龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十一の上 嚢沙の計、韓信龍沮を斬る

 

 

 韓信は、(せい)(みやこ)臨淄(りんし)の城を取り囲み、怒涛(どとう)の勢いで攻撃をしかけた。

 

 (せい)王は大いに驚き恐れ、相国(しょうこく)田横(でんおう)を呼んだ。

「覇王項羽様に救援要請は送ったが、彭城(ほうじょう)からの援軍は、まだ到着していない。

 この国は、今にも破られようとしている。

 どういう計で対処すべきだろうか?」

 

 田横(でんおう)が答えて言う。

「このまま敵に捕らえられるのを()して待つよりは、今宵(こよい)、城から打って出て、死を覚悟の一戦を挑みましょう。

 勝敗は、戦ってみなければ分かりません」

 

 (せい)王は、

「もっともだ。よし」

 と、すぐに命令を飛ばし、(いくさ)支度(じたく)を整えさせた。

 

 その日の晩……

 (せい)王たちは、まず、兵卒に(めい)じて、城壁の上から敵陣の様子をうかがわせた。

 兵卒は、すぐに戻ってきて、報告した。

 

「漢の陣には、おびただしい数の篝火(かがりび)が立てられていて、その明るさは、まるで白昼(はくちゅう)のようです。

 刁斗(ちょうと)(鍋と銅鑼(どら)を兼ねた道具)の音には乱れがなく、隊列は厳しく整えられています」

 

 相国(しょうこく)田横(でんおう)は、報告を聞いて、鼻息荒く叫んだ。

「敵を恐れていて勝負に勝てるものか!」

 

 田横(でんおう)は城の東門を押し開き、(せい)王ともども、大軍を(ひき)いて飛び出していった。

 

 

   *

 

 

 一方、漢軍。

 大将曹参(そうさん)が、中軍に人馬を固めて臨淄(りんし)城の動きを警戒していると、報告が飛び込んできた。

(せい)軍が城を出て、攻めかかってきました!」

 

「来たか!」

 曹参(そうさん)は、すぐさま主力部隊を(ひき)いて応戦に出た。

 

 城外にて対峙(たいじ)する(せい)漢両軍。

 

 (せい)相国(しょうこく)田横(でんおう)は、手にした長槍(ながやり)(ひね)って軍勢の先頭に馬を進めると、漢軍に向かって怒声を投げかける。

(また)(くぐ)り男を出せ!

 (みだ)りに野望を抱いて、人を(あざむ)きおった、あの男を!

 私と(こころよ)く決死の一戦を交えようではないか!」

 

「黙れ田横(でんおう)っ!」

 曹参(そうさん)は大いに怒り、刀をあげて驀地暗(まっしぐら)に斬りかかった。

 

 曹参(そうさん)田横(でんおう)、ふたり火を散らして戦うこと30()(ごう)

 いまだ勝負の行方(ゆくえ)は見えないが……

 

 様子を見ていた韓信が、ここで突然、兵を動かした。

 大部隊を田横(でんおう)の軍の横っ腹に突入させたのである。

 

 田横(でんおう)の軍も、決して弱いわけではない。

 しかし、正面で曹参(そうさん)と戦いながら、横の韓信にも応戦せねばならないこの状況は、明らかに不利である。

 たちまち(せい)軍は窮地に(おちい)り、ぐんぐん押し込まれはじめた。

 

「ええい、これ以上は持たぬか!」

 田横(でんおう)は一時撤退を決断した。

 田横(でんおう)は、(せい)王を保護しながら必死に槍を振るい、退路を切り開いて逃げだした。

 

 このとき、時刻はすでに夜。

 漢軍の諸将は田横(でんおう)(せい)王を追撃しようとしたが、韓信が、これを制止した。

「待て。追撃に力を尽くしてはいけない。

 おそらく敵も、追撃に備えて伏兵を残しているだろう」

 

 韓信の(めい)によって漢軍が撤収したため、その日の戦いは、これで終了となった。

 

 だが……

 (せい)軍の苦難は、まだ終わっていなかった。

 

 田横(でんおう)は、どうにかこうにか(せい)王を守り切り、敗軍を集めて後退したものの……

 この時、臨淄(りんし)城に戻る道は、すでに漢軍によって遮断されていたのである。

 

 結局。

 田横(でんおう)たちは臨淄(りんし)に戻ることを(あきら)め、南東の高密(こうみつ)県へ逃走することを余儀(よぎ)なくされた。

 

 その翌日。

 守る者のいなくなった臨淄(りんし)城を、韓信は、やすやすと占領した。

 そして、いつものように人民を安心させる政策を実行し、兵士たちにも休養を取らせながら、(せい)王たちを追撃するための軍議にとりかかったのだった。

 

 

   *

 

 

 (せい)王は、高密(こうみつ)に逃げ込むと、すぐに早馬を飛ばした。

 送り先は、もちろん()(みやこ)彭城(ほうじょう)

 覇王項羽に救援を求めたのである。

 

 項羽は、(せい)王からの表文を受け取ると、すぐに開いて中を見た。

 その文面は……

 

(せい)田広(でんこう)、地に(こうべ)をつけて上言(じょうげん)す。

 

 国は、独力では治められません。

 勢力は、孤立させてはなりません。

 独力で治めようとすれば、王の徳を広めることができません。

 孤立してしまえば、敵国に侮られるのを防げなくなります。

 

 覇王陛下の威勢と人徳を考えれば、海内(かいだい)世界すべてが素直に従い、天下統一の基盤がすぐに確立されるだろうと、私は思っておりました。

 

 ところが、劉邦が予想外の災いをなし、世界は揺れ動きはじめました。

 韓信は兵を(もてあそ)んで我が(せい)封土(ほうど)(領土)に侵入し、掻き乱しています。

 (よう)(さい)(てき)三秦(さんしん)はすでに失われ、西魏(せいぎ)河南(かなん)二魏(にぎ)も敗亡し、(えん)(ちょう)が新たに破られました。

 諸侯による連携体制は瓦解(がかい)してしまったのです。

 

 今や、(せい)は覇王陛下の最後の藩屏(はんぺい)にして()国の喉元(のどもと)でございます。

 仮に(せい)が敵の手に落ちれば、覇王陛下は完全に孤立し、独力で国を治めねばならなくなります。

 

 もしそうなれば、天下統一を成しとげ皇帝の(くらい)を復活させるという大望(たいぼう)は、どんなに長い年月をかけても実現不可能でしょう。

 

 そこで、伏してお願いいたします。

 どうか、()軍の大将に精鋭を(あず)けてこちらへ派遣し、濁流の中で(おぼ)(こご)える我らに、救いの焚火(たきび)(とも)してくださいませ。

 我らの、逆さ吊りにされるような苦しみを、どうか解消してくださいませ。

 

 もし(せい)が破られれば、道沿(みちぞ)いの各郡県は、次々に漢軍の刃に屈服するでしょう。

 そうすれば、彭城(ほうじょう)も、おそらくは動揺することになります。

 

 覇王陛下がその剛健なるお力を我らに(たまわ)り、明らかな判断をすばやく下していただければ、(せい)国にとって幸甚(こうじん)の至り。

 人民にとっても幸甚(こうじん)の至りでございます……』

 

 項羽は、表文を読み終わると、すぐに大将の龍沮(りゅうしょ)周蘭(しゅうらん)を呼んだ。

(せい)王が早馬を打って、救援を求めてきた。

 韓信が(せい)を攻撃し、かなり危ない状況になっているようだ。

 

 お前たちは、3万の精鋭を(ひき)い、すぐに臨淄(りんし)高密(こうみつ)へ行け!

 漢軍を破り、(せい)を救うんだ!

 

 昼夜(ちゅうや)兼行(けんこう)で行って、早く凱歌(がいか)を聞かせてくれ。

 遅れるんじゃないぞ!

 

 もしお前たちの手に()えないようなら、早馬をよこせ。

 その時は、俺が(みずか)ら大軍を(ひき)いて応援に行ってやる」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、自信満々に胸を張った。

「覇王陛下、御心(みこころ)を安んじたまえ!

 必ずや、韓信の首級(しゅきゅう)を陛下の御前に献上してみせましょう!」

 

 屈強の武人らしい、力強い返答である。

 項羽は大喜びし、自分の所有する狐裘(こきゅう)龍沮(りゅうしょ)(たまわ)った。

 狐裘(こきゅう)とは、狐の(かわ)で作った高級な上着のことである。

 

 それから、項羽は()ずから(さかずき)を取り、龍沮(りゅうしょ)周蘭(しゅうらん)に別れの酒をふるまった。

 龍沮(りゅうしょ)周蘭(しゅうらん)は、それぞれ3杯を飲み干すと、項羽に感謝の言葉を述べ、別れを告げて彭城(ほうじょう)から出て行った。

 

 龍沮(りゅうしょ)の軍勢は威風凛々(りんりん)。軍旗は天を(おお)い、剣戟(けんげき)は太陽にキラめいている。

 

「すぐに(また)(くぐ)り男を()()りにして、(せい)田氏(でんし)の一族を包囲(ほうい)の中から救い出してやろう!」

 と、将も兵も喜び(いさ)んで進んでいった。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ。

 韓信は、逃げた(せい)王を追って、高密(こうみつ)城に来ていた。

 

 漢軍が高密(こうみつ)城を包囲して数日。

 幾度(いくど)かの戦いによって、高密(こうみつ)(せい)軍は繰り返し被害を受け、まさに危急の時にあった。

 

 そんなある日、韓信の元へ報告が来た。

彭城(ほうじょう)から、()の援軍がやってきました。

 大将は龍沮(りゅうしょ)。城から30里(12km)のところに大軍で陣取っています」

 

 韓信は、これを聞くと、わざと兵を5里後退させて陣を置き、大将たちを招集した。

龍沮(りゅうしょ)が援軍を(ひき)いて来た。

 

 龍沮(りゅうしょ)()の名将だ。

 その武勇は尋常を超えている。

 力と力でぶつかり合えば、勝利は、おぼつかないだろう。

 

 そこで、知略をもって、これを打ち破る。

 諸君は、今から伝えるように動いてもらいたい。

 この如く、この如く……

 分かったな? こうすれば龍沮(りゅうしょ)()ち取れること疑いなしだ」

 

「承知しました!」

 漢の大将たちは、それぞれの役目を果たすべく、次々に飛び出ていった。

 

 

  *

 

 

 同じころ、龍沮(りゅうしょ)のほうも、副将周蘭(しゅうらん)と軍議を行っていた。

 

 龍沮(りゅうしょ)が言う。

周蘭(しゅうらん)よ。御辺(ごへん)は韓信の為人(ひととなり)を知っているか?

 俺が聞いたところでは、韓信は昔、自分ひとり食っていくことさえできなくて、漂母(ひょうぼ)(洗濯を生業(なりわい)にする女性)に食い物を(めぐ)んでもらったそうではないか。

 

 さらに、市場では、暴漢に(おど)されて、その(また)(くぐ)ったとも聞く。

 人として最低限の勇気さえ無い、恐るるに足らぬ男なのだ」

 

 周蘭(しゅうらん)は、慌てて首を横に振った。

「いえ、それは違います!

 韓信が三秦(さんしん)を破って以来、行くところ行くところ風の如く(なび)いて、みな韓信の下に下っております。

 

 あの覇王項羽様ですら、韓信の戦車隊に敗走させられ、彭城(ほうじょう)へ帰還するハメになりました。

 韓信は知恵も十分、策略も多い。相手の裏をかく変幻自在の計略は予測しがたいものです。

 

 龍沮(りゅうしょ)将軍、決して敵を(かろ)んじてはなりませんぞ。

 油断なく(そな)えをしておかねばいけません。

 

 かつて韓信が食物を()い、(また)(くぐ)って難を(のが)れたのは、今こうして大きな功績を立てることを予期していたからでしょう。

 もしそのとき恥辱(ちじょく)を受け入れていなかったら、そこで(むな)しく犬死(いぬじに)して、世に名前を知られることなく終わっていたわけですから……

 

 韓信は無能ではありません。

 むしろ、それらの逸話(いつわ)は、韓信の能力の高さを物語(ものがた)っているとすら言えます」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、鼻で笑った。

「確かに御辺(ごへん)の言う通り、これまでの韓信は、攻めて取れぬことなく、戦って勝たぬことはなかった。

 

 だが、それは単に、今まで強敵と出会ったことがなかったからだ。

 もし知恵と武勇を()(そな)えた大将に遭遇(そうぐう)したら、小賢(こざか)しい(はかりごと)など用いていられようか!

 

 まあ見ていろ。

 俺は堂々と戦書(せんしょ)(挑戦状)を送り、明日、(こころよ)く戦いを交えてみせよう!」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、すぐに戦書(せんしょ)を書いて、使者を漢軍の陣へ送った。

 

 

(つづく)

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