龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十三の下 太公救出作戦

 

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、手早く敗軍をまとめ直すと、英布に向かって言った。

「敵は大勢、味方は小勢。しかも敗戦直後で士気も下がっておりますから、戦うのは得策ではありませんな。

 今夜は月が明るい。この光を頼りにして、夜のうちに撤退(てったい)するのがよいと思いますが……」

 

 英布も、苦々(にがにが)しげに、うなずいた。

「それしかあるまいな……

 だが、敵に追撃されると危険だぞ」

 

 鍾離昧(しょうりまい)も、うなずく。

「私に考えがあります。

 このあたりに篝火(かがりび)()き、旗をたくさん立てておきましょう。

 こうして人馬がいるように見せかければ、敵は罠を警戒して、追撃をためらうはず。

 この方法なら、無事に帰還できます」

 

 英布は立ち上がった。

「よし、それでいこう。となれば、善は急げだ」

 

 英布・鍾離昧(しょうりまい)は、判断も早ければ行動も早かった。

 たちまち手配を整え、その夜のうちに、音もなく撤退してしまった。

 

 

   *

 

 

 次の日。

 ()軍の様子をうかがいに出ていた細作(さいさく)間者(かんじゃ))が、王陵のもとへ報告をもたらした。

「英布らの軍勢は、どうやら撤退してしまったように思われます」

 

 王陵は、うなずいた。

「英布は、昨日大打撃を受けたから、再戦を(あきら)めて撤退するだろうと思っていたが……どうやらその通りだったようだ。

 いま追撃すれば、さらなる勝利を得られよう」

 

 そこへ周勃(しゅうぼつ)が口を挟んだ。

「韓信大元帥は、我々に強く(いまし)めなされた。『窮寇(きゅうこう)は追うことなかれ』とな。

 ()の陣を(なが)め見ると、旗も多く立っているし、篝火(かがりび)も消えていない。

 伏兵があるかもしれん。追撃すべきではあるまい。

 

 なあに、我々は太公や漢王御一族を無事に連れ帰れれば、それでよいのだ。

 漢王様は、御一族のことを思って夜も眠れぬほど不安に思っておいでだ。それが、なんの被害もなく咸陽(かんよう)へ迎えることができたのだから、王陵殿、御辺(ごへん)の功績は莫大ですぞ。

 

 さあ、少しでも早く帰還して、太公と漢王様に、3年ぶりの対面をなさせて差し上げよう」

 

 王陵たちは、河南(かなん)申陽(しんよう)に援軍の礼を述べて別れ、劉邦の待つ咸陽(かんよう)へと向かった。

 その途中、潼関(どうかん)まで来ると、多くの軍民が道の両側に拝伏し、(こう)()いて、太公を歓迎した。

 

 そして、咸陽(かんよう)の東、臨潼(りんどう)では……

 なんと漢王劉邦本人が、文武百官を引き連れて出迎えに現れたのだった。

 

 3年ぶりの親子対面。

 太公の記憶の中では、不真面目(ふまじめ)なグウタラ亭長(ていちょう)でしかなかった劉邦が、今や堂々たる一国の王となって、太公の前に立っている……

 

 感無量であった。

 劉邦と太公は、ともに涙を流し、再会を喜び合った。

 

 劉邦が言う。

「俺ァ、親不孝ものだ……

 項羽の悪だくみで漢中に左遷(させん)され、長いあいだ、故郷に帰ることもできなかった。

 それが今、やっと親父の顔を見れて……俺ァ、うれしくって、涙が止まらねえよ……!」

 

 そして劉邦は、妻の呂顔(りょがん)と、5歳になる息子の劉盈(りゅうえい)とも対面した。

 劉邦と呂顔(りょがん)は、3年ぶりの想いを、たっぷりと伝えあって限りなく喜んだ。

 

 劉邦は、威勢(いせい)よく兵士たちに(めい)じた。

「さあお前ら、親父の車を(かざ)りたてろ! 楽器を思いっきりかき鳴らせ!

 景気よくいこうぜ!

 咸陽(かんよう)へ入るんだ。俺たちの城だぞ!」

 

 劉一族は、お祭り騒ぎに包まれながら、咸陽(かんよう)城へ入った。

 太公も、呂顔(りょがん)も、劉一族の誰もかれも、咸陽(かんよう)威容(いよう)()()たりにして呆然(ぼうぜん)とした。

 そびえたつ城壁は陽射(ひざ)しを一面に受け止め、漢の赤旗は天を(おお)うほどに並び立つ。

 

 まさに威風(いふう)凛々(りんりん)

 亭長時代の劉邦しか知らない太公は、喜びのあまり感嘆(かんたん)した。

「ああ……! 想像もしなかった。わしの息子が、こんな身分に成り上がろうとは!」

 

 劉邦は、太公を玄徳宮という清浄な宮殿に迎え入れ、宦官(かんがん)数十人に身の回りの世話を(めい)じた。

 さらには妻呂顔(りょがん)、息子劉盈(りゅうえい)、その他の一族だれもかれもを、みんな手厚く保護したのだった。

 

 

   *

 

 

 一方、()国の(みやこ)彭城(ほうじょう)では……

 英布と鍾離昧(しょうりまい)が、太公を捕らえることに失敗したばかりか、人馬にも損害を受けて逃げ帰ってきた。

 

 彼らからの報告を受けて、項羽は激怒した。

「負けたァ!? 名前も聞いたことないようなザコ相手にか!?

 英布、お前の強さも(たい)したことないなァ!」

 

 グッ……

 と、英布は奥歯を噛みしめた。

 負けたことは事実。何も言い返せない。

 何も言い返せないが……こんな言い方は、あんまりだ。

 

 だが、そういう英布の内心に、項羽は気づきもしないのである。

「で、その敵将、王陵といったか? そいつは何者だ?」

 

 亜父(あふ)范増(はんぞう)が進み出た。

「王陵は、(はい)県の人ですな。

 以前、南陽で兵を集めて盗賊稼業をしておりましたが、武勇が並外れているので、劉邦に将として採用された人物です。

 

 周吉(しゅうきつ)周利(しゅうり)というのは、南陽を根城(ねじろ)にしていた王陵一派の残党。

 しぶとく()に反抗を繰り返すので、これまで手を焼いていたのだが……

 

 その一味(いちみ)を英布将軍が殺してくれたのだ。味方の害が1つ取り除かれたことを、まずは喜びましょう。

 英布将軍、何はともあれ、ご苦労であった」

 

 范増(はんぞう)の気づかいに、英布は、岩のこすれるような声で短く答える。

「は……」

 

 項羽が、不機嫌そうに口をはさんだ。

「そんなことより、王陵のことが許せんぞ」

 

 范増(はんぞう)が、うなずく。

「さよう。しかし、殺してしまうよりも、こちらの味方につけるのはどうかな?

 王陵は親孝行で有名な人物で、(はい)県に老いた母親がいる。

 今は王陵の弟の王沢(おうたく)が母を養っているのだが……

 

 この母親を捕まえて人質とし、王陵へ書簡(しょかん)を書かせるのだ。『彭城(ほうじょう)へ来て()に仕えよ』とな。

 さすれば、王陵は必ず、こちらに寝返るでしょう」

 

「なるほど! いい考えだ」

 項羽は喜び、部下に(めい)じた。

(はい)へ行き、王陵の母親を捕まえてこい」

 

 (はい)県は、彭城(ほうじょう)から見れば指呼(しこ)(かん)である。

 兵士たちは、あっというまに王陵の実家を取り囲み、老母を()()りにして、翌日には彭城(ほうじょう)へ帰ってきた。

 

 項羽は、王陵の母と対面すると、みずからの手で縄をほどき、丁重(ていちょう)に座を(すす)めた。

 

 言われるままに座った王陵の母に、項羽は、優しげに笑いかける。

「なあ、御母堂(ごぼどう)

 汝の息子の王陵は、この覇王項羽に仕えるようとせず、咸陽(かんよう)の逆賊劉邦なんかを助けている。

 これは天の道に(そむ)くことだ。

 

 汝は、賢く貞淑な女性らしいな。

 ちょっと王陵へ書簡(しょかん)を書いてくれないか。『項羽のところに来て、()に仕えよ』とな。

 そうすれば、王陵を万戸(ばんこ)(こう)(ほう)じてやろう。汝も暮らしが楽になるし、子孫までずーっと富貴(ふうき)は思いのままだ。な?」

 

 万戸(ばんこ)(こう)とは、読んで字の如く、家庭1万()を支配する領主のこと。

 1()につき平均5人と考えれば、領民はおよそ5万人。そこから毎年得られる税収入は、すさまじい量になる。

 

 しかし……

 これほどの好条件にもかかわらず、王陵の母は、ただ首を低く()れ、じっと考え込むばかり。

 

 亜父(あふ)范増(はんぞう)が、横から穏やかに口を挟んだ。

「覇王様。大事なことですから、()かすのは、よくありません。

 しばらく、王陵殿の御母堂(ごぼどう)を城内に(とど)まらせておき、手厚く養ってさしあげましょう。

 もろもろのお世話は、この范増(はんぞう)にお任せを」

 

 項羽は、面倒(めんどう)(くさ)そうに、低くうなった。

「うーん……そうか。じゃあ亜父(あふ)、頼む」

 

 というわけで、項羽は、王陵の母を彭城(ほうじょう)軟禁(なんきん)し、兵に(めい)じて守らせたのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 着々と進む決戦準備。次なる狙いは()喉口(のどぐち)河内(かだい)地方の(いん)司馬(しば)(ごう)

 覇王項羽の手足を奪い、本拠彭城(ほうじょう)への道を切り開くべく、押し寄せてゆく漢の大軍。守り堅固なる都城(とじょう)を前に、韓信、いかなる奇策で立ち向かう?

 

 次回「龍虎戦記」第四十四回

 『河内(かだい)攻略戦』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 今回登場した劉邦の息子は、「通俗漢楚軍談」「西漢通俗演義」ともに姓名の表記がない。史実ではこの時点で劉邦に3人の男子がいるが、正妻呂顔(りょがん)(史実では呂雉(りょち))に連れられていること、作中で『太子』と呼ばれていることからして、呂顔(りょがん)との間に生まれた唯一の男子である漢2代目孝恵皇帝(恵帝)と考えてよいだろう。「漢紀・高祖皇帝紀巻第二」によると、姓名は劉盈(りゅうえい)
 「漢書・恵帝紀」によれば、劉盈(りゅうえい)が5歳の時、劉邦は初めて漢王となったという。ここから逆算すると、生年は西暦で紀元前210年。史実では劉邦が三秦(さんしん)を討伐したのが漢王即位の7ヶ月後なので、作中現在も5~6歳ということになる。
 なお、他の男子2人とは、まず(はい)県で亭長をしていたころに曹氏(そうし)なる女性との間に(もう)けた長男劉肥(りゅうひ)(後の悼恵(とうけい)王)。そして、項梁(こうりょう)の下で(しん)と戦っていた頃に見初(みそ)めた(せき)夫人との子、三男劉如意(りゅうにょい)である。いずれも太子の(くらい)についたことはなく、母親も呂顔(りょがん)ではない。
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