龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十五の甲 はだかの陳平

 

 

 韓信(ひき)いる漢軍による、突然の河内(かだい)攻撃。

 これに対抗するため、覇王項羽は、項荘・季布の2将を援軍として送った。

 

 しかし、援軍が到着するより早く、河内(かだい)は漢軍に占領されてしまった。

 

 こうなるともう、項荘・季布には、どうすることもできない。

 しかたなく2将は来た道を引き返し、(せい)で反乱鎮圧(ちんあつ)の指揮を取っている覇王項羽のもとへ戻ってきたのだった。

 

 (せい)に帰りついた項荘・季布は、項羽に謁見(えっけん)して、(こと)次第(しだい)を報告した。

 

「臣らが昼夜(ちゅうや)馬を飛ばして進軍していたところ、河内(かだい)の城が陥落(かんらく)した、との報が舞い込んできました。

 こうなってしまっては、我らだけでは、どうにもできず……

 

 河内(かだい)に行って戦ったとしても無駄に人馬を(そこ)なうだけだ、と考え、しかたなく道の途中で引き返してまいりました」

 

 兵力に歴然(れきぜん)の差があるうえ、城まで漢軍の手に渡ってしまったのだから、妥当(だとう)な判断であろう。

 そもそも項荘・季布が派遣されたのも、項羽(ひき)いる本隊が到着するまでの時間を(かせ)ぐためである。

 項荘・季布の兵だけでは勝負にならない……そのことは、項羽とて当然わかっていたはずだ。

 

 だが、項羽は怒った。

 すさまじいまでに怒った。

 

「汝らァッ!

 敵と1戦さえしないでノコノコ舞い戻り、俺の河内(かだい)をみすみす敵に渡しやがったのかッ!

 誅殺(ちゅうさつ)されずに済むと思うなよ!」

 

 天地も揺り動かさんばかりの覇王の怒声。

 項荘・季布は、(ふる)えあがった。

 

 と、そこへ、進み出て口を挟んだ男がいた。

 都尉(とい)陳平(ちんぺい)である。

 

「覇王様、どうか怒りを(しず)めてくださいませ。

 援軍が到着する前に河内(かだい)が落とされてしまったのですから、これは項荘・季布両将軍の罪とは言えません。

 

 しかも韓信は、(いにしえ)の軍略家、孫子・呉子を彷彿(ほうふつ)とさせるほどの(いくさ)上手(じょうず)です。

 兵を無駄に損耗(そんもう)させまいとした両将軍の判断は、妥当(だとう)でございましょう。

 

 ご安心くだされ。

 いまから臣が范増(はんぞう)亜父(あふ)(とも)に計略を()り、一軍を(ひき)いて河内(かだい)の地を取り戻しに行ってまいります。

 

 覇王様は、その間に(せい)の平定を完了なさって、その後で大軍を(ひき)いてお越しください。

 そうすれば、韓信といえども対抗することはできません。

 

 どうか臣の提案を用いなさいませ。でなければ、河内(かだい)のみならず、中国全土が漢に奪われることになりましょう」

 

 だが……

 陳平(ちんぺい)のこの発言が、かえって項羽の怒りに油を(そそ)いでしまった。

 項羽は、城が吹き飛びそうなほどの大音声で、陳平(ちんぺい)に、すさまじい罵声(ばせい)()びせかけたのである。

 

陳平(ちんぺい)ッ!

 前に司馬(しば)(ごう)が救援を求めてきたとき、汝も俺のそばにいて話を聞いてただろうがッ!

 あのとき(なん)の策も出さず(だま)ってたくせに、今さら『一軍を(ひき)いて行きます』だと!?

 もう河内(かだい)は落とされたんだぞ! 軍を出して何ができるってんだ!

 

 陳平(ちんぺい)、汝も、こいつらと同罪だッ!

 項荘! 季布! さっさと出ていけ!

 そして陳平(ちんぺい)! お前の官職をぜんぶ剥奪(はくだつ)する! 二度と朝廷に顔を出すなッ!」

 

 

   *

 

 

 かくして官職を()がれてしまった、この陳平(ちんぺい)という男……

 

 ご記憶であろうか。

 かつて鴻門(こうもん)の会のおりに、さりげなく劉邦や張良を援助し……

 韓信が()を離反するときにも、通行許可証を発給して便宜(べんぎ)をはかった……

 あの陳平(ちんぺい)である。

(第十七回、第二十六回参照)

 

 陳平(ちんぺい)は私宅に帰ったが、心は鬱々(うつうつ)として楽しまず、ひとり、(くや)しさに(こぶし)を握りしめていた。

「項羽は、前々から(じん)の心に欠けていた。暴力ばかりを(たの)み、やたらに人を侮辱する。

 もう、あんな男の下では働けん。漢王劉邦のもとへ行こう」

 

 陳平(ちんぺい)は、ひそかに旅の準備をして、翌朝未明(みめい)、ただ1人で家を出た。

 

 西を目指して、ひた走り、陽武という土地を経由して、洛陽(らくよう)へ向かう。

 黄河の岸辺にたどりついたときには、日はもう西に沈んでしまい、道行く人の姿は()えていた。

 

 渡し舟も見当たらず、陳平(ちんぺい)が、どうしたものかと考え込んでいると……

 

 少し離れたところの、岸辺が砂浜になった湾の中に、一艘(いっそう)の小舟がユラユラと揺れているのが見えた。

「おっ、これは好都合だ」

 と陳平(ちんぺい)は喜び、小舟の方へ、大声で呼びかけた。

 

「おおーい!

 私は、急用で洛陽(らくよう)へ向かっている者だ!

 その舟で、向こう岸まで乗せて行ってくれないかーっ?」

 

 すると、小舟が陳平(ちんぺい)の方へ近づいてきた……

 

 が。

 陳平(ちんぺい)は、舟の男たちを見て、顔色を変えた。

 

 歳は、24か25くらいだろうか。

 凶悪な(つら)がまえの2人組である。

 こんな男たちが、どうして魚を()るでもなく、向こう岸へ渡るでもなく、ただボンヤリと舟を浮かべていたのか……

 

 陳平(ちんぺい)は、すぐにその正体を察した。

「こいつらは、黄河の水賊に違いない。まずい奴らに声をかけてしまった……

 だが、慌てて逃げ出そうとすれば、奴らに殺されてしまう。

 

 ここは何も気づいていないフリをして舟に乗るとしよう。その先については、考えがある……」

 

 陳平(ちんぺい)は平静を(よそお)い、少しも動かずに舟が来るのを待った。

 

 さて、まさに陳平(ちんぺい)の推測通り、この男たちは川を仕事場とする盗賊、水賊であった。

 水賊たちは陳平(ちんぺい)の姿をジロリと見て、

「いいカモが来た」

 と喜んだ。

 

「向こう岸まで渡りたいだって? いいとも、乗るがいい」

 水賊が、にこやかに陳平(ちんぺい)を舟へ招き入れる。

 

 さて、舟を出して、黄河の真ん中あたりまで進んだ時。

 2人の水賊は、陳平(ちんぺい)を切り殺して金品を(うば)おうと、刀の(つか)に手をかけた。

 

 無論、陳平(ちんぺい)のほうも、その気配を敏感に察知している。

「いよいよ、やる気だな……

 だが、奴らが私を殺そうとするのは、金銀や衣服を奪いたいからだろう。

 ならば、こうすればいい」

 

 陳平(ちんぺい)は突然、舟の()ぎ手へ向けて、こんなことを言いだした。

御辺(ごへん)、しばらく休憩なされよ。

 私は、いささか操船の心得(こころえ)がある。身軽になって、御辺(ごへん)のかわりに舟を()ぎましょう」

 

 そこで陳平(ちんぺい)は、いきなり着ているものを脱ぎ捨て、赤裸(あかはだか)になって立ち上がった。

 

 水賊たちは、はだかの陳平(ちんぺい)を見て大笑い。

「あっはっは! なーんだ!

 (ふところ)にたっぷり金銀を隠し持ってるだろうから、殺して奪い取ってやろうと思ってたのに……なんにも持ってないじゃないか!

 お前なんかを殺しても、なんの利益にもならないなあ」

 

 水賊は、あきれて剣を納めた。

 こうして陳平(ちんぺい)は、無事に黄河を渡りきることができたのである。

 

 しかしその代償は軽くない。脱いだ衣服は水賊に盗られてしまった。

 水賊と別れて先を急ぐ陳平(ちんぺい)だが、すでに時刻は夜。着る物さえなく、体は疲れ果てている。

 

 そのとき、道沿(みちぞ)いに人家が見つかった。

 陳平(ちんぺい)は、助けを求めて戸を叩いた。

 

 戸を開けた家主(やぬし)は、はだかの陳平(ちんぺい)を見て驚いた。

「おや、お気の毒に!

 さては御辺(ごへん)、黄河の水賊に、やられましたな?」

 

 陳平(ちんぺい)は、悲しげに、うなずいた。

「そうなのですよ……

 私は河南(かなん)の商人です。()の国で商売を済ませ、荷を背負(せお)って故郷へ帰る途中のこと。

 黄河を渡る舟の中で、水賊に出くわしまして。

 

 召使(めしつか)いたちを殺されたうえ、荷物も衣服も奪われ、どうにか(いのち)だけは見逃されたという次第(しだい)

 お願いです。同郷の義によって、一夜(いちや)の宿をお貸しください。

 そして、できれば衣服を一着、(めぐ)んでいただけませんか……

 後日、必ず恩返しは、いたしますから」

 

 史書によれば、陳平(ちんぺい)は背が高く、すばらしい美男子だったという。

 それに、言葉遣(ことばづか)いも丁寧(ていねい)で、品がある。

 はだかであることを除けば、第一印象は最高だった。いや、はだかであることが、かえって(あや)しげな魅力を引き立てさえしたかもしれない。

 

 家主(やぬし)は、すっかり陳平(ちんぺい)を信用した。

「それはそれは、さぞお困りでしょう。

 今宵(こよい)当家(とうけ)に泊りなさるがいい。衣服も、すぐにご用意しましょう」

 

 そして家主は、陳平(ちんぺい)を席に招いて酒を()み交わし、一晩ともに過ごしたのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
 陳平(ちんぺい)が旅の途中で経由した土地は、「西漢通俗演義」では『陽武』と記されているが、「通俗漢楚軍談」では『武陽』になっている。武陽という土地は遥か西の果て、蜀の西端に存在するが、位置的に明らかにおかしい。「軍談」が翻訳時に間違えたのだろう。
 陽武は現在の河南省北西部にあたり、洛陽(らくよう)彭城(ほうじょう)(せい)とのちょうど中間にあるから、経由地として妥当である。また、陽武は陳平(ちんぺい)の出身地でもあり、現地の人に助けを乞うとき『同郷の義によって』と発言していることにも符合する。
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