龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十七の乙 究極で最強で無敵の覇王

 

 

 項羽の恐るべき強さの前に、河南(かなん)申陽(しんよう)は手も足も出ずに殺されてしまった。

 

 その最期(さいご)間近(まぢか)で見ていた常山(じょうざん)張耳(ちょうじ)は、青ざめて、すくみあがった。

「く……ダメか!」

 戦意喪失した張耳(ちょうじ)は、馬を返し、後ろも見ずに逃走しはじめた。

 

 無論、ただで逃がすような項羽ではない。

「者ども、行くぞ! 敵を踏みつぶせ!」

 項羽の号令を受け、()軍は獣のように叫びながら追撃をしかけた。

 

 逃げる張耳(ちょうじ)の軍勢に、()の精鋭が追いついて、容赦(ようしゃ)なく攻撃をしかける。

 ()軍が一声(ひとこえ)()えるごとに、漢軍の兵力がゴソリ、ゴソリと削り取られていく。

 

「もはやこれまでか……!」

 と張耳(ちょうじ)(あきら)めかけた、その時。

 

 漢の新手が()兵の前に立ちはだかり、()兵を食い止めた。

 

 

   *

 

 

 項羽は、漢の新手の旗印(はたじるし)を見て、眉をピクリと動かした。

 あれは……漢王劉邦の旗である。

 

 項羽は、柄が(きし)んで悲鳴を上げるほど、強烈に槍を握りしめた。

「ようやく会えたな……

 劉邦ッ! 出てこいッ! 返事をしろッ!」

 

 その呼び声に(こた)え……

 漢の軍勢が左右に割れた。

 

 太陽を(くも)らすほどに立ち並ぶ漢の軍旗。

 天さえ震わせる太鼓と鐘。

 その奥から、無数の大将を(したが)えて、1人の男が白馬にまたがり進み出る。

 

 漢王劉邦、その人である。

 

 項羽は、劉邦の顔を見るなり、火花が散るほどに歯ぎしりして(ののし)った。

「劉邦ッ!

 お前は元々、泗水(しすい)の亭長。それを、この俺が漢王に(ほう)じてやったんだ!

 座ったままで(しょく)・漢を支配できる地位を得ていながら、なおも満足できず、俺の領土を侵略してきやがって!

 

 もう許せん! 俺と勝負しろッ!

 

 だが、俺とお前とじゃ戦いにもなるまい。

 だから3合だけにしてやる!

 もしお前が、俺と3合戦って生き延びることができたなら、俺は(かぶと)を脱いで降参してやろう!

 

 どうだ? これだけ有利な条件でも戦うのが怖いか?

 それでも戦いたくないというなら、このまま貴様を踏み潰してやる! 俺の馬の下で死ぬがいい!」

 

 だが劉邦は、カラカラと笑い飛ばすばかり。

「項羽さんよ! 見ろ、この圧倒的な戦力差を! これが王者の徳ってやつだぞ。

 俺に比べりゃ、お前なんかは村人その1みたいなもんだ。自分の強暴さが自慢らしいが、この俺の天兵(てんぺい)には勝てないだろうよ!」

 

 項羽は()えた。

「なら試してみろッ!!」

 

 項羽は龍馬(りゅうめ)烏騅(うすい)を駆り立てて、槍を振り上げ劉邦へ迫る。

 そのとき、劉邦を守ろうと、左右から漢軍の猛将たちが走り出た。

 

 樊噲(はんかい)

 周勃(しゅうぼつ)

 陳武(ちんぶ)

 靳歙(きんきゅう)

 盧綰(ろわん)

 文句無しに漢軍最強の豪傑5人!

 

 この錚々(そうそう)たる顔ぶれが、馬煙(うまけむり)で天を(くも)らせ、(とき)の声で地を震わせて、四方から項羽を包み込むように襲いかかる。

 

 対する覇王項羽は、

「面白い……まとめてかかってこいッ!」

 あろうことか、真正面から豪傑たちを迎えうった。

 

 たちまち(ほとばし)剣戟(けんげき)の響き。

 項羽は槍を(たく)みに振るい、(げき)を受け止め、刀を迎え、剣を払いのけて(から)めとる。

 

 なんたることか! 漢軍最強の豪傑と、5対1で項羽は互角に戦っている!

 いや、それどころではない。

 戦えば戦うほど覇王項羽の気力は倍加し、槍はますます鋭さを増し、徐々に漢軍の豪傑たちを圧倒しはじめた!

 

 樊噲(はんかい)は、刀を振り回しながら(ひたい)に脂汗を浮かべた。

「なんてこった! この俺が力負けしてるだと!?」

 

 周勃(しゅうぼつ)もまた、休まず攻め立てる一方で、青ざめてもいる。

「5人がかりだぞ!? 信じられん……項羽、こいつ本当に鬼神じゃあるまいか!?」

 

 と、そこへ、

「覇王様に続け!」

 とばかり、後方から()軍の大将たちが駆けつけてきた。

 

 項荘!

 桓楚(かんそ)

 虞子期(ぐしき)

 季布!

 いずれも古くから項羽に従ってきた名将ばかり。

 

 項羽1人にすら圧倒されていたところへ、これだけの援軍に加勢されては、もはや支えきれようはずもない。

 漢軍は大いに乱れ、四方に崩れ走りだした。

 

 劉邦は、この戦況を見て顔面蒼白となった。

 味方の大軍をブチぬいて、項羽率いる()の精鋭が突っ込んでくる。

 劉邦は、慌てて馬を返して逃げ出した。

 

 

   *

 

 

 漢軍が窮地(きゅうち)に追いつめられた、その時。

 またしても漢の援軍が現れ、項羽の前に立ちふさがった。

 

 第5隊、総大将魏豹(ぎひょう)が指揮する後陣の軍勢である。

 

 項羽は、魏豹(ぎひょう)の姿を見ると、足を止めて大喝(だいかつ)した。

魏豹(ぎひょう)ッ!

 恩を忘れて義に(そむ)く逆賊め! どの(つら)さらして俺の前に出てきた!」

 

 魏豹(ぎひょう)は、負けじと叫び返した。

「汝こそ、恩義を忘れて義帝を弑逆(しいぎゃく)し、諸侯を左遷(させん)し、始皇帝の墓を(あば)き、降伏した(しん)兵20万を生き埋めにして虐殺したではないか!

 だから天下の人々は(うら)骨髄(こつずい)に入り、生きたまま汝の肉を食ってやりたいと願っているのだ!

 (いのち)を無駄にする前に、いますぐ兵を退()いてはどうだ!」

 

 項羽は激怒し、槍を横にして構え、飛ぶように魏豹(ぎひょう)へ襲いかかった。

 魏豹(ぎひょう)もまた、鉄の(ほこ)で応戦する。

 

 刃を交えること20合。

 項羽は烈火の如く激しく槍を突き込んでいたが、ここで急に槍を引き、かわりに鉄鞭(てつべん)を手に取った。

 そして魏豹(ぎひょう)迂闊(うかつ)に接近してきたところで、骨まで(やぶ)れよ(くだ)けよとばかり、強烈な一撃を魏豹(ぎひょう)(かぶと)に叩き込んだ。

 

「うおっ!?」

 魏豹(ぎひょう)は、慌てて身を(かが)め、鉄鞭(てつべん)を避けようとする。

 が、完全には避けられず、鉄鞭(てつべん)魏豹(ぎひょう)の左腕に、めりこんだ。

 

 魏豹(ぎひょう)の身に、体中の骨が粉砕されたかのような、すさまじい衝撃が走った。

 魏豹(ぎひょう)は、とても馬上で姿勢を保っていられなくなり、馬の上に伏して、味方の陣へと退却しはじめた。

 

 その背へ向けて、項羽が牙をむく。

「逃がすものかァッ!」

 

 項羽は、配下の大将と3万の兵を動かして、怒涛(どとう)の如く漢軍に攻め寄せた。

 

 漢軍はといえば、(おも)だった将を次々に()たれ、頼みの綱の豪傑たちが敗北したうえ、漢王劉邦も総大将魏豹(ぎひょう)も逃走してしまった。

 この状況で戦意を(たも)て、と言う方が無理な話である。

 

 そもそも、彭城(ほうじょう)を占領してからの漢軍は、慰労(いろう)の名のもとに酒宴(しゅえん)に明け暮れ、規律が乱れ切っていた。

 こんなありさまでは、最強無敵の覇王項羽が(ひき)いる()の精鋭に立ち向かえるはずがない。

 

 かくして、56万の圧倒的多数を誇った漢軍が、たった3万の()軍を相手に潰走(かいそう)しはじめたのである。

 

 総大将が逃げたことで指揮系統は崩壊し、陣形はズタズタに引き裂かれ、孤立したところを項羽の馬蹄(ばてい)に踏み潰される。

 漢兵は、なすすべもなく殺し尽くされ、その死体は野に累々(るいるい)と充満した。

 

 付近の大河睢水(すいすい)(いた)っては、流れ込んだ血で(くれない)に染まり、死体で()き止められさえしたという。

 

 このとき(いのち)を落とした漢兵の数は、実に30万。

 総勢56万のうち半数以上を失うという、歴史上(るい)を見ないほどの、すさまじい大敗であった……

 

 

(つづく)




●注釈
 今回描かれている戦いは、()漢戦争中盤のハイライトたる『彭城(ほうじょう)の戦い』に相当する。
 「史記・項羽本紀」を見ると、項羽がたった3万の兵で56万の漢軍を打ち破ったことが明記されており、漢軍の死者数も合計で『20万人以上』と本編に大差なく、『死体で睢水(すいすい)の流れが止まった』という凄惨な描写も克明に記されている。こうした大戦(おおいくさ)は、物語においてはとかく数を誇張されがちだが、その必要すらないという、なんともすさまじい戦である。
 ひとつ「西漢通俗演義」や「通俗漢楚軍談」が大きく脚色を加えているのは、項羽の戦い方である。「史記」において、漢軍は財宝・美女を収奪し、連日酒宴を開くなど堕落していた。そこへ項羽が急襲し、一気に漢軍を打ち破ってしまった、という流れになっている。
 一方「演義」「軍談」では、わざわざ戦書を送りあって両軍にらみ合い、真正面から衝突したうえで、項羽が漢軍をねじふせてしまう。結果として、項羽の異常なまでの強さが強調される描写となった。というより、これではもうほとんど怪獣である。
 人当たりの良さによって次々味方を増やしていく劉邦に対して、20倍近い兵力差をほんの一戦でひっくり返してしまう項羽。両者の対照的な才能と個性が実に鮮やかに描出されている。こういう「演義」「軍談」の筆致が、筆者はたいへん好きである。
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