龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十二の下 裏切りの陸賈

 

 

 申陽(しんよう)は、張良たちとともに洛陽(らくよう)へ帰った。

 すると、どうだろう。城壁の上には漢の赤旗がはためき、漢兵たちがずらりと並んでいるではないか。

 

 城壁の上にいた大将灌嬰(かんえい)が、申陽(しんよう)らの姿を見つけて呼びかけてきた。

「この城は、張子房(張良)の計略によって、すでに我々が奪い取った! そこに来るお前たちは何者だ!」

 

 申陽(しんよう)は、愕然(がくぜん)とした。

「なんたることだ。本当に一晩で城が取られている……

 張良は、(まこと)に神の如き知恵者だ……」

 

 その張良が、馬足を速めて、城門の前に進み出た。

灌嬰(かんえい)殿、私です。よくやってくれました。門を開けてください」

 

 すぐに門が開かれ、一同は、そろって洛陽(らくよう)城内に入った。

 

 洛陽(らくよう)の住民たちには、特に異変は見られない。騒ぐことなく、いつもどおりの暮らしを送っている。(にわとり)や犬さえ、別段(べつだん)驚きもせず、くつろいだ姿を見せている。

 とても異国の軍勢に占領された直後の街とは思えない。

 

 申陽(しんよう)は、大きく溜め息をついた。

「よかった。洛陽(らくよう)(たみ)は、略奪も乱暴もされていないようだ。

 つまり、軍法がよく整い、軍規が固く守られているということ……

 この一事(いちじ)を見ても、漢王劉邦が上手く人を用いていることが、よく分かるな……」

 

 さて、張良の後に続いて、申陽(しんよう)が城の奥へ進もうとすると、灌嬰(かんえい)()く手を(ふさ)いだ。

「おっと、お待ちを。

 河南(かなん)王、あなたが城に入るのはまずい。

 

 占領したばかりの城に、元の(あるじ)が戻ってくれば、人々が心変わりして反抗しはじめるかもしれん。

 それがしは、陣を構えて城の四方を守っておる。河南(かなん)王は、張良先生とともに、その陣の中に留まっていていただきたい」

 

 申陽(しんよう)は、首を横に振った。

大丈夫(だいじょうぶ)(立派な男)たるもの、一度口にしたことを、どうして後から(ひるがえ)したりしようか。

 この城は、すでに漢のものになったのだ。疑わないでくれ」

 

 そう言って申陽(しんよう)は矢を折り、決して心変わりしないという誓いの(あかし)とした。

 

 そのとき、物見(ものみ)が報告を持ってきた。

「城外に、漢軍の応援がやってきました。漢の大将周勃(しゅうぼつ)陳武(ちんぶ)の部隊です。

 今、城外に陣取り、張良先生に会見を求めております」

 

 張良は、周勃(しゅうぼつ)らを城内に迎え入れた。

「やあ、両将軍。どうして貴公らが洛陽(らくよう)へ?」

 

 周勃(しゅうぼつ)が答える。

「軍師殿が咸陽(かんよう)を出発して2日、何の音沙汰(おとさた)もありませんでしたので、韓信大元帥が心配なさいまして。

 『なにか異変が起きていたらまずい』と、我ら2人に3千騎あまりをつけて、張良先生をお手伝いしに行くよう(めい)じなさったのです。

 

 しかし、その道中で、張良先生から送られてきた伝令の駅馬と、次々に出会いましてな。

 潼関(どうかん)まで来た時には、もう洛陽(らくよう)を取ってしまったと聞いておりましたよ。

 結果的に我々は無駄足になりましたが、計略が上手くいって何よりでした」

 

 話を横で聞いていた申陽(しんよう)は、ますます驚嘆した。

 

 潼関(どうかん)は、洛陽(らくよう)咸陽(かんよう)の、ちょうど中間あたりにある。距離にして500里(200km)以上も洛陽(らくよう)から離れているのだ。

 洛陽(らくよう)陥落(かんらく)したのが、昨日の(よい)の頃。その後すぐに早馬を出発させたとしても、一昼夜もかからずに連絡した計算になる。

 

 各地に駅馬(えきうま)を配置し、それを乗り継いで走ったのだろうが……

 咸陽(かんよう)を占領してから、さほど時間も経っていないというのに、もうこれだけの仕組みを整えているとは。

 

 申陽(しんよう)は、うなった。

「なんと用心深く、手際(てぎわ)のよいことか……

 有能な人材を数多く抱えていなければ、できないことだ。なるほど、やがて天下を取る者は、間違いなく漢王劉邦であろう……」

 

 申陽(しんよう)は、その夜、酒宴を(もう)けて、漢の大将たちをもてなし……

 翌日。一同は、つれだって咸陽(かんよう)へと出発した。

 

 

   *

 

 

 西へ旅すること数日、一行は咸陽(かんよう)に到着した。

 

 申陽(しんよう)は、咸陽(かんよう)城に入るなり、驚いて目を見開いた。

 城内に(たむろ)する漢の軍馬は、整然と秩序だっている。

 文武の大将たちもまた厳粛(げんしゅく)で、少しの乱れもない。

 さすがに韓信が徹底的に(きた)えた漢軍。並の軍勢とは練度が段違いであった。

 

 さて、一行は宮殿に入り、漢王劉邦に謁見(えっけん)した。

 

 まずは、張良が(こと)の次第を報告した。

 劉邦は満足げに、うなずく。

「さすがは張良先生! 先生の見事な計略でなけりゃあ、一挙両得に平陽(へいよう)洛陽(らくよう)を服従させるなんて、とてもできなかっただろうよ!」

 

 次に劉邦は、申陽(しんよう)陸賈(りくか)を招き寄せた。

 申陽(しんよう)は、広間の段の下まで来ると、そこで丁寧(ていねい)に再拝した。

 さすがに緊張した様子である。

 

 それに対して劉邦が言う。

「やあ、河南(かなん)申陽(しんよう)殿! 貴公が洛陽(らくよう)をしっかり治めておられる、という評判は、遠くまで聞こえておりましたぞ。

 それで前々から、河南(かなん)王殿と協力して王業を為したいと思っていたんですわ。

 

 ま、やむをえず、張良の計略で、少々強引に咸陽(かんよう)まで来ていただくことになっちまいましたが……

 それでも(ちん)を見捨てず、こうして遠路はるばる(よしみ)を結びに来てくださった。(ちん)は感激しておりますぞ!」

 

 申陽(しんよう)が、低く(こうべ)()れる。

「漢王陛下の聖なる人徳は、日増しに盛んになっていき、天下の百姓は父母を(した)うように陛下を(した)っております。

 さらに、ここへ来るまでに、漢王陛下の元にいる諸将の武勇や知恵を拝見し、天命の帰するところを知りました。

 天命には従わざるをえません。臣も、心を尽くして漢のために働く所存(しょぞん)です」

 

 そして……

 最後に劉邦は、陸賈(りくか)に目を向けた。

 陸賈(りくか)は、申陽(しんよう)のそばに拝伏し、緊張のあまり、顔面にビッシリと脂汗を浮かべている。

 

 劉邦は、陸賈(りくか)の頭を段の上から(にら)み下ろし、声を荒げた。

「おい陸賈(りくか)ァ!!」

 

「はっ……」

 陸賈(りくか)が、身を小さく折って、ようやく声を返す。

 

 広間に鋭く緊張が走る。

 ぞっとするような沈黙……

 

 不意に劉邦は、ニヤッ、と笑った。

「……親父さんやお袋さんに、ちゃんと親孝行してきたか?」

 

 陸賈(りくか)が、思わず顔を上げた。

「はっ? は……それは……はい」

 

 劉邦が、おだやかに語りかける。

「誰にだって故郷はあるさ。

 なあ、陸賈(りくか)。お前は、もともと洛陽(らくよう)の人。俺のところを()めて本国へ帰ったお前が、故郷のために働いて何の問題がある?

 

 しかしなあ。ウチは、とにかく人材不足でさ。有能な人材は、何人いたって足りねえんだよ。

 そういうわけで……明日からまた、よろしく頼むぞ、陸賈(りくか)

 

 陸賈(りくか)は……

 陸賈(りくか)は、その場に崩れ落ちるように、深く、深く、拝伏した。

 熱い涙が、陸賈(りくか)(まなこ)から、川を作って流れ落ちた……

 

「臣は……漢王陛下に従い、3年もの間、御恩(ごおん)を受けておりました。そのことを、片時(かたとき)たりとも忘れるはずがありましょうや!

 しかし本国に帰ってみれば、父母は見る影もなく年老いていて、再び離れるに忍びなく、恋々(れんれん)と後ろ髪を引かれ、陛下の御信頼を裏切ってしまった……

 

 この罪、まさしく万死に(あたい)します。

 

 それなのに……陛下は、この首に処刑の斧を振り下ろすことなく、それどころか(あわ)れみ、(いつく)しみ、再び御恩(ごおん)を与えてくださった!

 陛下の仁徳は、天地すべてを翼で(おお)って(かば)い守る、巨大な母鳥の如きもの。

 この陸賈(りくか)、力を尽くして漢王様のために働くことを、今こそ誓いますっ……」

 

 こうして……

 西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)河南(かなん)申陽(しんよう)を味方につける計略は、完遂(かんすい)された。

 

 その日、漢王劉邦は盛大な酒宴を(もう)けて群臣の労をねぎらった。

 そして翌日、申陽(しんよう)を帰らせて、洛陽(らくよう)の守りを任せ……

 陸賈(りくか)咸陽(かんよう)に留まらせ、元通り、韓信の麾下(きか)に配属したのであった。

 

 

(巻八へ、つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 (しん)を奪取し、諸侯を次々味方につけて、いよいよ勢い盛んなる漢軍。だが決戦に臨むにあたり、解決すべき懸念(けねん)がひとつ。

 劉一族の故地(こち)(ほう)(はい)は、よりにもよって()のド()(なか)。劉邦の家族を項羽の勢力圏から救い出す……困難極まる重要任務を果たすべく、一人の将が立ち上がる。学は無くとも仁気に溢れ、直言(ちょくげん)を好む愚直な男。彼こそは天下に名だたる豪傑、王陵!

 

 次回「龍虎戦記」第四十三回

 『太公救出作戦』

 

 ()う、ご期待!

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