龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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五十九の中 外黄の童子、覇王に説く

 

 

 仇叔(きゅうしゅく)は、項羽のもとへ行き、謁見(えっけん)を願い出た。

 

 取り次ぎの番兵は、とまどった。客が項羽に謁見(えっけん)を求めることは珍しくないが、なにしろ相手が子供である。

 とはいえ、きちんと手続きを踏んでいる以上、項羽に報告しないわけにもいかない。

 

 項羽は、報告を受けて、大いに興味を駆り立てられた。

「ふーん、子供が……?

 よし、連れてこい。会ってみよう」

 

 というわけで、仇叔(きゅうしゅく)は項羽の前に通された。

 眉目(びもく)はなはだ秀麗(しゅうれい)なる童子(どうじ)仇叔(きゅうしゅく)が、(とし)に似合わぬ落ち着いた物腰で、しずしずと項羽の部屋に入ってくる。

 

 項羽は、仇叔(きゅうしゅく)に、からかうような視線を向けた。

「見たとこ、(とし)は12か13ってとこか。

 どうしてここへ来た?

 俺が怖くはないのか?」

 

 仇叔(きゅうしゅく)は、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「臣は、陛下にとって赤子のようなもの。

 すなわち陛下は、臣の父母です。

 

 赤子が父母の姿を見に来るのは、恋々(れんれん)とした慕情(ぼじょう)()き動かされてのこと。

 臣に恐れることがあるとすれば、この気持ちが陛下に届かないことだけでございます。

 どうして陛下の軍威などを恐れましょうか」

 

 項羽は、機嫌(きげん)よく笑った。

「あはは……! そうかそうか。

 それで少年。お前が怖がらずにここへ来たのは、俺を説得するためか?」

 

 仇叔(きゅうしゅく)が言う。

「臣は、陛下に、(いにしえ)の聖王・聖帝たちに並ぶお方になっていただきたいと願っております。

 

 徳においては成湯(せいとう)や武王に比類し、業績においては堯帝(ぎょうてい)舜帝(しゅんてい)と等しく……

 天地の心をその身に宿(やど)し、殺戮(さつりく)を嫌って生命を好み、徳を人民に(めぐ)み……

 四海(世界)全体が一家のようにまとまり、あらゆる国々が喜びの声をあげる……

 そのような偉大な人物に、なっていただきたいのです。

 

 そう願う臣が、どうして陛下の御前(おんまえ)に出て、(くちびる)を揺らし舌を動かす説客(せっかく)のようなマネをいたしましょうか」

 

 項羽は、にやついた。

「ふーん?

 何も言いたいことは無いってのか。

 だったら、すぐ兵に(めい)じて、外黄(がいこう)(たみ)を生き埋めにしてやるぞ。

 汝は、それを止めるために来たんじゃないのか?」

 

 童子(どうじ)仇叔(しゅうしゅく)が言う。

「臣は、このように聞いたことがあります。

 『天下を愛する者は、天下の人みなこれを愛す。

 天下を憎む者は、天下の人みなこれを憎む。

 天下を()する者は、天下の人みなこれを()す。

 天下を害する者は、天下の人またこれを害す』

 と……

 

 愛、憎しみ、利、害。

 それらは(みな)、まず上の人から起こります。

 下の者は、上の人のやりかたをマネて従うのみなのです。

 

 先日、彭越(ほうえつ)が大軍を(ひき)いて来て、外黄(がいこう)などの郡県を(かす)め取りました。

 そのとき人民は、殺されることを恐れ、やむをえず彭越(ほうえつ)に降参いたしました。

 

 しかし人民は、一日中、首を伸ばして遠い(そら)に目を向け、覇王陛下が仁義の兵を(ひき)いて外黄(がいこう)を救ってくださるのを待っていました。

 その思いは、まさに赤子が父母を(した)うかのようなものです。

 

 それなのに、覇王陛下は、一城(いちじょう)(たみ)を、ことごとく生き埋めにするなどと(おっしゃ)いました。

 人民は彭越(ほうえつ)を恐れて降伏し、覇王陛下に解放していただくことを望んでおりました。

 その陛下にまでこんな仕打ちをされたら、人民は、いったい誰に心を寄せればよいというのですか?

 

 陛下は(たみ)を愛しておられないのですか!?

 

 いや。外黄(がいこう)(たみ)が陛下の愛を失うだけでは終わりますまい。

 (りょう)より東には無数の郡県がございます。

 それらの郡県に、この話が伝われば、どこの城も固く門を閉ざして陛下に抵抗するか、あるいは遠くへ逃走してしまうでしょう。

 

 陛下が天下を愛さなければ、天下もそれに従って、陛下を愛さなくなるのです。

 

 (たみ)は国の根本です。

 陛下が天下の(たみ)に憎まれた時、陛下は一体、誰と(とも)に天下を守るおつもりですか!」

 

 項羽は、童子(どうじ)仇叔(しゅうしゅく)の言うことを、じっと黙って聞いていた。

 全てを聞き終えた項羽は、なんとも嬉しそうに、にっこりと笑った。

「よく言ってくれた。汝の言葉は、すべて理に(かな)っているぞ」

 

 そして、項羽はその場で三軍に命令を飛ばした。

「生き埋めは中止だ。

 もし髪の毛1本ほどでも外黄(がいこう)の人民に損害を与える者がいたら、絶対に許さないぞ」

 

 その後すぐに、外黄(がいこう)県令の仇明(きゅうめい)・副将周同(しゅうどう)などの大将たちが、項羽に謁見(えっけん)して謝罪した。

 項羽は、その全員を許した。

 

 外黄(がいこう)の人民たちは、道に(おど)り出て歓声をあげ、童子(どうじ)仇叔(きゅうしゅく)の徳に深く感謝した。

 人民たちは、こう(うわさ)したという。

 

「項羽は昔、(しん)から降伏してきた兵卒20万人を、新安で穴に埋めて殺した。

 あのとき、項羽と争ってでも(いさ)めようとする人間は、ただの1人もいなかった。

 もし奇童(きどう)仇叔(きゅうしゅく)の如く言葉を尽くして苦諌(くかん)(苦い諌言(かんげん))を行う人がいたら、項羽とて、心を動かされなかったはずがあろうか。

 

 ()しいことだ。

 范増(はんぞう)は、あの凶行を一言も(いさ)めず、昼も夜も心を尽くし苦慮(くりょ)を重ねて、ただ漢王劉邦を殺そうとばかり企んでいた。

 けれども結局、劉邦を殺すことはできず、逆に陳平(ちんぺい)反間(はんかん)の計にかかって、身を滅ぼしたのだ。

 

 70歳にもなる老翁(ろうおう)が、背丈(せたけ)5尺(約150cm)の童子(どうじ)にさえ及ばなかったとはなあ……」

 

 

   *

 

 

 項羽は、それから5日間、外黄(がいこう)に人馬を駐屯させた。

 その間に、彭越(ほうえつ)が降伏させた17城は、すべて()に復帰し、項羽は(りょう)の平定を完了した。

 

 (りょう)の平定を終えると、項羽は、群臣を集めてこう言いだした。

「それじゃあ、次は、早く彭越(ほうえつ)を追いかけよう」

 

 それに対して、季布と鍾離昧(しょうりまい)が言う。

彭越(ほうえつ)などは皮膚(ひふ)病のようなもので、心を(わずら)わせるほどのものではありません。

 

 一方、漢王劉邦は、今ふたたび滎陽(けいよう)成皋(せいこう)を奪おうと動き出しました。

 これこそ重大な心臓や腹の(やまい)です。

 

 成皋(せいこう)を守っているのは、大司馬の曹咎(そうきゅう)殿ですが、長く守り続けることはできないでしょう。

 覇王様は、まず成皋(せいこう)を危機からお救いになるのがよいと思います。

 

 そのあと勢いに乗って関東(函谷関(かんこくかん)より東の地域)を()の側に取り戻せば、漢軍の遠征を(はば)むことができ、韓信もすぐには救援できなくなり、陛下は完全な勝利を得られるでしょう。

 

 逆に、もし少しでも我らの動きが遅れれば、漢王は拠点を安定させてしまい、簡単には打ち破れなくなると思われます」

 

 項羽は腕を組んだ。

「なるほど……

 俺は、曹咎(そうきゅう)成皋(せいこう)城を任せるとき、『敵が来ても応戦せず城を固く守り、俺が大軍を(ひき)いて到着するのを待て』と言っておいたんだ。

 いま俺が成皋(せいこう)に行って、漢軍を城内と城外から挟撃(きょうげき)すれば、劉邦は確実に敗走させられるな」

 

 鍾離昧(しょうりまい)が言う。

「それでしたら、臣が一軍を(ひき)いて、滎陽(けいよう)へ向かいましょう。

 陛下は、みずから大軍を(ひき)いて成皋(せいこう)を救ってくださいませ。

 

 この2ヶ所を同時に確保し、関東を安定させてから彭城(ほうじょう)へ帰りなされば、天下の統一をなしとげられるでしょう」

 

 項羽は、うなずいた。

「よし!」

 

 そこで項羽は、鍾離昧(しょうりまい)に精鋭1万を(あず)けて滎陽(けいよう)に向かわせ、自分は大軍を(ひき)いて滎陽(けいよう)へと進んでいったのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 童子(どうじ)仇叔(きゅうしゅく)が語った『天下を愛する者は、天下の人みなこれを愛す……』という言葉は、「墨子・兼愛中」にある以下の一節を改変したものと思われる。
『人を愛する者は、人必ず従ひてこれを愛す。
 人を利する者は、人必ず従ひてこれを利す。
 人を(にく)む者は、人必ず従ひてこれを(にく)む。
 人を害する者は、人必ず従ひてこれを害す』
 墨家(ぼっか)の中核となる思想、兼愛(けんあい)交利(こうり)の精神を説く言葉である。簡単に言えば、『身近な人物だけでなく広く一般の人に愛を向けよ、そしてお互いに利益を与えあえ』というところだろうか。

(2)
 外黄(がいこう)人民が『項羽は昔、(しん)から降伏してきた兵卒20万人を……』と噂している部分は、「西漢通俗演義」には存在しない。「通俗漢楚軍談」において独自に追記された文章と思われる。
 庶民の口さがない意見を描写した面白いシーンではあるが、その噂話の内容には、本編との食い違いがある。
范増(はんぞう)は、あの凶行を一言も(いさ)めず』と言っているが、実際には范増(はんぞう)はかなり強い言葉で必死に項羽を(いさ)めていた。ただ項羽がそれに耳を貸さなかっただけである。
(第15回参照)
 また、ここでは童子(どうじ)仇叔(きゅうしゅく)を『背丈(せたけ)5尺の童子(どうじ)』と表現している。(しん)~漢の時代の度量衡なら5尺は約115cmになるが、これは13歳男子の身長としてはいささか小さすぎる。この文章が「軍談」で追記されたものであることも考慮に入れると、「軍談」が書かれた元禄(げんろく)期の日本における尺で表記されていると考えるのが妥当であろう。そこで、日本流に1尺=30cm強として、身長約150cmと解釈した。
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