龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十二の丙 どうか、我が子に

 

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は、使者として()軍の陣に行くと、覇王項羽に謁見(えっけん)を求めた。

 

 項羽はすぐに叔孫通(しゅくそんとう)と対面し、こう切り出した。

「王陵は、()(はい)県出身だそうだな。

 それなのに俺に仕えず、劉邦なんかを助けて悪いことばかりしていやがる。

 

 今、この陣中に王陵の老母を捕らえてある。

 もし王陵がすぐに降参するなら、母子ともに安全は保証するし、一緒にいられるように取り(はか)らってやろう。

 

 だが、もしこれ以上グズグズするようなら、母親を斬り殺し、王陵を一万代先まで悪名(あくみょう)(とどろ)く親不孝者にしてやるぞ」

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は、あくまで丁重(ていちょう)に願い出る。

「そのことなのですが、王陵は、本当に御老母(ごろうぼ)がこの陣にいるかどうか怪しんでおります。

 どうか、少しだけ王陵の母と会わせていただけませんか? 私が証拠を持って帰れば、王陵も信じるでしょうから」

 

 項羽は、うなずいた。

「なるほど、そりゃそうだな。

 おい、誰か。王陵の母親を引っ張り出してこい」

 

 項羽が(めい)じると、(つるぎ)()びた武士たちが、王陵の母を連れてきて、むりやり項羽の前にひざまずかせた。

 (よわい)70を超える老女に対して、あまりにも手荒な扱いである。

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は胸を痛めながら、王陵の母に、そっと話しかけた。

「ご婦人、あなたが王陵将軍のお母上で?」

 

 王陵の母は、とまどいながら、うなずく。

「そうですが……あなた様は、どなたです?」

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は、優しく微笑(ほほえ)んだ。

「私は漢王からの使者、叔孫通(しゅくそんとう)でございます。

 

 王陵将軍は、御老母(ごろうぼ)が苦しみを受けておられると耳にして、()に降伏したいと考えています。

 しかし、本当に御老母(ごろうぼ)()陣にいらっしゃるかどうかが疑わしい。

 そこで私が漢王の(めい)を受け、真偽を確かめるためにやってきたのです。

 

 御老母(ごろうぼ)、王陵へ直筆(じきひつ)の手紙を書いていただけませんか?

 それを王陵に届け、あなたが本当にここにおられると伝えましょう。

 そうすれば、きっと王陵は、御老母(ごろうぼ)を助けに来てくれるはずです」

 

 だが……

 これを聞くと、王陵の母は、急に声を(はげ)まして叫び始めた。

「なんてことをおっしゃるのです!

 漢王様は心が広く、仁義があり、度量の大きい(まこと)の長者(徳のある人)!

 やがては天下蒼生(そうせい)(万民)の父母となりなさるお方でしょう?

 

 我が子の王陵が漢王様にお仕えしていると聞いて、私は、本当に良い(あるじ)を得たと喜んでおりました。

 あの子が漢王様に忠義を尽くし、すばらしい功績を立て、未来一万代に至るまで偉大なる漢の名臣と(たた)えられるようになってくれたなら……たとえ私が死んだとしても名は残る。生き続けているも同然です。

 

 それを……私などのために二心(ふたごころ)を抱き、逆賊に下って桀王(けつおう)紂王(ちゅうおう)(ともに伝説的悪王)が如き(やから)を助けてよいものですか!

 

 御辺(ごへん)、お願いでございます。

 どうか、あの子に……

 漢の陣にお帰りになったら、今の話を、あの子によくよく語り伝えてくださいまし」

 

 そこまで一気にまくしたてると、王陵の母は、老人とは思えぬすばやい動きで、そばにいた武士に駆け寄った。

 そして武士の()びていた剣を抜き取り、あっというまに(おのれ)の首を切り裂いて自害してしまった。

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は、

「あっ!」

 と叫んで飛びかかり、王陵の母を止めようとした。

 

 だが、全ては遅すぎた。

 叔孫通(しゅくそんとう)が駆け寄ったときには、もう王陵の母の首は、地に落ちた後だったのである。

 

 予想だにしない出来事(できごと)に、その場の全員が呆気(あっけ)に取られた。

 まさか、70歳を超える老婆が、息子の足手まといとならないために、こうも(いさぎよ)く死を選ぶとは……

 

 なんと悲しく、なんと鮮烈な死であろう。

 まさに烈女と呼ぶにふさわしい。

 ()将たちは胸を打たれ、口々に王陵の母を賞賛(しょうさん)しはじめた。

 それからしばらく、ざわめきが収まらないほどであった。

 

 しかし、その中にただ一人、まったく別の感想を抱いている者がいた。

 覇王項羽である。

 

「こ……んのクソババア!!

 なんでこんなにバカなんだ!!

 おい! 早くその死体を微塵(みじん)に斬り刻んで、見せしめにしてしまえ!!」

 

「えっ!?」

 誰もが耳を疑った。叔孫通(しゅくそんとう)が青ざめた。()の大将たちまで一緒になって顔色を変えた。

 いくらなんでも、『死体を斬り刻め』とは!

 

 ()将の季布が、大慌てで項羽の前に拝伏して(いさ)める。

「いけません!

 いえ、その……確かにこの老女の罪は許しがたいものですが、死体を傷つけるというのは、ちょっと……

 それよりも……そう、むしろ亡骸(なきがら)を丁重に扱い、故郷の(はい)県に送って、きちんと埋葬(まいそう)してやってはいかがでしょう?

 

 父母の墓というのは人間の根本。草木にとっての根、水にとっての水源のようなもの。

 特に王陵は有名な孝行者です。こちらから(べん)の立つ者を(つか)わして説得すれば、きっと心を動かされ、母の葬礼を行うために()へ降伏してくるでしょう。

 

 逆に、もし母親の死体を傷つけたりしようものなら、王陵は心に深く傷を負い、ますます()(うら)んで、これまで以上に力を尽くして漢を助けるようになります。

 そしていつか、母の(かたき)()つために、(いのち)を捨てて攻めてくるはず……

 そうなれば、防ぐことは困難です」

 

 項羽は、深く溜め息をついた。

 自分自身の中で暴れ狂う怒りを、どうにか(おさ)えこもうとしているようだった。

「ふーっ……

 そうだな……うん。そうかもしれん。

 じゃあ、王陵の母の(しかばね)は、(はい)県に送って、丁寧(ていねい)に埋葬してやれ」

 

 そして項羽は、叔孫通(しゅくそんとう)に目を向けた。

「おい、お前。

 滎陽(けいよう)に帰ったら、劉邦と王陵に伝えろ。

 早く降伏するなら、それでよし。さもなくば、たちまち滎陽(けいよう)城を打ち(やぶ)って、お前ら2人とも首を()ねてやるぞ……とな」

 

 ここで叔孫通(しゅくそんとう)は、突然、()びるような微笑(びしょう)を浮かべ、項羽に半歩すり寄った。

「覇王様、臣から陛下にお願いがございます。

 

 漢王劉邦は、とんでもない無礼者で、いつも賢人を好き勝手に(ののし)るのです。

 臣は、それが我慢ならず……前々から覇王様にお仕えしたいと願っておりました。

 

 実は、今日こちらへ参上したのも、王陵のためというより、任務にかこつけて覇王様に帰服を願い出るためだったのです。

 

 同様に、王陵も覇王様をお(した)いしております。

 そこで……

 臣が漢軍の城に戻りましたら、王陵と相談し、2人一緒に覇王様のもとへ降伏して来ようと思うのですが、いかかでしょうか?」

 

 項羽は目を丸くした。

「あっ、そうだったのか?

 ふーん。俺に味方するというなら、まず漢軍の内情を教えろ。劉邦のところには、今、大将や兵士がどのくらいいる?」

 

 叔孫通(しゅくそんとう)が、立て板に水を流すように、すらすらと答える。

「はい、現在滎陽(けいよう)城におりますのは、兵士の数20万あまり。大将は6、70人。

 (たくわ)えていた(あわ)も最近(くら)から出しはじめたばかり。まだまだ兵糧(ひょうろう)はたっぷりございます。

 

 それなのに城外へ出て戦おうとしないのは、深い(たくら)みがあってのこと。

 実は……大元帥韓信が、すでに魏豹(ぎひょう)討伐(とうばう)を終えましたので、そこから直接彭城(ほうじょう)に軍を向けたのです。

 

 覇王様がいない間に彭城(ほうじょう)を落とし、劉邦の父太公(たいこう)や妻の呂后を奪い返し、その勢いのまま代州・(えん)(せい)などの周辺国家を(やぶ)る作戦です。

 そうやって覇王様の逃げ道を完全に(ふさ)いでから、ゆっくり追いつめるという計画で……

 

 だから漢軍は、のんびりと時間を過ごしながら、韓信を待っているのです。

 もし韓信の大軍が背後に回り、滎陽(けいよう)の兵と呼応して(はさ)()ちしてきたら、覇王様は窮地(きゅうち)(おちい)ります。

 なにとぞ、お早く対策を打たれますよう……」

 

 項羽は、眉間(みけん)にシワを寄せた。

 韓信が、()の本拠地彭城(ほうじょう)を狙っている……これは非常にまずい。

 今、彭城(ほうじょう)は手薄になっている。韓信(ひき)いる精鋭部隊に攻撃されたら、とても防ぎきれまい。

 

 項羽は、内心の焦りを押し隠しながら(たず)ねた。

叔孫通(しゅくそんとう)よ。お前が滎陽(けいよう)城に戻ったとして、それから何日で王陵を連れて降伏してこれる?」

 

 叔孫通(しゅくそんとう)が答える。

「日時のお約束は難しゅうございます。周囲に怪しまれたら、それでおしまいですから……

 漢軍の警備に(すき)を見つけたら、すぐに出てこようと思います。

 覇王様は、彭城(ほうじょう)の守りを一刻(いっこく)も早く固めてくださいませ」

 

 

(つづく)

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