龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十八の丙 奪え、覇王の右腕

 

 

 次の日。

 費赫(ひかく)は、英布のもとを(おとず)れた。

 

「昨日、臣のところに随何(ずいか)(たず)ねて参りました。

 直接対面して話を聞いてみたところ、どうやら、彼は漢の説客(せっかく)ではなかったようです。

 故郷へ帰る途中で九江を通りかかり、英布様の徳を(した)って謁見(えっけん)を求めております。

 どうか、随何(ずいか)に会ってやってくださいませ」

 

 英布は、低くうなった。

「ふーん……そうなのか?

 俺を(した)って来た人を、対面もせずに追い返すのは、はなはだ無礼だ。そういうことなら会わねばなるまい。

 では、随何(ずいか)を連れてきてくれ」

 

 費赫(ひかく)は自宅に使いを送り、すぐに来るよう随何(ずいか)に伝えた。

 連絡を受けた随何(ずいか)は、心中(しんちゅう)ひそかに喜んだ。

「よし。これで私の計略は()った」

 

 そして随何(ずいか)は、何食わぬ顔で宮殿に向かった。

 

 宮殿についてみると、九江王英布は、わざわざ座を降りて丁重(ていちょう)に礼を(ほどこ)し、みずから随何(ずいか)を堂の上に招き入れた。

 

 英布は、随何(ずいか)に、こう(たず)ねた。

御辺(ごへん)は、長いあいだ漢に仕えていて、漢の内情をよく知っていよう。

 (はた)から見ていて不思議だったのは、あの睢水(すいすい)での大敗のことだ。

 

 漢王は、どうしてあの戦いで韓信を用いなかったのか? 韓信であれば、あんな無様(ぶざま)な戦いはしなかっただろう。

 そして今、漢王は滎陽(けいよう)に留まっているとか。今後についてどのような計画を議論しておられるのかな?」

 

 随何(ずいか)は、流れるように答えだした。

「漢王様は、以前に義帝のために()を発し、檄文(げきぶん)を送って天下の諸侯と語らいなさいました。

 そのため、誰もが深く覇王項羽を(うら)み、帰服してくる者が雲のように無数に現れました。

 

 その諸侯が、ともに力を合わせて()を滅ぼそうと誓いましたから、『これで戦力は十分である』と漢王様は判断なさいました。

 そこで、韓信を三秦(さんしん)に留め置いて本拠地を守らせることにしたのです。

 

 しかし、ここで思いもよらぬ事態が起きました。

 というのも、覇王項羽が諸国へ使者を飛ばし、こんな主張をしたのです。

 すなわち、『義帝を弑逆(しいぎゃく)した真犯人は、九江の英布である。早く兵を起こして、不倶戴天(ともにてんをいただかざる)(あだ)()とうではないか』と……」

 

 英布は、思わず椅子(いす)を蹴って立ち上がった。

「なッ!? なんだとォ!?」

 

 随何(ずいか)は、顔色ひとつ変えずに続ける。

「このため、天下の諸侯はことごとく九江王英布様を疑い、漢王様への協力を中止してしまいました。

 特に(せい)(りょう)(えん)(ちょう)の4国は、『ともに九江王を討伐(とうばつ)して、義帝弑逆(しいぎゃく)の罪を正そう』と固く盟約(めいやく)をなし、日ならずして大軍を起こして九江へ攻め込む計画をしているそうです。

 

 まったく無道の項羽ときたら、自分の悪名(あくみょう)を英布様に押し付け、自分だけ罪を(まぬが)れようとしているのです。

 それなのに英布様は、(てん)としてこの事態を御存知(ごぞんじ)ない。

 

 もし諸侯が兵を合わせて攻めてきたら、天下の人々は、ますます英布様を極悪人と思い込むでしょう。

 たとえ英布様が中国全ての家々を回って、1人1人に真実を説明して回っても、一体だれが信じてくれるでしょうか。

 

 そんなことになってしまえば、もはや英布様が身を守る手段は無くなります。

 まだ(わざわ)いが及んでこないうちに、早く何か手を打つことをお(すす)めしますよ」

 

 英布は、これを聞くと、飛び上がって、すさまじく激怒した。

 そして北を……彭城(ほうじょう)の方角を(にら)み、天地が震えるほどの声で(ののし)った。

 

「項羽ッ! この匹夫(ひっぷ)め!

 俺だって義帝を殺したくはなかった! 貴様が(めい)じるから嫌々(いやいや)やったことではないか!

 あのときだって、臣下の者たちが総出(そうで)(いさ)めた……だが項羽、貴様は全く耳を貸さなかっただろう!

 

 それなのに、義帝殺害の罪を俺に押し付けただと!?

 しかも諸国に()れを出して、俺を殺そうとしているだと!?

 そんなことで自分だけ罪を(まぬが)れられると思っているのか!

 

 許さんぞ項羽ッ!

 もう貴様には愛想(あいそ)が尽きた!

 必ずや、この(うら)みを(そそ)いでやる!」

 

 随何(ずいか)は、慌てて英布を止めた。

「英布様! どうか落ち着いて、お怒りを静めてくださいませ。

 そんな発言が彭城(ほうじょう)へ伝わったら、項羽は、ますます怒るでしょう」

 

 英布は、毅然(きぜん)として首を横に振った。

「そんな心配は無用だ。

 かつて俺は、項羽に指示されて、(しん)子嬰(しえい)を殺し、始皇帝の墓を(あば)き、長江において義帝を弑逆(しいぎゃく)した。

 

 この3つの悪行を、俺はずっと後悔していた……

 俺が自分の意志でやったことだと天下の人に思われるのが怖かった……

 

 (あん)(じょう)、こうなってしまった!

 こんな悪名(あくみょう)は我慢ならん!

 この(うら)みは、たとえ死すとも尽きることはない!

 項羽の怒りなど知ったことか!」

 

 ここで随何(ずいか)は、英布の心の隙間(すきま)(すべ)りこもうとするかのように、温かな微笑(びしょう)を浮かべた。

「英布様。その誤解を解きたいとお考えなら、それは難しいことではありません。

 漢と協力し、力を合わせて()()ち、覇王項羽の罪を正せばよいのです。

 さすれば、何が真実で何が嘘か、本当に汚れた人間は誰なのか、おのずからハッキリするでしょう。

 

 一方、英布様がこのまま九江に留まっていれば、いつか漢王様が諸侯の軍勢と(とも)に攻めて来ます。

 英布様は()の覇王から封爵(ほうしゃく)を受けておられますから、当然、項羽の一味(いちみ)とみなされるでしょう。

 そうなった後では、どんなに弁解(べんかい)なさっても、罪を(まぬが)れることは、できますまい。

 

 それがしが愚考(ぐこう)いたしますに、ここは(すみ)やかに漢に帰服なさるのが一番良い道でございます。

 漢に協力して戦えば、天下の人々は、項羽こそが義帝を弑逆(しいぎゃく)させた真の大逆(たいぎゃく)人ということを理解します。

 

 そのときには、英布様は悪名(あくみょう)を洗い清めて、弑逆(しいぎゃく)の罪も(まぬが)れます。

 そればかりか、人々は『九江王こそ、無道の項羽を誅殺(ちゅうさつ)した、本物の正義と勇気の人だ』と、万世(ばんせい)に渡って()めたたえることでしょう。

 

 これこそ、はるか先まで見据(みす)えた策というものではありませんか。

 

 まして今、漢王様は諸侯を集めて滎陽(けいよう)駐屯(ちゅうとん)し、(しょく)・漢から送られてくる食糧を(たくわ)えながら、じっと守りを固めております。

 対する()は、先ごろの(せい)討伐(とうばつ)をはじめとして、反乱鎮圧(ちんあつ)のために深く敵国に入り込み、老いも若きも遠くまで兵糧(ひょうろう)を運ばされている。

 

 ()と漢、どちらの方針が(すぐ)れているかは自明でしょう。

 

 万全の漢に味方せず、滅亡の危機にある()を助けなさる……そんな選択は、とてもお(すす)めできません。

 どうか英布様、これらのことを良くお考えくださいませ」

 

 英布は、座を離れると、随何(ずいか)の目の前まで寄ってきた。

「うむ……

 実は、俺は近ごろ、項羽との関係が上手くいっていなかったのだ。

 一方、漢王は心が広く、仁義ある方だと聞いている。

 

 どうか随何(ずいか)先生、しばらくこの国に留まってくださらないか。

 俺は重臣たちとよく相談して意志を固め、先生と一緒に滎陽(けいよう)へ行って、漢王に謁見(えっけん)したいと思う」

 

 と、その時であった。

 英布の部下がやってきて、こんなことを報告した。

「ただいま、()からの使者が覇王項羽様の詔書(しょうしょ)を届けてまいりました」

 

 英布は、すぐに()の使者を招き入れ、項羽からの詔書(しょうしょ)を受け取った。

 詔書(しょうしょ)を開いてみると、その内容は、こうである。

 

『主君が軍隊を動かせば、臣はそれに加わって助ける。これこそ、心膂(しんりょ)(たく)(重臣として主君を支える道)というものである。

 

 ところが、九江王英布は領国に居座(いすわ)って、ひたすら安逸(あんいつ)(むさぼ)るばかりだ。

 (せい)討伐(とうばつ)の時も病気を言い訳にして出兵を拒否し、睢水(すいすい)での会戦(かいせん)()して勝負の行方(ゆくえ)を見るだけだった。

 

 (ちん)が将兵の苦労をねぎらっている間、汝は一言も()軍に慰労(いろう)の言葉をかけなかった。

 これは君臣の義を失う行為である。そして、苦楽を(とも)にした我らの友情にも反することである。

 

 (おのれ)の武勇を(たの)みとして、こんな狂った反逆行為に走るとは!

 汝の罪を問うために使者を差し向けよう。そうすれば、汝はきっと驚くであろう。

 

 それが嫌であれば、今すぐに兵を出して我らと合流し、漢の劉邦を討伐(とうばつ)せよ。

 星のまたたく夜も(てっ)して駆けつけよ! 遅れは許さぬ。

 以上、ここに(みことのり)して(さと)す』

 

 

(つづく)




●注釈
 『心膂(しんりょ)(たく)』は、「書経・周書・君牙」の『股肱(ここう)心膂(しんりょ)』という言葉に由来する。
 『()』は(また)ではなく太腿(ふともも)。『(こう)』は肩から(ひじ)までの間、つまり上腕。『(しん)』は心臓。『(りょ)』は背骨を意味する。主君のそばについて支える重臣のことを、人体にとって極めて重要な器官に(たと)えた言い回しである。
 『(たく)』の字は、この場合は『支える』と解釈するのがよいか。まとめると、『心膂(しんりょ)(たく)』は『重臣として主君を支えること』というような意味になるだろう。
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