龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十六の中 大元帥、解任

 

 

 漢王劉邦は、大元帥韓信を()し寄せて、こう言った。

董公(とうこう)の『一言(ひとこと)』に従ったおかげで、あっちこっちから味方の兵が集まってきて、とうとう60万近い数になったぞ!

 韓信大元帥、この軍勢を、お前に任せる。早く項羽を滅ぼして、天下の人々の心をスッキリさせてくれ!」

 

 しかし、韓信は、静かに首を横に振った。

「兵は凶器です。

 (いくさ)危事(きじ)です。

 全軍の生死も、国家の安危(あんき)も、ことごとく兵と(いくさ)に掛かっているのです。

 

 ゆえに、良将は軽々しく戦いません。

 まず天の時を察知し、地の理を明らかにし、その年の運気を占い、そのあとで軍勢を出す。

 兵の数の多さに(たの)んで軽率に軍を動かす、なんていうのは、戦い方として()()です。

 

 以前にも申し上げましたが……臣が天文を見て占ったところ、今年は大変に不吉です。兵を動かすべきではありません。

 しばらくの間、兵糧(ひょうろう)(たくわ)え、軍馬を調練(ちょうれん)し、年明けを待ってから()討伐(とうばつ)いたしましょう」

 

 慎重すぎるほどに慎重な韓信の態度に、劉邦は、だんだんイラ立ちはじめた。

「韓信。(けい)は、かつて漢中へ来て2ヶ月も()たないうちに、俺に東征を勧めたじゃないか。

 その通りに軍を出して、関中を占領し、味方の勢いはこんなにも(さか)んになった。

 俺たちが漢中を旅立った時より、はるかに状況は良くなってる。なのに、逆に足を止めてしまうとは、一体どういうことだ?」

 

 韓信は、いつものように冷静に答える。

「時を待っているのです。

 項羽は今、(せい)に攻撃を仕掛けていて、いまだに勝ち切ることができていません。

 そのうえ(えん)の国や(ちょう)の国も()に反逆し、その勢いは、たいへんに大きくなっております。

 

 臣が推測するに、項羽は必ず、近いうちに兵を分割し、(えん)(ちょう)を攻撃し始めるでしょう。

 我らが攻めるのは、そのときです。漢王様が敵の(きょ)()いて不意に()を攻撃なされば、敵の命運は、この手のひらにあるようなもの。

 このように計画しておりますので、臣は漢王様のご命令に従わないのです」

 

 理路整然とした計画であった。

 ここまで数多くの実績をあげてきた韓信の言葉でもある。

 いつもの劉邦であれば、これで納得していただろう。

 

 だが、今日の劉邦は、どこか違っていた。

 妙に強硬に、韓信に反論し始めたのである。

「なあ韓信よ、もう待つ必要なんかないだろ?

 今、()の兵は、みーんな(せい)討伐(とうばつ)に出ていて、本拠地の彭城(ほうじょう)()()同然だ。

 今いきなり大軍で彭城(ほうじょう)を攻めれば、勝てないわけがない!

 

 そうだなあ……じゃあ、こうしよう。

 韓信、お前は中核部隊を(ひき)いて関中の守りを固めてくれ。

 俺は、残りの兵を連れて彭城(ほうじょう)を攻める。

 もし俺たちが負けたという報告を聞いたら、すぐに助けに来てくれよ」

 

 このやりとりを聞いていた家臣一同に、雷に打たれたような衝撃が走った。

 本拠地関中の守りを固めさせる、と言えば聞こえはいいが、これは要するに、大元帥の解任宣言ではないか!

 

 軍師張良が、スッと前に進み出て口を挟んだ。

「漢王様。韓信大元帥の申すことは、大いに理ありと思います。

 なにとぞ大元帥に従いなさいませ」

 

 他にもさまざまに言葉を尽くして、張良は劉邦を(いさ)めた。

 だが、劉邦は、まったく耳を貸そうとしない。

「俺の気持ちはもう決まったんだ! お前ら、もうこれ以上言うな!」

 

 これには、張良も韓信も、完全に口をつぐんでしまった。

 劉邦らしくない……彼が今まで見せたことのない頑迷(がんめい)さであった。

 

 一体何が劉邦の心をここまで()り固まらせてしまったのか……

 単に味方のすさまじい数に、うぬぼれたのか。

 故郷へ帰りたいという素朴な思いなのか。

 あるいは、長々と(いくさ)を続けることに神経が耐えきれなくなり、早く解放されたい一心で決着を焦っているのか。

 

 いずれにせよ……

 韓信は、項羽の頑迷(がんめい)さに呆れ果てて、項羽を見限った男。

 今になって劉邦が見せた項羽さながらのワガママに、韓信が内心、どんな評価を下していたか……

 

 しかし、胸の内にかかえた本音を、オクビにも出さない韓信なのである。

「……分かりました。そうまで(おっしゃ)るなら、もうお止めしません。

 ただ、項羽の武勇は天下に(ひい)で、向かうところ敵なしです。味方の大将の中に、項羽に対抗できる者は……おそらく、一人もおりますまい。

 漢王様、このことだけは十分に胸に置いて、決して軽々しい行動をなさいませんように」

 

 韓信は淡々と言い、引き下がろうとする。

 その韓信を、酈生(れきせい)が引き止めた。

「韓信大元帥、それほど先を見通しておられるあなただ。どうして漢王様に従って東征し、大功を立てようとなさらぬのです?」

 

 韓信は、静かに首を横に振った。

「もうよいのだ。

 最近あつまってきた軍勢は、まだ味方について日が浅いし、(たみ)の心も完全に漢王様に帰服しきっていない。

 この状況で仮に漢王様が敗北なされば、おそらく大きな事変(じへん)が起きるだろう。

 

 私が中核部隊を率いて三秦(さんしん)を守り、漢軍の本拠地を失わぬようにしておけば、何かあっても対応できる。

 これこそ万全の計というものさ」

 

 そして韓信は、大元帥の印章(いんしょう)を劉邦に返上し、そのまま劉邦の元を去って、(しん)(みやこ)咸陽(かんよう)に戻ってしまったのだった。

 

 

   *

 

 

 ともかくも、方針は定まった。

 漢王劉邦は、56万の大軍を(ひき)いて進発し、()(みやこ)彭城(ほうじょう)を目指した。

 

 その途中、陳留(ちんりゅう)洛陽(らくよう)彭城(ほうじょう)の中間あたりにある街)に近づいたところで、軍師張良が進言した。

「臣の(あるじ)であった韓王様は、項羽に殺害されてしまいましたが、その孫の姫信(きしん)様が民間に隠れ住んでおられます。

 

 漢王様、どうか姫信(きしん)様を(あわ)れみ、王位につけて陳留(ちんりゅう)の守りを任せてくださいませ。

 そうすれば、姫信(きしん)様は漢王様の臣として大いに働くでしょう。私にとっても、()(あるじ)へのご恩返しになります」

 

 劉邦は快諾(かいだく)した。

「そうだったのか、よく聞かせてくれた。

 じゃあ、望み通り姫信(きしん)封爵(ほうしゃく)を与えよう!」

 

 というわけで、張良に王権代理人の証たる(せつ)を持たせ、陳留(ちんりゅう)に派遣することになった。

 

 その出発直前、劉邦は張良に、こう念押しした。

「張良先生、陳留(ちんりゅう)に行って、韓王の一族に誰か賢才のある人がいたら、その人を陳留(ちんりゅう)王に(ほう)じて、姫信(きしん)を補佐させてくれ」

 

「よいお考えでございますね。そういたします」

 

「それから……

 姫信(きしん)を韓王に(ほう)じ終えたら、一刻も早く帰って来てくれよ。

 朝も夜も張良先生と計略を相談しなきゃ、敵に勝つことなんか、ぜったいできるわけないもんな」

 

 張良は、穏やかに微笑した。

「分かっております。

 漢王様、臣がいないあいだ、なにごともよく(つつし)んで、軽々しく行動しないよう気を付けてくださいませ。

 

 それから、全軍を指揮する総大将を、急いで任命せねばなりません。

 これまで軍を(たば)ねていた韓信は、もうこの場にいないのですからね。

 

 臣は陳留(ちんりゅう)へ行った後、今月のうちに彭城(ほうじょう)へ向かいます。そこで再びお会いいたしましょう」

 

 こう言い残して、張良は、劉邦の元から去っていった。

 

 

(つづく)

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