龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十八の甲 奪え、覇王の右腕

 

 

 ()(みやこ)彭城(ほうじょう)

 一度は漢軍に占領されながら、覇王項羽の怪物じみた武勇によって、たちまち奪還(だっかん)された城である。

 

 この彭城(ほうじょう)に、()の大将の丁公と雍歯(ようし)が帰還してきた。

 彼らは、項羽に謁見(えっけん)して報告した。

「臣ら、漢王劉邦を捕らえよとのご命令を受け、昼夜を()かたず追跡いたしましたが、劉邦は、はるか遠くまで落ちのびてしまい……

 力およばず、ご命令を果たせぬまま引き返して参りました。(もう)(わけ)ございませぬ」

 

 項羽は、いつものように激怒する……かと思いきや、意外にも、

「ふーん、そうか」

 と、つまらなそうに流しただけであった。

 

 そばにいた老軍師范増(はんぞう)が、項羽に近寄って言う。

「覇王様。また劉邦のことを軽くみておられますな?

 今回、劉邦は前代(ぜんだい)未聞(みもん)の大敗をいたしましたが、それはすべて漢軍総大将の魏豹(ぎひょう)1人のせいなのです。

 

 この魏豹(ぎひょう)という男、元来(がんらい)(さい)も無く、計略も少なく、実績も実力も無い(やから)

 にもかかわらず、劉邦は判断を(あやま)り、魏豹(ぎひょう)大任(たいにん)()けてしまった。

 それが、この大敗の原因です。

 

 しかし、韓信は今もなお咸陽(かんよう)にて健在。

 軍馬を養い、兵糧(ひょうろう)を山の如く(たくわ)えております。

 

 臣が予測するに、漢王は、睢水(すいすい)での敗北の(うら)みを晴らすため、日ならずして再び軍を起こし、攻め寄せてくるでしょう。

 そのとき漢軍を指揮するのは韓信。魏豹(ぎひょう)が如き無能の(やから)とは、わけがちがう。

 

 覇王陛下。決して敵を(あなど)ってはいけませぬぞ!」

 

 しかし項羽は、カラカラと笑うばかりだった。

「また始まった! どうして亜父(あふ)は、いつもそんなに奴らを恐れるのかな。

 韓信は、以前は()に仕えていたんだ。奴がどの程度の男か、俺はよく知ってるよ。

 

 もし韓信がそれほどの男なら、今回、劉邦と一緒に彭城(ほうじょう)へ来て、睢水(すいすい)での敗北を防いでいたはずだろう?

 それができなかったってことを見ても、韓信に大した智謀(ちぼう)が無いことは明らかじゃないか」

 

 これを聞くと、范増(はんぞう)は口をつぐんでしまった。

 

 確かに今回、項羽は歴史に残るほどの大勝利を収めた。

 だが、この勝利は、いささか鮮烈すぎた。

 たった3万でも、56万の漢軍を蹴散(けち)らしてしまえた……その事実のために、項羽は完全に劉邦を甘く見てしまったのである。

 

 一度こうなると、何を言っても聞きはしない……

 そういう項羽の性格を痛いくらいに理解している范増(はんぞう)は、諌言(かんげん)する意義を見失ってしまったのだった。

 

 

   *

 

 

 さて、ちょうどその時、外から報告が入ってきた。

司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)の2人が、漢王劉邦の一族を縛って、連れてまいりました」

 

 司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)といえば、かつて(しん)帝国に仕えていた名将である。

 それが、項羽との戦いの中で追いつめられ、(しん)を離れて()に帰順した。

 

 その功績によって三秦(さんしん)の王に(ほう)ぜられたが、韓信(ひき)いる漢軍に攻め立てられ、窮地(きゅうち)に追い込まれ、今度は漢に降伏。

 そして今、三度(みたび)の裏切りで、漢から()へ戻ってこようとしているのだ。

 

 項羽は、すぐに司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)に対面した。

 2人の顔を見るなり、項羽は城が揺らぐほどの声で(しか)りつけた。

「汝らァッ!

 俺は、汝らを三秦(さんしん)(ほう)じて、漢の侵攻を防ぐ第一の守りとした!

 

 だが、廃丘(はいきゅう)城が敵に包囲されたとき、お前らは救援にも行かず、みすみす章邯(しょうかん)を見殺しにしたそうじゃないか!

 あまつさえ敵に降参し、俺の三秦(さんしん)を漢に渡してしまうとは!

 

 そのくせ、劉邦が負けたとたん、また手のひらを返しやがって!

 お前らには節操(せっそう)ってもんがないのか!

 頭にあるのは自分の保身だけか!?

 何度裏切りを繰り返したら気が済むんだ、この小人(しょうじん)めッ!

 

 お前らなんか、部下として用いる価値もない!

 おい、さっさとこいつらを門の外に引き出して、誅殺(ちゅうさつ)しろッ!」

 

 司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)は、顔面蒼白(そうはく)となった。

 だが、彼らを弁護してくれる者は……もう、誰もいない。

 

 兵士たちは、司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)を外に連れて行き、たちまち首を()ねてしまったのだった。

 

 

   *

 

 

 それから項羽は、劉邦の一族を連れてこさせた。

 項羽は、劉邦の父太公に向かって言った。

 

「あんたが劉邦の親父さんか。

 

 あんたの息子の劉邦は、もともと泗水(しすい)のほとりの亭長だった。

 それを、この俺が(ほう)じて漢王にしてやったんだ。

 その職分を守り、俺に対して恩を感じるべきなのに、劉邦は兵を起こして関中の地を(かす)め取りやがった。

 

 昔から、謀反(むほん)(にん)九賊(きゅうぞく)(ほろ)ぼすものと決まってる。

 気の毒ではあるが、まあ、(うら)むんなら自分の息子を(うら)むんだな」

 

 項羽は、兵士に(めい)じて、太公ら劉一族を処刑させようとした。

 

 そこへ、范増(はんぞう)が慌てて飛び出し、(いさ)めた。

「いや、お待ちを!

 劉邦は、今回大敗したとはいっても、韓信は関中にあり、軍勢もまだ雲霞(うんか)の如く残っております。

 

 ここは、劉邦の一族を生かしておき、人質といたしましょう。

 自分の父や妻が人質になっていると知れば、劉邦は、たとえ攻めてきたとしても、そう簡単には決戦を(いど)んでこられないはず。

 

 逆に、今ここで劉邦の家族を殺してしまったら、敵はますます(うら)みを抱き、(いのち)を捨てて襲い掛かってくるでしょう。

 その時になって後悔しても、どうにもなりませぬ」

 

 項羽は、腕を組んで考え込んだ。

「ふーん……なるほど。そうかもしれないな。

 じゃあ、殺すのはやめよう。

 

 ()子期(しき)! 劉邦の一族は、お前に(あず)ける。人質として大事に守ってやれ。

 

 俺は、(せい)討伐(とうばつ)の方に戻る!

 今度こそ(せい)の逆賊どもを叩き潰してやるぞ!」

 

 

   *

 

 

 そのころ、(せい)王の田広(でんこう)は、長期間に渡って()の大将龍且(りゅうしょ)鍾離昧(しょうりまい)に包囲され、疲れ切っていた。

 兵糧(ひょうろう)次第(しだい)(とぼ)しくなり、困窮(こんきゅう)していたところに、こんな報告まで舞い込んできた。

 

「覇王項羽は、漢の大軍を(やぶ)り、威勢(いせい)ますます(さか)んになって、(せい)へ戻ってきております!」

 

 事ここに至り、ついに(せい)田広(でんこう)は降参を決断。項羽に対して忠誠を誓った。

 

 こうして、(せい)の反乱は治まった。

 項羽は喜んで軍を撤収(てっしゅう)させ、ふたたび彭城(ほうじょう)に帰還していったのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
 項羽に反旗をひるがえした(せい)王の名前は、ここまで『田栄(でんえい)』とされてきたが、今回突然『田広(でんこう)』に変わっている。これは「通俗漢楚軍談」での記述に従ったものである。一方「西漢通俗演義」では、この部分が『(せい)田横(でんおう)』となっている。
 田広(でんこう)田栄(でんえい)の息子。そして田横(でんおう)田栄(でんえい)の弟。つまり、この2人は叔父(おい)の関係にあたる。
 史実において、この時期すでに田栄(でんえい)()に攻められて敗死している。その後いろいろあって、最終的には田広(でんこう)が立てられて(せい)王となり、田横(でんおう)相国(しょうこく)(くらい)につく。
 「軍談」「演義」には何も説明がないのだが、史実同様に田栄(でんえい)が死亡し、その息子が(せい)王の(くらい)を継いだという想定で書かれているのだと思われる。「演義」の『(せい)田横(でんおう)』の記述は、単純に人名の誤りであろう。実際、「演義」第六十九回などでは『(せい)田広(でんこう)』と正しく書かれており、それとは別に側近として田横(でんおう)も登場している。
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