その日、秦の都咸陽に、風雲急を告げる一報が飛び込んできた。
『楚において反乱発生!
項梁が懐王を立て、盱眙に都を置いた。劉邦、陳嬰らの勢力と合流し、威風を振るって秦への侵攻をもくろんでいる!』
この事態に、冷や汗を浮かべた男が一人いる。
宦官の趙高である。
ご記憶であろうか。
かつて始皇帝の遺詔を改竄し、太子扶蘇を謀殺した趙高。
彼はその後、丞相の位に登りつめ、秦を思うがままに動かすまでになっていたのだった。
趙高は、すぐに大将軍章邯を呼び出した。
「近ごろ、盗賊どもが諸国で蜂起して略奪を行い、人々を悩ませておりますねぇ。
まあ大したことはないだろう、と思って今まで放っておいたのですが……
どうやら、楚の大将の項梁という輩が、盱眙に駐屯して各地の勢力をまとめあげ、勢いに乗って攻めのぼってこようとしているようです。急を告げる早馬が次から次へと駆け込んできて、とぎれる暇もないほどですよ。
征伐に手間どれば、とんでもない大事になってしまいます。
というわけで章邯さん。すみやかに行って、皆殺しにしてきてくださいな」
章邯は言った。
「それがしも、皇帝陛下の許しをいただいて出陣しようと考えていたところです。
古より『兵は神速を貴ぶ』と申す。早々に出発して戦勝を報告して進ぜよう」
*
章邯は、司馬欣、董翳、そして李斯の嫡子の李由、という猛将3名を伴い、30万の軍勢を引き連れて函谷関(秦の入口にあたる要害)より出陣した。
彼らの相手は、楚の項梁だけではない。
項梁出陣の噂を聞き、六国王家の子孫たちがそれぞれの国で次々に蜂起していたのである。
始皇帝が中国統一を果たす以前の春秋・戦国時代、大陸には無数の小国家が乱立していた。長年にわたる戦乱でそれらの国家は併呑や分裂を繰り返しながら、最終的に七つの大国に集約された。
それが「戦国七雄」――秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓の七国である。
秦による侵略で他の六国は全て滅びたが、今、その子孫たちが故国再興のために立ちあがったのだ。となれば、六国ことごとく秦の敵に回ったとみてよいだろう。
そこで章邯は考えた。
「まずは近場の魏国から平定するか。楚を討つのはその後だ」
秦の大軍は、魏の国境へ押し寄せていった。
このとき魏王の位についていたのは、魏咎という男である。
彼は魏王家の公子で、陳渉が蜂起するとその軍へ参加。陳渉軍が魏の旧領を奪い返した後、その王として立てられていたのだった。
いちおう王位についていたとはいえ、魏王咎の手兵は小勢であった。章邯率いる秦の大軍相手では、正面きって戦うことなど到底不可能だ。
そこで魏王咎は、要害に兵を配置して固く守り、その間に斉と楚の両国へ救援を求めた。
斉の王は田儋。これまた陳渉の反乱で王位についた、旧王家の末裔である。
すぐに田儋は兵を率いて出陣した。魏が敗れれば、次に狙われるのは斉か楚だ。この危機は決して他人事ではない。
楚の懐王にとってもそれは同じ。懐王は武信君項梁と話し合い、まずは大将項明に3万騎あまりの軍勢を預けて魏救援に向かわせることとした。
*
秦軍を率いる章邯は、斉楚両国の救援が来たのを睨み、すぐさま命じた。
「司馬欣、斉を防げ。
董翳、楚を防げ。
わしは後陣を率いてお前たちに続く」
斉王田儋が、兵を進めて近づいてくる。
対する司馬欣は、左右の山間に伏兵を置いたうえで、自身は千余騎を率いて応戦した。
斉の兵は、司馬欣の部隊が小勢なのを見て侮り傲り、勇んで前進した。
一方の司馬欣は、負けたフリをして逃げ走りつつ、敵の足に疲労を蓄積させていく……
と。
にわかに司馬欣が反転した。
時を同じくして、両側の伏兵たちが金鼓を鳴らして立ち上がる。
伏兵の放った矢が、雨よりも密に斉軍へと降り注いだ。
「しまった! 誘い込まれたか!」
斉王は驚き、すぐさま退却しようとした。
だが時すでに遅し。
斉王は、流れ矢に当たって落馬したところを、猛進してきた司馬欣によって斬り捨てられた。
王を失った斉軍は、たちまち散り散りに崩壊してしまった。
*
一方そのころ、楚の大将項明もまた、魏を救おうと接近していた。
秦の大将董翳は、道の途中まで出て待ち受け、楚軍に戦いを挑んだ。
しかしこのとき、秦兵は遠路はるばる行軍してきたばかりで、深く疲労していた。
もうひとつ士気が奮わないまま戦いは長時間におよび、疲れ果てた秦軍は、散々に駆け破られて30里(約12km)も後退した。
これを見た楚の項明が、勝ちの勢いに乗って追撃をしかける。
そのときである。突如、秦の後陣の大軍を引き連れ、総大将章邯が打って出た。
将軍李由を先頭にして突っ込み、まずは董翳を救出。そのまま楚軍へと怒涛の勢いで攻め寄せた。
一日一夜戦い続けて、楚軍の疲労は頂点に達していたところであった。それを無傷の新手に突かれては、ひとたまりもない。
たちまち楚軍は揉み潰され、大将項明も李由に斬り殺された。
楚の3万余騎はほんの少数を残して壊滅し、右往左往に散乱してしまった。
秦軍はますます勝ち誇り、潮の満ちるように魏国へ攻め寄せた。
救援部隊が敗れたと聞いて、魏王咎は愕然とした。
「この城は孤立してしまった! とても守りきれない!」
魏王咎は、城の西門から脱出し、楚国へ向けて逃走していった。
かくしてあっさりと魏を平定した章邯は、東阿という所に陣を構えたのだった。
(つづく)