龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】 作:外清内ダク
漢王劉邦は、大元帥韓信を
「
韓信大元帥、この軍勢を、お前に任せる。早く項羽を滅ぼして、天下の人々の心をスッキリさせてくれ!」
しかし、韓信は、静かに首を横に振った。
「兵は凶器です。
全軍の生死も、国家の
ゆえに、良将は軽々しく戦いません。
まず天の時を察知し、地の理を明らかにし、その年の運気を占い、そのあとで軍勢を出す。
兵の数の多さに
以前にも申し上げましたが……臣が天文を見て占ったところ、今年は大変に不吉です。兵を動かすべきではありません。
しばらくの間、
慎重すぎるほどに慎重な韓信の態度に、劉邦は、だんだんイラ立ちはじめた。
「韓信。
その通りに軍を出して、関中を占領し、味方の勢いはこんなにも
俺たちが漢中を旅立った時より、はるかに状況は良くなってる。なのに、逆に足を止めてしまうとは、一体どういうことだ?」
韓信は、いつものように冷静に答える。
「時を待っているのです。
項羽は今、
そのうえ
臣が推測するに、項羽は必ず、近いうちに兵を分割し、
我らが攻めるのは、そのときです。漢王様が敵の
このように計画しておりますので、臣は漢王様のご命令に従わないのです」
理路整然とした計画であった。
ここまで数多くの実績をあげてきた韓信の言葉でもある。
いつもの劉邦であれば、これで納得していただろう。
だが、今日の劉邦は、どこか違っていた。
妙に強硬に、韓信に反論し始めたのである。
「なあ韓信よ、もう待つ必要なんかないだろ?
今、
今いきなり大軍で
そうだなあ……じゃあ、こうしよう。
韓信、お前は中核部隊を
俺は、残りの兵を連れて
もし俺たちが負けたという報告を聞いたら、すぐに助けに来てくれよ」
このやりとりを聞いていた家臣一同に、雷に打たれたような衝撃が走った。
本拠地関中の守りを固めさせる、と言えば聞こえはいいが、これは要するに、大元帥の解任宣言ではないか!
軍師張良が、スッと前に進み出て口を挟んだ。
「漢王様。韓信大元帥の申すことは、大いに理ありと思います。
なにとぞ大元帥に従いなさいませ」
他にもさまざまに言葉を尽くして、張良は劉邦を
だが、劉邦は、まったく耳を貸そうとしない。
「俺の気持ちはもう決まったんだ! お前ら、もうこれ以上言うな!」
これには、張良も韓信も、完全に口をつぐんでしまった。
劉邦らしくない……彼が今まで見せたことのない
一体何が劉邦の心をここまで
単に味方のすさまじい数に、うぬぼれたのか。
故郷へ帰りたいという素朴な思いなのか。
あるいは、長々と
いずれにせよ……
韓信は、項羽の
今になって劉邦が見せた項羽さながらのワガママに、韓信が内心、どんな評価を下していたか……
しかし、胸の内にかかえた本音を、オクビにも出さない韓信なのである。
「……分かりました。そうまで
ただ、項羽の武勇は天下に
漢王様、このことだけは十分に胸に置いて、決して軽々しい行動をなさいませんように」
韓信は淡々と言い、引き下がろうとする。
その韓信を、
「韓信大元帥、それほど先を見通しておられるあなただ。どうして漢王様に従って東征し、大功を立てようとなさらぬのです?」
韓信は、静かに首を横に振った。
「もうよいのだ。
最近あつまってきた軍勢は、まだ味方について日が浅いし、
この状況で仮に漢王様が敗北なされば、おそらく大きな
私が中核部隊を率いて
これこそ万全の計というものさ」
そして韓信は、大元帥の
*
ともかくも、方針は定まった。
漢王劉邦は、56万の大軍を
その途中、
「臣の
漢王様、どうか
そうすれば、
劉邦は
「そうだったのか、よく聞かせてくれた。
じゃあ、望み通り
というわけで、張良に王権代理人の証たる
その出発直前、劉邦は張良に、こう念押しした。
「張良先生、
「よいお考えでございますね。そういたします」
「それから……
朝も夜も張良先生と計略を相談しなきゃ、敵に勝つことなんか、ぜったいできるわけないもんな」
張良は、穏やかに微笑した。
「分かっております。
漢王様、臣がいないあいだ、なにごともよく
それから、全軍を指揮する総大将を、急いで任命せねばなりません。
これまで軍を
臣は
こう言い残して、張良は、劉邦の元から去っていった。
(つづく)