龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十二の中 裏切りの陸賈

 

 

 樊噲(はんかい)は、敵を制圧し終えると、すぐに檻車(かんしゃ)から張良を救い出した。

 

 自由になった張良が、林の下に座って一息ついていたところへ、縛られた陸賈(りくか)が引き出されてきた。

 張良が、あきれたように言う。

陸賈(りくか)。あなたはという人は、漢王様の下で、もう3年も大きな恩を受けてきたのでしょう。

 それが私を縛って項羽へ献上しようとは、なにごとですか」

 

 陸賈(りくか)は、きっぱりと胸を張って答えた。

「私が漢王様に仕えるようになった経緯は、張良先生と同じです。

 先生が祖国(かん)を忘れないように、私も()を忘れてはいません。

 

 これは断じて二心(ふたごころ)などではない。

 張良先生は、徹頭(てっとう)徹尾(てつび)(かん)国のために復讐を成しとげようとしておられるでしょう?

 それと同じく、私もただひたすら()のために心を尽くすのみです」

 

 張良は、溜め息をついた。

「なるほど、汝はさすがに弁舌の士だ。言葉は実に(たく)みだが……

 ()のために尽くすのなら、なおさら漢への帰順を申陽(しんよう)(すす)めるべきではないか?

 漢王様が心の広い君主であることも、覇王項羽がどういう人間であるのかも、汝ほどの男なら、よく分かっているだろうに」

 

 陸賈(りくか)が、低くうなだれる。

「それは……

 申陽(しんよう)様は、()から官爵(かんしゃく)(さず)かり、()に心を寄せておりました。

 

 私は、申陽(しんよう)様の気持ちに従いたかったのです。

 それゆえ、張良先生を捕らえて()に送り、二心(ふたごころ)が無いことを()に示して、今後のために覇王や范増(はんぞう)の覚えをめでたくしておこうと……」

 

 と、ここで樊噲(はんかい)が、横から耳が痛くなるような怒声を発した。

「ああそうかい! 申陽(しんよう)は張良先生を()に献上して功績を示そうとしたわけだ!

 だったら、この俺も、お前を漢王様に献上して忠義を示そうじゃねえか!

 文句はねえよな? なあ陸賈(りくか)ァ!」

 

 というわけで、樊噲(はんかい)陸賈(りくか)を縛りあげたまま、軍勢とともに、どこかへと移動していった。

 

 

   *

 

 

 一方……

 郭縻(かくび)配下の兵卒たちは、樊噲(はんかい)蹴散(けち)らされて、洛陽(らくよう)に逃げ帰った。

 

 その兵卒たちが、河南(かなん)申陽(しんよう)に報告した。

「張良を連れて、洛陽(らくよう)から50里か60里ほど進んだときのことでした。

 林の中から一手の軍勢が現れて、『馬や武具を置いていけ』と要求してきたのです。

 

 大将の郭縻(かくび)様は、怒ってその軍勢と戦いましたが……

 敵に、とんでもなく腕の立つ恐ろしい将がいて、そいつが郭縻(かくび)様を斬り捨ててしまいました。

 

 張良は、敵に奪われ……

 我らは走って逃げましたが、敵の大将が飛ぶように追ってきて……

 とうとう陸賈(りくか)様まで敵に捕まってしまいました」

 

 これを聞いて、申陽(しんよう)は激怒した。

「バカな! 郭縻(かくび)を倒すほどの(ごう)の者が、なぜそんなところに……

 とにかく許せん! 私が、その無礼者を誅殺(ちゅうさつ)してくれる!」

 

 申陽(しんよう)は、千騎あまりの兵を(ひき)いて、洛陽(らくよう)から飛び出した。

 しかし、郭縻(かくび)らが襲われたという林まで来てみても、それらしい軍勢は見当たらない。

 

 近くの住民に(たず)ねてみると、

「今朝までは、人馬の集団がこのあたりにおりました。しかしその後、そいつらは四方に散らばって去っていってしまいました」

 との答え。

 

 申陽(しんよう)は、方針に迷って足を止めた。

 捕らえられた陸賈(りくか)のことが心配だ。しかし、敵を追う手がかりがない……

 

 申陽(しんよう)の部下たちが、進言した。

申陽(しんよう)様、まずは洛陽(らくよう)から伸びる大道に入りましょう。

 敵が逃げるとしたら、そこを通るはず。おそらく、それほど遠くへは行っておりますまい」

 

「よし」

 と申陽(しんよう)は決断し、大道へ移動した。

 

 敵の姿を探して大道を進んでいると、商人らしき5、6人の集団に出会った。

 申陽(しんよう)は馬を止め、商人たちに(たず)ねた。

「汝ら、この道で、武装した怪しい連中に出会わなかったか?」

 

 商人たちが、首を横に振る。

「いや、出会っていませんね」

 

 申陽(しんよう)は怪しんだ。

「おかしい……この道を通って逃げたなら、あの商人たちが出会っていないわけがない。

 ということは、敵は道から離れて、どこかへ身を隠したのか? 一体どこへ……?」

 

 そうこうするうちに日も暮れて、あたりに宵闇(よいやみ)が広がりだした。

 

 と――そのとき。

 

 突如、バァン! と申陽(しんよう)の周囲で鉄砲が炸裂した。

 申陽(しんよう)の部下たちが驚き、すくみあがった、その直後。

 近くにあった(つつみ)の下から、火把(かは)松明(たいまつ))を振り上げて、1騎の人馬が駆け寄ってきた。

 

「我は漢の大将樊噲(はんかい)なり!

 河南(かなん)申陽(しんよう)! 張良先生のお情けで、首だけは切らずにおいてやる!」

 

 申陽(しんよう)は震えあがった。

「は……樊噲(はんかい)だと!? なぜこんなところに!」

 

 (しん)討伐(とうばつ)のおり、劉邦の下で大暴れしていた樊噲(はんかい)の強さは、申陽(しんよう)も、よく知っている。

 申陽(しんよう)は慌てて馬を返し、逃げだした。

 

 だが時すでに遅し。

 申陽(しんよう)らの周囲は、樊噲(はんかい)配下の伏兵によって、完全に取り囲まれていたのである。

 

 こうして申陽(しんよう)は、なすすべもなく縛りあげられてしまった。

 

 

   *

 

 

 張良は、山間に幕舎を建てて(あか)りを(とも)し、じっと座って待っていた。

 しばらくすると、樊噲(はんかい)の軍勢が戻ってきた。

「張良先生! 申陽(しんよう)を捕らえてきましたぜ」

 

 河南(かなん)申陽(しんよう)が、縛られたまま、引き出されてきた。

 その姿を見た張良は、立ち上がって樊噲(はんかい)(めい)じた。

樊噲(はんかい)殿。縄を(ほど)いてさしあげなさい」

 

「はあ。いいんですか?」

 樊噲(はんかい)が、首をかしげながら、申陽(しんよう)の縄を()く。

 

 申陽(しんよう)が自由になったのを見ると、なんと張良は、申陽(しんよう)の前にひざまずき、拝伏した。

 

 これには樊噲(はんかい)も、そして申陽(しんよう)も、驚いて目を丸くした。

 敵の捕虜に対してとる態度ではない。張良は、あくまでも申陽(しんよう)河南(かなん)国の王として尊重する姿勢を見せているのである。

 

 張良は、静かに語った。

「漢王劉邦様は、あなた様と力を合わせ、覇王項羽を討伐(とうばつ)して天下の害を取り除こうと、ただそれだけを(ほっ)しておられます。

 そのご意志を伝えるため、私を河南(かなん)国へと派遣なさったのです。

 

 河南(かなん)王、あなたは私を捕らえて項羽の元へ送ろうとなさった。

 私は、この事態をあらかじめ予測し、樊噲(はんかい)を伏兵として備えさせておきました。

 それによって、こうして河南(かなん)王を捕らえることができたわけですが……

 

 先に捕らえた陸賈(りくか)が、必死になって()い願ったのですよ。『どうか河南(かなん)王様の(いのち)は助けてください』とね。

 それゆえ、樊噲(はんかい)には、あなたを殺さぬようにと(めい)じておきました。

 

 いかがですか、河南(かなん)王。

 考えを変えるおつもりは、ありませんか?

 

 漢王様は徳のある君主。

 項羽は狂暴なる独夫(どくふ)

 もしあなたが心を改めて漢に帰服なされば、漢王様は、河南(かなん)王の(くらい)を保証してくださるでしょう。

 さすれば、富貴を子孫に伝えることもできるのです」

 

 そこへ、奥からもう1人の男が進み出てきた。

 陸賈(りくか)である。

 

 陸賈(りくか)が言う。

河南(かなん)王様……どうか、張良先生の(すす)めに従ってくださいませ。

 漢に帰服なされば、御身(おんみ)安泰(あんたい)、富貴も保てます。

 

 それに、実は……

 河南(かなん)王様には、もう帰るべき城も無いのです。

 

 河南(かなん)王様が洛陽(らくよう)を離れた後、大将灌嬰(かんえい)(ひそ)かに洛陽(らくよう)に向かいました。おそらく、今ごろ洛陽(らくよう)城を攻め取ってしまっているでしょう。

 これも全て張良の計略……

 

 樊噲(はんかい)は、さきほどまで『申陽(しんよう)を斬ってやる』としきりに(ののし)っていましたが、私が言葉を尽くして()い願い、ようやく河南(かなん)王様の(いのち)を助けてもらう約束を取りつけました。

 漢王様は、仁義と人徳のある君主です。河南(かなん)王様、どうか、このことをよく考慮してくださいませ」

 

 申陽(しんよう)は、天を(あお)いで溜め息をついた。

(こと)ここに至っては、漢に帰服する以外に道はない。

 分かり申した。ひとまず洛陽(らくよう)城に帰り、準備を整えたら、陸賈(りくか)とともに咸陽(かんよう)に行き、漢王に帰順を申し出ようと思うが……

 張良先生、それでよろしいか?」

 

 張良が、うなずいた。

「大変よろしゅうございます。

 それでは、私たちも同行いたしましょう」

 

 

(つづく)

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