龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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四十八の丁 奪え、覇王の右腕

 

 

 英布は、項羽からの詔書(しょうしょ)を読み終えると、石のように固まってしまった。

 これを読む限り、項羽は怒っている。怒ってはいるが、すぐに駆けつけるなら許す、とも読める文章である。

 

 項羽の異常なまでの強さは、つい先日、彭城(ほうじょう)睢水(すいすい)での戦いで証明されたばかりだ。

 ここは項羽の言葉に従っておいたほうが安全なのではないか?

 だが、項羽は憎い。耐えがたく憎い……

 

 英布は、項羽と劉邦のどちらにつくか、決心することができず、ひたすら沈黙して立ち尽くした。

 

 と、そのとき。

 随何(ずいか)が急に進み出て、()からの使者へ怒鳴(どな)りつけた。

「九江王様は、すでに漢に(くだ)りなさったのだ!

 どうして()を助けることなどできようか!」

 

 ()の使者は、大いに驚いた。

「なにっ!? 汝は何者だ!?」

 

 随何(ずいか)が答える。

「我は漢の使者、随何(ずいか)なり!

 たった今、九江王英布様と盟約(めいやく)を結び、ともに()()って義帝の(かたき)を取ることを決めた!

 これでもまだ分からないか!」

 

 ()の使者は、顔面蒼白となって、英布に目を向けた。

 英布は、無言のまま目をそらしている……随何(ずいか)の言葉を否定する様子が無い。つまり、真実ということだ。

 

「た、大変だっ」

 ()の使者は、慌ててその場から逃げ出した。

 

 すかさず随何(ずいか)が英布に叫ぶ。

「英布様! 項羽の詔書(しょうしょ)を見れば明白でしょう! 項羽は、自分の罪を英布様に押し付け、それを理由にして殺すつもりですぞ!

 英布様ッ! 漢を助けて()を攻める態度を示しなさい! あの使者を殺すのです!」

 

 英布は……

「ウ……ウオオオオオッ!」

 と獣のように()えて剣を抜き、()の使者に駆け寄って、引っつかんだ。

 そして、()の使者を一刀のもとに斬殺すると、項羽からの詔書(しょうしょ)微塵(みじん)に引き裂いてしまった。

 

 ことが済むと、英布は謀士(ぼうし)費赫(ひかく)を呼んだ。

「……費赫(ひかく)よ。

 俺は漢に(くだ)ることにした。今からすぐに滎陽(けいよう)へ向かう。

 汝は、俺の一族を守護して、後から来い」

 

 

   *

 

 

 英布は人馬を整えると、随何(ずいか)とともに滎陽(けいよう)(おとず)れた。

 まず随何(ずいか)が先に入って(こと)次第(しだい)を報告すると、すぐに英布は城の奥に招き入れられた。

 

 そこで英布は、劉邦と対面した……のだが。

 劉邦の姿を見るなり、英布は唖然(あぜん)とした。

 なんと劉邦は、床に座って足を洗いながら、客人たる英布と対面したのである。

 

「おう、九江王殿かあ。よく来てくれた。

 後でゆっくり話そう。まぁ、とりあえずくつろいでくれぇ」

 と、劉邦の声も眠たげである。

 

 英布は、部屋から退出すると、大いに後悔して随何(ずいか)に食ってかかった。

「これは一体どういうことだ!?

 漢王劉邦は、度量が大きく、人を(うやま)う男だと聞いていた……だが聞くと見るとでは大違いではないか!

 

 なんなんだ、あの無礼な態度は!

 俺は一国の王だぞ! あんな侮辱には耐えられん!

 

 だが随何(ずいか)よ、お前に(そそのか)されて、俺はもう項羽を裏切ってしまった!

 いまさら引き返すこともできん……

 お前などを信じた俺がバカだった! こうなったら自害して死んでやる!」

 

 英布は剣を抜き、自分の首に突き立てようとした。

 随何(ずいか)が慌てて飛びつき、英布を止める。

「いやいや! 英布様、しばらく、しばらく我慢してくださいませ。

 

 いや、漢王様にも困ったものですな。どうも昨夜(さくや)深酒(ふかざけ)なさったようで、まだ二日酔(ふつかよ)いから()めておられないのです。

 それでつい、失礼なマネを……後で正式な謁見(えっけん)の場が設けられます。どうか落ち着いてくだされ」

 

 英布は、力無く剣を降ろした。

「本当だろうな……?」

 あの豪傑英布が、まるで(おび)えた子犬のように不安げな顔である。

 すでに項羽に反逆する態度を示してしまった英布だ。もしここで劉邦にも軽んじられるようなら、どこにも行き場が無くなってしまう。

 不安に駆られるのも無理ない話である。

 

 さて、それからしばらく、英布が客室で休んでいると……

 張良、陳平(ちんぺい)といった漢の重臣たちが、英布の客室を(たず)ねてきた。

 

 張良たちは、英布を宴席(えんせき)に案内し、礼を尽くして、もてなした。

 最上の美酒に美食。(さかずき)や食器の(たぐい)も目を見張るほどに豪華(ごうか)で、漢王劉邦自身が用いるものと全く同じものが用意されていた。

 

 そのうえ、名だたる重臣たちが下にも置かぬ歓待(かんたい)をしてくれるので、英布は徐々に(ほお)を緩ませはじめた。

 

 しばらくすると、文武の諸将が総出(そうで)で迎えにやってきた。

謁見(えっけん)の準備が整いました。

 九江王様、どうぞ奥へお通りくださいませ」

 

 英布は、諸将に案内されて、劉邦の前にやってきた。

 そこで英布は、目を見張(みは)った。

 

 劉邦は、衣冠(いかん)を正しく整え、真の王者の威厳を全身から(ただよ)わせているではないか。

 さらに、英布と語らう一言(ひとこと)一言(ひとこと)が、礼儀作法にきちんと(のっと)っているうえ、謙虚で(つつし)み深い。

 談笑する一声(ひとこえ)一声(ひとこえ)が、闊達(かったつ)(度量が大きい)で(この)ましい。

 

 話せば話すほど好きになってしまう、というのだろうか。不思議な人間的魅力にあふれているのである。

 ついさきほどの、ぞんざいで無礼な態度とは、まるで別人のようだ。

 

 英布は、深く感動した。

「なるほど、漢王劉邦は、本物の大人物だ。

 随何(ずいか)が言ったことは本当だったんだな……」

 

 こうして、英布は正式に漢に帰服。

 九江の軍勢3万騎が、漢軍に加わることとなった。

 

 劉邦は英布の帰服を限りなく喜び、すぐさま次の行動に移った。

「英布が味方に付いたことを、彭越(ほうえつ)に伝え、行動を(うなが)そう。

 彭越(ほうえつ)の軍勢に()の輸送部隊を襲わせ、糧道(りょうどう)を遮断するんだ!」

 

 劉邦からの使者は、彭越(ほうえつ)のいる(りょう)国へと飛んだ。

 要請を受けた彭越(ほうえつ)は、すぐさま糧道(りょうどう)遮断作戦にとりかかった。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ。

 彭城(ほうじょう)の項羽は、英布に送った使者が殺されたことを耳にして、すさまじく怒った。

 

黥面(げいめん)(ぞく)め!(英布は過去の罪で顔に(いれずみ)を入れられていたため、黥布(げいふ)綽名(あだな)されていた)

 よくも俺を裏切りやがったな!

 

 大将たちに、いますぐ(いくさ)準備をさせろ!

 まず英布を誅殺(ちゅうさつ)し、次に韓信を捕らえ、反逆者どもの罪を正してやるっ!」

 

 そこへ、老軍師范増(はんぞう)が進み出て(いさ)めた。

「覇王陛下、怒りを静めなされ。

 なあに、英布の反乱など、それほど(うれ)うることはありませんぞ。

 

 今は(せい)討伐(とうばつ)を終えたばかりで、軍馬が疲れております。

 まずは軍を休ませ、訓練を重ねて強化することに(つと)めましょう。

 

 英布よりも気がかりなのは、(りょう)彭越(ほうえつ)の動きだ。

 どうやら彭越(ほうえつ)は、神出(しんしゅつ)鬼没(きぼつ)の攻撃をしかけて、我が軍の糧道(りょうどう)()つ狙いのようです。

 輸送に不安を抱えていては、勝てる(いくさ)も勝てなくなります。

 

 よって、第一に彭越(ほうえつ)を排除し、糧道(りょうどう)を確保する。

 第二に韓信を(やぶ)り、三秦(さんしん)を取り戻す。

 それから(みやこ)咸陽(かんよう)(うつ)し、各地の諸侯に帰順を呼びかけるのです。

 

 さすれば英布はもちろんのこと、水が高所から低所へ流れ落ちるように天下の諸侯が集まってくるでしょう。

 これが最上の計でございますぞ」

 

 范増(はんぞう)から冷静に(さと)されて、項羽は、ようやく少し怒りを静めた。

「そうか……くそっ。それしかないのか……」

 

 

(巻九へ、つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 英布・彭越(ほうえつ)を味方につけて、勢力を回復した漢軍。しかし肝心かなめの大元帥が、いまだ連絡もよこさない。「漢王みずから迎えに来るまで絶対顔を出してやるものか」と自宅へ引きこもる国士無双。困り果てた劉邦に泣きつかれ、軍師張良が一計を案じる。

 完全にヘソを曲げたあの気難し屋を、今一度表舞台に引き出すことはできるのか?

 

 次回「龍虎戦記」第四十九回

 『ただいま韓信ふてくされ中』

 

 ()う、ご期待!

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