許負は、嘘の人相占いで魏豹を大喜びさせたうえで、さらに、わざとらしくあたりをキョロキョロ見まわしはじめた。
「おや? おやおや? これはまさか……
西魏王様、ちょっと後宮の中を拝見してもよろしいか?
どうも、後宮の方に、最も強烈な旺氣が立ち込めているようなのです」
魏豹は、ソワソワしながら頬を緩めた。
「よいですとも。奥に入って、よくご覧になってください」
許負と魏豹は、連れ立って後宮に入っていった。
後宮には、魏豹の側室の薄姫がいた。
許負は、薄姫を一目見たとたん、大いに驚いた体で地に拝伏した。
「おおおおおーっ、すばらしい!
娘娘(ご婦人)! あなた様の貴さは言葉にもできません!
いずれ、あなた様は天子を産んで、天下の母とおなりあそばすでしょう。私の申すことに間違いはございません!」
これを聞いて、魏豹は、ますます喜んだ。もう、ニヤケっぱなしであった。
「私が貴くなるばかりか、私の妻が天子を産むというのか!
そうか……それが運命なのか!」
魏豹は、許負に、たっぷりと金帛(金や絹などの宝物)を与えて礼をした。
一方の許負は、
「よしよし。ま、こんなところだろう」
と、内心ほくそ笑みながら、去っていったのだった。
*
魏豹は心の中で深く喜び、腹心の大夫周叔を呼んだ。
「周叔よ、私は決心したぞ。
漢王劉邦は、私を総大将として楚を討伐させようとしたが、不幸にも敗れてしまった。
しかし勝負は兵家の常の習いだ。一度負けたとしても、それは総大将の罪ではない。
それなのに、漢王は私を、ひどく罵り辱め、元帥の印章を奪って、さらには左遷しおった。
近ごろ、韓信が運よく楚軍を破ったものだから、漢王は、まわりの連中と一緒になって、いよいよ私の悪口を言い立てているという。
こんな調子では、今後どんな目に遭わされるか、分かったものではない。
そこで……
いい機会だから、漢に背いて、楚に降参しようと思う。
降参といっても、それは見せかけだ。
私の真の目的は、まず漢王を破り、どさくさにまぎれて私が咸陽に都を立てること。
漢、楚、我が魏の三国で、天下を三分するのだ!
周叔よ、急いで準備に取りかかれ!」
周叔は青ざめ、慌てて魏豹を止めた。
「それはいけません、はなはだ良くありません!
漢王は心が広く、器が大きい人物です。漢王の人徳に服従しない者は、この天下に誰もいない、というほどです。
さらに、大元帥の韓信は、鬼神にも予測できない計略の持ち主。
覇王項羽の武勇でさえ、韓信には敵いませんでした。
対する我らは勢力も小さく、孤立していて、武将も兵士も多くはありません。
どう考えても戦いになりませんよ!
今はただ、真心を込めて漢王様にお仕えするのが一番です。
そうすれば、いつかきっと天の助けがありましょう。漢王様も、こちらの誠意を分かってくださるはずです。
西魏王様、あなたは今すでに、座ったままで魏国を治められる、貴い王爵の立場にいらっしゃるのですよ。
『位人臣を極める』とは、このこと。これ以上は高望みというものです!」
だが魏豹は、首を横に振った。
「分かっておらんな、周叔。
物事にはみんな、天の定めた運命というものがある。
天命は私に下った! ゆえに、勢力が強いか弱いかなんてことは問題にならん!
許負が、私の人相を見て、そう言ったのだ。
許負の相術は、今まで一度も間違ったことがない。
周叔、お前はそれを知らんだけだ」
周叔は、ゾッと寒気立った。
心の中で、
「こ、この人は……! 一国の命運を、人相占いひとつに委ねようというのか!?」
と呆れかえりながら、どうにか魏豹を心変わりさせようと言葉を重ねた。
「西魏王様、それは誤りでございます!
天の理を論ずるのは、人事を尽くした後のこと。
一介の相士が妄りに語ったことを真に受けて、軽々しく挙兵などしてごらんなさい。
たちまち身を滅ぼし、家を失うことになりますぞ!
どうか、ご賢察くださいませ!」
周叔の諌言は、理性的で冷静なものだった。
だが魏豹は、許負の予言を信じきっているだけに、周叔の言葉を素直に受け止められなかった。
「……うるさい! 私は挙兵したいんだっ!
なぜお前は、不吉なことばかり言って私の心を乱そうとするんだ?
さては……周叔、貴様、漢と内通して、私を滅ぼそうと企んでいるんじゃあるまいな!?」
これを聞くと、周叔は笑いだした。
「臣は、長く西魏王様から厚恩を蒙ってまいりました。どうして今さら裏切りましょうか!
臣はただ忠義の心から申し上げたまで。
しかし西魏王様は、臣の言葉をお聞き入れなさらなかった。
いつかきっと後悔することになりますぞ!」
こうなっては、売り言葉に買い言葉。
魏豹は激怒し、
「もういい!
おい、誰か周叔を牢に放り込んでおけっ!」
と、部下に命じて周叔を捕らえてしまった。
一番の腹心をみずから排除した魏豹《ぎひょう》は、すぐに周叔抜きで軍の人事を組み直した。
軍師は植長。
総大将は柏直。
騎兵の将は馮敬。
歩兵の将は項它。
これらの将に10万の兵を任せ、平陽の付近の関門を守らせた。
一方、楚に対して使者を送り、降伏を申し出たのだった。
(つづく)