龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十の丁 対決! 項羽vs韓信

 

 

 ()将軍は、項羽のそばまで近づいてきた。

「覇王様。戦場ゆえ十分な礼ができぬことをお許しあれ。

 范増(はんぞう)亜父(あふ)(めい)によって、救援に参りました。

 

 ここは臣にお任せを!

 臣が敵を食い止めている間に、どうかお逃げください!」

 

 まさに九死に一生であった。

 項羽は、

「頼む!」

 と、うなずくと、傷ついた手兵を連れて、東へと走り去っていった。

 

 その場に残った()将軍は、迫りくる漢軍を(にら)み、刀を横に構えて馬を走らせた。

「ここから先は、一歩も通さぬぞ!」

 

 ()将軍は漢軍の中に飛び込むや、四方八面の漢兵たちを刀で()ぎ回った。

 同時に()将軍配下の()兵たちも漢軍と正面衝突し、たちまち混戦となった。

 

 そこへ、漢の大将、李畢(りひつ)洛甲(らくこう)が駆けつけてきた。

「貴様、何者だ!?

 あと少しで項羽を()ち取れるというのに、なぜ邪魔をする!」

 

 李畢(りひつ)洛甲(らくこう)は、(ののし)りながら()将軍に斬りかかる。

 

 対する()将軍は、グアッ! と目を怒らせた。

「覇王様を、貴様ら如きに()たせはせぬ!

 この俺、天下に隠れなき()将軍を見知らぬか!」

 

 李畢(りひつ)洛甲(らくこう)、そして()将軍。

 三者雄々(おお)しく激突し、馬を交えて戦うこと20合。

 

 ()将軍が、

「かあっ!」

 と裂帛(れっぱく)の気合いとともに繰り出した剣が、漢将李畢(りひつ)の胸に食い込んだ。

 

 たちまち李畢(りひつ)が馬から(ころ)げ落ちる。

 それを見た洛甲(らくこう)は、慌てて馬を返し、その場から逃げ出した。

 

 しかし、

「逃さぬ!」

 と()将軍が急いで弓を取り、矢をつがえ、よっ()いて、(ひょう)! と放った。

 

 矢は見事、洛甲(らくこう)の背中に命中。

 洛甲(らくこう)は落馬し、息絶(いきた)えた。

 

 ()将軍は、()兵たちに向けて大声で下知(げち)する。

「敵将は()ち取ったぞ! さあ、残る敵兵を蹴散(けち)らせっ!」

 

 ()将軍(ひき)いる()軍は、漢軍へ反撃を開始した。

 

 

   *

 

 

 一方、漢の中軍にいた大元帥韓信の元に、伝令が飛んできた。

()の援軍が到着し、李畢(りひつ)様と洛甲(らくこう)様は()たれてしまいました!」

 

 これを聞いた韓信は、深く後悔して、()め息を()いた。

(いにしえ)より、『窮寇(きゅうこう)は追うことなかれ』という。兵法家(へいほうか)が深く()み嫌う、もっとも基本的な落とし穴だ。

 

 そんなことは百も承知(しょうち)だったはずなのに、つい深追(ふかお)いさせ、あたら2人の大将を死なせてしまった……

 これは私の失策だ」

 

 心から無念そうに首を振ると、韓信は、すぐに追撃の中止を(めい)じたのだった。

 

 

   *

 

 

 漢軍が撤退を始めると、()軍の()将軍も、攻撃をやめて後退した。

 

 漢軍による再攻撃を警戒しながら、ゆるゆると東へ軍を進める。

 やがて夾河(きょうが)という川まできたところで、その(ほとり)に、ひとかたまりの軍勢が陣を張っているのと出くわした。

 

 項羽が、兵を休ませながら敗残兵をまとめていたのである。

 

 ()将軍は、項羽の軍勢と合流すると、馬から降りて項羽に拝謁(はいえつ)した。

「陛下、ご無事で本当にようございました。

 

 陛下が韓信を(あなど)っておられるのを見て、范増(はんぞう)亜父(あふ)は、深く心配なさいまして……

 臣に3万の兵を(さず)け、覇王様を救出するよう(めい)じなさったのです。

 覇王様の威光のおかげで、敵将を2人も()ち取ることができました。あれだけ叩いておけば、追撃の心配は当面ありますまい」

 

 しかし、項羽は、無言であった。

 ()将軍の報告を聞いているのか、いないのか……胡床(こしょう)床几(しょうぎ))に座り込んだまま、ぼんやりと遠くを見ているばかりなのだ。

 

 ()将軍は、やや戸惑(とまど)いながら、言葉を続けた。

范増(はんぞう)亜父(あふ)は、再三(さいさん)に渡って臣を(いまし)めました。『韓信は尋常の(やから)ではない。決して軽く見るな』と。

 それゆえ、漢軍が撤退するのを見て、あえて追撃はせずに戻って参ったのです」

 

 項羽が、ぴくり、と体を震わせた。

「韓信……韓信か。

 

 俺は……旗挙(はたあ)げから数年、何百という(いくさ)(のぞ)んだ。

 戦って勝てなかったことは一度もない。攻めて取れなかったことだって全然ない。

 

 こんな見苦(みぐる)しい目に()うのは初めてだ。

 亜父(あふ)()将軍を差し向けてくれなければ、俺は間違(まちが)いなく()()られていた……あの、韓信に。

 

 ……負けた。

 俺は、負けたんだ」

 

 その場が、しん……と静まりかえった。

 ()将軍、季布、鍾離昧(しょうりまい)……その場に居合(いあ)わせた大将たちは、何も言えずに立ち尽くした。

 

 静かに敗北を認める覇王項羽……こんな姿は見たことがない。

 怒声も発せず、顔面を怒らせもしない。だが、この静けさが、かえって……怖い。

 

 長い沈黙の後、季布が、おそるおそる進み出た。

「……覇王様。今はただ、すみやかに撤退(てったい)いたしましょう。

 この場所は、敵陣から遠くありません。もし漢軍が再び追撃してきたら、どうにもできなくなります」

 

 項羽は……

 項羽は、ゆらり、と立ち上がった。

撤退(てったい)する」

 

「はっ!」

 ()の大将たちは、撤退(てったい)準備のため、大急ぎで散っていった。

 

 項羽は、愛馬烏騅(うすい)に歩み寄り、風のように身軽に烏騅(うすい)の背にまたがった。

 一歩、一歩、ゆっくりと本拠地彭城(ほうじょう)への退路を進み始める烏騅(うすい)。その背の上で、項羽は一人、(こぶし)を握り固める。

 

「……負けた」

 静水の如く穏やかなその声とは裏腹(うらはら)に、項羽の目は、烈火(れっか)の如く燃えていた。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 生涯はじめての敗戦を味わう項羽。この劣勢を挽回(ばんかい)すべく、老軍師范増(はんぞう)が動きだす。

 狙いはかつての漢軍総大将、魏豹(ぎひょう)気位(きぐらい)高いこの貴公子を、おだて、抱き込み、味方につけて、漢軍に打ち込む(くさび)と成す。たちまち巻き起こる新たな(いくさ)。この難局を、韓信はいかに乗り越える?

 

 次回「龍虎戦記」第五十一回

 『奇策、(ぼく)(おう)()

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 項羽の窮地に駆けつけた『()将軍』は、「史記・項羽本紀」「漢書・陳勝項籍伝」などに登場する実在の人物である。しかし本人の列伝は立てられておらず、出身地や生没年はおろか、名さえ不詳。姓が()であること以外は、ほとんど何も分からない。
 「史記・項羽本記」から()将軍についての記述を拾い集めると、以下のようになる。
 ()将軍が初めて登場するのは、項梁(こうりょう)(項羽の叔父)が挙兵した直後。項梁(こうりょう)淮水(わいすい)を渡って北上しているとき、黥布(げいふ)(英布)と()将軍が配下に加わったのだという。(本編第五回)
 項羽が宋義を殺害し、懐王(かいおう)によって大将軍に任命されると、当陽君(英布)と()将軍は項羽の指揮下に入った。(本編第八回)
 その直後の鉅鹿(きょろく)の戦いにおいて、当陽君(英布)と()将軍は2万の兵を(ひき)いて渡河(とか)し、鉅鹿(きょろく)の救援に向かった。しかし戦果は少なかったため、項羽みずからが全軍を(ひき)いて渡河(とか)し、本編でも描かれた破釜(はふ)沈船(ちんせん)のエピソードを経て大暴れすることになる。
 章邯(しょうかん)が趙高によって政治的に追い詰められ()への降伏を検討していた時には、()将軍は項羽の(めい)(しん)軍へ攻撃を仕掛け、これを撃破している。(本編第十一回)
 また、章邯(しょうかん)()に帰服した後、項羽が(しん)兵20万人を生き埋めにしたことがあったが、このとき項羽が生き埋めの実行を(めい)じた相手が黥布(げいふ)(英布)と()将軍である。(本編第十五回)
 このように、一貫して英布とコンビで活動し、一定の活躍をしている様子が見て取れる。任されている仕事の性質や重要性から言っても、英布と並ぶほどの腹心クラスだったのではないかと思える。
 だが、(しん)兵20万生き埋め事件を最後に、()将軍はパッタリと歴史から姿を消してしまうのだ。その後の動向は一切記録されていない。これだけ功績のある人物が、一体なぜ……? このあたりの時期に戦死してしまったのか。項羽の不興を買って失職したのか。あるいはもっと複雑な事情があったのだろうか。真相は歴史の闇の中である。
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