龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十六の下 大元帥、解任

 

 

 次の日。

 劉邦がさらに進んで汴河(べんが)(黄河の支流)を渡っていたとき、ちょっとした事故が起きた。

 各国の軍が先を争って渡河(とか)しようとしたため、ある軍の兵が誤って水に落ち、死んでしまったのだ。

 

 ただそれだけのことではあるのだが、兵たちは大騒ぎしはじめた。

「あいつが押したんだ」とか「いいや、そっちが割り込んだせいだ」とか、あるいは「いきなり人が死ぬなんて不吉だ」とか……

 

 大将たちは、もちろん騒動(そうどう)を静めようとしたのだが、兵は好き勝手にわめき散らして、まったく収拾がつかない。

 

 劉邦は、うんざりして陸賈(りくか)酈生(れきせい)を呼んだ。

「軍の規律は、もうメチャクチャだ……

 張良先生が言ってたとおり、はやく総大将を決めて、軍をまとめさせないといけない。

 

 大将たちの中で一番人望のある人を選んで総大将に任命しよう。

 西魏(せいぎ)王の魏豹(ぎひょう)は、()王の子孫という高貴な家柄で、人々から(とうと)ばれている。

 この魏豹(ぎひょう)に大元帥の印を与えて、全軍を統率させようと思うんだが、どうかな?」

 

 陸賈(りくか)は、まともに顔をしかめた。

魏豹(ぎひょう)は、大口(おおぐち)は叩きますが実力はなく、今まで実績をあげたことのない男です。

 軍事を任せるには、ちょっと……」

 

 酈生(れきせい)も言う。

「張良先生も、魏豹(ぎひょう)のことは、あまり評価していませんでした。

 しかも、魏豹(ぎひょう)は他の大将たちと不和(ふわ)を抱えてもいるようです。

 おそらく、総大将などという大任は(つと)まらないでしょう。

 漢王様、よくお考えくだされ」

 

 さらには、陳平(ちんぺい)まで進み出た。

魏豹(ぎひょう)は、小さな才能なら持っていますが、大器(たいき)ではありません。

 大きな仕事を任せるには足りぬ人物かと」

 

 さんざんである。

 韓信や張良がいない今、劉邦の知恵袋といえば、この陸賈(りくか)酈生(れきせい)陳平(ちんぺい)の3人だが、それが3人そろいもそろって低評価を下している。

 それだけでも魏豹(ぎひょう)がどんな男なのか、想像がつこうというもの。

 

 だが、やはり今の劉邦は、どこかおかしかった。

「いいや、そんなことはない。

 魏豹(ぎひょう)()国の王孫で、人望があるんだ。

 韓信が(また)(くぐ)り、乞食(こじき)して(はずかし)めを受けたのに比べれば、同列には語れないくらい(すぐ)れているぞ。

 魏豹(ぎひょう)を総大将に任命したら、それに服従しない奴は誰もいないさ!」

 

 結局、劉邦は強引に魏豹(ぎひょう)を総大将に任命してしまった。

 魏豹(ぎひょう)は喜んで任務を引き受け、人馬の点検を行ってから、彭城(ほうじょう)めざして、あらためて進発した。

 

 

   *

 

 

 さて、いよいよ彭城(ほうじょう)間近(まぢか)に迫ってきた。

 ここで劉邦は、陸賈(りくか)()し寄せて(たず)ねた。

「いま彭城(ほうじょう)を守っている大将は誰だ?」

 

 陸賈(りくか)が答える。

彭越(ほうえつ)という者です」

 

 劉邦は、グッと身を乗り出して、陸賈(りくか)に、ささやく。

口説(くど)けそうか?」

 

 陸賈(りくか)は、劉邦の意図を察して、小さくうなずいた。

「はっ……可能と思います」

 

「よし。じゃあ陸賈(りくか)、お前は俺の書簡(しょかん)を持って彭城(ほうじょう)へ行け。

 彭越(ほうえつ)を説得して、味方につけるんだ」

 

 陸賈(りくか)は、すぐに彭城(ほうじょう)へ向かった。

 そして主将彭越(ほうえつ)に面会し、書簡(しょかん)を手渡した。

 その書簡(しょかん)の内容は、こうである。

 

『漢王劉邦、手ずから書を(しる)して彭越(ほうえつ)将軍の足下(そっか)にお送りする。

 項羽は好き勝手に義帝を弑逆(しいぎゃく)した。これは人の道を外れた大逆である。

 

 私は、すでに檄文(げきぶん)を送って項羽討伐(とうばつ)を天下に布告し、兵には縞素(こうそ)(白い喪服)を身につけさせ、義帝のために()を発した。

 私の決起を知った諸侯は、1人残らず同じ気持ちを抱き、私の決起を(こころよ)く受け止めてくれた。

 

 さて、彭越(ほうえつ)将軍は、(たか)の如く天へ駆けあがる勇気と、大いなる(こころざし)をあわせもっておられる。

 それなのに、逆賊項羽などの臣となっているのは、彭越(ほうえつ)将軍の名の(けが)れというものだ。

 

 彭越(ほうえつ)将軍、義によって我が漢軍に合流なされよ。

 ともに逆賊(ぎゃくぞく)()ち、功をなして、名を史書に刻みたまえ。

 さすれば貴公は万代続く新国家の元勲(げんくん)となり、子孫まで末永(すえなが)く王位や爵位(しゃくい)享受(きょうじゅ)できるだろう。

 

 立派な大丈夫(だいじょうぶ)の行動は、並の人間とは違っているものだ。私の勧めることこそ、貴公が為すべきことなのだ。

 どうか、よく検討してみてほしい』

 

 これを読んだ彭越(ほうえつ)は、限りなく喜んだ。

「漢王様が、心が広く仁義のある立派な人物だという話は、以前からよく聞いておりました。

 その漢王様が、丁寧(ていねい)書簡(しょかん)を送って招いてくださったのだ。

 従わぬわけにはいきませんな!」

 

 彭越(ほうえつ)は、すぐに部下に(めい)じて、彭城(ほうじょう)の門を開かせた。

 そして陸賈(りくか)とともに、遠くまで劉邦を迎えに行った。

 

 劉邦の前に来ると、彭越(ほうえつ)は、地上に拝伏した。

「臣彭越(ほうえつ)彭城(ほうじょう)の守備兵3万を(ひき)いて漢に投降いたします。

 願わくは、早く()を滅ぼして、天下の苦しみを救ってくださいませ」

 

 劉邦は、喜んで彭越(ほうえつ)を味方に迎えた。

 

 

   *

 

 

 かくして……

 劉邦(ひき)いる56万の大軍は、1戦もすることなく、()の本拠地たる彭城(ほうじょう)を占領してしまった。

 

 劉邦は、総大将魏豹(ぎひょう)(めい)じて()の反撃に(そな)えさせ、自分は()の後宮に向かった。

 

 後宮に入ってみれば、(たくわ)えられた財貨は山のよう。居並(いなら)ぶ美女は色を(きそ)う花々のよう。

 劉邦は、大喜びで酒宴(しゅえん)(もう)け、軍の将兵を(ねぎら)った。

 

 さて……

 その後宮に、項羽の愛する美女、虞姫(ぐき)がいた。

 旗挙げ直後の項羽が一目惚(ひとめぼ)れして(めと)った、あの虞姫(ぐき)である。

(第五回参照)

 

 容貌(ようぼう)の美しきことは世に(ふた)りと無いほどで、その姿の(あで)やかさは傾国(けいこく)と呼ぶにふさわしい。

 

 項羽が虞姫(ぐき)に向けた愛の深さは、尋常ならぬものだった。

 それゆえ項羽は、(せい)攻略へ出陣するときにも、城へ残していく虞姫(ぐき)のことを大変に心配した。

 そこで、虞姫(ぐき)の弟の虞子期(ぐしき)という男に、

「くれぐれも頼む」

 と言い残して、世話を任せたのだった。

 

 当然、漢軍が雪崩(なだれ)込んできたのを見て、虞子期(ぐしき)は慌てた。

「この城は、もうダメだ。

 だが、私は劉邦などに降伏しないぞ。覇王様から恩を受けていながら、戦いもせず逆賊に降参するなんてのは、義を知る人間のやることではない。

 どうにか姉上だけでも脱出させねば!」

 

 虞子期(ぐしき)は、近親者を呼んで準備をさせ、その夜、闇にまぎれて(ひそ)かに虞姫(ぐき)と項羽一族を城から脱出させた。

 

 虞姫(ぐき)の脱走は、すぐさま漢軍の知るところとなった。

 漢の大将たちは、

「すぐに追いかけて()()りにしましょう!」

 と立ち上がったが、劉邦は、笑って彼らを止めた。

 

「いいよいいよ、ほっといてやれ。

 項羽の妻1人逃がしたところで、()との戦争に影響があるわけじゃない。

 それより、ここまでの長旅で、みんな疲れてるだろ。今は、ゆっくり休んで気力を溜めておこう。項羽を()つのは、その後だ」

 

 そういうわけで、漢軍は、昼も夜も酒を飲んで楽しみはじめた。

 これが、よくなかった。

 

 総大将の魏豹(ぎひょう)は、もともと騒がしい性格で、仲のいい友達もいないような男だったのだが……

 その欠点が、酒によって助長されてしまった。酔っぱらって兵士を無駄に(むち)打ちし、大将たちを大声で(ののし)(はずかし)めはじめたのだ。

 

 当然のことながら、みんな心中(しんちゅう)穏やかではない。

 表立って口には出さないものの、将も兵も魏豹(ぎひょう)に少なからず(うら)みを抱き、命令に従わない者まで現れだした。

 

 そのうえ、連日の酒宴である。

 あれほど厳しく引き締められていた漢軍の軍規も、韓信を失ったとたんに緩んでしまった。

 かくして56万の漢軍は、ただ数が多いだけの烏合(うごう)(しゅう)へと成り下がっていったのだった……

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 本拠地彭城(ほうじょう)を奪われて怒髪(どはつ)天衝(てんつ)く覇王項羽。(せい)攻略は部下に任せ、みずから兵を(ひき)いて彭城(ほうじょう)へ帰還する。

 ここにはじめて対決する龍と虎。かたや漢軍56万、こなた()軍たったの3万。戦力比実に20倍、勝負にならぬと人は言う。だが刮目(かつもく)して見るがよい。中国史上最強の男が今、奇跡を起こす!

 

 次回「龍虎戦記」第四十七回

 『究極で最強で無敵の覇王』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 本編では、項羽不在の彭城(ほうじょう)の主将として彭越(ほうえつ)が登場しているが、これは史実と異なる。そもそも彭越(ほうえつ)は、項羽の配下にいたことさえない。「西漢通俗演義」および「通俗漢楚軍談」での脚色である。
 「史記・魏豹彭越列伝」によれば、陳渉(ちんしょう)項梁(こうりょう)(しん)に反乱を起こした頃、彭越(ほうえつ)も100人ほどの兵をまとめて立ち上がった。彭越(ほうえつ)は劉邦とも共闘しながら勢力を拡大していき、項羽が関中を制圧して諸侯を王に(ほう)じたときには、1万人を超える軍勢を従えていたという。しかし、この頃の彭越(ほうえつ)は誰の下に属することもなく、独立を保っていた。
 その後、(せい)の田栄が項羽に反旗をひるがえした。田栄は使者を送って彭越(ほうえつ)に将軍の(いん)を与え、()を攻撃するよう依頼した。彭越(ほうえつ)はこの要請を承諾。()軍と戦い、大いに()を打ち破った。
 翌年、漢王劉邦が魏豹(ぎひょう)ら諸侯とともに()を攻撃しはじめると、彭越(ほうえつ)は3万人余りの兵を(ひき)いて漢に帰順した……いま本編で描かれているのは、この時期の話である。
 つまり史実での彭越(ほうえつ)は、彭城(ほうじょう)を守るどころか、むしろ()と敵対する勢力の急先鋒である。それが目的を同じくする劉邦の連合軍に合流した形になる。
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