韓信は、斉の都臨淄の城を取り囲み、怒涛の勢いで攻撃をしかけた。
斉王は大いに驚き恐れ、相国の田横を呼んだ。
「覇王項羽様に救援要請は送ったが、彭城からの援軍は、まだ到着していない。
この国は、今にも破られようとしている。
どういう計で対処すべきだろうか?」
田横が答えて言う。
「このまま敵に捕らえられるのを座して待つよりは、今宵、城から打って出て、死を覚悟の一戦を挑みましょう。
勝敗は、戦ってみなければ分かりません」
斉王は、
「もっともだ。よし」
と、すぐに命令を飛ばし、戦支度を整えさせた。
その日の晩……
斉王たちは、まず、兵卒に命じて、城壁の上から敵陣の様子をうかがわせた。
兵卒は、すぐに戻ってきて、報告した。
「漢の陣には、おびただしい数の篝火が立てられていて、その明るさは、まるで白昼のようです。
刁斗(鍋と銅鑼を兼ねた道具)の音には乱れがなく、隊列は厳しく整えられています」
相国田横は、報告を聞いて、鼻息荒く叫んだ。
「敵を恐れていて勝負に勝てるものか!」
田横は城の東門を押し開き、斉王ともども、大軍を率いて飛び出していった。
*
一方、漢軍。
大将曹参が、中軍に人馬を固めて臨淄城の動きを警戒していると、報告が飛び込んできた。
「斉軍が城を出て、攻めかかってきました!」
「来たか!」
曹参は、すぐさま主力部隊を率いて応戦に出た。
城外にて対峙する斉漢両軍。
斉の相国田横は、手にした長槍を捻って軍勢の先頭に馬を進めると、漢軍に向かって怒声を投げかける。
「股潜り男を出せ!
妄りに野望を抱いて、人を欺きおった、あの男を!
私と快く決死の一戦を交えようではないか!」
「黙れ田横っ!」
曹参は大いに怒り、刀をあげて驀地暗に斬りかかった。
曹参と田横、ふたり火を散らして戦うこと30余合。
いまだ勝負の行方は見えないが……
様子を見ていた韓信が、ここで突然、兵を動かした。
大部隊を田横の軍の横っ腹に突入させたのである。
田横の軍も、決して弱いわけではない。
しかし、正面で曹参と戦いながら、横の韓信にも応戦せねばならないこの状況は、明らかに不利である。
たちまち斉軍は窮地に陥り、ぐんぐん押し込まれはじめた。
「ええい、これ以上は持たぬか!」
田横は一時撤退を決断した。
田横は、斉王を保護しながら必死に槍を振るい、退路を切り開いて逃げだした。
このとき、時刻はすでに夜。
漢軍の諸将は田横・斉王を追撃しようとしたが、韓信が、これを制止した。
「待て。追撃に力を尽くしてはいけない。
おそらく敵も、追撃に備えて伏兵を残しているだろう」
韓信の命によって漢軍が撤収したため、その日の戦いは、これで終了となった。
だが……
斉軍の苦難は、まだ終わっていなかった。
田横は、どうにかこうにか斉王を守り切り、敗軍を集めて後退したものの……
この時、臨淄城に戻る道は、すでに漢軍によって遮断されていたのである。
結局。
田横たちは臨淄に戻ることを諦め、南東の高密県へ逃走することを余儀なくされた。
その翌日。
守る者のいなくなった臨淄城を、韓信は、やすやすと占領した。
そして、いつものように人民を安心させる政策を実行し、兵士たちにも休養を取らせながら、斉王たちを追撃するための軍議にとりかかったのだった。
*
斉王は、高密に逃げ込むと、すぐに早馬を飛ばした。
送り先は、もちろん楚の都、彭城。
覇王項羽に救援を求めたのである。
項羽は、斉王からの表文を受け取ると、すぐに開いて中を見た。
その文面は……
『斉王田広、地に頭をつけて上言す。
国は、独力では治められません。
勢力は、孤立させてはなりません。
独力で治めようとすれば、王の徳を広めることができません。
孤立してしまえば、敵国に侮られるのを防げなくなります。
覇王陛下の威勢と人徳を考えれば、海内世界すべてが素直に従い、天下統一の基盤がすぐに確立されるだろうと、私は思っておりました。
ところが、劉邦が予想外の災いをなし、世界は揺れ動きはじめました。
韓信は兵を弄んで我が斉の封土(領土)に侵入し、掻き乱しています。
雍・塞・翟の三秦はすでに失われ、西魏・河南の二魏も敗亡し、燕と趙が新たに破られました。
諸侯による連携体制は瓦解してしまったのです。
今や、斉は覇王陛下の最後の藩屏にして楚国の喉元でございます。
仮に斉が敵の手に落ちれば、覇王陛下は完全に孤立し、独力で国を治めねばならなくなります。
もしそうなれば、天下統一を成しとげ皇帝の位を復活させるという大望は、どんなに長い年月をかけても実現不可能でしょう。
そこで、伏してお願いいたします。
どうか、楚軍の大将に精鋭を預けてこちらへ派遣し、濁流の中で溺れ凍える我らに、救いの焚火を点してくださいませ。
我らの、逆さ吊りにされるような苦しみを、どうか解消してくださいませ。
もし斉が破られれば、道沿いの各郡県は、次々に漢軍の刃に屈服するでしょう。
そうすれば、彭城も、おそらくは動揺することになります。
覇王陛下がその剛健なるお力を我らに賜り、明らかな判断をすばやく下していただければ、斉国にとって幸甚の至り。
人民にとっても幸甚の至りでございます……』
項羽は、表文を読み終わると、すぐに大将の龍沮と周蘭を呼んだ。
「斉王が早馬を打って、救援を求めてきた。
韓信が斉を攻撃し、かなり危ない状況になっているようだ。
お前たちは、3万の精鋭を率い、すぐに臨淄と高密へ行け!
漢軍を破り、斉を救うんだ!
昼夜兼行で行って、早く凱歌を聞かせてくれ。
遅れるんじゃないぞ!
もしお前たちの手に負えないようなら、早馬をよこせ。
その時は、俺が自ら大軍を率いて応援に行ってやる」
龍沮は、自信満々に胸を張った。
「覇王陛下、御心を安んじたまえ!
必ずや、韓信の首級を陛下の御前に献上してみせましょう!」
屈強の武人らしい、力強い返答である。
項羽は大喜びし、自分の所有する狐裘を龍沮に賜った。
狐裘とは、狐の革で作った高級な上着のことである。
それから、項羽は手ずから盃を取り、龍沮と周蘭に別れの酒をふるまった。
龍沮と周蘭は、それぞれ3杯を飲み干すと、項羽に感謝の言葉を述べ、別れを告げて彭城から出て行った。
龍沮の軍勢は威風凛々。軍旗は天を覆い、剣戟は太陽にキラめいている。
「すぐに股潜り男を生け捕りにして、斉王田氏の一族を包囲の中から救い出してやろう!」
と、将も兵も喜び勇んで進んでいった。
*
一方そのころ。
韓信は、逃げた斉王を追って、高密城に来ていた。
漢軍が高密城を包囲して数日。
幾度かの戦いによって、高密の斉軍は繰り返し被害を受け、まさに危急の時にあった。
そんなある日、韓信の元へ報告が来た。
「彭城から、楚の援軍がやってきました。
大将は龍沮。城から30里(12km)のところに大軍で陣取っています」
韓信は、これを聞くと、わざと兵を5里後退させて陣を置き、大将たちを招集した。
「龍沮が援軍を率いて来た。
龍沮は楚の名将だ。
その武勇は尋常を超えている。
力と力でぶつかり合えば、勝利は、おぼつかないだろう。
そこで、知略をもって、これを打ち破る。
諸君は、今から伝えるように動いてもらいたい。
この如く、この如く……
分かったな? こうすれば龍沮を討ち取れること疑いなしだ」
「承知しました!」
漢の大将たちは、それぞれの役目を果たすべく、次々に飛び出ていった。
*
同じころ、龍沮のほうも、副将周蘭と軍議を行っていた。
龍沮が言う。
「周蘭よ。御辺は韓信の為人を知っているか?
俺が聞いたところでは、韓信は昔、自分ひとり食っていくことさえできなくて、漂母(洗濯を生業にする女性)に食い物を恵んでもらったそうではないか。
さらに、市場では、暴漢に脅されて、その股を潜ったとも聞く。
人として最低限の勇気さえ無い、恐るるに足らぬ男なのだ」
周蘭は、慌てて首を横に振った。
「いえ、それは違います!
韓信が三秦を破って以来、行くところ行くところ風の如く靡いて、みな韓信の下に下っております。
あの覇王項羽様ですら、韓信の戦車隊に敗走させられ、彭城へ帰還するハメになりました。
韓信は知恵も十分、策略も多い。相手の裏をかく変幻自在の計略は予測しがたいものです。
龍沮将軍、決して敵を軽んじてはなりませんぞ。
油断なく備えをしておかねばいけません。
かつて韓信が食物を乞い、股を潜って難を逃れたのは、今こうして大きな功績を立てることを予期していたからでしょう。
もしそのとき恥辱を受け入れていなかったら、そこで虚しく犬死して、世に名前を知られることなく終わっていたわけですから……
韓信は無能ではありません。
むしろ、それらの逸話は、韓信の能力の高さを物語っているとすら言えます」
龍沮は、鼻で笑った。
「確かに御辺の言う通り、これまでの韓信は、攻めて取れぬことなく、戦って勝たぬことはなかった。
だが、それは単に、今まで強敵と出会ったことがなかったからだ。
もし知恵と武勇を兼ね備えた大将に遭遇したら、小賢しい謀など用いていられようか!
まあ見ていろ。
俺は堂々と戦書(挑戦状)を送り、明日、快く戦いを交えてみせよう!」
龍沮は、すぐに戦書を書いて、使者を漢軍の陣へ送った。
(つづく)