韓信から熱心に計略を問われ、李左車は、長い沈黙の後に語りはじめた。
「『智者、千慮すれば必ず一失あり。愚者、千慮すれば必ず一得あり』という言葉がございます。
どんな知恵者でも、千回考えれば、その中に1回は失敗があるもの。
逆に、愚者であっても、千回考えるうちには1回くらい良いことを考えつくものです。
それゆえ、聖人は狂人の言葉を採用することもあるのです。
私は知恵も薄く、才能も微小で、用いるに足るような人間ではありません。
しかし、韓信将軍のために、なけなしの忠義を尽くし、肝胆(腹の中)にあるものを吐き出してみましょう。
韓信将軍は、魏豹を生け捕り、夏悦を誅殺し、今また陳余を斬り、趙兵20万人を破りなさいました。
その勇名は天下に知れ渡り、武威は四海(世界)を動かしています。
天下の農夫たちは、畑を耕す手を止め、鋤を手放してまで、将軍を褒めたたえております。
小さな幼児ですら、韓信将軍の名を聞けば泣くのをやめて恐れるといいます。
これは韓信将軍の長所です。
しかし、いくつもの戦場を経て、漢軍の兵は弱り、馬は疲れ、物の役に立たなくなっております。
韓信将軍は、この弱り疲れた人馬を率いて、燕国を討とう考えておられる。
燕は弱小国ではありますが、城に閉じこもって、数日、固く守るくらいなら可能でしょう。
すると、たちまち漢軍は兵糧不足に陥り、兵が苦しみはじめます。結局、燕を破ることは、できないでしょう。
燕の平定に失敗すれば、残る斉国は、ますます漢に従わなくなります。
これが、韓信将軍の短所であります。
古の用兵の達人は、もっぱら自分の長所を使って敵の短所を撃ちました。逆に、自分の短所を使って敵の長所を撃とうとすれば、うまくいかなくても当然です。
以上のことから、韓信将軍がどんなに攻めなさっても、燕は破れないだろうと思います」
韓信は、うなずいた。
「なるほど……それでは、どのような計略を用いれば、それが可能になるでしょうか?」
李左車が言う。
「まずは趙国を安定させ、人民を安心させ、軍を休ませて鋭気を養うことが第一です。
そうすれば、燕国の将兵は、すぐ隣で漢軍が力を貯えているのを見て、いつ攻められるのかと不安や恐怖を感じるでしょう。
そこを狙って、弁舌の士を1人選んで使者とし、燕王に書簡を送りなさいませ。
その書簡で燕王に利害を説き、韓信将軍の長所を見せつけなされば、燕が帰服しないはずがありましょうか。
燕が帰服した後で、今度は斉に使者を送れば、こちらも降伏してくるでしょう。
こうすれば、刃を血で濡らすことなく燕・斉を得て、天下統一につなげることができます。
古の言葉に『兵は、まことに声を先にして実を後にするあり』……『軍事においては、先に言葉で圧倒し、後で実力行使するのである』と言うのは、これのことです」
韓信は、限りなく喜んだ。
「すばらしい! 先生のお言葉の通りにすれば、戦わずに敵を屈させることができるでしょう。
謹んで先生の教えに従います」
そこで韓信は、軍勢を趙城に留めて休ませ、随何を使者として燕王へ書簡を送ったのだった。
*
中国北東部、燕――
韓信が代州・趙を破ったという報告は、燕王の耳にも、すでに届いていた。
燕は趙のすぐ隣である。燕王は大いに驚き恐れ、家臣たちを集めて緊急の対策会議を行った。
そのとき、1人の臣が進み出た。
「漢軍は、大いに勢いづいているとはいえ、たびたびの戦を経て、三軍みな疲労してもおります。
臣が推測いたしますに、韓信は、しばらく趙に留まって兵を休ませるでしょう。
そして……近いうちに、燕王様に降参を勧めるための使者が、韓信から送られてくるに違いありません。
その使者の説得を、簡単に受け入れてはいけません。
漢と楚、一体どちらが勝利するか……劉邦と項羽、どちらが天命を得た人物なのか……それを見極めないうちに漢の側につくのは危険です。
そこで、臣を返答の使者として、韓信のところへ派遣してくださいませ。
韓信と直接対面し、漢の実力と実態を見極めたうえで、韓信を説得すべきならば説得し、韓信に降るべきならば降る、というように臨機応変に対応して参りましょう」
これは一体、誰の発言か?
人々が声の主に目を向けると、それは燕の謀士蒯徹、字文通という男であった。
燕王は、蒯徹の言葉に眉をひそめた。
「韓信から使者が来るだと? 本当なのか……?」
そのとき、こんな報告が飛び込んできた。
「韓信が、随何を使者として書簡を送って参りました!」
燕王は驚いた。まさに蒯徹が予言した通りの展開ではないか。
燕王は、すぐに随何を迎え入れて対面し、韓信からの書簡を受け取った。
書簡を開いてみれば、文面は、こうである。
『漢の大将軍韓信、書を燕王の麾下に奉る。
私、韓信は聞いたことがあります。「天命は長続きするものになびき、徳のある者の元へ帰りつく」と。
秦は無道であり、古代の書物を焚書し、多くの人民を残虐に殺害しました。
その後を覇王項羽が受け継ぎ、ますます乱暴で過酷な政治を好き勝手に行い、義帝を弑逆し、悪行は天まで届き、海内世界は震え叫び、神も人も一緒になって憤っております。
それゆえ、漢王劉邦は義挙をなしました。
兵は義帝への弔意を示すために白い衣服を身に着け、蓆(敷物)を巻くように三秦を巻き取り、たちどころに河南・西魏の二魏を降伏させ、魏豹を捕虜とし、夏悦を誅殺し、趙を破り、陳余を斬りました。
これは兵が強いからではありません。ひとえに漢王の人徳の賜物です。
今や、漢軍が向かうところ誰も彼もが風のようになびき、帰順しない者は1人もいないというほどです。
ただ、燕国だけが、いまだに我らに帰服しておりません。
燕王様は、天命が帰りつくところを御存知ないのでしょうか?
そこで、この韓信が、兵を趙城に駐屯させながら、この書を貴国へ送りました。
もし貴国が矛を寝かせ、我らへの思いやり(献上品のこと)を納め、民衆の命を憐れんで降伏なされば、燕王は王位を失うことなく100代先まで血筋を残すことができるでしょう。
すぐ近くの趙がたどった運命をふまえて、燕王よ、よくお考えください』
(つづく)