龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十一の丙 奇策、木罌缶

 

 

 魏豹(ぎひょう)寝返(ねがえ)った!

 

 その情報は、すぐさま漢王劉邦の耳にも届いた。

 劉邦は、一報を聞くなり、大笑いしはじめた。

「あっはっは! (ねずみ)1匹謀反(むほん)したところで、どうってことねえよ!

 さっさと討伐(とうばつ)隊を出して、心配事のタネを取りのぞこう」

 

 そこへ、老弁士(べんし)酈生(れきせい)酈食其(れきいき))が進み出た。

「漢王様、お待ちを。

 味方の軍は、つい先日、()と戦ったばかり。

 まだ少しも休息が取れていないのに、また遠く()討伐(とうばつ)に行かせるというのは、兵や民衆を大切にする道とは言えませぬ。

 

 臣は、以前から魏豹(ぎひょう)と深く交友がございます。

 まずは、臣が平陽へ行って利害を説き、謀反(むほん)をやめるように働きかけましょう。

 もし魏豹(ぎひょう)が臣の言葉に従わなかったら、その時は、あらためて兵をさしむけなさいませ」

 

 劉邦は喜んだ。

「確かにそうだな。説得できるなら、それが一番だ。

 もし謀反(むほん)を止められたら、(れき)先生の舌は(あたい)万金。その功績は千の城を奪うのにも匹敵(ひってき)するぞ!」

 

 許可を得た酈生(れきせい)は、すぐに平陽へ向けて出発した。

 

 

   *

 

 

 数日して、酈生(れきせい)西魏(せいぎ)国の(みやこ)平陽に到着した。

 

 魏豹(ぎひょう)は、酈生(れきせい)(たず)ねてきたと聞くと、すぐに宮殿に迎え入れた。

 そして、形ばかりの礼を(ほどこ)すと、皮肉な笑みを浮かべながら言った。

「ああ、故人(旧友)が遠くからやってきた。

 漢が説客(せっかく)として送り込んできたのかな?」

 

 酈生(れきせい)は、心外(しんがい)そうに首を振った。

「それがしが来たのは、計略のためなどではない。

 十年来(じゅうねんらい)の友情のためだ。貴公のためを思って、利害を()きに来たのだ。

 

 従うか従わないかは、貴公の自由。無理強(むりじ)いなどするものか。

 どうしてそんなに疑いなさるのだ」

 

 魏豹(ぎひょう)は、わずかに鼻息を吹いた。

「ふうん。で、利害とは?」

 

 酈生(れきせい)は言う。

「大丈夫(立派な男)たるもの、二心(ふたごころ)を持つべきではない。一度決めたことは後で(くつがえ)すべきではない。

 二心(ふたごころ)がある者は、他人もそうなのではないかと疑心(ぎしん)に駆られてしまい、敗北する。

 物事を(くつがえ)す者は、うっかり軽挙(けいきょ)に出てしまい、失敗して恥をかく。

 

 貴公は、はじめ()に従っていたが、その後、漢に降伏した。

 それなのに、今また心に不平を抱いて、再び謀反(むほん)しようというのか?

 

 物事の是非(ぜひ)を考えてみたまえ。

 かつて貴公が漢に降伏したのが正しかったとすれば、いま()に降伏するのは(あやま)りだろう。

 一方、いま()に降伏するのが正しいとすれば、かつて漢に降伏したのは(あやま)りだったことになる。

 

 これでは、どう転んでも貴公が(あやま)った道を選んだことになってしまうではないか。

 こんなふうに、ひとつところに落ち着かず、物事を(くつがえ)し続けていたら、いつか必ず身を滅ぼすぞ。

 

 さらに、今の情勢を論じてみよう。

 ()は勢力が大きいが、狂暴で(おろ)かだ。

 漢は勢力こそ小さいものの、寛大で知恵がある。

 

 だから愚人(ぐじん)は『()が強い』と言うが、知恵のある人は、最終的に()が滅んで漢が(おこ)ると確信している。

 どちらが(おこ)り、どちらが滅ぶか。どちらが安全で、どちらが危険か。

 論ずるまでもなく自明のことだ。

 

 魏豹(ぎひょう)殿、貴公が漢に仕えたのは、まことによい判断であった。

 それなのに、どうして今また二心(ふたごころ)(いだ)き、万全の漢を捨てて、滅亡の危機にある()に降伏しようなどと考えなさる?

 これは大丈夫のやることではない。

 

 いますぐ兵を収め、ひたすら漢の方についていれば、貴公は安泰(あんたい)だ。

 漢が天下を統一したら、いつまでも富貴(ふうき)を保つことができるのだぞ」

 

 だが魏豹(ぎひょう)は、静かに首を横に振った。

「漢王は、人をバカにして(ののし)る。大変な無礼者だ。あんな男の下にいれば、恥をかかされるばかりだ。

 私の心は、もう動かない! 一人前の男が、どうしていつまでも他人の下に屈していられようか!

 

 たとえ蘇秦(そしん)張儀(ちょうぎ)(ともに高名な弁舌の士)が昼夜にわたって()いたとしても、この決心は(くつがえ)せないぞ。

 (れき)先生、もうこれ以上は、何も言ってくれるな」

 

 

   *

 

 

 魏豹(ぎひょう)の説得は、失敗に終わった。

 酈生(れきせい)は、魏豹(ぎひょう)に別れを告げて滎陽(けいよう)に帰り、事の子細(しさい)を報告した。

 

 話を聞いた劉邦は、酈生(れきせい)(たず)ねた。

「そうか。ま、しかたないな。

 それで、()軍の大将は誰々だ?」

 

 酈生(れきせい)は答える。

「総大将は柏直(はくちょく)

 歩将は項它(こうた)

 騎将は、(しん)の大将だった(ふう)毋択(むたく)の息子で、馮敬(ふうけい)という者だそうで」

 説得には失敗しても、抜け目なく敵軍の人員配置は調査してきている酈生(れきせい)なのだった。

 

 劉邦は、にやり、と笑ってみせた。

柏直(はくちょく)乳臭(ちちくさ)いガキだ。俺の韓信に(かな)うわけがない。

 項它(こうた)は武勇があるそうだが、曹参(そうさん)には勝てまい。

 馮敬(ふうけい)は知恵者だが、灌嬰(かんえい)の相手ができるほどじゃない。

 ま、ぜんぜん心配ないな」

 

 劉邦は、すぐに韓信を呼んだ。

「韓信よ。10万の精兵を(ひき)い、曹参(そうさん)灌嬰(かんえい)と協力して、パパッと()討伐(とうばつ)してきてくれ」

 

 韓信は、うなずいた。

「臣も、ちょうど()討伐(とうばつ)を提案しようと考えていたところでした。

 すぐにも出撃しようと思いますが、ひとつ懸念(けねん)があります。

 

 覇王項羽は、臣が()に遠征したと聞けば、必ず滎陽(けいよう)が手薄になった(すき)を狙って攻め寄せてくるでしょう。

 誰かに項羽を防ぐ役目を任せなければなりませんが……

 

 臣の見たところ、この重要任務を(たく)せる人物は、王陵をおいて他にありません。

 漢王様、ぜひとも王陵に(めい)じて敵を防がせなさいませ。

 そうすれば、きっと無事に乗り切ることができるでしょう」

 

 これを聞くと、劉邦は腕組みをして、うなった。

「うーん……王陵か……

 王陵の能力は認めるが、あいつの母親は、項羽に(とら)われて()の陣にいるんだぞ。

 母親を人質(ひとじち)に取られていては、王陵も力を尽くして戦うことができないんじゃないか?」

 

 韓信は首を振った。

「いえ、ご心配にはおよびません。

 王陵の母親は、賢明かつ貞淑(ていしゅく)な女性。

 彼女が息子をたいへん厳しく教え育てたおかげで、王陵は金属や岩石のように(かた)い意志を持つ男になりました。

 王陵が心変(こころが)わりすることは、万にひとつもありえないでしょう。

 

 王陵を総大将とし、陳平(ちんぺい)を補佐につけ、もし予期せぬ事態が起きた時には張良先生に相談なさいませ。

 これで万全でございます」

 

 劉邦は、大きくうなずいた。

「よし! じゃあ、そうしよう。

 韓信よ、はやく()を平定して、戦勝の報告を聞かせてくれよ!」

 

 

(つづく)

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