龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

165 / 198
五十七の中 果てなき逃走

 

 

 捕らえられた漢将樅公(しょうこう)は、項羽の前に引き出された。

 項羽は、樅公(しょうこう)を見て言った。

 

「汝、(たい)した武勇もない匹夫(ひっぷ)分際(ぶんざい)で、よくここまで俺たち天兵に抵抗を続けたもんだな。

 もし、お前が俺に降参するというなら、このまま滎陽(けいよう)の太守に(ほう)じてやってもいいぞ。

 どうだ? その気はあるか?」

 

 樅公(しょうこう)が言う。

「それがしは、力尽き、進退(きわ)まり、城を破られ、捕虜となった。

 かくなるうえは、ただ死ぬのみ!

 降参など、する理由はない!

 

 覇王陛下にお願いする。

 それがしに死を(たま)わり、臣としての節度を(まっと)うさせたまえ!」

 

「むむ」

 項羽は、うなった。

 

 項羽は、こういう忠義の豪傑が好きである。

 かつては鴻門(こうもん)の会において、劉邦のため(うたげ)に乱入した樊噲(はんかい)

 先日は、劉邦の身代(みが)わりとして命を捨てた紀信。

 そして今は、時間稼ぎのために勝てるはずもない(いくさ)に身を投じた樅公(しょうこう)

 

 こういう男を見ると、無性(むしょう)に手下へ加えたくなってくるのだ。

 

 項羽は、季布を呼んだ。

「おい季布、この樅公(しょうこう)を説得してみろ」

 

 (めい)じられれば、やってみるしかない。

 季布は、樅公(しょうこう)に向かって言った。

大丈夫(だいじょうぶ)たるもの、功績を立て、業績をあげ、千年先まで豪傑として美名を伝えることこそ本望(ほんもう)だろう。

 

 このまま死を甘受(かんじゅ)すれば、貴公の名は、世に聞こえることなく終わる。

 それを()しいとは思わないか?

 貴公、降参を決心したまえ」

 

 樅公(しょうこう)は、にやり、と笑った。

「生きる時まっすぐに生きていれば、死ぬ時は安らかに死んでいける。

 それがしは、ただ自分の心に恥じることが無いように生きたいのだ。

 

 それがしは、力を振り絞り、心を尽くして城を守った。

 ()軍の勢いが(さか)んなために、結局、城は破られてしまったが、それは、それがしの気が(ゆる)み衰えたせいではない。

 単純に力およばず、支えきれなくなったのだ。

 

 貴公、これ以上、言葉を(つい)やして、それがしを降参させようとしないでくれ。

 それがしは、たとえ今日、()(くだ)ったとしても、いつか必ず()(そむ)くぞ。

 

 忠義に二心(ふたごころ)無し!

 それがしの心は、万金(まんきん)をもってしても変えられぬ!」

 

 ここまでキッパリと言い切られては、もう何も言えない。

 しかたなく、季布は、引き下がって項羽に報告した。

樅公(しょうこう)は、鉄や石のように固い決心で、首を伸ばして処刑の刀が振り下ろされるのを待っております。

 

 『たとえ今日(くだ)ったとしても、明日また(そむ)くぞ』とまで言い切りました。

 もはや彼が降伏しないことは明らかです……覇王陛下、もうこれ以上は、強くお求めにならないほうがよいと思います」

 

 項羽は、気分を害した様子で、吐き捨てた。

「降伏しないのなら、罪を許してやるわけには、いかん。

 さっさと引き出して斬ってしまえ」

 

 その命令通り、樅公(しょうこう)は兵たちによって陣外に引き出されていった。

 そして樅公(しょうこう)は、少しも動揺することなく、毅然(きぜん)とした態度で斬られ、死んだ。

 

 ()軍の将兵たちは、樅公(しょうこう)の見事な死にざまを見て、

「まことに比類なき忠臣かな」

 と、口々に嘆き、その死を惜しんだのだった。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ。

 滎陽(けいよう)から逃げ出した周苛(しゅうか)を、()龍沮(りゅうしょ)は、馬に(むち)を入れて追い続けていた。

 

 追いつ追われつしながら、龍沮(りゅうしょ)周苛(しゅうか)は、大きな林にやってきた。

 そこで、周苛(しゅうか)は不意に馬を止め、刀を握る手を横に伸ばして構え、龍沮(りゅうしょ)の前に立ちはだかった。

 

 周苛(しゅうか)が止まったのを見ると、龍沮(りゅうしょ)もまた足を止め、大音(だいおん)をあげて呼びかけた。

周苛(しゅうか)よ! 俺の言葉を聞け!

 漢王劉邦は、逃げ去ってしまって行方(ゆくえ)も分からない!

 滎陽(けいよう)城はすでに破られ、妻子も捕虜となった!

 

 この状況で、なぜ汝は、我ら天兵(てんぺい)(あらが)い続けるのか!

 そんな愚かな行為を続けることはあるまい! はやく降参せよ!」

 

 これを聞いた周苛(しゅうか)は、大いに龍沮(りゅうしょ)(ののし)った。

「臣は(ちゅう)に死し、子は(こう)に死すべし!

 漢王様から任されていた滎陽(けいよう)城を破られてしまって、私は極めて恥ずかしく思っている!

 このうえ貴様ら逆賊に屈したなら、私の面目(めんもく)は丸つぶれ。恥ずかしくて天地の間に立つこともできなくなるわ!」

 

 周苛(しゅうか)は、刀を振り上げ、まっしぐらに龍沮(りゅうしょ)へ斬りかかった。

 対する龍沮(りゅうしょ)は激怒し、槍をひねって迎えうつ。

 

 馬を交え、刃を戦わせること20合あまり。

 周苛(しゅうか)もよく戦ったが、相手が悪い。龍沮(りゅうしょ)といえば、項羽からの信任も厚い、()指折(ゆびお)りの強豪である。

 戦えば戦うほど周苛(しゅうか)は劣勢に追い込まれていく。

 

 とうとう周苛(しゅうか)は、馬を反転させて逃げ出した。

 だが、これが良くなかった。周苛(しゅうか)が林に逃げ込むと、鎧の袖が大木の枝に引っ掛かってしまったのだ。

 

 周苛(しゅうか)が、枝を外そうと、もがいているところへ、龍沮(りゅうしょ)が馬で駆け寄ってくる。

 龍沮(りゅうしょ)は、槍を突き出しながら叫ぶ。

「もし(かぶと)を脱いで気持ちよく降参するなら、一命(いちめい)は助けてやる!」

 

 周苛(しゅうか)は耳を貸さず、手にした刀で木の枝を切り落とし、再び馬を走らせ逃げ出した。

 

 しかし、もはや何をしても手遅れだった。

 このとき、()の大軍が、すでに林の周囲を取り囲んでいたのである。

 

 ()軍の包囲の緊密なことは、あたかも鋼鉄の(おけ)のよう。

 周苛(しゅうか)は、それでも諦めず、左に(いど)みかかり、右に刀を突き出し、どうにか包囲を突破しようとあがいた。

 だが、まったく道を切りひらくことができない。

 

 結局……

 周苛(しゅうか)はどうすることもできぬまま、()軍に捕らえられてしまったのだった。

 

 

   *

 

 

 龍沮(りゅうしょ)は、捕らえた周苛(しゅうか)を連れて帰還し、覇王項羽の前に周苛(しゅうか)を引き出した。

 

 項羽は、周苛(しゅうか)に向かって言う。

「お前の相棒の樅公(しょうこう)は、すでに()に降参したぞ。

 周苛(しゅうか)よ、汝も気持ちよく俺に帰服するなら、万戸候(ばんここう)(1万戸を治める領主)に(ほう)じてやろう」

 

 周苛(しゅうか)は、これを鼻で笑った。

樅公(しょうこう)、紀信、そしてこの私。我らは(みな)、漢に仕える人間だ。

 暴虐(ぼうぎゃく)()に降伏して、(せい)(むさぼ)ることなど、あるはずがない!

 

 嘘を言うのは、よすんだな。

 汝のような沐猴(もっこう)(猿)に、この周苛(しゅうか)将軍を(だま)すことは、できないぞ!」

 

 項羽は顔面を火のように赤くして激怒した。

「このッ……! どいつもこいつもォッ!

 おい! 誰か、特大の(かく)(中華鍋)を持ってこい!

 油を沸かして、この周苛(しゅうか)煮殺(にころ)してしまえッ!」

 

 周苛(しゅうか)は、縛られたまま煮えた油に放り込まれ、無残な最期を()げた。

 かくして滎陽(けいよう)は、完全に項羽の手に落ちたのだった。

 

 

   *

 

 

 ()の大軍は、そのまま滎陽(けいよう)城に入った。

 

 項羽は怒っていた。

 紀信、樅公(しょうこう)周苛(しゅうか)と、3人の漢将に続けて()()()()ことが、項羽を普段以上にイラだたせていた。

 

 そのため項羽は、滎陽(けいよう)に入るや、とんでもないことを言いだした。

滎陽(けいよう)にいる連中を、軍人も、住民も、1人残らず(ほふ)り殺せ!」

 

 項羽の叔父の項伯は、これを大慌てで(いさ)めた。

「いけません!

 覇王陛下が争っておられる相手は、あくまで漢王劉邦です。民衆に罪はありません。

 

 百姓人民は、陛下にとって赤子のようなもの。

 もし滎陽(けいよう)の住民を皆殺しになどしたら、天下の心は陛下から離れていってしまいます。

 殺すよりも、むしろ民衆に親切にふるまい、安心させてやりなさいませ。

 

 そして、しばらく滎陽(けいよう)で休息してから、今度は劉邦のいる成皋(せいこう)に攻めかかりましょう。

 成皋(せいこう)を取ってしまえば、劉邦は居場所も帰る場所も失って、ついには降参してくるでしょう。

 

 その後で兵を(せい)国に派遣して、韓信が(ひき)いている別動隊を叩き潰す。

 そうすれば、(せい)()の羽翼となり、()を孤立から防いでくれます。

 こうすれば、天下の平定も、なしとげられるでしょう」

 

 項羽は、叔父項伯の言葉を受け入れて、少し気持ちを静めた。

 そこから項羽は、しばらく滎陽(けいよう)駐屯(ちゅうとん)し、成皋(せいこう)攻撃に向けて、人馬の再整理にとりかかったのだった。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。