于英と桓楚を連れて帰ると、項梁は限りなく喜んだ。
いや、喜んだのは項梁だけではない。于英・桓楚の二将軍は雄々しく勇敢で、それに従う8000の軍勢もみな精鋭。これが味方についたと知って、心が奮い立たない者はいなかった。
また、沢の中から出てきたあの馬を引いてきてみると、体長は前後1丈(231cm)、体高は上下7尺(160cm)。これぞまことの龍馬と言うべき見事な馬であった。
これを名付けて烏騅と号した。
さらに、項羽が虞氏と婚約してきたことを語ると、項梁は微笑んだ。
「義兵を起こしてからというもの、人々の心はお前に従い、英雄も集まってきた。天下を平定するのも難しいことではない。
もうお前は立派な大人だ。結婚くらい好きにすればよい!」
そこで、吉日を選んで虞姫を娶った。
その一族の虞子期という者を、大将として取り立てもした。
こうして勢力が増せば増すほど、四方から集まってくる兵の数も増えていく。それから10日が過ぎる頃には、軍勢は10万を超えるまでに膨らんでいた。
これはもう地方の反乱軍という規模では収まらない。秦本国の軍勢とさえ正面切って戦える数である。
「今こそ長江の北へ渡って、秦を討伐する時だ!」
かくして、ついに項羽たちは出陣を決断したのだった。
*
その出陣の日。
会稽の百姓が、項羽たちの行く道をさえぎって嘆いた。
「お待ちください。あなた様がこの郡を捨てて去ってしまったら、誰が民を治めてくれるのでしょう?」
項梁は言った。
「先日私がこの城を取ったのは、一時的に軍馬を駐屯させて、秦を討つ大事業の準備をしようという考えだったのだ。
大軍をここへ長く留めていると、莫大な食料や物資が必要になって、百姓に負担を強いることになる。だから早く長江を渡って秦を討ち、天下のために残虐暴虐を取りのぞくほうがいい。
いつかそれを成し遂げたなら、会稽の住民は、向こう千年のあいだ税を免除してやろう。
お前たち、みな安心して家業に励んでいなさい。賢く徳のある太守がやってきて、この街を治める日が必ず来るから」
百姓はこれを聞いて、喜んで帰っていった。
*
さて、項梁が人馬をうながして進発すると……
ほどなくして、こんな報告が飛び込んできた。
「正体不明の軍勢が、我らの行く先で道を封鎖しております」
「一体何者であろうか?」
項梁と項羽は、みずから出ていって様子を見た。
すると、行く手を塞ぐ軍勢の中から、一人の大将が進み出てきた。
先頭に軍旗を進ませ、馬を躍らせ出で来たる……その姿は風神峻烈、威武雄健。並の男でないことは一目で分かる。
項羽が大声を張り上げた。
「貴様は何者だ! なんで俺たちの邪魔をするんだ!」
相手が答えて言う。
「俺は六安の英布という者だ!
古の昔から、れっきとした名前を持っている軍隊を正兵と呼ぶ。
お前たちは無名の軍勢だ。
ひそかに淮南の地を通り抜け、紂を助けて悪を為そうというのだろう。だから俺が貴様らを止めるのだ!」
紂は紂王、古代中国にあった殷王朝の、伝説的な悪王である。紂を助けて悪を為す、とはつまり、悪人に味方して悪事を働くというたとえなのだ。
項羽は毅然として言った。
「俺は楚の大将項燕の孫で、項羽、名は籍という者だ。
秦の無道を見て会稽に義兵を起こし、8千の子弟を配下に加え、10万の軍勢を率いて、楚のために仇を討ち、残虐暴虐を取りのぞいて天下の苦しみを救おうとしている。
これのどこが無名の軍勢だっていうんだよ!」
その言葉を言い終わるより先に、桓楚が馬で走り出た。
「英将軍! はやくこちらの仲間に加わりなさい。私はもう服従したぞ」
「おお、桓楚か!」
英布は急いで馬から飛び降り、道の脇にひれ伏した。
項羽がたずねた。
「桓楚よ、この人を知ってるのか?」
桓楚が言う。
「はい、私の友の英布です。六安の出身で、若い頃に罪を犯し、罰として額に黥を入れられたので、黥布とも呼ばれております。
彼は昔、驪山で始皇帝廟の工事に駆り出されていたのですが、そこから脱走し、長江を渡って私の家に逃げてきたのです。そのとき、賢明で徳のある主君を探し、一緒に功を立てて富貴の位に登ろう、と約束しました。
近ごろ彼が淮南に兵を集めていると耳にしたので、使者を送って我が軍に招こうかと思っていたのですが、運よくその前に出会えましたな。
英将軍の武勇は、まさに天下無敵ですよ!」
項羽は限りなく喜んで、英布を連れていき、項梁に引き合わせた。
そこで英布が言う。
「それがし、長いあいだ良い主君を探し求めておりました。今より項梁将軍に従い、力を尽くしたく思います」
項梁は喜んだ。
「『千の軍勢を得るのは簡単だが、一人の将を求めるのは難しい』という言葉がある。いま御辺を得たことが、万里の長城を獲ったかのように心強いですぞ」
そして酒宴を開いて英布をもてなし、その後、兵をうながして出発したのだった。
(つづく)
■次回予告■
一騎当千の猛将たちがずらり居並ぶ項梁軍。来たるべき戦いに備えて名高き老賢者・范増にも出廬を促し、力と知恵をともに揃えた。
だがそのとき、彼らの前に沛の軍勢が現れる。
ここに初めて顔を合わせた二人の英雄、項羽と劉邦――やがて天下の命運をかけて相争うことになる虎と龍とが、今、秦討伐のため手を握る。
次回「龍虎戦記」第六回
『集結、反秦連合軍』
乞う、ご期待!