龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十四の下 河内攻略戦

 

 

 周勃(しゅうぼつ)・陳武(ちんぶ)の部隊による猛烈な追撃を浴びて、殷(いん)軍は大混乱に陥(おちい)った。

 秋の木(こ)の葉が風に散るが如く、寥々(りょうりょう)落々(らくらく)、右往左往に殷(いん)兵たちは乱れ散っていく。

 

 そのとき、殷(いん)将魏享(ぎきょう)は、第2陣として孫寅(そんいん)の後から進んでいた。

 

 その魏享(ぎきょう)の前方から、一手の軍勢が駆け寄ってくる。

 あれは孫寅(そんいん)の部隊。一兵卒にいたるまで、みな必死の形相(ぎょうそう)で、こちらへ向けて逃走してくるのだ。

 さらに孫寅(そんいん)らの背後には……漢の軍勢が、雲霞(うんか)の如く押し寄せてきているではないか!

 

 魏享(ぎきょう)は、胆(きも)魂(たましい)も身に沿わなくなるほどに慌てふためいた。

「こっ、これはどうしたことだ!?

 いや、考えている場合ではない。とにかく孫寅(そんいん)を助けねば!」

 

 魏享(ぎきょう)は手勢を前進させ、体を張って漢軍を食い止めながら、孫寅(そんいん)らと合流して、ともに逃げ出した。

 

 

   *

 

 

 一方、後陣の殷(いん)王司馬(しば)卬(ごう)のところへも、前方から兵卒たちが転がりこんできた。

「大変です! 孫寅(そんいん)様・魏享(ぎきょう)様の部隊は、すでに敗走してしまいました! 敵の大軍が、もう間近(まぢか)に迫っております!」

 

 司馬(しば)卬(ごう)は青ざめた。

「なんだとおッ!? いかん、逃げろ! 後退だ、後退っ!」

 

 だが、時すでに遅し。

 司馬(しば)卬(ごう)が馬を返して逃げ出そうとした、まさにその時、思いもよらぬすぐそばの堤(つつみ)の影から、1人の大将が刀を提(さ)げて躍(おど)り出た。

 

「なんだっ!?」

 司馬(しば)卬(ごう)は叫び、敵の大将に戦いを挑もうとした。

 しかし、まったく相手にならない。敵の大将が刀を振るうと、ただ1合で司馬(しば)卬(ごう)は馬から叩き落とされてしまった。

 

 当然、周囲にいた兵たちは、司馬(しば)卬(ごう)を助けようと殺到(さっとう)した。

 しかし、敵の大将は強すぎた。たった1人で竜巻のように刀を振り回し、寄ってくる相手を片っ端から薙(な)ぎ倒し、四方八方へ蹴散(けち)らしてしまったのである。

 

 この大将、一体なにものであろうか。

 これほどの豪傑が2人といようはずもない……もちろんそれは、漢の舞陽(ぶよう)候(こう)、樊噲(はんかい)なのであった。

 

 

   *

 

 

 そうとは知らぬ殷(いん)将孫寅(そんいん)・魏享(ぎきょう)は、散々な目にあいながら、なんとか逃げのびたのだが……

 すっかり夜も更(ふ)けて周囲はまっくら。司馬(しば)卬(ごう)が無事かどうかも分からない。

 

「一体これからどうしたものか……」

 孫寅(そんいん)と魏享(ぎきょう)が、暗い顔をして相談していると……

 

 たちまち漢の大軍が追いついてきて、孫寅(そんいん)たちを十重(とえ)二十重(はたえ)どころか、百重にも千重にも取り囲んでしまった。

 

 韓信が、近くにある高い丘の上から孫寅(そんいん)たちを見下ろし、大声をあげる。

「降伏する者の命(いのち)は助けてやる!」

 

 それから韓信が腕を振り上げると、漢軍は猛攻をしかけてきた。

 息も継がせず攻め立てて、殷(いん)軍を揉みしだく。

 

 孫寅(そんいん)・魏享(ぎきょう)は、左に突きかかり、右を攻め立て、どうにか逃げようと、もがいたが、これほど分厚(ぶあつ)い包囲では、とても抜け出せるものではない。

 兵は1騎も残らず討(う)たれてしまい、どうにもならなくなった孫寅(そんいん)・魏享(ぎきょう)は、とうとう馬から下りて降参したのだった。

 

 

   *

 

 

 謀士(ぼうし)都(と)萬達(ばんたつ)は、河内(かだい)の城を固く防衛していたところへ、殷(いん)軍壊滅の報告を受けて、驚愕(きょうがく)した。

 

 都(と)萬達(ばんたつ)は、沈痛(ちんつう)な面持(おもも)ちで首を横に振った。

 

「味方の兵力は残り少なく、この城も孤立してしまった。

 あまつさえ、殷(いん)王様、孫寅(そんいん)殿、魏享(ぎきょう)殿が、みんな生(い)け捕(ど)られてしまった。

 もはや、どうしようもない。

 早く漢に降参して、生きのびよう……」

 

 都(と)萬達(ばんたつ)は、城に残っていた将兵5千人とともに、城門を開けて降伏した。

 

 韓信は、喜んで城に入ると、すぐに全軍へ通達を出した。

「城内の住民の財貨を盗む者は、たちまち首を斬る!」

 

 こういう通達も、毎度のこと。

 韓信のもとで鍛(きた)えあげられた漢軍将兵は、耳にタコができる思いだったろう。

 

 だが、それでも毎回同じことを言わねばならないのだ。

 どんな精兵でも、勝つたびに厳しく戒(いまし)めなければ、たちまち乱暴狼藉(ろうぜき)を働きだす。それが勝利に驕(おご)った軍隊というもの。

 この悲しい現実を、韓信は、よくわきまえていたのだった。

 

 ともあれ、漢軍の将兵は、韓信の言いつけに、よく従った。

 おかげで大きな混乱もなく、占領は、すみやかに完了した。

 

 さて、韓信が占領の後処理に忙(いそが)しく働いていると、樊噲(はんかい)が、殷(いん)王司馬(しば)卬(ごう)を縛って連れてきた。

 韓信は、みずから司馬(しば)卬(ごう)の縄を解(ほど)いてやり、座を勧めさえした。

 

 司馬(しば)卬(ごう)は、地に拝伏した。

「私は、亡国の人間。

 これほど慇懃(いんぎん)に、もてなしていただくわけには」

 

 韓信は、薄く微笑(ほほえ)んだ。

「漢王劉邦様は、もっぱら仁義のために軍を出したのです。それに、賢者を厚(あつ)く敬(うやま)うお方でもある。

 どうして、みだりに殺伐(さつばつ)など行えましょうか。

 殷(いん)王、御辺(ごへん)が今後、心を尽くして漢王様に仕えるならば、子孫まで末永(すえなが)く王侯の位(くらい)を保つことができましょう」

 

 司馬(しば)卬(ごう)は限りなく喜び、国内の郡県に書簡(しょかん)を送って、漢に降伏するよう促(うなが)した。

 これによって河内(かだい)地方の全域が、たちまち漢の勢力下に入ったのだった。

 

 

   *

 

 

 さて、そのころ……

 覇王項羽の命(めい)によって援軍として派遣されてきた楚(そ)の大将、項荘と季布は、昼夜を問わず、大急ぎで河内(かだい)へと走っていたのだが……

 

 そこへ、目指す河内(かだい)の方から、早馬が近づいてきた。

 その話を聞くと、こうである。

「司馬(しば)卬(ごう)は追いつめられて漢に降伏しました。

 韓信は、大軍を河内(かだい)に駐屯(ちゅうとん)させて、周辺の郡県を威風によって揺るがしております」

 

 項荘は、大いに驚いた。

「なんてことだ! すでに河内(かだい)は奪われてしまったのか。

 となると、いまさら我らが行っても、もう、どうにもならんか……

 しかたがない。引き返して事(こと)の子細(しさい)を報告し、覇王様に、みずから大軍で討伐(とうばつ)に向かってくださるようお願いしよう」

 

 季布も、苦々(にがにが)しげに、うなずいた。

「そうだな。それしかあるまい……」

 

 かくして楚(そ)の援軍は、何もできないまま、虚(むな)しく斉(せい)国の方へ帰っていったのである。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 一戦だにせず帰還したかどで痛罵を受ける項荘と季布。彼らを庇(かば)って口を挟んだある文官が、覇王の気まぐれな勘気(かんき)に触れて官職すべてを奪われる。

 あんな奴の下ではもう働けぬ。漢に走る決意を固め、ひとり駆けだすこの男。無数の奇策で劉邦を支えた中華に名だたる汚れ役。陰謀家陳平(ちんぺい)、ついに脱ぎます。

 

 次回「龍虎戦記」第四十五回

 『はだかの陳平(ちんぺい)』

 

 乞(こ)う、ご期待!

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