韓信は、曹参・灌嬰とともに、10万の兵を率いて西に向かった。
西魏国の都平陽は、滎陽から見て北西の方角にある。
しかし両者の間には、太行山脈・中条山脈という険しい山々が横たわっている。
そのため、平陽へ行くには、いったん西進して関中に入り、山脈を迂回しながら黄河を渡り、あらためて北東へ進む必要があるのだ。
韓信たちは、その道順どおりに関中に入り、黄河の岸辺にやってきた。
ここから川を渡れば、西魏国の入口にあたる蒲阪の街は、すぐそこである。
しかし、魏豹の方も、決して無防備ではなかった。
黄河の対岸には、すでに西魏軍が陣を張り、韓信たちの到着を待ち構えていたのである。
韓信は、ひとまず黄河を挟んで西魏軍と睨み合うように陣取ると、大将たちを呼び集めた。
「魏豹の兵は、河向こうに陣を張って、防衛の備えをしていたようだ。
この大河には橋もない。我々が持ってきた舟は、ほんの100艘あまり。10万の人馬を渡らせるには、とても足りない。
そこで、私にひとつ計がある。
木罌を作って渡るのだ。灌嬰よ、お前に制作の監督を任せる」
灌嬰は、眉をひそめた。
「と言われても、知らないものは作りようがありませんぞ。
木罌とは一体なんなんです?」
「うむ。木罌というのは、罌缶(口の小さな瓶)を縛りあわせて筏としたものだ。
このように……」
と、韓信は絵図を描きはじめた。
「2石(約69リットル)入る大きさの罌缶なら、水上で人間1人を支えられる。
これを5寸(約12cm)の隙間をあけて長方形に並べ、縄で縛り合わせる。
その上に、槍を縦横の格子状に編んで置き、さらにその上に筏や板、あるいは木の枝などを乗せて足場とする。
これで左右に棹をつければ、軍勢や荷物に河を渡らせることが可能だ」
*
灌嬰は、軍の中から手先の器用な者を集めて、さっそく木罌作りに取りかかった。
韓信が示した絵図面どおり、夜を日に継いで作成を急がせ、2日足らずで、たちまち木罌は完成した。
木罌完成を報告すると、韓信は、そのまま灌嬰に命じた。
「よし。では灌嬰、御辺は1万の兵を率い、我々が持ってきた100艘の舟に乗って、黄河を渡れ。
旗をたくさん立て連ね、正面から大軍で攻めかかるように見せかけるのだ。
そして、西魏軍の後方が乱れ始めたのを見たら、一気に攻めかかって打ち破れ」
「はっ!」
灌嬰は、命を受けて出て行った。
次に韓信は、ひそかに曹参を呼んだ。
「貴公は、精兵2万を従えて大きく北へ回り込み、夏陽のあたりで木罌によって黄河を渡れ。
そこから、敵軍の後方にある拠点、安邑城を襲うのだ。
その後で、前後両面から挟撃すれば、魏豹を捕らえることができよう」
「分かりました。お任せを!」
曹参は、ひそかに夏陽めざして出陣していった。
*
一方、こちらは黄河の対岸にある西魏軍の陣。
奥の幕舎にいた魏豹の耳に、鬨の声と太鼓の音が、けたたましく聞こえてきた。
「おっ!? ついに攻めてきたな、韓信め!」
魏豹が外に飛び出てみると、黄河の向こうから、100あまりの舟が迫ってきているではないか。
おびただしく軍旗を立て連ねた漢軍は、密集すること、まるで雲のようである。
だが、多いとは言っても、ざっと見たところ漢軍の数は1万ていど。あのくらいなら、こちらの戦力でも十分に守りきることができる。
魏豹は、緊張した面持ちで声を張り上げた。
「全軍に通達せよ! 四方を固く守れと!」
魏豹は不安であった。
韓信は計略を多用する男。あの程度の数で考えも無しに攻めてくるとは思えない。
どこかに伏兵でも置いているのではないか? そう考えた魏豹は、みずから夜中まで陣中を巡視し、神経を張りつめて敵の動きに備えた。
と、そのとき。
急報は、思いもよらない所から舞い込んできた。
後方の拠点、安邑から、早馬が駆けつけたのである。
「漢の曹参が安邑を攻め落としました!
西魏王様の一族は、みんな漢軍に捕らえられてしまいました……
しかも、曹参は勢いにのって、こちらへ押し寄せてきております!」
魏豹は顔面蒼白となった。
「なっ、何ィ!?
バカな! 一体どこから、どうやって渡河した!?
……いや、そんなことより、早く兵を撤退させねば! ここにいたら挟み撃ちにされるぞ!」
だが、時すでに遅し。
たちまち到着した曹参の軍勢が、西魏軍の背後に襲いかかった。
西魏軍は大混乱に陥った。
突然のことでまともな対応ができず、将も兵も上へ下へと揉みあっているところに、正面から灌嬰・韓信の軍まで攻めてきたから、たまらない。
西魏の兵は、ひたすら慌て騒ぐばかりで、防戦しようとする者1人さえいないありさま。
馮敬・柏直をはじめ、大将たちも我先にと逃げ出してしまう。
魏豹自身も、あっというまに手勢を討ち取られていき、進退窮まった末、北の臨晋をめざして逃走しはじめた。
だが、韓信は当然のように、この動きを読んでいた。
退路に待ち構えていた灌嬰・曹参の兵が、魏豹の姿を見るなり、隙間もなく取り囲んだのだ。
漢軍が雄叫びをあげて攻めかかる。
西魏の兵は、ついに1騎も残らず討ち尽くされた。
「あ……! あ……!」
魏豹は、みるみるうちに削り取られていく自分の兵を眺めながら、ひたすら馬上で身を縮め、恐れ、慄き、ブツブツと呟き続けた。
「どうすればいい……? どうすればいい……?」
もう、どうにもなりはしない。
灌嬰・曹参が両側から駆け寄り、あっというまに魏豹を縛り上げてしまったのだった。
*
魏豹が縛られてくると、韓信は、珍しく声を荒げて叱りつけた。
「漢王様は、汝を総大将として楚の討伐を命じなさった!
だが汝は、酒色に溺れてロクに仕事もせず、30万以上の軍勢を死なせた!
だが、お優しい漢王様は汝の罪を問わず、ただ大元帥の印章を没収するだけで済ませてくださった。
あれほどの失態を演じていながら、王爵の地位を失わずに済んだのだぞ!
本来なら汝は、この御恩に感激し、忠誠心を励まして働き、罪を償うべきところだ。
それなのに、人相占いなどに軽々しく踊らされ、あろうことか謀反を企てるとは!
今すぐこの場で首を刎ねてやりたい気分だが、それでも汝は一国の王だ。
私の独断で処罰するわけにはいかない。漢王様にお伺いを立ててから罪を正してやる!」
かくして、魏豹は檻車に閉じ込められてしまった。
戦後の処理が一通り済むと、韓信は都平陽に入城した。
韓信は、治安の維持に努めて平陽の民を安心させる一方、牢の中から1人の囚人を助け出した。
先日まで魏豹の腹心であった男……大夫周叔である。
魏豹の謀反を最後まで止めようとして、ついに牢に入れられてしまった周叔。
彼はもともと西魏国の重鎮であったうえに、漢に対して好意的である。
魏豹を排除した後の西魏国を治めるのに、これ以上の適任者はいない。
かくして韓信は、周叔に西魏の政治を任せ、国内の安定を図ったのだった。
(つづく)
■次回予告■
韓信不在の滎陽へ、たちまち攻め来る楚の軍勢。覇王の脅威を防ぐべく漢の猛将が立ち向かう。
その名は王陵。項羽さえ唸らす彼の武勇が、皮肉にも卑劣な陰謀の端緒となった。戦場へ引きずりだされる一人の老女。母は、ああ、悲しくも峻烈なる母は――そのとき。
次回「龍虎戦記」第五十二回
『どうか、我が子に』
乞う、ご期待!