咸陽では、劉邦はじめ漢の首脳陣が、陸賈の帰りを今か今かと待ち続けていた。
説得が成功すれば一番よいが、仮に失敗だったとしても、申陽と魏豹《ぎひょう》の内情は陸賈から聞けるだろう。
その値千金の情報を期待しながら、今後の方針を熱心に議論していたのだった。
しかし……肝心の陸賈が、いつまでたっても戻ってこない。
「いったい何をやってるんだ、あいつは?」
と、漢王劉邦が怪しみはじめた。
そのとき、思いもよらない報告が舞い込んできた。
「ただいま、張良子房先生より使者が参りました。
藍田(咸陽南東の土地)に住んでいた張子房が、こちらへ向かっていて、すでに新豊まで出て来ているそうです」
劉邦は玉座から飛び上がり、手を打って喜んだ。
「張良先生! 帰って来てくれたのか!
先生がいれば、もうなんにも心配ねえぞ!
灌嬰、曹参! すぐに張良先生を迎えに行けっ!
おいおい、みんな何をボケッとしてんのよ! 歓迎会の準備をするんだよ、ほら早くっ!」
ちょうど同じ時、韓信の方も「張良来たる」の報告を受けて薛欧・陳沛を出迎えに行かせたものだから、張良はなんと、4人もの大将に囲まれるハメになってしまった。
4人の将とその手下。ちょっとした城ひとつ落とせそうなくらいの軍勢に、手厚すぎるほど手厚く守られながら、張良は咸陽に入城した。
「張良先生が、朝廷の門までお越しになりました」
と報告を受けると、劉邦は宮殿を飛び出した。
転げるように門まで行って、張良が入ってくるのを見ると、劉邦は輝くような笑顔をはじけさせる。
「張良先生ェーっ!!
久しぶりだなあ! 昼も夜もずーっと会いたかったよ、先生!」
劉邦は、バタバタと張良に駆け寄り、みずから手を握って宴席に案内しようとする。
張良は苦笑して、臣下の礼を取るべく拝伏した。
「お久しゅうございます。
長いあいだ離れ離れでいましたが、臣の心は、いつも漢王様の御前におりましたよ。
かつて漢中に向かう桟道でお別れした時、臣は3つの大事を為すとお約束しましたね。
項羽を彭城に遷都させること。
六国に説いて楚から離反させること。
そして漢を興し楚を破る大元帥を探し出すこと……
そして、漢王様が兵を起こしたときには、咸陽で再び落ち合いましょう、と申しました。
はたして今、この通りでございます」
劉邦は、首がちぎれそうなほどに、うなずきまくった。
「うんうんうんうん! 俺ァ、先生のおかげで、咸陽に帰ってくることができたよ!
この功績は、石碑に刻んで千年先まで伝えるぜ!」
それから、張良は文武の大将たちにも対面した。
大元帥韓信が、張良のそばに寄り、最上級の礼を行った。
「お久しぶりです、張良先生。
私がこうして願いを叶え、大元帥の職につくことができたのも、ひとえに先生が推薦してくださったおかげ……
この御恩は、生涯忘れません」
張良が微笑む。
「韓信大元帥のご活躍は、噂に聞いておりましたよ。
早くも大功を立て、その威勢で天下を震わせておられる。
私が推薦した通り、いや、それ以上の見事なお働きです。貴公に出会えたことは、漢王様にとって最大の幸福でしたね」
それから、漢王劉邦は群臣をみんな呼び集め、盛大な歓迎の酒宴を行った。
劉邦は、みずから盃を持って張良に酒を勧め、歌声と笙の音を雅やかに響かせて、再開を喜び合ったのだった。
*
その翌日。
軍議の場で、劉邦は、かねてからの懸案を張良に問うた。
「張良先生、じつは先日、西魏王魏豹と河南王申陽を服従させるため、陸賈を派遣したんだ。
しかし、いつまでたっても陸賈が帰ってこない。
こんな状況で楚軍が攻めてきたら、大変なことになる……
どうすればいいだろう?」
張良は、静かに首を横に振った。
「陸賈が洛陽へ行ったのは、ただ家族に会いたかっただけのことです。
申陽に降参を説くはずがありません。
まして魏豹は、実力も無いまま王となり、その称号に胡坐をかいている尊大な男。
陸賈では、とても説得しきれないでしょうね」
韓信も、そこへ進み出た。
「魏豹・申陽を降伏させられる人物は、この世でただ一人、張良先生のみであろうと考えますが」
張良が、うなずく。
「そうでしょうね。
それでは、私が魏豹・申陽と話してきましょう。
機に随い変に応じ、彼らの心を鼓動させて、必ず漢に帰服させます。
その後で、韓信大元帥が兵を率いて東に向かえば、天下はついに定まるでしょう」
劉邦が、顔をクシャクシャにする。
「でも先生、昨日やっと再会できたばかりなのに、また離れ離れになるのは、俺、寂しいよ……」
張良は、静かに微笑した。
「天下いまだ定まらず、各地の軍が紛乱を続けている時に、のんびり座って無駄飯を食らっていられましょうか。
臣に計がございます。
いま、旧六国の勢力が次々に楚に背きはじめていて、特に斉の国は勢い盛んです。
そこで、臣が表文を書き送って覇王項羽を欺き、斉討伐に向かうよう仕向けましょう。
その間に、臣が平陽と洛陽に行って利害を説けば、弓に弦を張ることも、矢を放つこともなしに、申陽・魏豹を帰順させられるでしょう」
張良は、こう、あっさりと請け合って、すぐさま行動に移った。
まずは表文を作って項羽へ使者を送り、その後、従者10人ほどを連れて、ひそかに平陽へと出発した。
(つづく)
■次回予告■
西魏を味方につけるべく平陽を訪れた軍師張良。しかし魏豹の腹心周叔が、そうはさせじと議論を挑む。
項羽と劉邦、いずれが強く、いずれが弱い? 互いの主君の命運を賭け言葉をぶつけあう2人の賢者。弓矢によらぬ争いの決着や、いかに?
次回「龍虎戦記」第四十一回
『舌戦』
乞う、ご期待!