漢中に入り、今に至るまですでに3年。

 臣の父母妻子は、みんな洛陽(らくよう)に住んでおりますが、あれ以来一度も会えておらず、生死すら分かりません。

 

 どうか陛下、臣を洛陽(らくよう)に派遣してくださいませ。

 まず父母を見舞(みま)い、ついでに河南(かなん)申陽(しんよう)を説得して漢に帰順させましょう。

 

 さらに、その足で平陽にも立ち寄り、西魏(せいぎ)王魏豹《ぎひょう》にも利害を()いて味方に引き入れたいと思います」

 

 この提案を、劉邦は喜んだ。

 韓信は申陽(しんよう)・魏豹《ぎひょう》を討伐(とうばつ)すると言ったが、戦わず味方に引き込めるなら、それに越したことはない。

 

 そこで劉邦は、陸賈(りくか)に黄金10(きん)(約2.5kg)を旅費として与え、洛陽(らくよう)へと送り出した。

 

 

   *

 

 

 河南(かなん)西魏(せいぎ)の2国は、(しん)のすぐ東隣(ひがしどなり)(しん)()に挟まれた位置にある。

 北側の西魏(せいぎ)と、南側の河南(かなん)。両国あわせて、さながら()を守る壁のような形である。

 

 当然、()を攻めるには、まずこの2国をどうにかせねばならない。

 説得工作を引き受けた陸賈(りくか)の責任は、重大であった。

 

 さて、陸賈(りくか)咸陽(かんよう)を旅立ち、河南(かなん)国の(みやこ)洛陽(らくよう)へとやってきた。

 3年ぶりの我が家に帰ってみれば、父母も妻子もつつがなく、久々の対面に喜ぶこと限りなかった。

 

 その夜。

 陸賈(りくか)の父母は、涙をにじませて言った。

「なあ、(せがれ)よ。お前が旅立ってからというもの、我が家は収入も途絶(とだ)え、その日1日を生き延びる金さえなくなってしまったんだが……

 

 河南(かなん)申陽(しんよう)様が、わしらを(あわ)れみ、飲食や衣服の世話をしてくださったのだ。

 そのおかげで、どうにか()えや寒さを(しの)ぐことができたんだよ。

 

 お前、明日の朝、すぐに申陽(しんよう)様のところへ行っておいで。

 そして、この御恩(ごおん)に、しっかりとお礼を申し上げるんだよ」

 

 そういうわけで、翌朝。

 陸賈(りくか)は衣服を整え、河南(かなん)申陽(しんよう)に会うため、朝廷に向かった。

 

 申陽(しんよう)は、喜んで陸賈(りくか)を迎えた。この2人、旧知の仲なのである。

「おお、(りく)大夫(たいふ)! 久しぶりだなあ!

 君が漢王と一緒に西に行ってしまって、長いこと家にも帰ってこないものだから、私は寂しい思いをしていたのだぞ。

 いや、よく帰って来てくれた!」

 

 陸賈(りくか)丁寧(ていねい)に再拝した。

「漢王様に従って(しん)討伐(とうばつ)した後、思いがけず、漢王様が私を引き止めまして。それで、漢中までお供して行ったのです。

 それに、漢王様は仁徳のあるお方……その漢王様が苦労なさっているのを捨てて去るのは忍びなく、お仕えし続けるうちに、とうとう3年も経ってしまいました。

 

 最近、漢王様が軍を出して三秦(さんしん)(やぶ)り、咸陽(かんよう)を占領いたしました。

 咸陽(かんよう)から洛陽(らくよう)は目と鼻の先。この機会を(のが)せば次はない思いまして、漢王様にお暇乞(いとまご)いして、申陽(しんよう)様に会いに参ったのです。

 

 聞けば、私の父母妻子が、長いあいだ申陽(しんよう)様のお世話になっていたとか……

 なんとお礼を申し上げてよいものやら。たとえ私の骨が粉となり身が砕けたとしても、この御恩(ごおん)には(むく)いきれません」

 

 申陽(しんよう)は、にっこりと笑った。

「なに、そんなことはよいのだ。

 それより、漢王の為人(ひととなり)を聞きたい。どのような人物かな?」

 

 ……と問うからには、申陽(しんよう)も、項羽と劉邦どちらにつくべきか天秤(てんびん)にかけている、ということだ。

 陸賈(りくか)は、ここぞとばかりに弁舌(べんぜつ)を振るった。

「漢王様は心が広く、仁義があり、度量が大きいお方です。

 それゆえ人民は先を争って帰服し、将士はみんな(いのち)を捨てて戦おうとするのです。

 

 今、漢王様は、韓信を大元帥として三秦(さんしん)を平定し、咸陽(かんよう)を占領しました。

 四方の郡県が、この情勢を見て次々に帰服してきております。

 

 まさに本物の有道(ゆうどう)の君主……やがて天下の(あるじ)となる人は、漢王劉邦様と見て、まちがいございません」

 

 しかし申陽(しんよう)は、なぜか表情をくもらせた。

「やはりそうか……私も、以前から漢王の徳を(した)い、漢に帰服したいと思っていたのだ。

 

 しかし、覇王項羽の威風は、あまりにも強すぎる。

 もし私が漢王についたと知れば、覇王項羽は、すぐさまこの洛陽(らくよう)へ攻めてくるのではないだろうか?

 私はそれが恐ろしくて、決断しきれないのだよ……」

 

 煮え切らない申陽(しんよう)に、陸賈(りくか)が食い下がる。

「勢いであれば、漢王様も負けてはおりません。

 漢王様の軍は強大で、韓信の用兵術もまさに神業(かみわざ)です。

 もし漢軍が洛陽(らくよう)に来たとしても、軽々しく城外に出て戦ってはなりませんよ。

 むしろ、すぐに降伏するのが、一番よい……」

 

 申陽(しんよう)は、手を上げて陸賈(りくか)の言葉を、さえぎった。

「いや、言わないでくれ。君の言いたいことは分かっている。

 しかし、私は迷っているのだよ……」

 

 こう、やんわりと拒絶されて、陸賈(りくか)は少しずつ心変わりしはじめた。

 

 始めは申陽(しんよう)に利害を()いて漢に降伏させようと思っていたのだ。

 だが、申陽(しんよう)は、3年に渡って陸賈(りくか)の家族を養ってくれた。今もこうして陸賈(りくか)(ねんご)ろにもてなしてくれている。

 その恩を思うと、自分の都合を押し付けるのが、だんだん忍びなくなってきたのである。

 

 結局、陸賈(りくか)申陽(しんよう)を説得しきることができず……

 かといって劉邦のもとへ帰還するわけでもなく……

 何日も何日も洛陽(らくよう)に留まって、だらだらと時間を過ごしてしまった。

 

 

(つづく)

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