龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十一の中 嚢沙の計、韓信龍沮を斬る

 

 

 ほどなくして、韓信の陣に、()龍沮(りゅうしょ)からの使者が来た。

 

 韓信は、送られてきた戦書(せんしょ)を開いた。

 その書に(いわ)く……

 

()の大将軍龍沮(りゅうしょ)、書を漢の諸将に送って伝える。

 

 韓信は、ここまで兵を用いてきながら、いまだに強敵らしい強敵と出会っていない。

 魏豹(ぎひょう)ごときは、側近周叔(しゅうしゅく)(いさ)めを聞き入れず、軍を失ってしまった。

 陳余(ちんよ)は、李左車(りさしゃ)(はかりごと)を用いず、泜水(ていすい)(川の名前)で斬られた。

 

 (えん)王は、漢軍の勢いを恐れて降伏したが、心から服従したわけではない。

 三秦(さんしん)王は、地の利を失って偶然に負けたのであって、戦いが弱かったためでではない。

 

 だが、この私、龍沮(りゅうしょ)が今、覇王様の(めい)を受けて(せい)を救いにやってきた。

 韓信よ。貴様に決戦を(いど)む!

 

 我が力は、これまで破ってきた諸国とは比べ物にならないぞ。

 韓信よ。処刑される時を、首を洗って待っているがいい。

 いまさら後悔するなよ!』

 

 韓信は、書を読み終わって、大いに怒った。

 

 あまりの怒りの激しさに、韓信は()の使者を斬って捨てようとまでしたが、他の大将たちが慌てて止めた。

「いけません、大元帥!

 敵からの使者は、殺さないのが習慣でしょう」

 

 諸将の(いさ)めのおかげで、韓信は、使者を斬ることだけは、どうにか思いとどまった。

 だが、まだ怒りは冷めやらぬ様子である。

 

 そこで韓信は、()の使者を30(じょう)の刑に処した。

 読んで字の如く、木の(つえ)で人の背中や尻を30回叩く刑罰である。

 

 正しく力加減をすれば(いのち)に関わることはない。

 だが、服を()ぎ取ったうえで素肌を叩くのだから、その苦痛は想像以上にすさまじい。

 皮は破れ、肉は裂け、骨まで砕けることもある。

 

 さらに、公衆の面前で(はだか)()かれて尻を叩かれるのだから、耐えがたい恥辱でもある。

 

 韓信は、そういう刑罰で使者を(はずかし)めたうえ、筆を持ってきて使者のおでこに落書(らくが)きまでした。

 『来日決戦』。

 明日、決戦しよう……という意味の4文字を、わざわざ朱書(しゅが)きにしてから、使者を解放したのである。

 

 

   *

 

 

 使者は、人におでこを見られないよう、頭を隠しながら、ほうほうの(てい)で逃げ帰ってきた。

 使者が、龍沮(りゅうしょ)の前に来て、泣き叫びながら言う。

「韓信は、私を色々な言葉で散々に(ののし)(はずかし)め、ついには斬って捨てようとまでしました。

 

 周囲の大将たちが止めたので(いのち)だけは助かりましたが……

 斬首のかわりに私は30(じょう)の刑を受けました。

 皮膚(ひふ)や肉が()け、骨や関節が砕け、耐えがたく痛みます……

 しかも、韓信は……私の顔面に、こんな文字を……!」

 

 龍沮(りゅうしょ)が使者の顔を(のぞ)き込むと、そこには鮮やかな朱色で『来日決戦』と書かれてある。

 使者は、恥ずかしさのあまり地面に崩れ落ち、そのまま死んでしまうのではないかというほどに激しく泣きわめいた。

 

 龍沮(りゅうしょ)は怒った。

「おのれェッ……!

 よくも俺の部下を(はずかし)めてくれたなッ!

 

 いますぐに攻めて(また)(くぐ)り男を()()り、この(うら)みに報復してやる!」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、そのまま武具を(つか)んで肩に(かつ)ぎ、自分の馬に飛び乗ろうとした。

 

 副将周蘭(しゅうらん)は、慌てて龍沮(りゅうしょ)を引き止めた。

「いけません! 決戦は明日の予定でしょう。

 怒りに任せて軽率に動けば、それこそ敵の思うつぼです!」

 

 周蘭(しゅうらん)が2度、3度と言葉を尽くして(いさ)めたので、龍沮(りゅうしょ)も、どうにかその場は思いとどまった。

 

 

   *

 

 

 そして、翌朝未明(みめい)

 龍沮(りゅうしょ)は、兵たちに兵糧(ひょうろう)を使わせると、ただちに全軍を出発させた。

 さすがに()の精鋭である。

 その隊列は一糸(いっし)(みだ)れすらなく、見る者を圧倒するほどの武威(ぶい)で輝かんばかりだった。

 

 龍沮(りゅうしょ)は、()軍の先頭に立って進み、漢軍の陣の前までやってきた。

 

 これを見た漢軍も陣門を開く。

 その中から馬にまたがり迎え出る者は、言わずと知れた漢の大元帥、韓信である。

 

 龍沮(りゅうしょ)は、韓信の軍勢と距離をおいて対峙(たいじ)し、声を張り上げた。

「韓信! 汝は、もともと()の臣だった!

 それが義に(そむ)いて漢に(くだ)り、みだりに武威を振るって関中の治安を乱したばかりか、なお止まることを知らず、こんな所まで来て我ら天兵に戦いを(いど)もうとは!

 

 汝に武勇というものがあるなら、前に出て、(こころよ)く俺と戦え!

 もし戦えないなら、すぐに下馬して降伏するがいい!

 そうすれば一命(いちめい)を助けて、俺の麾下(きか)で用いてやろう!」

 

 韓信は、天を(あお)いで大笑いした。

龍沮(りゅうしょ)よ! 汝は、すでに死人なり!

 自分のたどる死の運命にも気づかず、無駄に唇や舌を動かしているとはな!」

 

「なんだとッ!?」

 龍沮(りゅうしょ)は怒った。

 

 かくして戦いは始まった。

 まずは龍沮(りゅうしょ)が刀を()げて、韓信へ飛びかかる。

 韓信も槍を振るって迎え打つ。

 

 両者の馬が一来(いちらい)一往(いちおう)、刃を交えて戦い合うこと20合。

 龍沮(りゅうしょ)は、さすがの豪傑(ごうけつ)である。疲れて弱るどころか、戦えば戦うほどますます精神を(ふる)い立たせて強さを増していく。

 

 韓信は、とうとう(こら)えきれなくなり、東南に馬を向けて逃げ出した。

 漢軍の兵も、慌てて韓信の後を追う。

 

 龍沮(りゅうしょ)は、その背を見て笑った。

「わっははは! 俺は最初から知っていたぞ、韓信が臆病者だということはな!

 さあ、奴を捕らえるぞ! 今を(のが)せば、次いつ機会が来るか分からん!」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、軍勢を引き連れて、韓信を猛追した。

 ()の副将周蘭(しゅうらん)も、龍沮(りゅうしょ)のすぐ後ろに馬を従わせて追いかける。

 

 逃げる韓信を追い回しているうちに時は()ち、夕暮れ時。

 龍沮(りゅうしょ)たちは、濰水(いすい)という川に出くわした。

 

 この濰水(いすい)は、天下に隠れ無き大河である。

 普段なら、舟や(いかだ)が無ければ、とうてい渡れるものではない。

 

 だが今日は、やけに水量が少ない。

 水は、川の中央あたりを、(おび)のようにチョロチョロと流れているのみ。

 ほとんどの部分では川底の泥が見えている。

 

 濰水(いすい)の向こう岸には、韓信の軍勢が見える。

 韓信は、すでに川を渡り終えてしまったようだ。

 龍沮(りゅうしょ)もまた、韓信を追走すべく、濰水(いすい)へ馬を入らせようとした。

 

 そのとき、副将周蘭(しゅうらん)が、

「ハッ! まさか!?」

 と何かに気づいた。

 

 周蘭(しゅうらん)は、急いで龍沮(りゅうしょ)の前に出ると、馬の(くつわ)(つか)んで引き止めた。

龍沮(りゅうしょ)将軍、お待ちください!

 濰水(いすい)といえば世に知られた大河。それが今は、ほとんど水がありません。

 

 これは、韓信の計略ではないでしょうか?

 たとえば、川の上流を()き止めておき、()軍が川の真ん中まで渡ってきたところで、一気に放流して押し流す、だとか……

 もしそうであれば、我らは1人も生き残れなくなります」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、鼻で笑った。

「そんな馬鹿な。

 韓信は、つい今さっき戦いに敗れて逃げてるところなんだぞ。

 そんな手の込んだ仕掛(しか)けをする時間など無かっただろう。

 

 今は真冬(まふゆ)の12月。水量の少なくなる時期だ。

 水が()れてるのは、そのせいだろう。

 怪しむ必要は、あるまい」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、そう言って、さらに前進し、漢軍を追った。

 

 川を渡る間に日が沈み、あたりは暗闇に包まれた。

 もう、対岸にいた漢軍の姿も見えない。

 

 そのとき、先行させていた斥候(せっこう)が戻ってきて、龍沮(りゅうしょ)に報告した。

「韓信は我らの前方におります!

 距離は、もう遠くありません!」

 

 龍沮(りゅうしょ)は、

「よし!」

 と、ますます気を大きくして、大軍を川の中で突進させた。

 

 そうして川の中央あたりまで来ると……

 

 前方に、おかしな物が見えてきた。

 

 燈籠(とうろう)である。

 こんな川の真ん中に、長い棒が突き立ててあり、その上に、(ます)の如く大きな丸い燈籠(とうろう)がぶら下げられて、ゆらゆら光を放っているのだ。

 

「こんなところに燈籠(とうろう)だと……?」

 龍沮(りゅうしょ)は、怪しみながら燈籠(とうろう)に駆け寄っていった。

 すぐそばまで来ると、燈籠(とうろう)の下に、木牌(もくはい)(木の立て札)が立ててあるのが見えた。

 その木牌(もくはい)には、何か大きく文字が書かれているようである。

 

 暗闇の中、燈籠(とうろう)の光を頼りに木牌(もくはい)の文字を読んでみれば、書かれていたのは、たった6文字……

 

『吊燈球、斬龍沮(りゅうしょ)

 燈球(とうきゅう)を吊って、龍沮(りゅうしょ)を斬る。

 

 

(つづく)




●注釈
 本編に『(ます)のように大きな燈籠(とうろう)』という表現が登場した。
 「西漢通俗演義」の原文は『高懸一燈球如斗大』。直訳すれば『斗のように大きな球形の燈籠(とうろう)が高い所に()けてある』というところだろうか。
 この場合の『斗』は、容量1()の容器を指すとみてよいだろう。1()の体積は時代や地域によってかなり大きな違いがあり、現代日本では約18リットル、現代中国では10リットルなのだが、(しん)~漢の時代はわずか2リットルほどしかなかった。
 10~18リットルであれば確かにかなり大きいが、2リットルならむしろ標準的な燈籠(とうろう)でしかない。ただ、この『如斗大』というのは、大きい物に対する慣用表現としてしばしば使われる。おそらく厳密に1()なわけではなく、単に大きいという印象を表しているだけなのだろうと思われる。
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