龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十五の乙 はだかの陳平

 

 

 夜が明けた。

 陳平(ちんぺい)は、家主(やぬし)に礼を言って別れを告げ、再び西へと歩きだした。

 洛陽(らくよう)を通り過ぎ、さらに西へ歩みを進め……ついに陳平(ちんぺい)は、目指す咸陽(かんよう)へと、たどりついた。

 

 そこでまず、陳平(ちんぺい)()無知(むち)という男の(やかた)(たず)ねた。

 

 この()無知(むち)、先日劉邦に帰順した西魏(せいぎ)魏豹(ぎひょう)従兄弟(いとこ)にあたる人物である。

 陳平(ちんぺい)は過去に()に仕えていたことがあり、その時、()無知(むち)と親しくつきあっていた。

 

 その()無知(むち)が、今は劉邦に仕えている。

 そこで陳平(ちんぺい)は、()無知(むち)に口利きをしてもらおうと考えたのである。

 

()陳平(ちんぺい)が参りました」

 という報告を受けると、()無知(むち)は、すぐに陳平(ちんぺい)(やかた)に招き入れた。

 そして陳平(ちんぺい)()(すす)めて歓迎し、昔の思い出話などして、喜ぶこと限りなかった。

 

 その席で、陳平(ちんぺい)は、こう言いだした。

「ところで……私が咸陽(かんよう)まで来たのには、理由があるのです」

 

 ()無知(むち)も、神妙(しんみょう)な顔で、うなずいた。

「そうだろうと思っていたよ。でなければ、()に仕える君が、こんなところへ来るはずがない。

 事情を聞かせてくれ」

 

「うむ……

 ()無知(むち)先生も知っての通り、覇王項羽は、好き勝手に乱暴な行いばかりして、人の諌言(かんげん)を用いようとせず、しかも賢人を軽んじる。

 そのため、()国の(まつりごと)は、今、大いに乱れている。

 私は、もう、ほとほと愛想(あいそ)が尽きました。

 

 それにひきかえ、漢王劉邦様は心が広く、仁義にあふれ、下から計略を提案されることを好み、決断力もあり、身を低くして手厚く賢者を(うやま)いなさるそうですな。

 だから私は、千里の遠路を旅することも(いと)わず、咸陽(かんよう)までやってきたのです。

 

 私は漢王様にお仕えしたいと思っています。

 ()無知(むち)先生、私に友情を感じてくださるのなら、どうか漢王様に推薦していただけないでしょうか。

 もし官職を得ることができたなら、私は、この身が終わる時まで、決して御恩(ごおん)を忘れません」

 

 ()無知(むち)は、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「任せておきたまえ!

 漢王様は、謙虚な心で広く天下の人材を求めておられる。だから、四方の豪傑や一代の英才が、先を争って集まってきているのだ。

 

 それにな。漢王様は、御辺(ごへん)の才能が抜きんでていることを、以前からたびたび口にしておられたぞ。

 君が漢王様に謁見(えっけん)すれば、私が推薦までもなく、すぐに重く用いていただけるに違いない」

 

 

   *

 

 

 というわけで、翌日。

 ()無知(むち)は、朝廷に出て、劉邦に奏上した。

「臣の同国の友人で、陳平(ちんぺい)という者がおります。

 長いあいだ()に仕えておりましたが、()では(こころざし)を果たすことができず、昨日、臣の(やかた)(たず)ねてまいりました。

 

 陳平(ちんぺい)は、深く漢王陛下の徳を、お(した)いして、漢王陛下に用いられたいと願っております。

 陛下! もしこの陳平(ちんぺい)と、もろもろの計略を相談なさいましたら、必ずや大いなる利を得られることでしょう」

 

 これを聞くと、漢王劉邦は身を乗り出した。

陳平(ちんぺい)だって?

 それは、鴻門(こうもん)の会の時に俺を救ってくれた、あの陳平(ちんぺい)か?」

 

 ()無知(むち)が、うなずく。

「はい。その陳平(ちんぺい)でございます」

 

 劉邦は限りなく喜んだ。

「俺は、ずっとその人に会いたいと思ってたんだよ! すぐに連れてきてくれ。対面しよう!」

 

 ()無知(むち)は、陳平(ちんぺい)を連れてきて、劉邦に謁見(えっけん)させた。

 劉邦は、ニコニコと上機嫌である。

 

「おう、陳平(ちんぺい)

 昔、鴻門(こうもん)で項羽に殺されそうになったとき、御辺(ごへん)の力で虎口(ここう)(危機)から(のが)れることができた。

 あの時のことは、今でも忘れられないぞ!

 

 また会えてうれしいよ。ずっと御辺(ごへん)に会いたいと思ってたんだ!

 それで、()では、どういう官職についていた?」

 

 陳平(ちんぺい)が答える。

都尉(とい)でした」

 

 劉邦は、うなずいた。

「よし。じゃあ、今日から御辺(ごへん)都尉(とい)に任命する!

 さらに、俺の参乗(さんじょう)典軍(てんぐん)も務めてくれ!」

 

 

   *

 

 

 参乗(さんじょう)典軍(てんぐん)……

 参乗(さんじょう)とは、君主の車に同乗すること。

 典軍(てんぐん)とは、軍を監督すること。

 すなわち参乗(さんじょう)典軍(てんぐん)とは、君主が軍を視察するとき、同じ車に乗って軍を見下(みお)ろす役目のことを言う。

 

 極めて君主と距離の近い、まさに側近(そっきん)という印象の役割である。

 事実、この日以来、陳平(ちんぺい)は毎日のように劉邦の左右に(はべ)り続けるようになった。

 

 こうなると、面白くないのが漢軍の諸将。

 諸将は、あちこちで顔を突き合わせて、しきりにヒソヒソと言い交わした。

 

陳平(ちんぺい)なんて、はだかで亡命してきたばかりじゃないか。

 まだ才能が深いか浅いかも分からないのに、いきなり都尉(とい)なんて重役に任命されたうえ、朝も夜も漢王様のそばにくっついているとは!

 このままでは、何か不測の事態が起きてしまうんじゃないか?」

 

 こういう陰口(かげぐち)は、劉邦の耳にも届いた。

 だが劉邦は、まったく気にしないばかりか、ますます陳平(ちんぺい)を手厚く優遇するようになった。

 

 当然、余計に諸将の不満が高まっていく。

 とうとう、周勃(しゅうぼつ)が他の大将たちとともに、朝廷に出てきて奏上した。

 

「漢王様!

 陳平(ちんぺい)のことで、申し上げねばならんことがあります!

 

 陳平(ちんぺい)は、確かに宝玉のように美しい顔をしておりますが、心の中まで美しいとは限りません。

 聞くところによれば、あの男は昔、兄の家に居候(いそうろう)していた時、あろうことか兄嫁(あによめ)寝取(ねと)ってしまったのだそうです。

 

 さらに、今の地位についてからというもの、多くの大将たちから賄賂(わいろ)(むさぼ)り取っているというではありませんか。

 

 臣らは陳平(ちんぺい)為人(ひととなり)をよく観察しましたが、奴は信頼を裏切り、法を乱す(やから)です。

 漢王様! どうか分かってくださいませ。あんな性根(しょうね)の曲がった男に(まど)わされてはいけません!

 早く追い出さなければ、きっと大きな害をもたらしますよ!」

 

 これを聞いた劉邦は、激怒して()無知(むち)を呼び出した。

「おい、()無知(むち)

 お前が推薦(すいせん)した陳平(ちんぺい)だがなあ! なんだ、あいつは!

 

 周勃(しゅうぼつ)たちの話じゃあ、兄の妻と密通しただとか、賄賂(わいろ)を集めてるだとか、貪欲(どんよく)で汚いマネをしているそうじゃないか。

 よくも、ふさわしくない人間を推挙(すいきょ)してくれたなっ! ()無知(むち)、お前も有罪だぞ!」

 

 しかし()無知(むち)は、平然と答えた。

「臣が推薦したのは、陳平(ちんぺい)の能力です。

 漢王様がお聞きになったのは、陳平(ちんぺい)素行(そこう)です。

 

 かつて尾生(びせい)という男は、信義を果たすために(いのち)をかけました。

 孝已(こうき)という人物は、誰よりも親を大事にする孝行息子でした。

 

 しかし、尾生(びせい)孝已(こうき)のような立派な行いをいくらしても、計を(めぐ)らし兵を用いることができなければ、(いくさ)の役には立ちません。

 漢王様が必要としておられるのは、尾生(びせい)孝已(こうき)のような人物なのですか?」

 

「うっ……」

 劉邦は、言葉に詰まってしまった。

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 この回では陳平(ちんぺい)批判の先頭に立っていた周勃(しゅうぼつ)だが、後年、この2人は誰よりも深く互いの功績と才能を認め合う仲になっていく。その様子が、「史記・陳丞相世家」に詳しく描かれている。
 劉邦の死後、皇后呂氏の一族が漢帝国の乗っ取りをくわだてた。このとき周勃(しゅうぼつ)陳平(ちんぺい)は協力して呂氏一族を誅殺(ちゅうさつ)し、劉邦の四男劉恒を帝位につけることに成功した。しかしその功績を賞されようとした矢先、陳平(ちんぺい)は急に仮病を使って引きこもりはじめた。怪しんだ劉恒が問うと、陳平(ちんぺい)は答えた。
「高祖(劉邦)が生きておられた時、周勃(しゅうぼつ)の功績は私に及びませんでした。しかし呂氏を誅殺するにあたっては、私の功績は周勃(しゅうぼつ)(かな)いませんでした。どうか周勃(しゅうぼつ)にこそ()丞相(じょうしょう)(くらい)を授けてくださいませ」
 そこで劉恒は周勃(しゅうぼつ)を最高位の()丞相(じょうしょう)に、陳平(ちんぺい)を第二位の()丞相(じょうしょう)に任命したのだった。
 それからしばらくして、劉恒が周勃(しゅうぼつ)にこんなことを訪ねた。
「この天下で1年間に訴訟は何件あるのか?」
 周勃(しゅうぼつ)は申し訳なさそうに答えた。
「……分かりません」
「では、1年間の金銭や穀物の収入・支出はどのくらいか?」
「それも分かりません……」
 周勃(しゅうぼつ)は回答できないことを恥じ、背中にびっしょりと汗をかいた。
 そのとき、陳平(ちんぺい)が助け船を出した。
「陛下、それらには主者がおります」
 劉恒が尋ねた。
「主者とは誰だ?」
「専門の担当者のことです。訴訟のことなら廷尉(ていい)、金銭や穀物のことなら治粟(ちぞく)内史(ないし)にお尋ねください」
「それぞれの問題に担当者がいるというなら、お前たち丞相(じょうしょう)は何を担当するのだ?」
「上は天子を補佐して昼夜や季節が順調に巡るよう祭祀(さいし)を行い、下は万物がよく育つようにし、外は異民族や諸侯を(しず)め、内は人民と親しみ、朝廷に仕える(きょう)大夫(たいふ)に各々の任務を(まっと)うさせること。それが宰相(さいしょう)が担当する役目でございます」
 この答えに劉恒は納得し、周勃(しゅうぼつ)陳平(ちんぺい)は朝廷から退出した。外に出たところで周勃(しゅうぼつ)陳平(ちんぺい)を責めた。
陳平(ちんぺい)! ああいう上手い答え方を、どうして教えておいてくれなかったんだ!」
 陳平(ちんぺい)は笑って言った。
「君は丞相(じょうしょう)(くらい)にいるのに、自分の役割を知らなかったのか? 陛下が長安(漢の(みやこ))の盗賊の数を尋ねたら、君はそんなものまで頑張って答えるつもりかね?」
 この一件で周勃(しゅうぼつ)は、「陳平(ちんぺい)にはとても(かな)わない」と痛感し、病気を言い訳にして辞職してしまったのだという。

(2)
 尾生(びせい)孝已(こうき)は、ともに優れた人格者として知られた人物。
 尾生(びせい)についての逸話は、「史記・蘇秦列伝」や「荘子・盗跖(とうせき)」に登場する。尾生(びせい)は恋人の女性と橋梁(きょうりょう)の下で会う約束をしたのだが、(おり)()しく洪水が起きてしまった。しかし尾生(びせい)はひたすら約束を守ろうとし、その場に留まった。そしてとうとう、橋梁(きょうりょう)の柱を抱いたまま(おぼ)れ死んでしまったという。この故事を『尾生(びせい)の信』と呼ぶ。信、すなわち約束を守ることは儒教的価値観では非常に重視される徳目なのだが、「荘子・盗跖(とうせき)」の方では『(いのち)を粗末にしているだけだ』と批判的に言及されている。
 孝已(こうき)は、(いん)王朝の王、高宗(武丁)の長男で、「史記・(いん)本記」などに登場する『祖已(そき)』なる人と同一人物と推定されている。戦国時代の思想家尸子(しし)の著書「尸子(しし)」によれば、孝已(こうき)は大変に親孝行な人で、一晩の間に5回も目を覚まし、親の衣服が厚すぎないか薄すぎないか、親の枕が高すぎないか低すぎないか、と目視で確認したという。いささか度が過ぎていて怖いような気もするが、とにかく、昔の中国では親孝行の代名詞的な人物であったらしい。しかし、孝已(こうき)の実母が早くに亡くなると、父高宗は後妻による讒言(ざんげん)に惑わされ、孝已(こうき)を追放して死に追いやってしまった……と、「太平御覧」に引用された「帝王世紀」の記述にある。
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