龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】 作:外清内ダク
韓信は、まず1万の兵を先行させ、水(川)を背にして陣取らせた。
つまり、背水の陣である。
この布陣を見た
川を背後に置いて陣取ってはいけない、というのは
こんな簡単なことさえわきまえない韓信の布陣が、
そして、翌朝
韓信は、大将旗を前面に立て、太鼓を打ち鳴らしながら、
対する
両軍ぶつかりあい、火花を散らして戦うこと、しばし。
数の上では、
漢軍は、じりじりと押し込まれはじめた。
そしてついに、
「ここまでか」
と、韓信・
漢の兵士たちは、軍旗や太鼓を投げ捨てて身軽になり、背水の陣へ向けて逃げだした。
「よし、好機だ!
漢軍の背後は大河に
「おおっ!」
さらには、
「漢軍、弱し!」
と見て取ったのか、陣門を開いて出撃してきた。
彼らの目的は、漢軍が投げ捨てた軍旗や太鼓である。足の踏み場もないほど
そのため、
ところが。
そこから先の戦いは、
というのも、韓信と
「さあ、お前ら、ひるむな! 死ぬ気で戦え!
一歩でも
などと言われるまでもなく、漢の兵卒たちは必死だ。
なぜなら、漢軍は、背後を大河、前方を
生き残りたい! その一念に
漢軍の気迫はすさまじく、1人で10人の敵を相手どれるほどだった。
その勢いに
戦意の差が、戦況にも影響をおよぼす。
はじめは優勢であったはずの
「ちっ……このまま攻め切るのは無理か。
まあいい。日を改めて再戦すればよいだけだ」
こうして
どうも本陣の様子がおかしい。門の前まで
「帰還したぞ! 早く門を開け!」
だが、本陣の中からは人の声ひとつ、物音ひとつ聞こえてこない。
一体これは、どうしたことか?
と、そのとき。
本陣の土塁の上に、突如、おびただしい数の旗が
真っ赤な旗……漢の軍旗である!
「えっ!?」
「バカな! 本陣を漢軍に取られたというのか!?」
「一体どうして!?」
「漢の伏兵が本陣を攻め落としたんだ!」
「どうしてこんなに、あっさりと?」
「漢が、とんでもない大軍を隠していたに違いない!」
実際は、本陣を守備していた兵が外へ出た
ゆえに、疑念が無限に膨らんでいく。疑念は流言を生み、流言は恐怖を生む。
「大変だ! 俺たちは皆殺しにされるぞ!」
20万の大軍が勝手気ままに慌て騒げば、下手な敵に襲われる以上の被害がでるのは当然のこと。
この事態に、
「バカ者ッ! 落ち着け! 騒ぐんじゃないっ!」
と、
だが、混乱の度を極めた
漢軍の本隊が後方から襲いかかってきたのは、このときだった。
漢の軍勢が野に満ち、山を覆い、
その陣立ての密なことは、水さえ通さぬほどである。
左を突き、右を攻め、前にぶちあたり、後ろに打撃を加えた。だが、戦えど戦えど包囲から抜け出すことができず……
「くそっ……くそっ! ここまでだというのか!」
背後から、漢の大将
あとは、
韓信は
*
「ほ、本当に1日で
漢の大将たちは、この大戦果に驚き、みんなで韓信の前に集まって拝伏した。
「大元帥。
それなのに、大元帥は川を背にして背水の陣を取り、こんなに鮮やかに勝利なさいました。
一体これは、どういうわけなのでしょうか?」
韓信は、にやりと笑みを浮かべた。
「諸君、聞いたことがないか。
『これを死地に
人間は、もう死ぬしかないという
味方の兵のうち、練度の高い精鋭は、
今、私たちのところに残っている兵は、最近
それゆえ、
調練不足の兵は、敵に出会うと逃亡してしまいがちだ。
だから私は、大河を背にして陣を取った。
そうすれば、兵士たちは『逃げることができない』と思い、生き残りに望みをかけて、死にもの狂いで戦うだろう。
そして、思った通り、十分な戦果を得たというわけだ」
大将たちは、感服した。
「大元帥の
この時の韓信の巧みな戦術を、漢の大将たちは、あちこちの人に語り聞かせたという。
その話が歴史書に記され、はるか後の時代にも語り継がれ……
やがて、『背水の陣』という故事成語を生むことになるのであった。
*
さて、ここで韓信は、ひとつの
「もし広武君
千両といえば、とんでもない大金である。人々は目の色を変えて
そして数日後。
ついに、ある者が
韓信は、その者に約束通りの恩賞を与えると……
これは、相手を師として
韓信は、
「
私は、これから北上し、
「
私は亡国の捕虜にすぎません。今さら何を語る資格がありましょうか」
韓信が言う。
「昔、
では、
そうではない。
ただ主君が
(第二十七回の注釈参照)
もし
先生。心からお願いいたします。
どうか私に計略を
この願いを断らないでくださいませ」
(つづく)
●注釈
(1)
韓信が語った『これを死地に
亡地・死地とは、孫子が語る九地(9つの状況)のうちの一つであり、死が避けられぬほど追いつめられた絶体絶命の状況を指す。
この言葉の後に『それ衆は害に
(2)
本編でも語ったが、今回描かれたこの戦いこそが、『背水の陣』の由来となった故事である。本編の文章は小説である「通俗漢楚軍談」「西漢通俗演義」に基づくものだが、「軍談」も「演義」も歴史書「史記・淮陰侯列伝」の記述をかなり忠実になぞっている。おおむね史実に準じた描写と考えていただいてよい。
背水の陣という言葉自体は、説明するまでもなく多くの方が
本編では
背水の陣は、たしかに人を奮い立たせるかもしれない。しかし逃げ場がないのは事実なのだから、不利は不利に違いないのである。もし
背水の陣は、あくまで一時的に士気を高めて時間を稼ぐための手段にすぎない。むしろ、そうして時間を稼いでいる間に打つ起死回生の一手こそが、勝利の決め手となるのだろう。上司・上官たるもの、むやみやたらと部下に背水の陣を敷かせたがるようでは困るというわけである。
余談だが、今回のストーリーから、傑作ファンタジー漫画「ベルセルク」のドルドレイ要塞攻略戦を思い出した方もいらっしゃるかもしれない。あのエピソードの展開は、明らかに韓信の背水の陣に取材したものであろう。このように、韓信の機略は、現代の娯楽・芸術にまで多大な影響を与えているのだ。