龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十一の中 舌戦

 

 

 張良から送られてきた表文(ひょうぶん)、これは張良の詭計(きけい)である……

 

 范増(はんぞう)にそう指摘されて、項羽が目を丸くした。

詭計(きけい)? つまり俺を(だま)そうとしてるってことか?」

 

 范増(はんぞう)が、うなずく。

「さよう。

 『(かん)国の司徒(しと)臣張良』などと名乗(なの)ってはいるが、奴が漢王劉邦と()()()()なのは明々白々。

 この表文(ひょうぶん)も、劉邦のために送ってきたとみて、まちがいあるまい」

 

「狙いは?」

 

「劉邦は、咸陽(かんよう)を占領した。

 当然、覇王様からの反撃を予想しているはず。

 そこで、覇王様が先に(せい)を攻めるように仕向(しむ)け、時間を稼ぐ……と、まあ、そんなところでしょうな」

 

 項羽は、首を横に振った。

「いやいや。張良は、俺に(つか)えてた時期もある。張良は、俺のことを深く尊敬してくれてるよ。

 しかも、張良は体が弱いから、世捨(よす)(びと)みたいになって、不老長寿のために仙人の修行をしてたんだろう?

 

 そんな奴が、いまさら劉邦のためなんかに働くかな?

 こうやって表文(ひょうぶん)を送ってきたのは、きっと俺に恩返しをするためだよ。

 張良の言うとおり、さっさと(せい)()って、その次に劉邦を倒そうじゃないか」

 

 単純というのか、純粋というのか。自分は(した)われている、と信じて疑わぬ項羽なのである。

 

 君主としては、いささか頼りないが、一人の男としてなら、これはこれで一つの魅力。

 范増(はんぞう)も、思わず苦笑しながら(いさ)めた。

「覇王様。そんなに深く信じなさるな。張良は(いつわ)りの計を多用する男ですぞ」

 

「じゃあ亜父(あふ)は、(せい)を攻めるなっていうのか?」

 

「いや。それが難しいところだ。

 (せい)王を名乗(なの)田栄(でんえい)の反乱は、確かな事実。しかも、その勢力は、すでにかなりの大きさになっている。

 

 もし覇王様が咸陽(かんよう)へ向かえば、必ず田栄(でんえい)彭城(ほうじょう)を攻めるでしょう。

 

 本拠地の危機は、たとえるなら、安心して寝ているときに、いきなり布団(ふとん)()ぎ取られるようなもの。

 そういう(うれ)いを背後に抱えたままでは、劉邦に勝つことも、おぼつかなくなる。

 

 ここは、あえて張良の計略に乗り、先に(せい)()つしか、ありますまい。

 しかし漢王劉邦は心腹(しんぷく)(やまい)……つまり、最も危険な内臓の病気だ。対応を緩めるわけにもいかぬ。

 

 西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)河南(かなん)申陽(しんよう)(めい)じ、厳重に守りを固めさせて、漢軍の東進を食い止めるのが良かろう。

 その間に覇王様が急いで(せい)討伐(とうばつ)し、すぐさま軍を西へ向けて、劉邦を()つのです」

 

 項羽は、力強く、うなずいた。

「よし!!」

 

 かくして項羽は、すぐさま軍を動かし、(せい)国へと出発した。

 

 (いくさ)に向かう項羽の顔は、先日まで酒と女に(おぼ)れていた男とは思えぬほどの、生き生きとした生気(せいき)に満ちていたのだった。

 

 

   *

 

 

 一方……

 

 (しん)()に挟まれた中国中央部の国、西魏(せいぎ)

 土()えて民も()んだこの国の(みやこ)平陽に、西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)の宮殿がある。

 

 ある日、魏豹(ぎひょう)の元に、宮殿の門番から報告が届いた。

(かん)国の張良が、西魏(せいぎ)王様に謁見(えっけん)を求めて来ております」

 

 魏豹(ぎひょう)は、不審(ふしん)げに眉をひそめた。

「張良だと? 何をしに来たのだろうか」

 

 魏豹(ぎひょう)の腹心、大夫(たいふ)周叔(しゅうしゅく)が言う。

「張良は説客(せっかく)です。

 (いにしえ)蘇秦(そしん)張儀(ちょうぎ)さえ、張良の弁舌には及びません。

 漢王劉邦のために、何か()きに来たに違いありません」

 

 魏豹(ぎひょう)は鼻で笑って、佩刀(はいとう)(さや)を手で叩いた。

「張良が説客(せっかく)ならば、私にはこの宝剣がある。

 バカなことを言う奴は、たちどころに斬ってやろうじゃないか!」

 

 周叔(しゅうしゅく)は、慌てて止めた。

「それはいけません!

 張良の名声は天下に知れ渡っている。下手に手を出せば、西魏(せいぎ)王様の方が世間から(うし)(ゆび)()されることになります。

 だからあの覇王項羽様も、張良を殺すことができなかったのです。

 

 ここは、礼儀正しく張良と対面するしかありません。

 しかし、絶対に張良の言うことに耳を貸してはなりませぬぞ」

 

 魏豹(ぎひょう)は、

「なるほど」

 と、うなずいて、張良を迎え入れるよう部下に(めい)じた。

 

 

   *

 

 

 宮殿の奥で、張良は魏豹(ぎひょう)と対面した。

 お互いに型どおりの礼を済ましたところで、魏豹(ぎひょう)が問う。

 

「さて、張良殿。貴公は漢王劉邦の臣であろう。

 それが一体なんの用で、我が国にやってきたのか?」

 

 張良は、にこりと柔らかく微笑(ほほえ)んだ。

「私は(かん)国の臣です。

 漢王は、(しん)()つまでという約束で、(かん)から私を借りていただけのこと。

 それゆえ、(しん)が滅びた後、私は漢王の元を離れて、本国(かん)に戻りました。

 

 ところが最近、漢王が漢中から出てきて、(しん)(みやこ)咸陽(かんよう)を占領しました。

 そして、使者を送ってきて、しきりに私を招聘(しょうへい)するのです。

 

 私はもう、人間社会での出世など望んではいません。

 しかし、漢王は仁徳のあるお方でしたし、(しん)討伐(とうばつ)(おり)には手厚(てあつ)(ぐう)していただきました。

 その御恩(ごおん)を思えば、冷たくあしらうのも忍びない。

 

 そこで、咸陽(かんよう)へ行って漢王と対面し、直接お(ことわ)りを申し上げてきたのです。

 

 その帰り道で、たまたま西魏(せいぎ)国を通りかかりまして。

 西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)様の威名(いめい)は中国全土に鳴り響いておりますし、道で出会った人々も西魏(せいぎ)王様の仁徳を()めたたえておりました。

 それゆえ、ぜひ一度、西魏(せいぎ)王様にお目にかかりたいと思い、ご迷惑かとは思いながらも、こうして(まか)()した次第(しだい)です」

 

 魏豹(ぎひょう)の目が輝いた。

 この西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)という男、名声や評判を人一倍気にする性格である。要するに、おだてに弱い。

 張良が水の流れるような(なめ)らかさで次々くりだす美辞(びじ)麗句(れいく)を、まるごとぜんぶ()に受けて、すっかり調子に乗ってしまった。

 

 この時点でもう、張良の弁舌に飲まれている。

 

 魏豹(ぎひょう)は、機嫌よく笑いだした。

「はっはっは! なるほど、そういうことでしたか。

 いやいや、迷惑だなんて、とんでもない。よく来てくださった!

 張良殿のために歓迎の酒宴を(もう)けよう。遠慮(えんりょ)なく楽しんでゆかれよ」

 

 

   *

 

 

 その酒宴(しゅえん)の席で、魏豹(ぎひょう)は張良に(たず)ねた。

「今、旧六国の勢力が各地に林立し、漢と()もまた領土を争おうとしておりますな。

 張良先生は、どの国が(さか)えると思われるか?

 

 先生ならば、国家の興廃(こうはい)存亡(そんぼう)の法則をご存知(ぞんじ)であろう。

 ひとつ、私に解説してくださらんか」

 

 張良は即答した。

「天下の形勢を論ずるならば、漢が(おこ)り、()は滅びるでしょう。

 

 漢王劉邦が大蛇を斬った時には、神の母が現れて夜通し泣きました。

 また、漢王が(しん)に入った夜には、五星が漢王の頭上に集合しました。

 このように、天が漢王を支持しているという証拠がいくつもございます。

 

 さらに今、漢王が三秦(さんしん)を平定して咸陽(かんよう)を取ったところ、四方の勢力が響くように呼応して、わずか2ヶ月の間に5千里以上もの土地が漢王に帰順しました。

 これはすべて、漢王の人望がもたらした結果です。

 

 私は(かん)国の人間ですが、漢王が咸陽(かんよう)に出てこられたと聞き、千里の道さえ(いと)わず、すぐにお会いしたいと思って、やってまいりました。

 同じように、各地の諸侯も漢王に(ひょう)を上げ、続々(ぞくぞく)と帰順を申し出ております。

 

 (せい)(えん)ほどの強国ですら、漢に貢物(みつぎもの)を納めております。

 私が天文を見たところでも、漢王が天下を取ることは必定(ひつじょう)

 (せい)(えん)が漢に服従したのは、天の(ことわり)と時代の流れをよく把握(はあく)した行いと言えましょう。

 

 (せい)でさえ、こうなのです。他の諸侯は言うまでもありません。

 天も人も、このような動きを見せておりますから、漢がこれから大いに(さか)えると予測できます。

 

 一方、()の項羽はどうでしょうか。

 凶暴であり、約束を反故(ほご)にして覇王となり、諸侯を左遷(させん)し、義帝を弑逆(しいぎゃく)した。

 天下の人々は、項羽の暴力が怖くて、しかたなく従っているにすぎません。

 

 よって、今は威勢が強く、武力も強大ですが、一度流れが変われば二度と立て直すことはできない。最終的に()は滅ぶに違いありません。

 これは、賢人も愚者も関係なく、万民だれもが知っていることです」

 

 魏豹(ぎひょう)は、話を聞くうちに、だんだんソワソワしはじめた。

 自分がひどく(あや)うい立場に置かれているのではないかと、急に不安になったのである。

 

 魏豹(ぎひょう)は、張良に()り寄るようにして酒杯を捧げた。

「張良先生の話を聞くと、漢王が確実に天下の君主になるだろうと思えますな。

 

 私は、覇王項羽様から爵位(しゃくい)(さず)かったが、周囲の諸侯が漢王に服従してしまえば、完全に孤立する。今の地位も長く続かないだろう……

 今のうちに漢に帰服しておきたいと思うのだが、張良先生、漢王様に口利(くちき)きしてはもらえないだろうか?」

 

 張良が微笑(ほほえ)む。

「さきほど申し上げた通り、私は魏豹(ぎひょう)様の人徳を(した)って西魏(せいぎ)に来たのです。

 喜んで紹介いたしましょう。

 

 漢王劉邦様は、心が広く、仁義があり、度量が大きく、人材を大切になさるお方。

 私が推薦(すいせん)すれば、漢王は必ず魏豹(ぎひょう)様を重んじてくださるでしょう。

 さすれば、今後どんな問題・困難が降りかかったとしても、漢王様と助け合って乗り越え、ともに富貴(ふうき)を得られるに違いありません」

 

 と、その時。

 

「待てっ!」

 宴席の(すみ)屏風(びょうぶ)の裏から、1人の男が(おど)り出た。

 魏豹(ぎひょう)の腹心、大夫(たいふ)周叔(しゅうしゅく)であった。

 

 

(つづく)




●注釈
 范増(はんぞう)の発言にあった『心腹の(やまい)(腹心の(やまい)とも言う)』とは、放置しておけない危険な敵を、心臓や腹(内臓)の病気に(たと)えた言葉。第十七回の注釈で紹介した呉国の武人伍子胥(ごししょ)の発言に由来し、「春秋左氏伝・哀公十一年」「史記・越王句践(こうせん)世家(せいか)」「国語・呉語」などに記述がある。
 かつて呉王夫差(ふさ)(えつ)国を滅亡寸前まで追いつめたが、(えつ)句践(こうせん)の助命歎願(たんがん)を受け入れ、命は奪わずに許した。
 それからしばらく年月が過ぎ、呉王夫差(ふさ)は遠い(せい)国へ戦争を仕掛けようと画策しはじめた。このとき、伍子胥(ごししょ)が呉王夫差(ふさ)(いさ)めてこう言った。
『呉にとって(えつ)は腹心の(やまい)です。(えつ)句践(こうせん)は呉に敗れたことを忘れてはおりません。心の中で期を窺い、兵士を鍛えて我々の隙を探している。
 呉王様は(えつ)のことを考えずに(せい)()のことを(うれ)えていますが、(せい)()(たと)えて言えば疥癬(かいせん)のようなもの(だから、すぐに命にはかかわらない)。長江や淮水(わいすい)を渡って遠国の土地を争い取ることなどできません。その間に、必ずや(えつ)が呉の土地を奪い取ってしまうでしょう』
 しかし呉王夫差(ふさ)は、伍子胥(ごししょ)の言葉に耳を貸さなかった。
 そして実際、呉王夫差(ふさ)が国を離れているときに越王句践(こうせん)が呉に攻め込み、たちまち呉の首都を占領。その数年後、呉は(えつ)によって滅ぼされてしまったのである。
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