龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十一の甲 奇策、木罌缶

 

 

 韓信との戦いで散々(さんざん)に打ち負けた項羽は、本拠地彭城(ほうじょう)に帰ってきた。

 敗軍を点検してみれば……30万いたはずの兵が、10万足(た)らずしか残っていない。

 実に20万もの兵を失う大敗北であった。

 

 項羽は大いに後悔し、老軍師范増(はんぞう)を呼んだ。

「俺が亜父(あふ)の諌言(かんげん)を聞かなかったせいで、こんなに軍馬を失ってしまった。

 ここから挽回(ばんかい)する策はあるか?」

 

 范増(はんぞう)は、うなずいた。

「ありますとも。

 狙い目は、西魏(せいぎ)王魏豹(ぎひょう)だ。

 

 魏豹(ぎひょう)は、かつて漢軍の総大将を務めましたが、睢水(すいすい)における大敗北の責任を問われ、追放されて、西魏(せいぎ)国の都(みやこ)平陽に帰りました。

 

 私が調べたところでは、この魏豹(ぎひょう)、『漢王に処罰されるのではないか?』と怯(おび)え、身を守るために反乱を企(くわだ)てているようです。

 覇王陛下が使者を送り、利害を説(と)いて諭(さと)しなされば、魏豹(ぎひょう)は必ずこちらに帰服するでしょう。

 

 そうなれば、韓信は、まず平陽の討伐(とうばつ)に向かわざるをえなくなる。

 こうして本拠地が手薄になったところを狙い、覇王陛下が大軍を率(ひき)いて攻め寄せればよいのです。

 韓信さえ引き離してしまえば、漢王を守る者は誰もいない。たちまち滅ぼしてしまえましょう」

 

 項羽は、手のひらを打って、大いに喜んだ。

「ものすごく好(い)いぞ好(い)いぞ!

 西魏(せいぎ)も取れるし劉邦も倒せる。これこそ『一挙(いっきょ)して両(ふたつ)ながら得(え)る』ってやつだな!

 じゃあ、誰を派遣しようか?」

 

 そのとき、尚書(しょうしょ)令(れい)の項伯(項羽の叔父(おじ))が進み出た。

「私の友人で、相士(そうし)(人相(にんそう)見(み)の占い師)の許負という者が平陽に住んでおります。

 魏豹(ぎひょう)は許負の占いをたいへんに信頼していて、大きなことも小さなこともみんな相談し、許負の指示には必ず従うのだそうです。

 

 この許負に私から書簡(しょかん)を送り、魏豹(ぎひょう)を説得させるというのは、いかがでしょうかな?

 魏豹(ぎひょう)が態度を決めかねていたとしても、許負から一言あれば、きっとそれに従うと思われますが」

 

 許負は、相術(そうじゅつ)(人相(にんそう)見(み)の術)の達人として有名な人物である。

 かつて極貧(ごくひん)生活をしていた頃の韓信を見て、「あなたはいつか天下の大将軍になる」と予言した人物でもある。

(第六回参照)

 

 范増(はんぞう)は喜んだ。

「ほう、それはよい。許負の説得があれば、魏豹(ぎひょう)はすぐに漢から離反するだろう」

 

 というわけで、項伯はすぐに書簡(しょかん)を整え、使者に持たせて平陽へ送った。

 

 

   *

 

 

 項伯からの使者は、西魏(せいぎ)国の都(みやこ)、平陽にやってきた。

 平陽において、許負は大変な有名人である。

 そこらで通行人に道を尋(たず)ねると、許負の住まいはすぐに分かった。

 

 使者が許負の館(やかた)を訪(おとず)れると、召使(めしつか)いの小童(しょうどう)が門を守っていた。

 使者は小童(しょうどう)に声をかけた。

「許先生はご在宅かな?」

 

 小童(しょうどう)が答える。

「先生なら、中堂で暇(ひま)してらっしゃいますよ」

 

 使者は言う。

「それはよかった。私は使者です。許先生に、お手紙を届けに参りました」

 

 それを聞くと、小童(しょうどう)は館(やかた)の中へ入っていった。

 しばらくすると、奥の方から声が聞こえてきた。

「入っていただきなさい!」

 

 使者は奥に通され、許負と対面すると、さっそく書簡(しょかん)を手渡した。

 許負は、その文面を見ると、しばし黙って考え込む。

 

「ふーむ……『魏豹(ぎひょう)を説得し、楚に帰順させよ』か……

 覇王項羽の勢力は、はなはだ強い。それに、項伯殿とは日頃(ひごろ)親しくつきあっている。

 引き受けぬわけにも、いくまいなあ……」

 

 

   *

 

 

 許負は、その日のうちに、魏豹(ぎひょう)の宮殿を訪(おとず)れた。

 許負が来たことを門番が知らせると、魏豹(ぎひょう)は喜んで迎え入れた。

 

 礼を交わしてから、魏豹(ぎひょう)が言う。

「御無沙汰(ごぶさた)でしたな、許負先生。

 

 ちょうどよい時に訪(たず)ねてきてくださった。

 実は最近、少し迷っていることがあって、御辺(ごへん)に人相(にんそう)を見てもらってから決断しようと思っていたのですよ。

 

 先生、私の相(そう)はどうです?

 私の氣色(きしょく)(皮膚(ひふ)の上に浮き出る気の色)は、今どんな具合でしょう?

 吉か凶か、ぜひ教えてください」

 

 許負は、にっこりと微笑(ほほえ)み、心の中で思った。

「なんだ、たあいない。もう思い通りになってしまったぞ」

 

 そんな本音は、おくびにも出さないで、許負は尋(たず)ねた。

「西魏(せいぎ)王様、今日は御酒(ごしゅ)を召し上がったかな?

 氣色(きしょく)を見るには、酔っていないほうが都合が良いのですが」

 

 魏豹(ぎひょう)が、うなずく。

「今日は飲んでおりません。

 朝はやく起きてから、ひとり心静かに座っておりました。精神も心も、清(きよ)らかで爽(さわ)やかですよ。

 許負先生、お手数(てすう)ですが、人相(にんそう)を見てください」

 

「よろしい。では……」

 と、許負は魏豹(ぎひょう)を、日光の当たるところへ連れ出した。

 明るく照らされた魏豹(ぎひょう)の人相(にんそう)を、許負は、しばらくじっくりと観察し……

 

「うわっ……これは酷(ひど)い」

 と、心の中で、うめいた。

 

「天倉(てんそう)が白氣(はくき)に侵(おか)され、中正(ちゅうせい)が滞氣(たいき)で雑味を帯びている。

 そのうえ日月(じつげつ)の明るさを欠き、水土(すいど)は位(くらい)を失っている……

 

 なんと不吉な相(そう)だ。顔中(かおじゅう)どこを見ても、良いところが全然ないぞ。

 この分では、魏豹(ぎひょう)も長くなさそうだな……

 

 しかし、正直に見立(みた)てを伝えたら、魏豹(ぎひょう)は保身に走るだろう。漢を裏切って楚(そ)につくような危ない橋は、もう決して渡るまい。

 それでは私は都合が悪い。上は覇王の命(めい)を違(たが)え、下は項伯の友情に背(そむ)くことになってしまう。

 

 ……よし。ここはひとつ、適当なことを言って魏豹(ぎひょう)を喜ばせてやるか」

 

 そこで許負は、大げさに驚くフリをしはじめた。

「おお! 西魏(せいぎ)王様、はなはだ貴(とうと)い相(そう)が出ておりますぞ!

 紅黄(こうおう)の氣(き)が満面に起こり、喜氣(きき)が重々(じゅうじゅう)と浮き上がっております。

 

 これから100日も経(た)たないうちに、西魏(せいぎ)王様のもとへ四方の諸侯が先を争って服従してきて、大業(たいぎょう)は、たちまち成就(じょうじゅ)するでしょう!」

 

 魏豹(ぎひょう)は目を丸くした。

「えっ? 大業(たいぎょう)というと……?」

 

 許負が言う。

「決まっているではありませんか。ただの王爵(おうしゃく)ではありません。

 吉(きち)なる土地にお遷(うつ)りあそばされて、九五(きゅうご)(天子)の位(くらい)に登りつめなさるのですよ!」

 

 これを聞いて、魏豹(ぎひょう)は、ななめならず喜んだ。

「先生、それは本当ですか!

 もし先生の予言が的中したら、きっと重く賞(しょう)しましょうぞ!」

 

 

(つづく)

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