龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

129 / 198
四十七の丙 究極で最強で無敵の覇王

 

 

 漢王劉邦は、ほうほうの(てい)で逃げ出した。

 戦場を遠く離れ、ようやく一息ついて、味方の兵を点検してみると……漢軍は、ほとんど壊滅状態。一体どれほどの兵が()たれたのかも分からない。

 

 劉邦がガックリとうなだれていると、そこへ、劉沢(りゅうたく)が1人で走って合流してきた。

 この劉沢(りゅうたく)司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)とともに彭城(ほうじょう)の守りを任されていた大将である。

 

 劉沢(りゅうたく)は、ろくに呼吸も落ち着かせぬまま、劉邦に報告した。

彭城(ほうじょう)は、敵の手に落ちました。

 司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)()に降伏して門を開いたため、()軍は、やすやすと城内に踏み込み……

 太公、呂后はじめ、漢王様の御一族も、みんな敵に捕らわれてしまいました」

 

 司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)といえば、かつて(しん)の名将章邯(しょうかん)の手足として働き、三秦(さんしん)王にまでなりあがった男たちである。

 韓信の三秦(さんしん)攻略によって追いつめられ、漢に帰服したはずの司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)が、今また追いつめられて()に寝返り直したというわけだ。

 

 劉邦は、大声をあげて(なげ)き悲しみ、後悔すること限りなかった。

「俺は間違っていた!

 韓信も張良も、『今は戦うべきときじゃない』と(いさ)めてくれたのに……

 その言葉を聞かず戦いを仕掛(しか)け、大軍を失ったうえに、家族まで敵に捕らえられてしまった。

 こんな……こんなことになるなんて……!」

 

 と、そのときである。

 突然、劉邦の四方から(とき)の声が巻き起こった。

 銅鑼(どら)と太鼓で天地が(ふる)え、周囲に無数の兵が姿を現す。

 ()軍の追手(おって)である。

 

 劉邦は、震え上がった。

 大慌てで馬に飛び乗り、その場から逃げ出した。

 

 だが()軍は、すでに二重三重に劉邦の周囲を取り巻いている。

 どちらへ向かっても隙間(すきま)ひとつ見当たらない。まるで頑丈(がんじょう)な鉄の(おけ)に放り込まれたようなものである。

 

 右往(うおう)左往(さおう)するうちに、劉邦の手勢も次々に()ち取られていき、とうとう100騎ばかりを残すのみとなった。

 日も、すでに西の地平に沈みかかっている。

 

 劉邦は叫んだ。

「もうダメだあーっ! たとえ翼があっても、この包囲からは逃げられない! 俺はここで死ぬんだあー!」

 

 が、そのとき。

 突然、東南の方角から、猛烈な強風が吹き寄せてきた。

 風が砂を巻き上げ、石を飛ばし、人を()ぎ倒すほどの勢いで荒れ狂う。

 さらに、急に黒い霧が空を(おお)いはじめ、たちまちあたりは暗闇に包まれた。

 

 砂や石は、()兵の顔面を容赦(ようしゃ)なく打ちまくった。

 ()兵は顔を(おお)って耐えようとしたが、あまりの激しさに立っていることさえできぬありさま。

 ()兵は驚き戸惑(とまど)い、とうとう、クモの子を散らすように四方八方へ逃げ去ってしまった。

 

 ひとまず難を逃れた劉邦が、

「不思議だ……まるで天が俺を助けてくれたかのようだ」

 と、呆然(ぼうぜん)としていると、一条(いちじょう)の白光が天から差し込んできた。

 

 白光が道を照らしだす。その(あき)らかなことは、天に輝く白日さながらである。

「俺を、案内してくれてるのか……?」

 劉邦は、光に吸い込まれるように馬を進めた。

 

 光の指す方へ駆けること20里。

 ようやく風も収まり、霧も晴れはじめた。

 

 視界がひらけたところで周囲を見回すと、もはやあたりに味方の姿はなく、劉邦はたった1人で道に取り残されていたのだった。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ。

 項羽は兵を集合させ、戦果の確認を行っていた。

 

 劉邦を取り逃がしたと報告を受けると、項羽は歯を食いしばって(くや)しがった。

「劉邦を()ちもらしたか……くそっ、無念だ」

 

 そこへ、老軍師范増(はんぞう)が進み出た。

「劉邦が逃げたと言っても、時刻はすでに夜。さほど遠くまでは行っておりますまい。

 すぐに兵を出して追撃させなされ。

 こんな好機は二度と来ない。今ここで決着をつけておかねば、後でまた大いなる(うれ)いを()しますぞ」

 

 項羽は、うなずいた。

「うん、亜父(あふ)の言う通りだ。

 おい、丁公! 雍歯(ようし)!」

 

「はっ」

 

「お前たち、3千の兵を(ひき)いて、劉邦を捕らえてこい!

 徹夜(てつや)してでも絶対に追いつけ!」

 

 (めい)を受けた丁公・雍歯(ようし)は、飛ぶように出撃していった。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、ただ1騎で道を行きながら、今日の奇跡に思いを()せていた。

「あの強風が無かったら、俺は今ごろ死んでいただろうなあ……」

 

 と、そのとき。

 劉邦の背後から、一手の軍勢が馬煙(うまけむり)をあげて近づいてきた。

 

 劉邦は青ざめた。

 あれは()軍が差し向けてきた追手(おって)……旗印(はたじるし)は、()将、丁公のものである。

 

 劉邦には、もう味方の兵もいない。

 逃げ切ることは不可能である。

 

 そう覚悟した瞬間、劉邦の顔つきが変わった。

「どうせ逃げられないなら……

 イチかバチか、やってみるか!」

 窮地(きゅうち)でこそ躍動(やくどう)する、大胆不敵な男の顔である。

 

 劉邦は、なんと、自分から丁公の軍に馬を寄せていった。

 そして、敵将丁公の目の前までやってくると、気さくに笑いながら話しかけた。

「いやー、参った参った!

 漢王劉邦、ここに(いた)りて(のが)るるに道無し、だ。

 

 ところで丁公殿、こんな言葉を知ってるか?

『賢者はお互い苦しめ合わない。むしろお互い愛し合う』と。

 

 御辺(ごへん)が、もし俺を(あわ)れんで、遠くへ逃がしてくれたなら、いつか天下を手に入れた時に必ず恩返(おんがえ)しをするよ。

 

 まあ、孤立して弱りきったこの俺を、どうしても殺そうと言うのなら……

 もう抵抗はしない。君の好きなようにしてくれ」

 

 思いもよらぬ劉邦の行動に、丁公は躊躇(ためら)った。

 このまま項羽の下で働いていても、いま以上の出世は望めまい。

 しかし、ここで劉邦を見逃し、後日ほんとうに劉邦が天下を取ったとしたら……?

 

 迷った末、丁公は劉邦に、ささやいた。

「劉邦殿。貴公に王の(つと)めがあるように、私には臣下の(つと)めがある。

 命令に(そむ)くことはできない。

 

 だが……

 弱りきった貴公を捕らえるのは(しの)びない。

 

 南へ馬を走らせなさい。

 私は何本か矢を(はな)って追撃しているように見せかけ、兵たちの目をごまかそう」

 

 劉邦は、にこり、と()みを浮かべ、急に東南へと駆け出した。

 その背へ、丁公が、わざとらしく怒鳴(どな)りつける。

「あっ! 逃げるな! 待て、劉邦!」

 

 丁公は、劉邦の方へ矢を()かけた。

 もちろん、わざと狙いは外してある。

 全ての矢が(むな)しく地面に付き立ち、そうこうする間に、劉邦の姿は遠くへ消えてしまった。

 

 そこへ、後から雍歯(ようし)の軍勢が合流してきた。

「どうだ、丁公。劉邦を見つけたか?」

 

 丁公は、しれっと適当な嘘をつく。

「さっき劉邦に追いついたので、たくさん矢を放ったのだが、残念ながら命中せず、ついに見失ってしまったよ」

 

 雍歯(ようし)は叫んだ。

「何を呑気(のんき)なことを!

 まだ劉邦は遠くには逃げ去っていまい。さあ、追いかけよう!」

 

 雍歯(ようし)は、丁公をうながして、休みなく追跡を続行した。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。