龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

117 / 198
四十四の上 河内攻略戦

 

 

 漢王劉邦の太公(父親)は、無事に咸陽(かんよう)へ迎え入れられた。

「これでもう気がかりなことは何もねえ!」

 と劉邦は喜び、大小文武の大将たちを、一堂(いちどう)に集めた。

 

「ここしばらく咸陽(かんよう)から(しん)の地を治めて、民衆の心をつかめた。

 近くの国々の諸侯も、こちらに心を寄せてきた者が多い。

 

 今こそ絶好の機会だ! 大軍を動かして、()の項羽を()ちに行こうぜ!

 みんな、これについて何か意見はあるか?」

 

 すぐに大元帥韓信が進み出た。

「味方の勢力は、確かに順調に拡大しております。

 しかし、まだもうひとつ、見逃(みのが)せない壁が存在します。

 

 西魏(せいぎ)国・河南(かなん)国の東に隣接する(いん)国!

 それを治める(いん)司馬(しば)(ごう)は、今も覇王項羽の(がわ)についている。

 容易ならぬ敵です。

 

 さらに、臣が天文を見て占ったところ、『今年は()()つべきではない』という結果が出ました。

 

 今は各地から豪傑を招き集め、軍兵の調練(ちょうれん)に集中いたしましょう。

 そのうえで、年が明けるのを待ってから軍を動かせば、太鼓の1叩きで天下を平定できるでしょう」

 

 しかし劉邦は、不満げであった。

「うーん……まあ、韓信が言うなら、そうなんだろうけど……

 でも今、味方は休養もたっぷり取って元気だし、兵も馬も(きた)えあげられてて強い。

 そのうえ、兵糧(ひょうろう)も武具も不足なくそろっているじゃないか。

 

 これほどの軍を遊ばせとくのは、もったいないんじゃないか?

 俺は、すぐに一戦(ひといくさ)したいよ。どうにかならない?」

 

 韓信は、小考(しょうこう)してから、答えた。

「そうですね……

 どうしても、と(おっしゃ)るなら、まず(いん)司馬(しば)(ごう)討伐(とうばつ)するのがようございます」

 

 (いん)――

 それは遠い太古(たいこ)に存在した王朝の名である。

 (いん)王朝の(みやこ)が置かれていたのは、中国中央部河内(かだい)地方、一般に中原(ちゅうげん)と呼ばれる地域。

 広大な平野と黄河の水によって古くから栄えた、中国文明の中心地であった。

 

 (いん)王朝が滅びて800年あまり経った現在、覇王項羽によって封建(ほうけん)された司馬(しば)(ごう)が、(いん)王を称してこの地を支配しているのである。

 

 韓信は、説明を続ける。

(いん)は、()喉元(のどもと)にあたる土地。

 今のうちに(いん)を取っておけば、()を救援する国は無くなります。

 さすれば、来年、()を攻撃する時に、ただ1戦で()を滅ぼすことも可能となりましょう」

 

 劉邦は、手を打って喜んだ。

「よし! それでいこう!」

 

 かくして、次なる目標が決定した。

 

 決まってしまえば、韓信の動きは速い。

 諸軍に命令を(くだ)し、ほんの数日で(いくさ)準備を済ませると、吉日(きちじつ)を選んで進発。

 風のように(いん)国に侵入すると、敵城から50里(20km)手前に陣を取ったのだった。

 

 

   *

 

 

 漢軍来たる!

 

 その報を聞いた(いん)司馬(しば)(ごう)は、大いに驚いて応戦準備を始めた。

 兵の一部を城に残して守りを固めさせ、自身は城から30里(12km)前進して陣を構えた。

 

 ここで司馬(しば)(ごう)は、大将たちを集合させた。

「皆も知っての通り、漢の大軍が間近(まぢか)に攻め寄せてきた。敵の大元帥韓信は、極めて上手く兵を用いる男だ。

 諸将、なにか妙計(みょうけい)はあるか?」

 

 謀士(ぼうし)()萬達(ばんたつ)が進み出た。

「韓信は、並大抵(なみたいてい)の人物ではありません。軽々しく出陣すれば、おそらく韓信の計にハメられるでしょう。

 ここは手分けして四方を守り、ひそかに彭城(ほうじょう)へ使者を走らせて、覇王項羽様に救援を求めなさいませ」

 

 だが、大将孫寅(そんいん)が異議を唱える。

「いや! その計は、よくありません!

 漢の軍勢は遠路はるばる(いん)まで来たばかりです。敵の将兵は、みな疲れ果てているはず。

 我らが素早く打って出て、漢軍が防備を整えていないところへ攻撃を仕掛ければ、たちまち微塵(みじん)にしてしまえるでしょう。

 

 もし仮に勝てなかったとしても、その後で城へ撤退して守りを固めればよい話です。ただ漫然と救援が来るのを待って時間を無駄にすることはありません」

 

 (いん)司馬(しば)(ごう)は、うなずいた。

孫寅(そんいん)の意見は、私の心に合っている。では、すみやかに(いくさ)の用意をせよ!」

 

 こうして方針を決めた(いん)軍は、慌ただしく動き出した。

 まず、大将の王儒(おうじゅ)書簡(しょかん)を持たせて彭城(ほうじょう)へ派遣し、救援を求めた。

 一方、孫寅(そんいん)魏享(ぎきょう)の2将には兵を(さず)け、漢軍に戦いを挑むべく前進させたのだった。

 

 

   *

 

 

 漢の大元帥韓信は、(いん)軍が出陣したのを見ると、馬を駆って前進し、(いん)の軍勢と対峙(たいじ)した。

 

 韓信が、声を大にして りつける。

「我が漢王は、仁義の軍を出し、威風によって遠方・近隣の勢力を動かした。国々の諸侯は、水が低い所へ流れ込むように続々と帰服している!

 

 だが、汝ら(いん)軍は、天の時も知らず、人を見る目も持たず、逆賊項羽を助けて我ら天兵(てんぺい)(こば)んでいる!

 すみやかに降参せよ! さすれば(いのち)は許してやろう!」

 

 (いん)の大将孫寅(そんいん)は、大いに怒った。

「漢王は、咸陽(かんよう)をかすめ取ってなお満足できず、さらに国境を乱そうというのか!

 韓信、貴様は()えて(また)をも(くぐ)った軟弱者だ! 役にも立たぬ舌を動かして無礼なことを言いおって! 早く撤退(てったい)せよ! でなければ、わしが1人残らず首を()ねてやる!」

 

 この罵倒(ばとう)に、韓信本人よりも激しく怒った男がいる。樊噲(はんかい)である。

 樊噲(はんかい)は、韓信のすぐ背後で大きな目をギラギラと怒らせ、荒く鼻息を吹いた。

「大元帥っ! 行ってもいいか!?」

 

 韓信は、思わず苦笑した。

「おう。行きたまえ」

 

「よっしゃあ!」

 樊噲(はんかい)は馬を駆り立て飛び出した。

 怒涛(どとう)の勢いで(いん)の軍勢に突っ込んで、刀を舞わして斬りかかる。

 

 迎えうつは大将孫寅(そんいん)

 両者、一歩も退()かずに刃を戦わすこと50()(ごう)、いまだ勝負のつく気配はない。

 

 (いん)魏享(ぎきょう)は、はらはらと戦況を見守っていたが、見かねて(げき)を握り、

孫寅(そんいん)を救え!」

 と駆けだした。

 

 すると漢の陣からも、

「こちらも行くぞ! 樊噲(はんかい)に加勢だ!」

 と、薛欧(せつおう)陳沛(ちんはい)の2将が攻めかかる。

 

 両軍入り乱れての混戦が始まった。

 殺気は天を()き、太鼓と角笛の音が地を動かし、両軍はいつ終わるともしれない激闘を繰り広げた。

 

 この戦況を見ていた(いん)司馬(しば)(ごう)は、

「よし、今が好機だ!」

 と立ち上がった。

 

 司馬(しば)(ごう)は、みずから新手(あらて)の兵を(ひき)いて出陣。

 (とき)の声をあげ、銅鑼(どら)を打ち鳴らし、漢軍一人も生きて返さぬ、とばかりに混戦の中へ飛び込んだ。

 

 この横槍によって、漢の兵は、おびただしく討ち取られ、樊噲(はんかい)たちも散々に乱れて敗走しはじめた。

 

 韓信は、味方の苦境を(にら)み、冷静かつ迅速(じんそく)(めい)を下した。

周勃(しゅうぼつ)陳武(ちんぶ)盧綰(ろわん)靳歙(きんきゅう)! 前進して敵を防げ!

 一歩も退(しりぞ)くな! 退(しりぞ)いた者は首を斬る!」

 

 さて、司馬(しば)(ごう)(ひき)いる(いん)軍は、目先の勝利に気を良くしてどんどん前進していたのだが、ここへ来て漢の軍勢に四方から包み込まれてしまった。

 

「しまった! 突っ込みすぎたかっ」

 と後悔しても、もう遅い。

 司馬(しば)(ごう)は応戦を(こころ)みたが、とても支えきれず、とうとう敗走しはじめた。

 

 司馬(しば)(ごう)は、後ろも見ずに必死に逃げた。

 しかし、その動きを、韓信は完全に読んでいた。

 韓信みずから軍馬を駆り、風のように司馬(しば)(ごう)へ追撃をしかける。

 

 (いん)軍は大いに乱れ、大打撃を受けながら、我先(われさき)にと城へ逃げ込んだ。

 そして、それ以後はひたすら守りを固め、援軍の到着を待ったのである。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。