龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十の甲 対決! 項羽vs韓信

 

 

 ある日、漢の大元帥韓信は、楚(そ)国から来た使者に、こう申し出た。

「私はもう、漢王劉邦には愛想(あいそ)が尽きました。

 楚(そ)に降伏したいので、この密書を覇王様に届けていただけませんか。

 ただし、くれぐれも内密(ないみつ)に……」

 

 楚(そ)の使者は、喜んで密書を受け取り、彭城(ほうじょう)に帰っていった。

 

 しかし、これは韓信の策略であった。

 降伏を申し出たい、というのは真っ赤な嘘。

 実はこの密書、項羽を挑発するための戦書(せんしょ)だったのである。

 

 そんなこととは知る由(よし)もなく、使者は、さっそく覇王項羽に謁見(えっけん)し、報告した。

 

「滎陽(けいよう)で韓信と会いました。

 韓信は、覇王様の元へ戻りたがっております。

 降伏を願いでる密書が、こちらに……」

 

 項羽は、ななめならず喜んだ。

「なに、韓信が!

 そりゃあいい。敵の総大将が寝返ってくれば、もう勝ったも同然だ」

 

 項羽は上機嫌に密書を開いた。

 ところが、その文面は……

 

『漢の大将軍にして東征(とうせい)大元帥たる韓信、書を西楚(せいそ)の覇王の麾下(きか)に上申(じょうしん)する。

 

 かつて、この韓信が楚(そ)に仕えていたとき、官職はわずかに執(しつ)戟(げき)郎(ろう)止まりであった。

 その後、文武の百官みなで北面(ほくめん)して懐王(かいおう)を立て、義帝として尊(とうと)んだ。(北面(ほくめん):臣下が君主に対面すること)

 

 以上のことから、明白であろう。

 私が項羽の臣であったことは、一度もない。

 私は飽(あ)くまで義帝の臣だったのだ。

 

 しかるに貴公は、西秦(せいしん)を独占し、ほしいままに暴虐(ぼうぎゃく)・横暴を極め、ついには義帝を弑逆(しいぎゃく)してしまった。

 この暴挙(ぼうきょ)を、天下の人民は歯ぎしりして見ている。

 

 私もその1人である。

 こんな非道の行いを見過(みす)ごしてはおけない。

 剣(つるぎ)によって大いなる逆賊を誅殺(ちゅうさつ)し、かつて主君と仰(あお)いだお方の仇(かたき)を討(う)ちたい。

 

 だが私は力が弱い。兵も少ない。貴公と戦うのは難しい。

 

 ゆえに、私は、貴公を漢王劉邦に告発した。

 貴公の罪を正して天下に布告(ふこく)し、漢王と共(とも)に無道の男を討伐(とうばつ)すべく立ち上がったのだ。

 

 漢王は、私を咸陽(かんよう)に駐屯(ちゅうとん)させ、ご自分は一足(ひとあし)早く睢水(すいすい)に向かった。

 そこで漢王は誤(あやま)って罠にかかり、多くの兵を殺戮(さつりく)されてしまった。

 

 次は、この私が戦う番だ。

 義帝への弔意(ちょうい)を示すために喪服(もふく)を身につけ、三軍を率(ひき)いて進軍し、この韓信の武力がどれほどのものか、貴公で腕試しをしてやろうではないか。

 

 両観(りょうかん)(宮廷の門外の左右に設(もう)けられる楼閣(ろうかく))の門に貴公の首を掲(かか)げ、馬陵(ばりょう)の道に貴公を追いつめ殺す。

 それが私の願いである。

 

 決戦の地、滎陽(けいよう)で待つ。

 まあ、無理にとは言わない。私に勝つ自信が無いなら、彭城(ほうじょう)に閉じこもって震えているがいい。

 覇王よ、よく考えることだな』

 

 項羽は、書簡(しょかん)を読み終わると、怒りのあまりブルブルと震えだした。

「な……! な……! なんだこれはァッ!

 これのどこが降伏の書簡(しょかん)だ!?

 

 韓信! あの股(また)潜(くぐ)り男め!

 ふざけやがって! よくもこの俺を侮辱(ぶじょく)してくれたな!

 許さん! 韓信を殺すまで俺は国に帰らんぞ!」

 

 項羽は、即座に軍に命令を下(くだ)し、遠征(えんせい)準備に取りかからせた。

 

 

   *

 

 

 これに驚いたのは、老軍師范増(はんぞう)である。

 范増(はんぞう)の知らないところで滎陽(けいよう)への遠征(えんせい)が決まってしまったのだ。

 

「なんたることだ!」

 范増(はんぞう)は、慌てて項羽の元に駆けつけた。

 

「覇王様! これは罠ですぞ!

 韓信は、覇王陛下を怒らせ、おびきよせ、伏兵によって返り討(う)ちにしようと計(はか)っておるのです。

 

 いったん落ちついて、心(こころ)静かに再検討なされよ。

 今もし軽々しく軍を動かせば、韓信の計にハメられることは必定(ひつじょう)だ!」

 

 だが項羽は、まったく耳を貸そうとしなかった。

「あの股(また)潜(くぐ)り野郎はなァ! 俺が送った使者を騙(だま)し、降伏の書簡(しょかん)だと偽(いつわ)って戦書(せんしょ)を送り、こんなにも俺をバカにしやがったんだぞ!

 もう止めるな、亜父(あふ)! 俺は奴を殺すと決めたんだッ!」

 

 いったんこうなると、もう項羽は止まらない。

 范増(はんぞう)は天を仰(あお)いで長嘆(ちょうたん)し、なすすべもなく退出していったのだった。

 

 

   *

 

 

 一方、漢軍の要塞(ようさい)では、韓信が着々(ちゃくちゃく)と戦(いくさ)準備を進めていた。

「私の戦書(せんしょ)を項羽が見れば、必ず怒り狂い、日(ひ)ならず攻めてくるだろう。

 万全の態勢を整えておかねば……」

 

 来たるべき決戦に備(そな)え、韓信が軍馬の調練(ちょうれん)に取り組んでいると……

 

 ある日、こんな報告が入ってきた。

「ただいま、張良先生と陸賈(りくか)が訪(たず)ねて参りました」

 

 韓信は、

「はて、何の用だろう? 何か急変でも起きたのか?」

 と不審(ふしん)がりながら、張良らを部屋へ通すよう命(めい)じた。

 

 しばらくして、韓信の部屋に、張良・陸賈(りくか)がやってきた。

 いや、張良たちだけではない。2人の後ろから、樊噲(はんかい)はじめ漢の大将たちが続々(ぞくぞく)と押しかけてきた。

 すし詰(づ)めになった人の熱気で、軽く汗をかくほどである。

 

 韓信は、普段あまり驚きを顔に出さない方だが、このときばかりは、さすがに目を丸くした。

「これは一体なんの騒ぎです?」

 

 張良は、穏やかに微笑(ほほえ)んだ。

「漢王様は、我々を使者として詔書(しょうしょ)を送られました。

 おめでとうございます、韓信殿。

 あなたは今、正式に大元帥へと復帰なされたのです」

 

 そして張良は、大元帥の印章と、劉邦からの詔書(しょうしょ)を差し出した。

 

 韓信が詔書(しょうしょ)を開いて見ると、その文面は、こうである。

『朕(ちん)は、かつて聞いたことがある。

 「将軍とは、国の命運(めいうん)を司(つかさど)る者である。将軍たるにふさわしい人物を得ることは、頼(たの)もしき国の柱を得ることに等しい」と。

 

 しかし逆に、ふさわしくない人物が将軍になれば、やがて国は敗亡に至(いた)る。

 国の安全と危険は、ひとえに将軍にかかっている。その重要性は、尋常(じんじょう)なものではない。

 

 しかるに、卿(けい)韓信は、文武の才を兼(か)ねそなえ、学識は天も人も貫いてあらゆる領分に渡り、何度もすばらしい功績をあげてきた。

 まさに国家の柱石(ちゅうせき)、当代の豪傑(ごうけつ)である。

 

 ところが朕(ちん)は、卿(けい)を三秦(さんしん)の守りに回し、誤(あやま)って魏豹(ぎひょう)を総大将としてしまった。

 そのため、ついに睢水(すいすい)で兵を失うに至(いた)ったのだ。

 

 魏豹(ぎひょう)からは、すでに総大将の印章を没収(ぼっしゅう)してある。

 それ以来、長いあいだ総大将の地位が空席のままである。

 

 そこで今、特命(とくめい)を発して、卿(けい)に再び大元帥の印章を任せる。

 全軍の将兵を統率(とうそつ)し、楚(そ)を討伐(とうばつ)せよ。

 

 ますます忠義を尽くし、朕(ちん)の期待に応(こた)えてほしい。

 以上、ここに詔(みことのり)して告げ知らせる』

 

 詔書(しょうしょ)を読み終えて……

 韓信は、無表情であった。

 

 韓信は淡々と、だが淀(よど)みなく大元帥の印章を受け取ると、涼しげに言った。

「御辺(ごへん)ら、今日のところはお帰りなさい。

 明日、滎陽(けいよう)城に行き、漢王様に直接、感謝の言葉を述べるとしよう」

 

 張良は、薄(うす)く笑みを浮かべると、他の大将たちを連れて部屋から出て行った。

 

 部屋には、独(ひと)り韓信だけが残された。

 静まり返った部屋の中で、韓信は、やっと笑った。

 会心の笑みであった。子供のように無邪気で素直な、喜びの表情であった。

 

 そして、翌日。

 韓信は滎陽(けいよう)城に行き、劉邦に謁見(えっけん)した。

「昨日、臣は王命(おうめい)を蒙(こうむ)りました。

 今後ますます忠誠を尽くし、逆賊項羽を滅(めっ)し、四海(世界)を平定して、あまねく人民を戦乱の禍(わざわい)から救ってみせましょう」

 

 かくして今、韓信は再び大元帥の地位に返り咲いたのであった。

 

 

   *

 

 

 同じ頃……

 覇王項羽は、老軍師范増(はんぞう)に彭城(ほうじょう)を守らせ、みずから30万の大軍を率(ひき)いて進発した。

 

 項羽の軍勢は、数日で滎陽(けいよう)に接近。滎陽(けいよう)城から50里(20km)ほどの地点に本陣を構えた。

 

 本陣の建設を進める一方、項羽は、季布・鍾離昧(しょうりまい)の2将を呼んだ。

「季布、鍾離昧(しょうりまい)。お前たちは、先行して、漢軍の様子を探(さぐ)ってこい」

 

 

   *

 

 

 覇王の軍勢が接近してきたという報告は、すぐに韓信の元へも届いた。

 

 韓信は、すばやく漢軍の諸将を招集した。

「いよいよ項羽との対決の時だ!

 だが、まだ戦ってはならない。

 

 敵は季布・鍾離昧(しょうりまい)を先行させ、こちらの出方(でかた)を窺(うかが)っているようだ。

 ここは焦ることなく守りを固め、戦車を配置して陣を構築せよ。

 敵の先遣(せんけん)部隊は無視し、項羽の本隊が到着するのを待って、一斉に攻撃を仕掛(しか)ける。

 

 ここまで訓練してきたことは覚えているな?

 高所に陣取(じんど)ってはいけない。各自の持ち場に待機し、決して秩序(ちつじょ)を乱してはならない。

 作戦通りに戦えば必ず勝てる! 決して仕損(しそん)ずるな!」

 

「はっ!」

 

 漢軍の大将たちは、それぞれの持ち場へ飛ぶように散っていった。

 

 

(つづく)

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