龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十一の下 舌戦

 

 

 周叔(しゅうしゅく)は、屏風(びょうぶ)の裏に隠れて盗み聞きしていたのだが、「これ以上は放っておけぬ!」とばかりに飛び出てきた。

 

 周叔(しゅうしゅく)が、魏豹(ぎひょう)に駆け寄る。

西魏(せいぎ)王様! 張良の戯言(たわごと)を聞き入れてはいけません!

 こんな話を覇王項羽様が()れ聞いたら、どうなると思いますか?

 ()の大軍を(ひき)いて攻めてくるのは確実ですよ!

 

 もしそうなったら、一体どうやって防ぐおつもりですか。

 将来の孤立を防ぐために()を裏切るのは、はるか遠くのことばかり考えて、目の前の危険を忘れることに他なりません!」

 

「はっはっは!」

 これを横で聞いていた張良が、珍しく、声をあげて笑いだした。

 

 周叔(しゅうしゅく)が、眉間(みけん)にシワを寄せる。

「張良先生。なにをお笑いになるのです」

 

 張良は、まだ、くすくすと笑いを()らしている。

周叔(しゅうしゅく)殿は、強弱を知らず、時勢を悟らず、項羽の為人(ひととなり)を察することもできていない。だから笑ったのです」

 

 周叔(しゅうしゅく)が言う。

「『強弱』とは、なんだ?」

 

 張良は、内心ほくそ笑んだ。

 どんな弁舌も、相手が聞いてくれなければ意味をなさない。

 ゆえに張良は、わざと挑発して周叔(しゅうしゅく)を怒らせ、自分の言葉を無視できないように誘導したのである。

 

 ここぞとばかりに張良が、得意の弁舌をうならせる。

(しん)の大将章邯(しょうかん)は、(よう)王に(ほう)ぜられて三秦(さんしん)を守り、精兵20万を従えていました。

 この章邯(しょうかん)西魏(せいぎ)を比べると、どちらが強く、どちらが弱いでしょうか?

 もちろん、章邯(しょうかん)の方が強いでしょうね。

 

 ところが、韓信大元帥は、たった一度の戦いで廃丘城を攻め取り、章邯(しょうかん)の首を斬ってしまった。

 その勢いは、まさに破竹(はちく)の如し。

 

 一方、かつて項羽は、章邯(しょうかん)を倒すために9回も戦わねばならなかった。

 9回の項羽と、1回の韓信。さて、これはどちらが強いでしょうか?

 答えは、言うまでもありません。

 

 周叔(しゅうしゅく)殿は、こういう理屈を考えておられない。

 これは、『強弱を知らず』ということではありませんか?」

 

 周叔(しゅうしゅく)が、歯ぎしりして詰め寄る。

「では『時勢を悟らず』とは、どういうことか?」

 

 張良が、さらりと答える。

「天下には、『今しかない』という(さだ)められた時があり、また『こうなるしかない』という(さだ)められた勢いというものがあります。

 今はまだ、時も勢いも(さだ)まっていない。

 

 覇王項羽は、自分の強さをたのみとするばかりで、天命を悟っておりません。

 ゆえに、天下を支配しようと画策しても、なかなか『その時』を得られないのです。

 

 さらに、関中に(みやこ)を置かず、彭城(ほうじょう)遷都(せんと)してしまった。諸侯の上に覇王として立つことはできたが、人々の支持は失ってしまった。

 これは勢いを得ていないということです。

 

 一方、漢王劉邦様は隆準(りゅうせつ)龍顔(りゅうがん)(とうと)い人相で、行動を起こすときには頭上にめでたい雲気が湧き起こります。

 芒蕩山(ぼうとうざん)で大蛇を斬れば神の母が夜通し泣き、関中に入ったときには刃を血で汚すことなく人々を心服させました。

 

 天下の時を得て、天下の勢いを得る。その人物は、まさに漢王です。

 

 周叔(しゅうしゅく)殿が魏豹(ぎひょう)様を(いさ)めて漢王への帰服を止めるのは、『時勢を悟らぬ』行いと言えるのではありませんか?」

 

 周叔(しゅうしゅく)が、うなる。

「『項羽の為人(ひととなり)』とは!?」

 

 張良が言う。

「項羽は、他人の小さな(あやま)ちを(とが)めるくせに、他人からの大きな恩は忘れてしまう男です。

 (せい)の田栄は、かつて(しん)討伐(とうばつ)するとき()軍に協力した人物。恩こそあれど(あやま)ちなどないはず。

 その(せい)を、今、項羽は軍勢によって()とうとしている。

 

 私が情勢を見るに、おそらく(せい)は無事では済まないでしょう。

 

 そして(せい)が滅びたら、次はこの西魏(せいぎ)が標的になるかもしれない。項羽が攻めてきた時、いったい誰の助けによって国を守るおつもりか?

 これが『項羽の為人(ひととなり)を察せていない』ということですよ」

 

 周叔(しゅうしゅく)は、何も言い返せず、黙りこくってしまった。

 

 と、魏豹(ぎひょう)周叔(しゅうしゅく)を叱り飛ばした。

「もうやめぬか、周叔(しゅうしゅく)

 張良先生は、私のために国を長く(たも)つ計略を()いてくださったのだぞ。

 それに対して、お前は、なんたる無礼な口ぶりだ!

 もうよい。別室に下がっておれ、周叔(しゅうしゅく)!」

 

 そして魏豹(ぎひょう)は、張良に顔を向けた。

「張良先生にお願いして、漢に降伏いたそう。

 そうすれば、たとえ項羽が攻めてきたとしても、漢王劉邦様の力を借りて防ぐことができる。

 これこそ久遠(くおん)の計というものだ」

 

 張良は、にこりと微笑(ほほえ)んだ。

「はい。魏豹(ぎひょう)様のお考えは、まことに万世(ばんせい)の計でございます」

 

 こうして、西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)は、劉邦につくことを決断した。

 降参の表文(ひょうぶん)を書き、貢物(みつぎもの)を用意し、その翌日、周叔(しゅうしゅく)を使者として、張良とともに咸陽(かんよう)へ派遣したのだった。

 

 

   *

 

 

 張良は、周叔(しゅうしゅく)を連れて咸陽(かんよう)に帰還した。

 報告を受けた漢王劉邦は、すぐに周叔(しゅうしゅく)に対面した。

 周叔(しゅうしゅく)が差しだした表文(ひょうぶん)を開いてみると、内容は、こうである。

 

西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)頓首(とんしゅ)稽首(けいしゅ)して上言(じょうげん)す。

 

 無数の大河や支流は遠く離れた土地を流れながら、最後には巨大な海に帰る。

 群れなす(つばめ)は勝手気ままに飛びまわりながら、必ず人家の(はり)に巣をつくる。

 

 我が()国は中国の西方にあり、いまだ王化(おうか)(王者の徳によって良い社会になること)に(うるお)っていませんでした。

 私がうかがい聞きたところでは、漢の徳は、太陽が昇るが如く、川が流れるが如く、人々に恩恵を(ほどこ)しているとか。

 すでに三秦(さんしん)を征服して、章邯(しょうかん)の首をお取りになったと聞いております。

 

 漢王様の仁義は諸国に示され、(せい)()もその威勢を恐れ、天下の人々が心服し、諸侯が帰順していると聞きます。

 この魏豹(ぎひょう)も、漢王様の(めい)に従いたく思います。

 どうぞ私に任務を与え、臣としてお使いください。さすれば、私が西魏(せいぎ)の土地と人民をきちんと治め、漢王様の統率に従わせましょう。

 

 どうか漢王様、この(ひょう)をお納めください。

 臣魏豹(ぎひょう)佩服(はいふく)感戴(かんたい)(いた)りにたえず』

 

 劉邦は、限りなく喜んだ。

 魏豹(ぎひょう)から送られてきた名馬・白璧(はくへき)(白い宝玉)などの貢物(みつぎもの)(こころよ)く受け取ると、使者周叔(しゅうしゅく)の労をねぎらって酒宴(しゅえん)(もよお)した。

 

 この酒宴(しゅえん)で、周叔(しゅうしゅく)は想像だにしない手厚いもてなしを受けた。

 というのも、飲み物、料理、食器の(たぐい)にいたるまで、何もかも漢王劉邦と同一のものが、周叔(しゅうしゅく)のために用意されていたのである。

 

 現代であれば、酒宴(しゅえん)において客と主人が同じものを食べるくらい、当たり前のことだろう。

 しかし当時の中国には、厳格な身分の上下がある。一介(いっかい)の使者にすぎない周叔(しゅうしゅく)が、漢王劉邦と同等のもてなしを受けた……これはまさに、下にも置かない扱いであった。

 

 周叔(しゅうしゅく)は素直に感激し、心の中に思った。

「なんと気前がよいお方なのだ……

 漢王様は、心が広く仁義のある本物の長者(ちょうじゃ)(徳のある人)なのだ。

 張良の話は真実であった……」

 

 次の日。

 任務を果たした周叔(しゅうしゅく)は、劉邦に謁見(えっけん)して暇乞(いとまご)いした。

 それに対して劉邦は、みずからの手で返書を書いて渡し、おびただしい量の恩賞を周叔(しゅうしゅく)個人に(たまわ)ったのだった。

 

 

   *

 

 

 周叔(しゅうしゅく)は足早に西魏(せいぎ)へ帰り、魏豹(ぎひょう)に事の次第(しだい)を報告した。

 魏豹(ぎひょう)は、大喜びで返書を開いた。

 

『漢王劉邦、この書を手づから(しる)して西魏(せいぎ)王の元へお送りする。

 

 私、劉邦は、西魏(せいぎ)王殿の名を以前からよく聞き知っておりました。

 聞くところでは、西魏(せいぎ)王殿は(しゅう)に仕えた畢公(ひつこう)()王家の始祖)の末裔(まつえい)で、賢王として世に知られ、徳をもって()を治めておられるとか。

 

 ちょっと判断を(あやま)って()の下についてしまったようですが、今、その間違(まちが)いを悟って、我が漢と(よしみ)を結ぼうとのお言葉。

 たいへんうれしく(さいわ)いに思います。

 

 これからは、ともに力を合わせて政治を行い、王業(おうぎょう)()しましょう。

 なにか計略を動かすときには、お互いに助け合い、補佐しあって、国土を大きく広げ、ゆくゆくは天下統一を果たそうではありませんか。

 がんばって功績を上げ、()国の領土を布を広げるように広げましょう。

 

 我々の誓いは河山(かざん)帯礪(たいれい)。つまり黄河が(おび)のように細くなり、泰山(たいざん)(といし)のように()り減っても、永久に不変です。

 

 我ら一緒に富貴(ふうき)享受(きょうじゅ)し、もし困難がある時には助け合うことを誓いましょう。

 西魏(せいぎ)王よ。なにとぞこの申し出を受け入れていただきたい』

 

 読み終わって、魏豹(ぎひょう)は、ホッと一安心。

 かくして劉邦の下についた西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)は、項羽からの攻撃に備えて、要害の守りを固めはじめたのである。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 西魏(せいぎ)調略に成功し、次は河南(かなん)申陽(しんよう)に狙いを定めた軍師張良。しかし(みやこ)洛陽(らくよう)に到着した彼に、怪しげな魔手が忍び寄る。

「張良を捕らえ、覇王へ捧げよ」それは悪魔の(ささや)きか、はたまた弱き人間の(さが)か。音も無く迫る陰謀に、説客(せっかく)張良、どう立ち向かう?

 

 次回「龍虎戦記」第四十二回

 『裏切りの陸賈(りくか)

 

 ()う、ご期待!

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