龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

141 / 197
五十の丙 対決! 項羽vs韓信

 

 

 どうにか包囲から抜け出した()軍だが、その被害は甚大(じんだい)だった。

 

 項羽の旗挙(はたあ)げ直後からの功臣、于英(うえい)は乱戦の中で()たれ……

 その相棒の桓楚(かんそ)もまた、背中に(したた)か矢を受けて、身動きさえとれぬ重傷を()った。

 その他、負傷者、戦死者は数知れず。

 

 項羽は背を丸め、愛馬烏騅(うすい)の首に(ひたい)をこすりつけ、胸中(きょうちゅう)の苦痛に(もだ)え、震えた。

 あまりに激しい歯ぎしりで、奥歯が砕け散ってしまいそうなほどだった。

 

「お……俺のせいだ……

 俺が……股潜(またくぐ)り野郎の奸計(かんけい)にハマったせいで……!」

 

 その時である。

 ()軍の周囲で、またしても鉄砲の音が鳴り響いた。

 漢軍が追いついてきたのだ。

 

 項羽たちの周囲で、次々に漢の大将の旗があがる。

 

 南には陳武(ちんぶ)酈商(れきしょう)

 南東に傅寛(ふかん)傅弼(ふひつ)

 東には李畢(りひつ)洛甲(らくこう)

 南西に靳歙(きんきゅう)盧綰(ろわん)

 西には周勃(しゅうぼつ)周昌(しゅうしょう)

 北西に薛欧(せつおう)陳沛(ちんはい)

 北には紀信(きしん)王陵(おうりょう)

 北東に辛奇(しんき)曹参(そうさん)

 

 漢が(ほこ)(いち)(じゅう)(ろく)将、いずれ劣らぬ豪傑たちが、一斉に項羽へ向けて駆けだした!

 

 おびただしい数の戦車を前面に立て、漢の大軍が殺到してくる。

()賊、早く降参せよ!」

 と、将兵(みな)口々(くちぐち)に叫びかける声が渦巻(うずま)く中で、両軍いりみだれての大混戦が始まった。

 

 覇王項羽は戦った。

 愛馬烏騅(うすい)を駆り立て、槍を振るって、数え切れぬほどの敵と渡り合った。

 

「ウオオオオァーッ!」

 項羽の怒声はさながら雷鳴。項羽の槍はまさに雷光。

 圧倒的に不利な状況に置かれていながら、いや、むしろ窮地(きゅうち)に追い込まれれば追い込まれるほど、項羽の刃はますます()えていくように見える。

 

 項羽は、漢の兵を右へ、左へ、かきわけるように()ぎ倒し、強引に道を作りながら前進していった。

 

 と、その項羽の前に、1人の豪傑が立ちはだかった。

「覇王項羽! この俺と勝負せよ!」

 漢の大将にして韓信の義弟、虎殺しの辛奇(しんき)である。

 

 だが項羽は、

「邪魔だーッ!」

 と神速の槍を繰り出し、あろうことか、辛奇(しんき)をただ一槍(ひとやり)で突き殺してしまった。

 

 これを見て、辛奇(しんき)のそばで戦っていた漢の大将曹参(そうさん)は青ざめた。

「バカな! あの辛奇(しんき)が、こうもあっさりと!?」

 

 辛奇(しんき)は、獰猛(どうもう)な虎を槍で仕留(しと)めたほどの(ごう)の者である。

 それほどの男が、1合さえ戦えぬまま殺されるとは。

 いまさらながら、項羽の強さは信じがたいほどであった。

 

 曹参(そうさん)は大いに驚き恐れ、本陣へと退却していった。

 すると当然、曹参(そうさん)辛奇(しんき)が担当していた北東部分の陣に穴が空く。

 

 項羽は声を張り上げた。

「よし! 北東に脱出路ができたぞ! 進めーっ!」

 

 ()軍が、包囲網の北東から怒涛(どとう)のようにあふれ出ていく。

 

 しかし、それを見逃(みのが)すような韓信ではない。

 後方に(ひか)えていた韓信は、包囲網に穴が空いたと見るや、すぐさま自身の大軍を(ひき)いて穴を埋め、脱出しようとする()軍に攻撃を仕掛(しか)けた。

 その陣立ては、あまりに厚い。とても強行突破はできそうにない。

 

 項羽が、再び歯噛(はが)みした。

「くそっ……ダメか」

 

 そこへ、()の大将季布が駆け寄ってきた。

「覇王様! 北方面は突破できそうにありません。

 いささか遠回りですが、南に渡河(とか)できる所があります。そこから対岸(たいがん)に渡り、本陣に帰還しましょう!」

 

 そして季布は、()軍の将兵を大声で(はげ)ました。

「さあ、お前たち! こんなときに主君のために(いのち)を捨てないで、一体いつ捨てるというのだ!

 南を目指せ! なんとしても包囲を破るんだ!」

 

 季布・鍾離昧(しょうりまい)は、必死の働きで退路を切り(ひら)き、南方の小路へと突き進んでいった。

 その後ろから項羽と、その他の()兵たちも続いて走る。

 

 多大な犠牲を払いながら、()軍はどうにか渡河(とか)に成功。

 そこから北上して、()の本陣を目指した。

 

 もちろん、その間も漢軍による追撃は()()なく続いた。

 四方から漢軍の叫び声が飛んでくる中を、戦い、戦い、戦い抜いて、やっとのことで項羽たちは本陣の近くまで戻ってきた。

 

 だが……

 そのとき、前方から、ボロボロになった()兵が項羽たちのほうへ逃げ走ってきた。

 本陣の守りを任せておいた部隊の兵である。

 

 その兵に、

「どうした! 何があった!?」

 と()いてみれば、

 

「味方の本陣は、すでに漢軍に奪われてしまいました!」

 という絶望的な答え。

 

 ()の将兵たちは、そろいもそろって愕然(がくぜん)とした。

 あの項羽さえもが、全身虚脱(きょだつ)して馬上で放心(ほうしん)するありさまだった。

 

 項羽は、ギリッ……と音を立てて槍を握りしめた。

「味方の生き残りはわずか。誰もが傷つき疲れ果て、ついには本陣まで奪われた。

 もうどうにもならん……

 このまま彭城(ほうじょう)まで帰り、態勢を立て直すしかない」

 

 項羽は、ただ怪物じみて強いだけの男ではない。(すぐ)れた戦術家でもある。

 味方の大損害を見て(くだ)したこの判断は、冷静かつ的確だった。

 

 だが……

 

 そのとき、背後から(とき)の声が聞こえてきた。

 またしても、またしても漢の追手が迫ってきたのである。

 

 敵の姿を目にすると、項羽は表情を一変させ、鬼の形相(ぎょうそう)で絶叫した。

「……股潜(またくぐ)り野郎ォォーッ! また来やがったか!

 いいだろう! この覇王が、貴様と(こころよ)雌雄(しゆう)を決してやる!」

 

 これである。

 気分が落ち着いていれば的確な判断を下せるのに、頭にカーッと血がのぼったとたん、一瞬前の自分の考えすら忘れてしまう。

 これが項羽なのである。

 

 項羽が槍を(かか)げ、怒りのままへ、漢軍の方へ烏騅(うすい)を走らせようとした。

 と、鍾離昧(しょうりまい)が飛び出し、項羽の進路を(ふさ)ぐ。

 

「いけません、覇王様!

 韓信は計を用いること鬼神の如し。百もの計略を次々にくりだしてくる男です。

 味方は大敗した直後で、将兵みな鋭気を失い、誰ひとりとして戦意を(たも)てていません。

 

 兵法(へいほう)にも『敵を(おそ)るる者は(ほろ)ぶ』と言います。

 戦ったところで無駄に兵馬を失うだけ……ここは逃げの一手です!」

 

 だが、鍾離昧(しょうりまい)諌言(かんげん)に、項羽は怒声を返す。

「逃げたい奴は勝手に逃げろ! 俺は……戦う!」

 

 そうこうする間にも、漢軍の兵は増え続けた。

 兵と軍旗は野に満ち、山を(おお)い、太鼓(たいこ)天にやかましく、(とき)の声を地に震わせて、猛然と()軍に押し寄せてきた。

 

 その恐るべき大軍に向かって、

「ウオオオオーッ!」

 項羽は吠えた。駆けた。たった1騎で飛び込んだ。

 

 項羽の槍が右へ左へ、雨あられと繰り出され、漢兵たちが()ぎ倒される。

 すさまじい強さである。信じがたい武勇である。

 圧倒的多数の敵軍を、ものともせずに項羽は暴れ狂う。

 

 だが……そんなことができるのは、項羽だけなのだ。

 項羽配下の()兵たちは、項羽ほどの武技も勇気も持ち合わせていない。

 項羽に従って戦いに身を投じたのは、腹心の大将たちと、兵わずか100騎のみ。残りは漢軍の勢いに気圧(けお)されて、四方八方へ逃亡してしまった。

 

 いかに項羽が強かろうと、たった100騎の兵力では、どうしようもない。

 倒しても倒しても次から次へと襲いかかってくる漢軍に、項羽はみるみる追い詰められていく。

 

 そのとき。

 流れ矢が、ぐさ! と項羽の胸に突き刺さった。

 

「うっ」

 項羽が、うめく。

 

「覇王様ッ!」

 ()将たちが叫ぶ。

 

 だが項羽は、あろうことか、胸に矢が突き立ったまま槍をふるって、さらに数人の漢兵を刺し殺した。

 傷ついてなお少しも(にぶ)らぬ項羽の豪勇に、()将たちは、ほっと胸をなでおろす。

 

 とはいえ、項羽の矢傷は決して軽くない。

 項羽は流血の痛みを胸に感じながら、普段と変わらぬ力強い大音声(だいおんじょう)で、()兵たちに号令を飛ばした。

 

「撤退だ!」

 

 項羽は馬を返し、東へ向けて駆け出した。

 部下の大将も兵士たちも、あわてて項羽の後を追う。

 

 項羽たちは、わずか100騎で懸命(けんめい)に戦い、漢軍の包囲に小さな穴をこじあけると、そこから東へ駆けだした。

 

 

   *

 

 

 それから丸一昼夜(いっちゅうや)、項羽はひたすら東へ走り続けた。

 

 背後には、執念(しゅうねん)深く追ってくる漢の大軍が見えている。

 立ち止まれば、たちまち追いつかれ、今度こそ全滅させられるだろう。

 項羽たちは、食事を取ることも、眠ることもできず、実に200里(80km)以上も走り続けた。

 

 疲労困憊(こんぱい)しているところに、激しい雨まで降り始め、残った最後の体力を、こそぎ取っていく。

 ()兵は、もう心身ともに限界である。

 

 と、そのとき。

 前方の林の中から一手の軍勢が姿を現し、()軍の()く手を(ふさ)いだ。

 

 ()軍の将兵たちは、今度こそ、(せい)(こん)も尽き果てて、その場に、へたりこんだ。

 戦う力など、もう、ひとかけらさえ残っていない。今度こそ、おしまいである。

 

 だが……

 ただひとり、項羽は……笑った。

 この絶体絶命の窮地(きゅうち)にあって、ニヤッ、と、実に(さわ)やかに笑ってみせたのだ。

 

「とうとう追いつかれたか。

 よし。これ以上、見苦(みぐる)しく逃げ回るくらいなら……

 気持ちよく戦って、死のう!」

 

 項羽は、力強く槍を振り上げ、最前列に立って、相手の軍勢を待ち構えた。

 

 そのとき、相手の軍勢の方から、大声が聞こえてきた。

「おーい! そこにいらっしゃるのは、覇王様ではありませんか!?」

 

 そう呼びかけながら近づいくるのは、()の大将、()将軍だった。

 項羽たちの顔に、パッと明るく光が差した。

 前方に現れた軍勢は敵ではなかった。()の援軍3万騎だったのである。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。