龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七の下 我が心、砕くるが如し

 

 

 項梁(こうりょう)は、もともと騒がしい性格である。

 なかなか城が落とせないことに苛立(いらだ)って、陣内でしきりに怒声を発するようになった。

 

 これを(いさ)めた者が一人いる。

 執戟郎(しつげきろう)の韓信である。

 

 漂母(ひょうぼ)から食べ物を恵んでもらったり、ならず者の股の下をくぐったり、と、格好のつかない逸話がいくつもある韓信だが、意外にも、総大将に諌言(かんげん)する姿は毅然(きぜん)としたものだった。

 

「我が大軍が城の前に陣を敷いてから、かなりの時間が経ちました。

 おそらく(しん)軍は、こちらの気が緩んだ隙を見て、ひそかに夜襲を仕掛けてくるでしょう。

 しっかりと用心しておかねば、(しん)軍を討つどころか、かえってこちらが災いに()います。

 今は城攻めの頻度を減らし、そのぶん敵を防ぐ準備に注力するべきです。

 将軍、よくご検討ください」

 

 これに項梁(こうりょう)は激怒した。

「わしは会稽(かいけい)で挙兵してから向かうところ敵無しだった! たかがこれしきの小城を攻め落とすのに、難しいことがあるものか!

 章邯(しょうかん)は数回の戦いで人馬の大半を討ち取られて、わしの名を聞いただけでも肝を冷やし気絶するほどに怖がっている。どうして城を出て我が陣を攻撃してくるようなことがあろうか。

 貴様のような役に立たぬ下っ端が、理由もなく計略に口を挟んで人の心を惑わしおって! さっさと出ていけ!」

 

 と痛罵(つうば)して、韓信を陣屋から追い出してしまった。

 

 これを見ていた卿子(けいし)冠軍(かんぐん)の宋義が、あわてて(いさ)めた。

「戦いに勝って将が(おご)り、兵がだらけた軍は必ず敗れます。

 まさに今、味方の軍勢は滞陣が長びいたために気が緩み、だらけはじめております。

 一方、(しん)の兵は、敵に囲まれて城中に(こも)ってはいますが、その分、人馬の英気を養ってもいます。

 特に章邯(しょうかん)(しん)の名将。(たく)みに兵を動かす男です。

 韓信の進言は一理あります。どうかお捨てなさいますな」

 

 ところが、項梁(こうりょう)は部下の意見に耳を貸すどころか、ますます(かたく)なになってしまった。

章邯(しょうかん)ふぜいに、大した仕事ができるものか」

 などと放言して、当てつけのように酒を飲み、楽しみはじめたのである。

 

 総大将のこういう姿を見れば、手下の兵も(なま)けだす。みな心が(すさ)み、敵襲への用心さえ、ろくにやらなくなっていった。

 

 

   *

 

 

 これすべて章邯(しょうかん)が仕掛けた罠であった。

 緩兵(かんへい)の計――城に(こも)ってじっと耐えながら、敵の心が(おご)り緩むのを待っていたのだ。

 

「頃合いだな」

 と判断した章邯(しょうかん)は、ある夜、精兵を()りすぐって集合させた。

 

 兵たちの口には(ばい)を噛ませた。

 (ばい)とは、細く短い木の棒のこと。これを噛んでおくことで、うっかり声をあげてしまう事故を防ぐのだ。

 馬や牛に噛ませて(いなな)きを抑えるのにも使うが、兵がそれを噛むのは……無論、音もなく忍び寄って奇襲をしかけるためである。

 

 章邯(しょうかん)の奇襲部隊は、二手(ふたて)に分かれて忍びやかに城を抜け出した。

 

 足早に近づき、物陰から()の陣を(うかが)い見れば、燃え尽きかけた篝火(かがりび)は光も(とぼ)しく、将も兵も眠り込んでしまって出歩く人影ひとつない。

 

 奇襲部隊は、

「いくぞ!」

 と合図の鉄砲を炸裂させ、銅鑼(どら)(つづみ)を乱打しながら、一斉に()陣へ突入した。

 

 これに驚いたのは()軍である。

 陣中は闇雲(やみくも)に駆け回る者たちでごった返して、槍はどこだ、刀はどこだと、上へ下への大騒ぎになった。

 

 肝心の総大将項梁(こうりょう)はといえば、泥酔し、ろくに立つことさえできないありさま。

 周囲の者たちが助け起こして、どうにか轅門(えんもん)(陣屋の門)まで出てきたものの、馬に乗るのにもモタついている。

 

 そこへ、(しん)の大将の孫勝という者が迫り寄った。

「あっ……!?」

 と声をあげる間すらなく、項梁(こうりょう)は一刀のもとに斬り殺されてしまった。

 

 そうとは知らぬ宋義、英布ら()の大将は、大混乱の中を駆け回り、必死に声をからした。

「敵は小勢(こぜい)だ! 騒ぐんじゃない!」

 だが、大軍であればこそ、一度(ひとたび)秩序が失われたら取り返しがつかない。

 

 味方同士で転んで踏まれ、踏んでは転び、右往左往するばかりで討たれた者の数も分からず、ついに態勢を立て直せぬまま、()兵は陣屋を捨てて我先にと逃げだした。

 その背に(しん)兵は襲いかかり、勝ちの勢いに乗って殺しまくった。

 

 そして……夜が明けた。

 この一戦は(しん)の逆転勝利で幕を下ろした。

 大戦果をあげた章邯(しょうかん)は、より堅固な拠点を求めて定陶(ていとう)を出、外黄(がいこう)を経由して陳留(ちんりゅう)に至り、そこで改めて陣を敷いた。

 かくして(しん)軍は、これまで以上に勢いづいてしまったのだった。

 

 

   *

 

 

 項梁(こうりょう)敗れる!

 その一報を聞いた沛公(はいこう)劉邦は、大急ぎで救援に向かった。

 だが、時すでに遅し。

 ()の敗軍は散り散りになってしまっていて、もう、どこへ行ったかも分からない。

 劉邦の力では、いまさらどうすることもできなかった。

 

 逃げ落ちてきた宋義らとどうにか合流した劉邦は、ひとまず、項羽の待つ雍丘(ようきゅう)へと退(しりぞ)いた。

 

 項羽に対面し、武信君(ぶしんくん)項梁(こうりょう)が討たれたことを告げると……

 項羽は、悲痛に慟哭(どうこく)して、地に崩れ落ちた。

 

「ガキの頃に父を亡くした俺は、叔父に養ってもらったから人間になれたんだ。兵法を習って、天下の大義のために働こうと思い立ち、まだ何もなしとげていないってのに、こんな道の途中でお別れだなんて……

 俺の心は砕けてしまった! 俺は、俺はこれからどうすればいいんだよ!」

 

 飾らず(てら)わぬ素直な吐露が、時として、どんな美麗な詩文よりも深く強く胸を打つ。

 血気盛んな青年の、ひたすらまっすぐな思慕の情に、その場の誰もが涙した。

 

 そこへ、進み出たのは范増(はんぞう)だった。

「国のために我が身を捨てるのは、臣下の大いなる道に(じゅん)じる立派な行いだ。

 武信君(ぶしんくん)の命数はここまでであった……とはいっても、()の大業はすでに成っておる。

 項羽将軍。武信君(ぶしんくん)(こころざし)を、君が継ぐのだ!

 天下から集まり付き従う者はすでに50万以上。この大軍を導き、(しん)を滅ぼし()を復興し、やがて武信君(ぶしんくん)追封(ついほう)(死者に名誉の爵位を贈ること)して(びょう)を立て、その霊を手厚く(まつ)ったならば、その時こそ君の大業は完成する。

 ほら、どうして女子供のように泣き悲しんでおられる? 立つのだよ、項羽将軍」

 

 項羽は、(こぶし)を握り固め、涙を()いて立ちあがった。

「ありがとう、先生。俺は……先生の教えに従います!」

 

 項羽は兵を引きつれて定陶(ていとう)に向かった。

 そこでしばし、宋義、沛公(はいこう)劉邦とともに駐屯し、武信君(ぶしんくん)項梁(こうりょう)亡骸(なきがら)を葬った。

 

 そして、進軍を開始した。

 章邯(しょうかん)の待つ陳留(ちんりゅう)へ向かって。

 

 項羽の目は、炎のように燃えていた。

 

 

(つづく)

 

 

 

■次回予告■

 

 叔父の(あだ)()ちに意気燃やす項羽は、章邯(しょうかん)を追って(ちょう)へと向かう。

 だが大将軍に任命された宋義が、不穏な動きを見せはじめる。無意味としか思えぬ長滞陣。刻々迫る(ちょう)の滅亡。着々と進行する陰謀に対して、青年項羽の下した決断とは?

 

 次回「龍虎戦記」第八回

 『大将軍項羽』

 

 ()う、ご期待!

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