龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十の乙 対決! 項羽vs韓信

 

 

 一方、様子見(ようすみ)のため先行していた季布・鍾離昧(しょうりまい)は、漢軍が全く動こうとしないのを見ると、項羽のいる本陣へ帰ってきた。

「漢軍は、城壁に沿()って旗幟(きし)を立て並べ、大将それぞれが陣営を構えてもいます。

 しかし、どこもシンと静まり返り、兵士1人往来(おうらい)する姿さえ見当たりません。

 敵は一体なにを考えているのでしょうか?」

 

 項羽は、報告を聞いて、軽く鼻息を吹いた。

「そんなの決まってる。この俺みずから攻め寄せてくるのを待ってるんだ。

 必勝の陣形を整えて待ち受け、一気に総大将の俺を()ち取るつもりなのさ」

 

 まさしく、その通りであった。

 項羽は、韓信の狙いをピタリと見抜いている。(いくさ)に関しては、さすがの眼力(がんりき)である。

 

 項羽は、腕組みして滎陽(けいよう)城の方角(ほうがく)(にら)んだ。

「さて、そうすると……

 おそらく、俺の軍が十分に接近したところで、敵は合図を出し、攻めかかってくるだろうな。

 

 季布! 鍾離昧(しょうりまい)

 お前たちは、敵の策に対する(そな)えだ。それぞれ後方に陣を張って待機しろ。

 戦況を見ながら臨機応変に動き、味方を救援するんだ」

 

「はっ!」

 

桓楚(かんそ)! 于英(うえい)! 項荘! 虞子期(ぐしき)

 お前たち4人は俺と来い。漢軍を蹴散(けち)らすぞ!」

 

「はっ!」

 

 項羽は、てきぱきと大将たちに下知(げち)を飛ばし、みずから先頭に立って馬を進め、漢軍の陣へ接近していった。

 

 

   *

 

 

 項羽は、漢の陣営が見えるところまで来ると、馬を止めた。

 

 漢軍の方でも項羽の姿を(とら)えたらしい。

 漢の陣門が開き、中から1人の将が進み出てくる。

 他でもない、大元帥韓信である。

 

 韓信は、項羽から十分な距離をおいて馬を止め、大声で呼びかけた。

「覇王よ! 咸陽(かんよう)での一別(いちべつ)以来ですな!

 甲冑(かっちゅう)が邪魔で王侯への礼を尽くせぬことは、ご容赦(ようしゃ)願いたい!」

 

 項羽は、目に怒りの炎をカッと燃やした。

「なにが王侯への礼だ、心にもないこと言いやがって!

 お前からの書簡(しょかん)は読んだぞ! よくも俺を(はずかし)めたな! もう許さん! 貴様の首を取るまでは、一歩も退()くものか!

 さあ、この俺と勝負しろッ!」

 

 項羽は、槍をまっすぐ韓信へ向けると、龍馬(りゅうめ)烏騅(うすい)を駆り立て突撃した。

 たちまち項羽は韓信に肉迫(にくはく)し、嵐の如く槍を突き込む。

 

 対する韓信は、1合も戦おうとせず、項羽の槍をただ払いのけて、東へ一目散(いちもくさん)に逃げ出した。

 

 韓信の背へ、項羽が怒鳴(どな)りつける。

「あっ、コラァ! 股潜(またくぐ)り野郎ッ!

 自分から前へ出てきておいて、戦いもせず逃げるやつがあるか!

 

 者ども、あの股潜(またくぐ)りを逃がすな!

 逆賊(ぎゃくぞく)を殺せ! 俺をバカにしてくれた(うら)みを(そそ)ぐんだ! 俺に続けーっ!」

 

 項羽は、()軍の兵馬を動かし、怒涛(どとう)の勢いで韓信を猛追(もうつい)しはじめた。

 

 そこへ、後方から2騎の騎馬が駆け寄ってきた。

 季布と鍾離昧(しょうりまい)である。

「お待ちください、覇王様!

 韓信が1戦もせずに逃げたのは、我々を誘い込む計略に違いありません。

 

 ひとまず進軍を止め、よく虚実(きょじつ)見極(みきわ)めてから追撃なさるべきです。

 軽々しく進めば、韓信の計略にハメられてしまいます」

 

 季布・鍾離昧(しょうりまい)の進言を、項羽は一笑(いっしょう)()した。

「バカを言うな!

 会稽(かいけい)旗挙(はたあ)げしてからというもの、数百回もの戦いで俺は一度も退(しりぞ)いたことがない。

 その俺が、あんな股潜(またくぐ)り野郎を恐れるとでも思うのか!」

 

 火に油である。

 季布・鍾離昧(しょうりまい)諌言(かんげん)で、かえって項羽はムキになってしまった。

 項羽は、季布・鍾離昧(しょうりまい)をその場に残し、再び韓信を追いはじめた。

 

 

   *

 

 

 それから、しばし……

 項羽は、やっきになって韓信を追い続けた。

 

 だが、どうも様子がおかしい。

 項羽が馬を速めれば、韓信もまた急いで逃げる。それは当然だが……

 項羽が足を緩めると、なぜか韓信も速度を落とすのである。まるで逃げ切りたくないとでも言わんばかりに。

 

 しかし項羽は、韓信の行動の不自然さに気づいていなかった。

「あの股潜(またくぐ)り野郎っ……チョロチョロと逃げ回りやがって!」

 

 追いつけそうで追いつけない、という状況がずっと続き、項羽のイラだちは頂点に達していた。

 そのため、冷静な判断ができなくなっていたのである。

 

 追いつ追われつ、韓信と項羽は、ある川の前までやってきた。

 川の名は京索河(けいさくが)滎陽(けいよう)城の南、(けい)(さく)という2つの土地の間に流れる川である。

 

 その川に、1本の橋がかかっている。

 韓信は、橋を渡って向こう岸に渡ると、橋のたもとで急に馬を止めた。

 そしてあろうことか、地面に槍を立て、のんびりと項羽の方に視線を向けたではないか。

 

 項羽は怒った。

 普通、逃げるなら、おびえながら後ろも見ず必死に逃げ走るものである。(げん)に、今まで項羽から逃げ出そうとした連中は、みんなそうだった。

 だが韓信には、項羽を恐れるそぶりさえない。

 それが項羽は気に入らない。

 

股潜(またくぐ)りめぇっ……バカにしやがって!」

 項羽は腹を立て、韓信を追って橋に駆け込んだ。

 ()軍の将兵たちも、項羽の後に続く。

 

 韓信は、項羽が橋を渡り始めたのを確認してから、再び馬を走らせ逃げ出した。

 

 橋を渡り切った項羽が、韓信の後を追う。

 そうして川から2里(800m)ほど離れた……そのとき。

 

 ()軍の将が、全速力で項羽に追いついてきて、泣き叫ぶような声をあげた。

「覇王様ッ! お待ちください! 橋が!」

 

 項羽が馬を止めた。

「なんだ? 橋がどうした?」

 

 ()軍の将は、青ざめている。

京索河(けいさくが)の橋が、突然崩落(ほうらく)しました!」

 

 項羽が、驚きに目を引きむく。

「なんだと!? 味方の損害は?」

 

 ()将が、首を横に振った。

「川に落ちた者は、ごくわずかですが……

 まだ橋を渡っている途中でしたから、半数ほどの将兵が、川の向こう岸に取り残されたままです」

 

「泳いで渡れないのか?」

「流れが速すぎます! (おぼ)れ死ぬだけですよ!」

 

 項羽は愕然(がくぜん)とした。

「しまったっ……これが韓信の罠か!」

 

 韓信は、橋が崩れるような仕掛(しか)けを(ほどこ)していたに違いない。

 それによって、()軍は川の両岸に分断された。

 それだけではない。項羽の退路まで断たれてしまった。ここで包囲(ほうい)されたら完全に追い詰められることになる。

 

 項羽は、慌てて大声を張り上げた。

「まずいっ! 撤退(てったい)しろ! とにかくこの場から……」

 

 ……離れろ、と、まだ言い終わらないうちに、項羽の四方で鉄砲(てっぽう)轟音(ごうおん)が鳴り響いた。

 

 漢軍だ。

 漢の伏兵が、()軍の前後左右から一斉(いっせい)に飛び出し、数千両の戦車によって突っ込んできた!

 

 戦車から放たれた矢が、さながら雨の如く、あるいは空を埋め尽くす飛蝗(ひこう)(バッタ)の如く、項羽たちの頭上に降り注ぐ!

 

「わあっ!」

 ()の将兵は悲鳴をあげた。

 猛烈(もうれつ)な矢の嵐に、()兵たちは立っていることさえできなくなった。

 

 その中でただ1人、覇王項羽のみが(ひる)まず号令を飛ばし続ける。

「立ち止まるな! 動け、動けーっ!

 一度止まれば二度と動けなくなるぞ! 敵の陣形が重なる前に、敵陣を強行突破して脱出するんだッ!」

 

 さすがの覇王項羽、的確な指示であった。

 漢軍は、戦車部隊で()軍を取り囲み、徐々に包囲(ほうい)(せば)めてきているのだ。

 狭まれば狭まるほど漢軍の陣形は厚くなる。

 ならば、手遅れになる前に、強引にでも突破するしかない。項羽の対応は全く正しい。

 

 だが……

 漢軍の戦車部隊は、まるで鉄壁。あるいは銀でできた山脈のよう。

 ()軍も死力を尽くして戦ったが、攻めても攻めても漢の戦車部隊は揺るがないのである。

 

 突破口を開くこともできぬまま、()兵が次々に()ち取られていく。

 さすがの項羽も(あせ)りはじめた。

「そんな……まさか。

 俺はここで……死ぬのか!?」

 

 と、その時である。

 南方……漢軍の包囲陣の外に、あらたな軍勢が現れた。

 

 ()の大将、季布と鍾離昧(しょうりまい)の軍である。

 

 

   *

 

 

 さきほど、項羽は季布と鍾離昧(しょうりまい)諌言(かんげん)を無視し、韓信を追って行ってしまったが……

 

 取り残された季布と鍾離昧(しょうりまい)は、こう考えた。

「やはり、これは韓信の罠に違いない。

 我々2人で独自の行動を取り、いざというときに覇王様を救出できるよう(そな)えようではないか」

 

 そこで季布と鍾離昧(しょうりまい)は、項羽とは別の道をたどって京索河(けいさくが)の南に回り込み、流れの緩やかな場所を見つけて渡河(とか)しておいたのだ。

 

 そうして項羽のいるであろうあたりへ接近してみれば、はたして、漢の戦車部隊が項羽を取り囲んでいる。

「いかん! お救いせねば!」

 季布と鍾離昧(しょうりまい)は、漢軍の背後へ迫っていった。

 

 これに対応したのは、漢の大将、祖徳だった。

「ん? あれは()の別動隊か!

 項羽を救出するつもりだな? そうはさせんっ!」

 祖徳は、手勢を(ひき)いて季布・鍾離昧(しょうりまい)の前に立ちはだかり、その進軍を止めようとした。

 

 季布・鍾離昧(しょうりまい)が、武器を手に取り、()える。

「どけッ! 邪魔をするな!」

 

 槍を繰り出す季布・鍾離昧(しょうりまい)

 刀を振るって迎え()つ祖徳。

 3頭の馬が入り乱れ、20合ほども打ち合ったところで、季布の一槍(ひとやり)が祖徳を突き殺した。

 

 祖徳が馬から転げ落ちる。

 将を失えば、あとは(もろ)いもの。祖徳の兵は、我先(われさき)にと逃げ散ってしまった。

 

 季布・鍾離昧(しょうりまい)は、そのまま漢軍の背後へ接近していった。

 だが、漢軍はすさまじいまでの数。前後左右すべてを戦車で隙間(すきま)なく固めていて、人が入る余地(よち)さえない。

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、馬を走らせながら歯噛(はが)みした。

「なんという堅固(けんご)な陣形だ。これではとても……」

 

 季布は、鍾離昧(しょうりまい)並走(へいそう)しながら叱咤(しった)する。

「そんなことを言っている場合か!

 我らが(かこ)みを破らなければ、味方は1騎も生き残れまい!

 この(いのち)を捨ててでも、やるんだよ!」

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、うなずいた。

「む……そうだ。貴公の言う通りだ!」

 

 季布・鍾離昧(しょうりまい)は、ふたり槍の穂先(ほさき)(そろ)え、雲の()きたつように群がる漢軍の()ん中へ、(おめ)きながら突入した。

 季布も鍾離昧(しょうりまい)も、竜巻の如く槍を振り回し、当たるを(さいわ)い漢兵たちを斬り捨てていく。

 

 この騒ぎは、包囲の内にいる()兵たちの耳にも届いた。

「味方だ! 援軍が来たぞ!」

 ()軍の士気は、たちまち高揚(こうよう)した。

 内と外で呼応(こおう)して、包囲を破ろうと()(もの)(ぐる)いで斬り進む。

 

 そして……ついに突破口が開けた!

 

 漢軍の包囲陣に、ただ一ヶ所だけ空いた小さな穴。

 この脱出路に、()軍は一気に殺到(さっとう)し、包囲の外へとあふれ出た。

 

 彼らはそのまま季布・鍾離昧(しょうりまい)の軍と合流し、すぐさま南へ向けて逃げはじめた。

 

 

 

(つづく)




●注釈
 今回の戦場について、「漢書・高帝紀上」には『滎陽(けいよう)の南に位置する(けい)(さく)の間で()と戦い、これを破った』と記されている。(けい)(さく)は、いずれも滎陽(けいよう)付近の地名とされる。
 これが「通俗漢楚軍談」および「西漢通俗演義」では脚色され、『京索河』という川が戦場になっている。川を()かした分断策も登場し、緊迫感のある合戦描写がなされている。本編では、例によって「軍談」の記述を尊重した。
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