龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六の下 集結、反秦連合軍

 

 

 王族発見の知らせを受けて、項梁(こうりょう)はななめならず喜んだ。

 

 吉日を選んで儀式を行い、米心(べいしん)少年を立てて主君とし、懐王(かいおう)と名乗らせた。()の後継者を立てたことを世に知らしめるために、あえて亡き祖父の(おくりな)をそのまま名号(みょうごう)としたのだ。

 後に義帝と呼ばれることになる人物が、この懐王(かいおう)である。

 

 さらに、懐王(かいおう)の母を王太后(おうたいこう)と尊称し……

 項梁(こうりょう)みずからも武信君(ぶしんくん)と称した。

 

 諸将も、恩賞としてそれぞれ位をさずかった。

 項羽は大司馬副将軍。

 范増(はんぞう)は軍師。

 季布、鍾離昧(しょうりまい)都騎(とき)

 英布は(へん)将軍。

 桓楚(かんそ)于英(うえい)散騎(さんぎ)

 

 そのうえで、酒宴をもうけて祝賀し、あの(やしろ)(おさ)にも、黄金50両、綵帛(あやぎぬ)一束(いっそく)を下賜した。

 

 これによって、()の勢力はますます盛んになり、国々の諸侯が次々にやってきて恭順した。

 

 そのひとりが、()国の大将、宋義である。

 宋義は、長江下流域で蜂起して兵を集めていたのだが、項梁(こうりょう)()の後継者を立てたと聞いて、はせ参じた。その兵力は、実に3万騎以上にも及んだ。

 

 項梁(こうりょう)は宋義と対面し、懐王(かいおう)に謁見させた。

 そのうえで、宋義に卿子(けいし)冠軍(かんぐん)の位を与え、ともに(しん)を討つ計画を議論した。

 

 宋義は言った。

淮水(わいすい)西方は()の土地ですが、狭くて都を立てるには向きませぬ。

 今、()の大将の陳嬰(ちんえい)という者が、盱眙(うい)の街に兵を駐屯させております。

 まずは彼らと合流し、盱眙(うい)城の要害に陣取って本拠地としましょう。その後に西進して(しん)討伐に出陣すれば、攻めるに敵を打ち破りやすく、退くにも守りやすくなります。これこそ万全の計でござる」

 

 項羽は

「名案だ」

 と、うなずいた。

 

 そして、武信君(ぶしんくん)項梁(こうりょう)にこの作戦を告げ、懐王(かいおう)にも報告したうえで、大軍を率いて盱眙(うい)へと出発したのである。

 

 

   *

 

 

 その道の途中のこと。

 ようやく淮河(わいが)の近くまで来たところで、向こうから、一手の軍勢が現れた。

 

 これを一目見て、

「うっ!?」

 と軍師范増(はんぞう)は息を飲んだ。

 

 常人ならば気にも留めまいが、范増(はんぞう)の目はごまかせない。あの軍勢の様子はただごとではない。

 軍旗の動くところ紅の光が閃き走り、剣戟(けんげき)の煌めくところ紫の気が立ちのぼる……不思議な吉兆(きっちょう)祥瑞(しょうずい)が、軍勢の中からとめどなくあふれ出ているのだ。

 

「あれはただの軍勢ではない! あの中に天運を得た人物がいると見た」

 

 その見立てを証明せんとするかの如く、軍勢の中から、一人の男が馬を(おど)らせて駆けてきた。

 聖王(ぎょう)と同じ、八色の眉。

 聖王(しゅん)と同じ、瞳孔が二つある目。

 鼻柱が高いのは隆準(りゅうせつ)、眉骨が大きいのは龍顔(りゅうがん)といい、いずれも帝王になるべき者の人相。

 さらに、その男の体は、周囲へ堂々たる帝王の気を放ってすらいる。

 

 范増(はんぞう)は思わず(こうべ)を垂れた。

「間違いない、この男だ。彼こそ真の天子となるべき運命の男。

 なんたること……私が()に仕えたのは誤りだった……」

 

 この男に対して、

「誰だ」

 と問えば、

沛公(はいこう)の劉邦だ」

 と答える。

 

 芒蕩山(ぼうとうざん)で白蛇を斬った、あの劉邦である。

 

 妙ななりゆきで(はい)の県令になってしまった劉邦は、その後、(ほう)(むら)の西方で10万もの兵を集めていた。

 そして今、項梁(こうりょう)()の後継者を立てたと聞いて、それに協力すべく、夏侯嬰(かこうえい)樊噲(はんかい)などの部下とともに()せ参じたのである。

 

 武信君(ぶしんくん)項梁(こうりょう)は大いに喜び、劉邦勢とともに淮河(わいが)を渡って盱眙(うい)に入った。

 そこで陳嬰(ちんえい)と合流して都を構え、武信君(ぶしんくん)自身は泗水(しすい)のほとりに出でて、そこへ軍を駐屯させた。

 

 

   *

 

 

 かくして、()の旗のもとに、そうそうたる豪傑たちが集結したのであるが……

 その軍の中に、地味な無名の男が一人、まぎれ込んでいた。

 名を、淮陰(わいいん)の韓信という。

 

 この韓信が「自分を使ってくれ」と願い出てきた時、武信君(ぶしんくん)項梁(こうりょう)は眉をひそめた。韓信はひどく()せて弱々しく、とても戦ができるような男には見えなかったのだ。

 

「頼りない男だ。使い物になるまい」

 と、項梁(こうりょう)は冷たく追い返そうとした。

 

 そこへ范増(はんぞう)が口をはさんだ。

「この男、外見はこんなふうだが、頭の中には深い智謀を秘めているようだ。引き留めて(もち)いてやりなさい。もしこの男をお捨てになるのなら、賢人を求める道を自ら塞ぐことになりましょうぞ」

 

「ふーむ。まあ、軍師がそこまで勧めるなら」

 と、項梁(こうりょう)も一応その意見を受け入れることにした。

 とりあえず韓信に執戟郎官(しつげきろうかん)(王や太守を護る衛兵)の役目を与え、軍内に留めておいたのである。

 

 

   *

 

 

 この韓信という男、いまいちパッとしない逸話がいくつもある。

 

 以前、韓信は淮水(わいすい)下流で魚を釣って暮らしていたのだが、貧乏で、一日中食えない日もあるほどだった。

 

 ある日。いつものように釣り糸を垂らす韓信のそばに、一人の漂母(ひょうぼ)が近づいてきた。

 漂母(ひょうぼ)とは、川で木綿を洗う仕事の女を言う。

 その漂母(ひょうぼ)は、韓信が腹を空かせているのを見て憐れに思い、食事を分け与えてくれたのだった。

 

 韓信は、この親切に感じ入った。

「私がいつか裕福になったら、手厚くご恩返しをしよう」

 

 ところがこの漂母(ひょうぼ)、いささかひねくれ者だったのか、かえって怒りだした。

「バカなことを言うんじゃないよ。いい年をした男が自分で飯の種を稼ぐこともできない。それを憐れんで食事を恵んでやったんだ。恩返しなんか期待してると思うのか!」

 

 手ひどく叱られた韓信は、苦笑しながら、釣った魚を売りに市場へ向かった。

 その途中、力自慢の若者たちが、韓信を馬鹿にして言う。

 

「おい韓信! お前、いつも剣を()いて市場へ来るが、それを何に使うつもりだ?

 もしお前に勇気があるなら、剣を抜いて俺を刺し殺してみろよ。

 刺し殺すことができないなら、俺の股の間をくぐって通れ!」

 

 この侮辱と挑発に対して、韓信は怒るどころか言い返しすらしなかった。迷いなく即座に頭を下げ、股の間をくぐり抜けたのである。

 市場の人はみんな笑って、臆病者だ! と韓信を(あざけ)った。

 

 ところが一人、許負(きょふ)という男だけは、別の見方をしていた。

 許負(きょふ)は人相を見極める技を持っていた。その許負(きょふ)が、そっと韓信に寄って行って話しかけた。

「ちょっと待ちたまえ。君には王侯の相があるぞ。いつかきっと天下の大将軍に就任し、富も権力も思いのままになるだろう」

 

「まさか! 私は今日一日の食事をする金にさえ困っているのだ。富や権力など望むべくもない」

 と、笑いとばした韓信であったが……

 

 

   *

 

 

 この予言は、やがて現実のものとなる。

 

 今はまだ、()に仕えて執戟郎(しつげきろう)ていどの役しかもらえず、不満をおぼえている韓信だったが……

 数年後、彼は漢の国で大将軍に任命され、縦横無尽の活躍を見せることになるのである。

 

 後の世、歴史を知る人々は、口をそろえてこう言った。

 漢が中国を統一できたのは、もっぱら韓信の力のおかげなのだ……と。

 

 

(巻二へ、つづく)

 

 

 

■次回予告■

 

 ついに幕を開けた()(しん)の激戦。項羽のおそるべき強さの前に、百戦錬磨の(しん)軍さえもが薄紙の如く打ち破られる。

 逃げる(しん)軍。追いすがる()軍。しかし危うし、敵もさるもの。(しん)章邯(しょうかん)の鋭い牙が、一人の英雄の喉を捉える――!

 

 次回「龍虎戦記」第七回

 『我が心、砕くるが如し』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 盱眙(うい)は、「通俗漢楚軍談」では、すべて両文字とも日偏になっている。しかし、現代の地名は共に目偏であり、また「日偏に台」という字はそもそも存在しないため、誤記と判断して盱眙(うい)という表記に統一した。
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