龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十一の丁 奇策、木罌缶

 

 

 韓信は、曹参(そうさん)灌嬰(かんえい)とともに、10万の兵を(ひき)いて西に向かった。

 

 西魏(せいぎ)国の(みやこ)平陽は、滎陽(けいよう)から見て北西の方角にある。

 しかし両者の間には、太行(たいこう)山脈・中条(ちゅうじょう)山脈という(けわ)しい山々が横たわっている。

 そのため、平陽へ行くには、いったん西進して関中に入り、山脈を迂回(うかい)しながら黄河を渡り、あらためて北東へ進む必要があるのだ。

 

 韓信たちは、その道順どおりに関中に入り、黄河の岸辺にやってきた。

 ここから川を渡れば、西魏(せいぎ)国の入口にあたる蒲阪(ほはん)の街は、すぐそこである。

 

 しかし、魏豹(ぎひょう)の方も、決して無防備ではなかった。

 黄河の対岸には、すでに西魏(せいぎ)軍が陣を張り、韓信たちの到着を待ち構えていたのである。

 

 韓信は、ひとまず黄河を挟んで西魏(せいぎ)軍と(にら)み合うように陣取ると、大将たちを呼び集めた。

魏豹(ぎひょう)の兵は、(かわ)()こうに陣を張って、防衛の(そな)えをしていたようだ。

 この大河には橋もない。我々が持ってきた舟は、ほんの100(そう)あまり。10万の人馬を渡らせるには、とても足りない。

 

 そこで、私にひとつ計がある。

 木罌(ぼくおう)を作って渡るのだ。灌嬰(かんえい)よ、お前に制作の監督を任せる」

 

 灌嬰(かんえい)は、眉をひそめた。

「と言われても、知らないものは作りようがありませんぞ。

 木罌(ぼくおう)とは一体なんなんです?」

 

「うむ。木罌(ぼくおう)というのは、罌缶(おうふ)(口の小さな(かめ))を縛りあわせて(いかだ)としたものだ。

 このように……」

 と、韓信は絵図を描きはじめた。

 

「2(こく)(約69リットル)入る大きさの罌缶(おうふ)なら、水上で人間1人を支えられる。

 これを5寸(約12cm)の隙間(すきま)をあけて長方形に並べ、縄で縛り合わせる。

 その上に、槍を縦横の格子(こうし)状に()んで置き、さらにその上に(いかだ)や板、あるいは木の枝などを乗せて足場とする。

 これで左右に(さお)をつければ、軍勢や荷物に河を渡らせることが可能だ」

 

 

   *

 

 

 灌嬰(かんえい)は、軍の中から手先の器用な者を集めて、さっそく木罌(ぼくおう)作りに取りかかった。

 韓信が示した絵図面どおり、()を日に継いで作成を急がせ、2日()らずで、たちまち木罌(ぼくおう)は完成した。

 

 木罌(ぼくおう)完成を報告すると、韓信は、そのまま灌嬰(かんえい)(めい)じた。

「よし。では灌嬰(かんえい)御辺(ごへん)は1万の兵を(ひき)い、我々が持ってきた100(そう)の舟に乗って、黄河を渡れ。

 旗をたくさん立て(つら)ね、正面から大軍で攻めかかるように見せかけるのだ。

 そして、西魏(せいぎ)軍の後方が乱れ始めたのを見たら、一気に攻めかかって打ち(やぶ)れ」

 

「はっ!」

 灌嬰(かんえい)は、(めい)を受けて出て行った。

 

 次に韓信は、ひそかに曹参(そうさん)を呼んだ。

「貴公は、精兵2万を従えて大きく北へ回り込み、夏陽(かよう)のあたりで木罌(ぼくおう)によって黄河を渡れ。

 そこから、敵軍の後方にある拠点、安邑(あんゆう)城を襲うのだ。

 その後で、前後両面から挟撃(きょうげき)すれば、魏豹(ぎひょう)を捕らえることができよう」

 

「分かりました。お任せを!」

 曹参(そうさん)は、ひそかに夏陽(かよう)めざして出陣していった。

 

 

   *

 

 

 一方、こちらは黄河の対岸にある西魏(せいぎ)軍の陣。

 奥の幕舎(ばくしゃ)にいた魏豹(ぎひょう)の耳に、(とき)の声と太鼓(たいこ)の音が、けたたましく聞こえてきた。

 

「おっ!? ついに攻めてきたな、韓信め!」

 魏豹(ぎひょう)が外に飛び出てみると、黄河の向こうから、100あまりの舟が迫ってきているではないか。

 おびただしく軍旗を立て(つら)ねた漢軍は、密集すること、まるで雲のようである。

 

 だが、多いとは言っても、ざっと見たところ漢軍の数は1万ていど。あのくらいなら、こちらの戦力でも十分に守りきることができる。

 魏豹(ぎひょう)は、緊張した面持(おもも)ちで声を張り上げた。

「全軍に通達せよ! 四方を固く守れと!」

 

 魏豹(ぎひょう)は不安であった。

 韓信は計略を多用する男。あの程度の数で考えも無しに攻めてくるとは思えない。

 どこかに伏兵でも置いているのではないか? そう考えた魏豹(ぎひょう)は、みずから夜中まで陣中を巡視し、神経を張りつめて敵の動きに(そな)えた。

 

 と、そのとき。

 急報は、思いもよらない所から舞い込んできた。

 

 後方の拠点、安邑(あんゆう)から、早馬が駆けつけたのである。

「漢の曹参(そうさん)安邑(あんゆう)を攻め落としました!

 西魏(せいぎ)王様の一族は、みんな漢軍に捕らえられてしまいました……

 しかも、曹参(そうさん)は勢いにのって、こちらへ押し寄せてきております!」

 

 魏豹(ぎひょう)は顔面蒼白となった。

「なっ、何ィ!?

 バカな! 一体どこから、どうやって渡河(とか)した!?

 ……いや、そんなことより、早く兵を撤退させねば! ここにいたら(はさ)()ちにされるぞ!」

 

 だが、時すでに遅し。

 たちまち到着した曹参(そうさん)の軍勢が、西魏(せいぎ)軍の背後に襲いかかった。

 

 西魏(せいぎ)軍は大混乱に(おちい)った。

 突然のことでまともな対応ができず、将も兵も上へ下へと揉みあっているところに、正面から灌嬰(かんえい)・韓信の軍まで攻めてきたから、たまらない。

 

 西魏(せいぎ)の兵は、ひたすら慌て騒ぐばかりで、防戦しようとする者1人さえいないありさま。

 馮敬(ふうけい)柏直(はくちょく)をはじめ、大将たちも我先にと逃げ出してしまう。

 

 魏豹(ぎひょう)自身も、あっというまに手勢を()ち取られていき、進退(きわ)まった末、北の臨晋(りんしん)をめざして逃走しはじめた。

 

 だが、韓信は当然のように、この動きを読んでいた。

 退路に待ち構えていた灌嬰(かんえい)曹参(そうさん)の兵が、魏豹(ぎひょう)の姿を見るなり、隙間(すきま)もなく取り囲んだのだ。

 

 漢軍が雄叫(おたけ)びをあげて攻めかかる。

 西魏(せいぎ)の兵は、ついに1騎も残らず()ち尽くされた。

 

「あ……! あ……!」

 魏豹(ぎひょう)は、みるみるうちに削り取られていく自分の兵を(なが)めながら、ひたすら馬上で身を縮め、恐れ、(おのの)き、ブツブツと(つぶや)き続けた。

「どうすればいい……? どうすればいい……?」

 

 もう、どうにもなりはしない。

 灌嬰(かんえい)曹参(そうさん)が両側から駆け寄り、あっというまに魏豹(ぎひょう)を縛り上げてしまったのだった。

 

 

   *

 

 

 魏豹(ぎひょう)が縛られてくると、韓信は、珍しく声を荒げて(しか)りつけた。

「漢王様は、汝を総大将として()討伐(とうばつ)(めい)じなさった!

 だが汝は、酒色に(おぼ)れてロクに仕事もせず、30万以上の軍勢を死なせた!

 

 だが、お優しい漢王様は汝の罪を問わず、ただ大元帥の印章を没収するだけで済ませてくださった。

 あれほどの失態を演じていながら、王爵(おうしゃく)の地位を失わずに済んだのだぞ!

 

 本来なら汝は、この御恩(ごおん)に感激し、忠誠心を(はげ)まして働き、罪を(つぐな)うべきところだ。

 それなのに、人相(にんそう)占いなどに軽々しく踊らされ、あろうことか謀反(むほん)(くわだ)てるとは!

 

 今すぐこの場で首を()ねてやりたい気分だが、それでも汝は一国の王だ。

 私の独断で処罰するわけにはいかない。漢王様にお(うかが)いを立ててから罪を正してやる!」

 

 かくして、魏豹(ぎひょう)檻車(かんしゃ)に閉じ込められてしまった。

 

 戦後の処理が一通り済むと、韓信は(みやこ)平陽に入城した。

 韓信は、治安の維持に努めて平陽の民を安心させる一方、(ろう)の中から1人の囚人(しゅうじん)を助け出した。

 

 先日まで魏豹(ぎひょう)の腹心であった男……大夫(たいふ)周叔(しゅうしゅく)である。

 

 魏豹(ぎひょう)謀反(むほん)を最後まで止めようとして、ついに(ろう)に入れられてしまった周叔(しゅうしゅく)

 彼はもともと西魏(せいぎ)国の重鎮(じゅうちん)であったうえに、漢に対して好意的である。

 魏豹(ぎひょう)を排除した後の西魏(せいぎ)国を治めるのに、これ以上の適任者はいない。

 

 かくして韓信は、周叔(しゅうしゅく)西魏(せいぎ)の政治を任せ、国内の安定を(はか)ったのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 韓信不在の滎陽(けいよう)へ、たちまち攻め来る()の軍勢。覇王の脅威を防ぐべく漢の猛将が立ち向かう。

 その名は王陵。項羽さえ唸らす彼の武勇が、皮肉にも卑劣な陰謀の端緒となった。戦場(いくさば)へ引きずりだされる一人の老女。母は、ああ、悲しくも峻烈なる母は――そのとき。

 

 次回「龍虎戦記」第五十二回

 『どうか、我が子に』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 木罌缶(ぼくおうふ)の計は、「史記・淮陰候列伝」などに記述の残る実際の戦術である。史実においても韓信は木罌(ぼくおう)で黄河を渡り、魏豹(ぎひょう)討伐(とうばつ)を果たした。
 さて、本文において韓信が「2(こく)(約69リットル)入る大きさの罌缶(おうふ)なら、水上で人間1人を支えられる」と説明している。この点を簡単に検証してみよう。
 厳密には塩分濃度や気温・気圧にも影響されるのだが、水の浮力は1リットルあたりおおむね1kgぶんの重力に等しいと見てよい。69リットルなら最大69kg。平均体重を仮に60kgとすれば、たしかに人間1人くらいは支えられる計算になる。
 衣服、装備品、木罌(ぼくおう)そのものの重さなども考えれば、もう少し積載量に余裕を持たせる必要はありそうだが、かなり現実的な説明と言えそうである。
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