龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十二の丁 どうか、我が子に

 

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は、覇王項羽に降伏したいと申し出た。

 

 が、その言葉は一から十まで嘘八百であった。

 叔孫通(しゅくそんとう)は、この機会を利用して項羽を(だま)す計略を思いつき、その場でとっさに弁舌を(つむ)いで、みごとたぶらかしてみせたのだ。

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は、項羽の許しを得て、滎陽(けいよう)城に帰還した。

 そして劉邦に謁見(えっけん)すると、王陵の母が自害したことを、苦々(にがにが)しげに報告した。

 

 謁見(えっけん)の場に居合(いあ)わせた王陵は、母親の運命を知るや、一声(ひとこえ)大きく叫び、そのまま慟哭(どうこく)しながら地に倒れ込んでしまった。

 周囲の人々が慌てて王陵に駆け寄り、手を差し伸べて助け起こそうとする。しかし王陵は、悲しみのあまり、立ち上がることさえできない……

 

 しばらくして……

 王陵はやっと我に返り、よろめきながら立ち上がった。

 王陵は、目を真っ赤に怒らせ、歯ぎしりの音を響かせながら、天地を震わすほどの大声で(ののし)りたてた。

匹夫(ひっぷ)項羽ッ! よくも母を殺したな! 貴様とは(ちか)って(とも)に天を(いただか)ないぞ!」

 

 叔孫通(しゅくそんとう)は、王陵のすさまじい怒りようを見ながら、心の内で考えた。

「ううむ、これはいかん……

 この調子では、項羽が母親の(しかばね)を丁重に(ほうむ)った話を伝えたら、王陵が恩を感じて心変(こころが)わりするということも、ありえるやもしれん。

 

 あのことは、私の胸の中に隠しておいた方がよさそうだ。

 王陵には申し訳ないが、漢のためには、そのほうがよい……」

 

 そこへ、張良が進み出た。

「漢王様。今、陳平(ちんぺい)殿とも相談したのですが」

 

 劉邦が、張良へ目を向けた。

「おう。なんだ?」

 

「項羽は、叔孫通(しゅくそんとう)(あざむ)かれ、韓信が彭城(ほうじょう)を襲うと思い込んでおります。

 当然、すぐに彭城(ほうじょう)へ引き返したいと考えているでしょう。

 にもかかわらず、まだ陣を(たた)んでいないのは、王陵と叔孫通(しゅくそんとう)が降参してくるのを待っているからです。

 

 もしこのまま時を過ごせば、いずれ項羽の耳にも真相が伝わり、叔孫通(しゅくそんとう)の言ったことが全て嘘だとバレてしまいます。

 そうなれば、項羽が一気に攻め込んでくることは確実です。

 

 そこで、私にひとつ、計がございます。

 かようかようにすれば、項羽は気を失って、ただちに立ち去るでしょう」

 

 劉邦は、張良から計の内容を聞き、うなずいた。

「おお、すごくいい作戦だ! すぐにやってくれ!」

 

 張良・陳平(ちんぺい)が考えた計とは……

 滎陽(けいよう)城の牢獄(ろうごく)に入れられていた死刑囚を2人、牢から引き出して斬首し、城門の上に(さら)すことだった。

 そのうえで、城下にこんな立て札を立てた。

 

叔孫通(しゅくそんとう)が項羽に内応し、王陵とともに謀反(むほん)(くわだ)てた。

 (こと)露顕(ろけん)したので、この2人を誅殺(ちゅうさつ)した』

 

 

   *

 

 

叔孫通(しゅくそんとう)と王陵が処刑された!」

 という報告は、滎陽(けいよう)に入り込んでいた()間者(かんじゃ)によって、たちまち覇王項羽の元へ、もたらされた。

 

 項羽は、がっくりと肩を落とした。

叔孫通(しゅくそんとう)と王陵が裏切る計画は、ダメになっちまったか……

 

 滎陽(けいよう)は、堅固(けんご)な城だ。

 攻めても、すぐに(やぶ)るのは難しい。

 

 こうやって時間を無駄にしている間に、韓信が彭城(ほうじょう)を襲ったら……

 叔孫通(しゅくそんとう)が言った通り、俺は進んでも行き場が無く、退(しりぞ)いても帰る場所が無いってことになってしまうぞ」

 

 そこへ、大将の龍沮(りゅうしょ)が申し出た。

「覇王様。ここは、少しずつ少しずつ兵を静かに撤退(てったい)させるのが良いと思われます。

 もし急に後退すれば、きっと漢軍が追撃してくるでしょう」

 

 項羽は、うなずいた。

「よし。それしかないな」

 

 かくして()軍は撤退(てったい)を決めた。

 それから一昼夜(いっちゅうや)のうちに、()の大軍は、1兵残らず立ち去っていったのだった。

 

 

   *

 

 

 この()軍の動きを、滎陽(けいよう)の城壁上から、見張りの兵が目撃していた。

 

()兵が撤退(てったい)してしまいました!」

 という報告を受けて、劉邦は、喜び(いさ)んで諸将に言った。

「やったぞ! 張良先生の計略どおり、項羽は撤退(てったい)しはじめた!

 お前ら、すぐに追いかけて項羽の背中を襲ってやれ!」

 

 が、張良が進み出て、ピシャリと制止する。

「絶対にいけません」

 

 劉邦が目を丸くした。

「えーっ、ダメェ?」

 

 張良が、うなずく。

「ダメです。

 ()軍は、一気に引き上げたように見せかけながら、実は秩序(ちつじょ)()って、ゆるゆると退(しりぞ)いております。

 これは明らかに、追撃を予測して返り()ちにせんとする(かま)え。

 

 范増(はんぞう)の計か、他の者の計かは分かりませんが、うかつに追撃を仕掛(しか)けては危険です。

 むしろ、今まで以上に用心して守りを固めるべきです」

 

 そこで漢軍は、周勃(しゅうぼつ)・周昌の2人に一手の軍勢を与え、滎陽(けいよう)から50里(20km)の地点に陣取らせて、()軍の動きを警戒したのだった。

 

 

   *

 

 

 漢軍が追撃しなかったため、それ以上の戦闘は起こらず……

 ()軍は、そのまま無事に彭城(ほうじょう)へ帰還した。

 

 項羽は、城に戻るなり、老軍師范増(はんぞう)を呼び、滎陽(けいよう)で起きた出来事(できごと)を詳しく語って聞かせた。

「……というわけで、しかたなく帰って来たんだ」

 

 范増(はんぞう)は、全てを聞き終えると、大きく溜め息をついた。

「陛下……始終(しじゅう)ことごとく敵の計に(あざむ)かれましたな」

 

 項羽は、ギクリと肩を震わせた。

「えっ!?」

 

 范増(はんぞう)が淡々と説明する。

叔孫通(しゅくそんとう)は、長く劉邦に仕えてきた心腹(しんぷく)の臣ですぞ。どうして我らに降参などしましょうか。

 韓信がまだ西魏(せいぎ)討伐(とうばつ)から帰らず、城内は兵力も兵糧(ひょうろう)(から)同然で、とても陛下を迎え()つことができない。だから、どうにかして()軍を帰らせようと考え、適当なことを言ったのですよ。

 叔孫通(しゅくそんとう)が陛下に申し上げたことも、叔孫通(しゅくそんとう)が殺されたということも、すべて(いつわ)りとみて間違(まちが)いあるまい」

 

 説明されてみれば、いちいちもっとも。

 項羽は赤面した。敵の言うことを素直に信じ込んでしまった自分が恥ずかしいやら、情けないやら……

 

 項羽は頭から湯気(ゆげ)を立てて怒り出した。

「くそーっ! あの匹夫(ひっぷ)、俺をバカにしやがってーっ!

 よし! もう一回滎陽(けいよう)に行ってくる! 今度こそ劉邦を殺すまで戻らないぞ!」

 

 范増(はんぞう)が、静かに首を横に振る。

「いやいや。今となっては、もう遅い。

 そろそろ韓信が西魏(せいぎ)から帰ってくる頃でしょう。今度は、攻めても簡単には勝てませぬ。

 まあ、過ぎたことはしかたがない。とりあえず今は、軍を休ませて鋭気(えいき)を養い、しばらく時機(じき)をうかがいなされ」

 

「うう……くそーっ……」

 こうなっては、范増(はんぞう)の言うとおりにするしかない。

 

 項羽は、せっかくの好機を台無(だいな)しにしてしまったことを()やみつつ、間者(かんじゃ)(はな)って韓信の動向(どうこう)を探りはじめたのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 ()討伐(とうばつ)を終え無事帰還した大元帥韓信。後方の安定を得た漢軍は、詰めの一手に向けて新たな計画に着手する。

 中国北部に割拠(かっきょ)する代州、(ちょう)(えん)、そして(せい)。これら諸国を平定し、項羽包囲網を完成させる。韓信(ひき)いる漢軍別動隊の快進撃が今、はじまった。

 

 次回「龍虎戦記」第五十三回

 『決戦への布石』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 博士叔孫通(しゅくそんとう)は、本編の第三十五回と第三十九回にチラリと登場した人物。
(第三十五回参照)
(第三十九回参照)
 本編においては漢中出立時点で漢の臣として叔孫通(しゅくそんとう)の名前が()げられており、今回の范増(はんぞう)のセリフでも「長く劉邦に仕えてきた」と説明されているが、これは「通俗漢楚軍談」「西漢通俗演義」における脚色である。史実の叔孫通(しゅくそんとう)は始め(しん)に仕えていたが、その後、項羽の下についた。叔孫通(しゅくそんとう)が劉邦のところへ来たのは、劉邦が彭城(ほうじょう)を占領したときのことだった。
 叔孫通(しゅくそんとう)は礼儀作法などに精通した儒者(じゅしゃ)であり、その本領は劉邦が中国統一を成し遂げた後になって発揮された。「史記・劉敬叔孫通(しゅくそんとう)列伝」によると、建国当初の漢の大臣には荒くれ者が多かった。酒が入るとお互いの功績を競い合ってケンカするわ、やたら大声で騒ぎ立てるわ、果ては剣で柱に切りつけるわと、手の付けられない暴れっぷり。劉邦もほとほと困り果てていた。漢はもともと(しん)に対する庶民の反乱軍が母体となっているのだから、しかたないところではある。
 そんなおり、叔孫通(しゅくそんとう)がこう申し出た。
儒者(じゅしゃ)は進取(創業すること)は苦手ですが、守成(創ったものを守ること)は得意です。私が弟子たちと一緒に、朝廷での礼儀作法を制定しましょう」
 対する劉邦、
「……難しい作法にしないでくれよ」
 と不安顔。他ならぬ劉邦も庶民出身、堅苦しい宮廷の作法になじめなかった一人なのである。
 しかしそれは杞憂(きゆう)だった。叔孫通(しゅくそんとう)たちが完成させた礼儀作法は分かりやすく簡便(かんべん)で、劉邦は「これなら俺でもできそうだ!」と喜んだ。そしてさっそく大臣たちにその作法を覚え込ませ、宮廷に秩序をもたらしたのだった。
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