酈生は、わざと無礼なふるまいをして斉王を挑発したうえで、斉王が抱えていた不安を、見事に指摘してみせた。
いつ韓信が攻めてくるか分からない……この緊迫した状況で、一体どう動くべきか。斉王は苦悩し続けていたのである。
そんな斉王の胸中を見透かしたかのように、酈生は優しく微笑んだ。
「斉王様、どうか御心を苦しめなさいますな。
こういう時は、まず天下の流れを観察し、その後に、どの勢力が興るか、あるいは滅びるかを予測するのが大切です。
斉王様は、これから天下がどう流れるかを知っておられますか?」
斉王は、首を横に振った。
「知らぬ」
酈生が言う。
「なるほど。天下の流れを御存知ないのであれば、私のことを無礼者と仰ったのも当然の理でございますね。
今、天下の趨勢を論ずるならば、まず楚は強いように見えるが、その実は弱い。
漢は弱いように見えるが、その実は強い。
現在の国境を見れば、漢はすでに天下の7割から8割を得ていて、楚は、わずかに2割か3割を占めるのみでございます。
にもかかわらず、項羽は、いまだに残虐・暴虐の行いをほしいままにしていて、徳を修めるということを知りません。
一方、漢王劉邦は、義帝のために喪を発し、義帝を追悼するために縞素(白い喪服)を身に着け、仁義の兵を起こしました。
天下に恩を施しているため、どこへ行っても、服従しない者はおりません。
その判断の明らかなることは太陽や月に等しく、その徳の豊かなことは古の堯帝や舜帝と同等です。
さらに今、敖倉の莫大な穀物を手に入れて兵糧は万全。
成皋の険しい道を塞ぎ、蜚狐陘を遮断し、太行陘を閉ざし、白馬の港を守り、諸侯の動きを完全に制御しております。
そのうえで人民を安心させる政策を行いながら、虎のように眼光鋭く天下取りの時を狙っているのです。
以上のことを考えれば、天下を取るのは、まさしく漢であって、決して楚ではないと私は予想します。
もし斉王様が今すぐに戈を倒し、甲を下ろし、城を開いて投降なされば、斉国すべての人民が塗炭の苦しみから免れます。
これこそ1万代先の未来にまで繋がる遠大な策というものでしょう。
私がここに来たのは、漢のためにあらず。
もっぱら斉のためです。
斉王様、このことを、つらつらとお考えくださいませ」
斉王は、酈生の話を聞き終えると、心から感服して、席を立ち、謝罪した。
「なるほど、よく分かった。
先生が来たのは、本当に斉国のためだったのだな。
余の目が曇っていたために、先生の行いを無礼だと言ってしまった。
この罪を許してくだされば幸いだ。
先生の教えに従い、今から漢に帰服しようと思うが、どうすればよいか?」
酈生が言う。
「それならば、まず降伏の表文を認め、使者を送って漢王様に意志を伝えなさいませ。
私は、しばらく斉に滞留しておきましょう。
いずれ漢王様が斉に来られるでしょうから、そのとき、私が斉王様を漢王様の御前へご案内いたします」
と、そのとき。
田横という男が、横から話に割り込んできた。
「斉王様!
軽々しく行動なさってはいけません!
今、韓信は大軍を趙に駐屯させています。
もし韓信が不意に攻めてきたら、どうやって防げばよいというのですか」
この田横は、斉王田広の叔父にあたる人物である。
そもそも田広が王位につけたのは田横に立てられたおかげであった。
その田横は、今、斉の相国(宰相)の地位にある。
王の叔父であり、擁立者であり、そして相国でもある……
これだけの条件がそろえば、必然的に、斉の政治は田横の手で左右されるようになる。
事実上の斉の支配者とさえ呼べるほどの影響力を持つ人物、それが相国田横なのだ。
その田横が、異議を唱えてきた。
酈生としては、ここで言い負けてはいられない。
酈生は、即座に言い返した。
「ご心配には及びません。
私は、私的に斉へ来たわけではない。 漢王様のご命令を奉じて来たのです。
その決定に、韓信が逆らえるはずがありましょうか」
ここで斉王が言う。
「道理ではあるが、すぐ近くに軍勢が置かれている現状は、我々としては不安だ。
そこで酈先生、韓信に書簡を送り、兵を後退させてもらえないだろうか?
そうすれば、これが斉を騙す策ではないと、我らも確信できる」
酈生は、うなずいた。
「なるほど、もっともなことですな。
では、さっそく韓信に書簡を送りましょう」
というわけで、酈生は、すぐに書簡を認め、従者を斉の使者と一緒に趙へ送った。
*
ところ変わって趙の国、漢軍の陣。
長期にわたって趙に駐屯したおかげで、漢軍は兵も馬も気力十分。
韓信は、いよいよ近日中に斉へ攻めかかろうと考え、諸将を集めて軍議を進めていた。
そんなある日。
韓信の元に、こんな報告が来た。
「酈大夫の使者が、書簡を送って参りました」
「酈生から? 何の用だろうか」
韓信は、帷幕の中に、酈生からの使者を呼び入れた。
酈生の使者が言う。
「今、酈大夫は斉に滞在しております。
漢王様のご命令で斉に行き、斉王に利害を説いたのです。
その甲斐あって、斉王は、漢に降伏する意思を固めました。
すでに滎陽の漢王様の元へは、別に使者が送られ、降伏の表文が献上されております。
斉にある70以上の城は、ことごとく漢に所属することになりました。
詳しくは、ここに酈大夫からの書簡がございます。
大元帥、どうぞお読みくださいませ」
韓信は書簡を受けとり、開いてみた。
その文章に曰く……
『漢の大夫酈食其、頓首して書を韓元帥の麾下に奉る。
私は漢王様のご命令を奉じて、斉への使者となりました。
その結果、斉は兵器を収め、戦争をやめ、心を漢に委ねて服従し、天命に従って王化(王者の徳で世を良くすること)を受け入れました。
これによって、何の騒動も起こすことなく、斉の七十余城を下すことができました。
三軍は汗を流して戦う苦労を免れ、斉国の人民の命も救われます。
これはすべて、漢王様の聖なる徳と明らかなる知恵、そして韓信大元帥の武威と徳の賜物であります。
ここに書簡をお送りし、以上のことをお伝えいたします。
このような事情ですから、大元帥は干戈(盾と戈)を収め、軍勢を成皋に凱旋させて、軍を休養させてくださいませ。
その後で、全軍を挙げて楚を討伐すれば、六国は影のように漢に従い、天下統一の大業が成しとげられることでしょう。
さすれば、大元帥の功績は、鼎や祭器に刻まれるに違いありません。
決して私自身が大きな功績を貪ろうとしているわけではないことを、どうかご承知おきください。
食其、再拝』
韓信は、書簡を読んで大いに喜び、使者に向かって言った。
「さすがは酈生だ。弁舌で斉を降伏させるとはな。
では、私はすぐに軍を撤収させて成皋へ帰り、漢王様と合流して楚を討伐しよう。
汝は、斉に帰って、いま私が言ったことを斉王に奏上せよ。
そして、『漢の兵が徐州(楚の都彭城周辺の地域)に到着したと聞いたら、斉からも兵を派遣していただきたい。ともに助け合って楚を破りましょう』と斉王に申し上げよ」
韓信は、すぐに返書を書いて使者に預けた。
使者は急いで斉に帰り、韓信の言ったことを酈生に伝えた。
酈生は韓信からの返書を読み、その内容を斉王にも報告した。
斉王は限りなく喜んだ。
それからというもの、斉王は、連日酈生を酒に誘うようになった。
なにしろ、酈生は根っからの酒好きだ。
斉王と酈生は、一緒に一日中酒を飲み、高らかに歌って楽しんだ。
斉王は、すっかり安心しきっていた。
そのため、戦に対する備えを、まったくしていなかったのである。
(つづく)