龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十四の戊 背水の陣

 

 

 蒯徹(かいてつ)は、困り果ててしまった。

 燕(えん)のため、韓信を説得しようと思ってここまできたのに、逆に韓信の言葉に気圧(けお)されて、口を開くこともできなかった。

 しかも、客人用の屋敷でもてなされている、と言えば聞こえは良いが、これは実質的な軟禁である。

 

 このままでは燕(えん)王から託(たく)された使命を果たすことができない。

 蒯徹(かいてつ)は、心鬱々(うつうつ)として悩み、屋敷の門を閉ざして、人にも会わず日々を過ごした。

 

 そんな様子で数日が過ぎたある日。

 門番から報告がきた。

「広武君李左車(りさしゃ)が訪(たず)ねて来られました」

 

 蒯徹(かいてつ)は、その日も悶々(もんもん)と愁(うれ)えていたが、李左車(りさしゃ)が来たと聞くと、すぐに門を開いて迎え入れた。

 

 蒯徹(かいてつ)は、大声で泣きながら言った。

「おお、李左車(りさしゃ)先生!

 我が燕(えん)と、貴公の趙(ちょう)は、唇(くちびる)と歯(は)のように親密な国です。

 

 それが今や、李左車(りさしゃ)先生は漢の側(がわ)につき、陳余(ちんよ)は斬首され、趙(ちょう)王は捕らえられてしまった。

 趙(ちょう)国が失われてしまったことが、哀しくてたまりません……

 しかも、そのために我が燕(えん)も危機に陥(おちい)ってしまいました」

 

 李左車(りさしゃ)は、静かに首を振った。

「蒯徹(かいてつ)殿、どうしてそんなに激しく心を惑(まど)わされていらっしゃるのです。

 天に従う者は栄(さか)え、天に逆らう者は滅びるのが道理。

 漢王は、義帝のために喪(も)を発して義兵を起こし、徳と仁愛を人民すべてに及(およ)ぼし、その威勢によって諸侯に命令を下しておられる。

 これは、まさに仁義によって立つ天下の主(あるじ)です。

 

 それに加えて、韓信が兵を用いる手腕は鬼神の如くで、向かうところ敵なしです。

 だからこそ、時勢を見極(みきわ)める目を持ち、天命を知っている者たちは、矛(ほこ)を寝かせて戦意のないことを示し、続々(ぞくぞく)と漢に帰順しているのです。

 

 もし仮に、誤(あやま)って狂暴な楚(そ)に仕えてしまったとしましょう。

 それではまるで、殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を助けて悪事を働いた奸臣(かんしん)、飛廉(ひれん)や費仲(ひちゅう)のようなものではありませんか。

 そんな者には天罰の下らぬはずがありません。

 

 私は、常日頃(つねひごろ)から趙(ちょう)王に利害を説き、漢に降参するよう、おすすめしてきました。

 しかし趙(ちょう)王は、それを用いてくださらなかった。

 それでとうとう、身を誤って国を滅ぼしてしまったのです。

 私が『天に逆らう者は滅びる』と言ったのは、このことです。

 

 蒯徹(かいてつ)殿。貴公は燕(えん)の名士です。

 時代の流れをよく見て、どの国が興(おこ)り、どの国が滅びるか、細かく検討してごらんなさい。

 きっと貴公なら分かるはず。漢王劉邦と、覇王項羽、どちらが本当に天命を受けた人物でしょうか?」

 

 蒯徹(かいてつ)は答えた。

「漢王が芒蕩山(ぼうとうざん)で大蛇を斬ったときは、神母が夜中に号泣しました。

 また、秦(しん)に踏み込んだときには、火・水・木・金・土の五星(ごせい)が一ヶ所に集まる奇跡が起こりました。

 これらを考えあわせれば、漢王こそ真の天命を受けた人物であることは疑う余地(よち)もありません」

 

 李左車(りさしゃ)は、さらに言う。

「では、これはどうでしょう。

 漢王に仕える韓信、張良、蕭何(しょうか)、陳平(ちんぺい)。

 覇王に仕える范増(はんぞう)、龍沮(りゅうしょ)、季布、鍾離眜(しょうりまい)。

 どちらが優れていると思いますか?」

 

 蒯徹(かいてつ)は、うなった。

「韓信たちの方が、はるかに優れております。楚(そ)の大将たちでは、それらの人材には遠く及ばないでしょう」

 

 李左車(りさしゃ)は、にこり、と笑う。

「貴公が言う通りであれば、漢が興(おこ)り、楚(そ)が滅びることは、厳然として明らかではありませんか。

 そこまで分かっていらっしゃるのに、どうして道義をわきまえた漢に逆らって、今にも滅びようとしている楚(そ)に従おうとなさるのです?

 天命を知っている者が、そんな行動を取るでしょうか?」

 

 蒯徹(かいてつ)は、首を垂(た)れ、しばし無言で考えこんだ。

 やがて、蒯徹(かいてつ)は顔を上げた。

「李左車(りさしゃ)先生のおっしゃることは、大いに理にかなっております。

 実を言うと、私はもともと、韓信大元帥を説得し、燕(えん)攻撃を止めるために来たのです。

 しかし、逆に大元帥の言葉に深く感じいってしまい、どうしたものかと思っていたところでした。

 

 今、李左車(りさしゃ)先生にお会いして、私の意志は固まりました。

 どうか、もう一度、韓信大元帥に会わせていただきたい。

 燕(えん)と漢、両国の好(よしみ)を結びたいのです。

 

 そして、私自身も、これからは韓信大元帥の麾下(きか)に所属したい。

 攀龍(はんりゅう)附鳳(ふほう)……龍の体に攀(よ)じ登り、鳳凰(ほうおう)にしがみ附(つ)くように、韓信大元帥のそばで共(とも)に出世の道を歩みたいのです。

 先生、私の気持ちを韓信大元帥に伝えていただけませんか」

 

 

   *

 

 

 李左車(りさしゃ)は大いに喜び、すぐに蒯徹(かいてつ)を韓信の前へ連れて行った。

「韓信大元帥。

 蒯徹(かいてつ)大夫は、敵国の使者たる自分に対して礼を尽くしてくださった大元帥の優しさと心の広さに、深く感じ入ったそうです。

 そして、一刻も早く帰国して燕(えん)王に降参を勧(すす)め、自分自身は、これから大元帥の麾下(きか)に所属して働きたい、と申しております。

 いかがでしょう。いったん侵攻を取りやめて、燕(えん)が降参してくるのをお待ちいただけないでしょうか?」

 

 韓信は、これを聞いて、ななめならず喜んだ。

 そして、すぐに曹参(そうさん)・樊噲(はんかい)の2人に1万の軍勢をあずけ、蒯徹(かいてつ)と一緒に燕(えん)へ派遣した。

 攻撃のためではなく、燕(えん)の降伏を受け入れるためである。

 

 曹参(そうさん)・樊噲(はんかい)らの軍勢は、燕(えん)の城に近づくと、城外に陣を置いて足を止めた。

 そして蒯徹(かいてつ)は、燕(えん)王に降伏を勧(すす)めるため、1人、城に入っていった。

 

 

   *

 

 

 そのころ、燕(えん)王は深く憂(うれ)えて、日々を悶々(もんもん)と過ごしていた。

 蒯徹(かいてつ)が、いつまでたっても帰ってこないからである。

 

 そんなとき、外から報告が飛び込んできた。

「蒯徹(かいてつ)が、ただいま帰って参りました!」

 

 燕(えん)王は、大急ぎで蒯徹(かいてつ)を招き入れた。

「おお、蒯徹(かいてつ)!

 遅かったではないか……それで、一体どういう結果になった?」

 

 蒯徹(かいてつ)は、韓信・李左車(りさしゃ)と話したことを、細かく燕(えん)王に語り聞かせた。

「……と、こういうわけでございます。

 臣の見たところでは、漢王は賢明さと人徳を兼(か)ね備(そな)えた本物の君主です。

 必ずや、漢王が楚(そ)を滅ぼして、天下を統一なさるでしょう。

 

 そうと分かれば、一刻も早く漢に降参して、人民を戦(いくさ)の苦しみからお救いなさることが、なにもかも上手くいく万全の計であろうと思います」

 

 燕(えん)王は、喜んで言った。

「私は、最初から『漢に降伏しよう』と思っていたのだ。

 それを、汝が『まず自分が行って虚実を確かめてくる』などと言うから、今まで先延ばしにしていたのではないか。

 

 汝も降伏すべきだと判断したのなら、もう迷うことはあるまい。

 漢の曹参(そうさん)殿・樊噲(はんかい)殿を城へお迎えせよ。すぐに謁見しよう」

 

 蒯徹(かいてつ)は、城門を開いて、外の漢軍を迎え入れた。

 曹参(そうさん)・樊噲(はんかい)は、兵を率(ひき)いて城内に入った。

 燕(えん)王は、酒宴を設(もう)けて、曹参(そうさん)・樊噲(はんかい)を丁寧(ていねい)に、もてなした。

 

 そして、翌日。

 燕(えん)王は、100騎あまりの兵を従えて、曹参(そうさん)・樊噲(はんかい)と共(とも)に、趙(ちょう)の城へ向かった。

 

 趙(ちょう)の城では、韓信が燕(えん)王を待っていた。

 お互いに礼を済ませると、韓信が言う。

「私は、近いうちに大軍を率(ひき)いて出発し、燕(えん)を経由して斉(せい)まで進み、北方の国々をことごとく平定しようと思っておりました。

 しかし、その前に、そちらから来ていただけるとは!

 賢明なる燕(えん)王よ、はるばる遠くから、よくぞお越しくださいました」

 

 燕(えん)王が言う。

「私は、以前から韓信大元帥の武威と人徳を慕(した)っておりました。

 さらに、漢王様は心が広く仁義あふれる長者(徳のある人)であらせられるとか。

 

 そこで、漢に降伏したいと考え、蒯徹(かいてつ)を送ってその気持ちをお伝えしたのですが、幸(さいわ)いにも大元帥は降伏を受け入れてくださった。

 どうか、漢王様に奏上(そうじょう)して、今後は我らを漢の麾下(きか)で用いてくださいませ」

 

 韓信は深く喜び、降参を願い出る表奏(ひょうそう)(文書)を燕(えん)王に書かせた。

 そして、使者を滎陽(けいよう)城に送り、燕(えん)が降伏したことを劉邦に報告した。

 

 かくして、燕(えん)もまた漢の勢力圏に組み込まれた。

 

 こうなると、北方諸国の中で平定されずに残っているのは、最東端の斉(せい)のみである。

 韓信は、斉(せい)攻撃に取りかかることを全軍に通達し、夜(よ)に日を継いで戦(いくさ)準備を進めたのだった。

 

 

(巻十へ、つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 着実に北方平定を進める韓信。この動きに焦った楚(そ)の老軍師范増(はんぞう)は、戦乱を一挙に決着させんと滎陽(けいよう)攻撃を画策する。

 もはや何度目かも分からぬ劉邦の危機。そのとき、一人の謀士(ぼうし)が蠢(うごめ)きだした。漢の暗部を一手に担う稀代(きたい)の陰謀家、名は陳平(ちんぺい)。策略という毒に塗(まみ)れた刃が、今、老賢者の喉を裂く。

 

 次回「龍虎戦記」第五十五回

 『さらば、范増(はんぞう)』

 

 乞(こ)う、ご期待!




●注釈
 李左車(りさしゃ)の話に登場した飛廉(ひれん)・費仲(ひちゅう)は、殷(いん)末期の伝説的悪王紂王(ちゅうおう)に仕えた伝説的奸臣(かんしん)たちである。明(みん)代の小説「封神演義」の登場人物として印象的な2人だが、そのモデルとなった人物は史書の中にも登場している。
 飛廉(ひれん)は、「史記・秦本紀」では『蜚廉(ひれん)』と表記されている。蜚廉(ひれん)は走るのが得意で、蜚廉(ひれん)の息子の悪来(あくらい)は腕力が強かった。その能力を買われて親子ともに紂王(ちゅうおう)に仕えたが、周の武王によって紂王(ちゅうおう)が倒された時、悪来(あくらい)は殺された。蜚廉(ひれん)はその時たまたま王の使いとして北方に旅していたため、難を逃れた。この蜚廉(ひれん)が、秦(しん)王家の祖先なのだという。
 費仲(ひちゅう)の方は、「史記・殷(いん)本紀」に『費中(ひちゅう)』として記載されている。紂王(ちゅうおう)は費中(ひちゅう)を登用して政治を行わせたが、費中(ひちゅう)は媚(こ)びへつらうのが上手く、私利私欲を満たすことを好んだので、殷(いん)の人々からは嫌われていたそうである。
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