項梁を討ち取り、勢いに乗った章邯は、秦の大軍を率いて黄河を渡り、中国北東部へと雪崩れ込んだ。
狙いは六国の一つ、趙。
迫りくる侵略者に対して、趙王の趙歇は、張耳、陳余の二大将に迎撃を命じた。
だが秦の大軍は潮の如く押し寄せてくる。
その勢いを防ぎ切れず、張耳と陳余は敗走した。
二人は秦軍の追撃から逃げて逃げて逃げまくり、命からがら鉅鹿の城へ転がり込んで、どうにか一命をとりとめた。
もはや独力では戦況を覆しがたい……そう判断した二人は、城に立てこもって守りを固めつつ、早馬を送って項羽に救援を求めた。
*
このとき、項羽は陳留にいた。
叔父項梁の仇を討つべく章邯を追ってここまで来たのだが、一足遅く、すでに秦軍は陳留を離れ、趙へ出陣してしまっていたのである。
趙からの救援要請を受けた項羽は、宋義や范増に相談して言った。
「秦軍は趙を取り囲んでいて、勢いは盛んだ。
それにひきかえこちらの兵は、総大将の叔父上を亡くしたことで士気を失っている。しかも今、懐王は一人で盱眙を守っている状態だ。なにか異変があったらどうにもならなくなる。
ここはまず戦場に近い彭城へ都を移し、動きやすい態勢を整えてから今後の方針を考え直そう」
楚軍はただちに盱眙に帰還し、ここまでの状況を報告した。
懐王は武信君の訃報を聞くと、声をあげて泣いた。
項羽が懐王に申しあげた。
「武信君が亡くなったことで、味方の鋭気は折れてしまいました。
章邯は今、大軍で鉅鹿を包囲していて、趙は敗北寸前だ。で、趙が負けたら、次に章邯はここへ攻めてくるでしょう。
だから早く軍備を整え直し、打って出る必要があります。王様は都を彭城に移してください。掎角の勢を張るんですよ」
掎角とは、鹿を捕らえるために後ろから足を掎っぱり、前から角を掴む、の意。すなわち、前後挟み撃ちの構えのことをいう。
章邯が彭城を攻めてきたなら、あらかじめ出陣していた項羽の軍勢がその背後を狙う……という作戦であろう。
だが、そこへ趙王からの早馬が到着した。
懐王は使者を御前に呼び出し、戦況を尋ねた。
使者が答える。
「秦の兵は30万騎。鉅鹿の包囲は一ヶ月に及んでいます。
趙軍内では兵糧が尽きて人馬死すもの数知れず。事は差し迫っております。大王! どうか我が国を憐み、お救いくださいませ!」
懐王はこの言葉に驚き、すぐに命令を下した。
「宋義を大将軍、項羽を副将軍、范増を軍師とし、20万の兵を与える。ただちに出発して趙を救いなさい!」
*
宋義は命を受けて出立し、安陽の地に陣を置いた。
安陽は彭城の北西にあり、目指す鉅鹿までは、まだ道半ばといったところ。
ところが、なぜか宋義はこんな遠くに兵を落ち着けて、ピタリと歩みを止めてしまったのである。
宋義は、諸将に対してこう説明した。
「秦の兵が趙を取り囲んで、かなりの日数になる。今ごろ秦兵は気が緩み、志も堕落して、みんな戦意を失っているだろう。
我々はこの場所に駐屯して、座りながら様子をうかがう。そして秦軍が弱ったところを狙って一度攻撃を仕掛ければ、必ず章邯を捕虜にできる」
かくして楚軍は、そのまま安陽に留まり続けることになった。
だが、この滞陣は不自然に長すぎた。まったく動くことなく無駄に時を過ごすこと、実に46日。
しびれを切らした項羽は、宋義の元へ乗り込んだ。
「宋義将軍! 趙では、死者が全兵卒の半分を超えたらしいぞ!
俺達はもうこんなに近くまで来てるんですよ。今すぐに前進して外から秦軍を攻撃すれば、趙勢も内から呼応する。内外から挟撃すれば、章邯だって防ぎきれやしませんよ!
なのに、こんなふうに無駄に日々を過ごしていたら、城中の趙軍はいよいよ弱って、呼応しようにもその力さえ無くなってしまう。そうなってから後悔しても遅いぞ!」
この進言を宋義は笑い飛ばした。
「いやいや!
『牛を打つの蝱、もって蟣を破るべからず』――牛を打つほどの大きな蝱でも、小さな蟣を潰すことはできない、というやつだ。
小さな相手を完全に潰しきるのは、案外難しいものです。趙はまだまだ耐えられますよ。
それに、わしの目は目先の小さな勝利には向いていない。もっと大きな目的を見ているのだ。
仮に、章邯が趙に勝ったとしよう。その時には秦軍は疲れ果てている。我々がそこを狙って攻撃すれば、ただ一戦で必ず打ち破れましょう。
一方、章邯が勝たなかった場合、秦軍は西の本国へ敗走しいく。このとき我々が勢いに乗って西進して背後を叩けば、これまた打ち破れること必然である。
名付けて『我が兵は労せずして、座りながら勝負を見るの計』!
項羽将軍、馬に乗り武具を持って戦うことではとても御辺には敵わないが、座りながら策を巡らすことにかけては、わしの方が一枚上手ですぞ」
そう言って、宋義は全軍に下知を飛ばした。
「我が三軍においては、たとえ猛々しきこと虎の如く、容赦なく行動すること羊の如く、貪欲に敵を喰らうこと狼の如き有能な士卒であっても、号令に従わないならば斬って捨てる!」
こうして全軍を厳しく戒める一方、宋義はひそかに怪しげな動きを見せはじめた。
嫡子の宋襄を斉の国へ派遣して、斉王の宰相の位を要求したのだ。
そして自分は安陽の陣から一歩も動かず、日夜ただ酒ばかりを飲んで過ごした。
(つづく)