龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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巻十一 劉邦の足をギュッと踏み
六十二の甲 劉邦の足をギュッと踏み


 

 

 長きにわたる遠征の末、韓信は、ついに北部四国()(ちょう)(えん)(せい)の完全平定を成しとげた。

 

 それから数日後……(せい)(みやこ)臨淄(りんし)

 この日、韓信は、民衆を安心させる政策に取り組むかたわら、みずから(せい)王宮の視察に出かけた。

 

 さすがは強国(せい)の王宮、と言おうか。

 見上げるほどに大きな楼閣(ろうかく)

 数え切れぬほどの層が重なった(うてな)

 そこかしこに金銀珠玉(しゅぎょく)がちりばめられ、その華麗さは言葉にもできない。

 

 もちろん、この豪華な宮殿が、韓信の持ち物になったわけではない。今は、仮に韓信の管理下に置かれているだけだ。

 いずれは、誰かが(せい)王に(ほう)ぜられ、この王宮に居を構えることになるだろう。

 

 国士無双の大元帥といえど、しょせん、人に使われる身にすぎない。

 それはちゃんと(わきま)えている。(わきま)えてはいるのだが……

 こうして目のくらむような宮殿に立っていると、つい、(せい)一国を我が物としたかのように錯覚してしまう。

 

 韓信は、心の内から湧き上がる喜びを隠しとおすことができず、王宮を見上げながら、莞爾(にっこ)と頬を緩めた。

 

 この韓信の心情を、目敏(めざと)く見抜いた者がいる。

 謀士(ぼうし)蒯徹(かいてつ)

 誰よりも深く韓信を崇拝(すうはい)する、あの男である。

 

 蒯徹(かいてつ)は、韓信の表情を一目(ひとめ)見て全てを(さっ)すると、韓信の前に、そっと近づいた。

「大元帥」

 

 韓信が、ニコニコと王宮を見上げたままで生返事する。

「ん。なんだ」

 

 蒯徹(かいてつ)は、声をひそめて、ささやいた。

「そも(せい)国は、五岳(ごがく)(中国の五大聖山)の東方、山に面し海に接した最高の立地にあります。

 東には琅琊(ろうや)、西には黄河があって、(みやこ)を立てるにふさわしい。

 四方の要塞(ようさい)も守りは固く、まず中国東方の(ゆう)と言ってよいでしょう。

 

 大元帥は、今、その(せい)国をことごとく(たい)らげなさったわけです。

 大元帥の軍威は大いに(ふる)い、各地の郡県は恐れて帰服してきました。

 

 ならば……

 漢王様に使者を送って、このように表文を(たてまつ)りなさいませ。

(せい)王の印章を、一時的にお貸しください。それを用いて(せい)(しず)めます』と……

 

 そうして、(せい)を、韓信大元帥ご自身の本拠地とするのです。

 今こそ最適の機会。

 これを(のが)しては、なりません!」

 

 韓信は、ぎょっと目を見開いて、蒯徹(かいてつ)を見た。

「えっ……御辺(ごへん)、突然なにを言いだすんだ。そんなことは……」

 

 と、そのとき。

 外から報告が入ってきた。

「ただいま、漢王様からの使者が、詔書(しょうしょ)を持って、お()しになりました」

 

 

   *

 

 

 韓信は、すぐに場所を移し、座を整え、作法を守って丁重(ていちょう)に使者を迎え入れた。

 

 使者が言う。

「漢王様の(みことのり)を持って参りました。どうぞ、ご(らん)くださいませ」

 

 韓信は、詔書(しょうしょ)を受け取ると、左右の諸将にも聞こえるように(みことのり)を読み上げた。

 その文面は……

 

寡人(かじん)(王の自称)は、韓信大元帥の計を用いることで、()の大郡を十数個も手に入れることができた。

 これによって、我らの勢力は、さらに少し増強された。

 

 しかし覇王項羽は、いまだに我が父太公(たいこう)を捕らえたままでいる。

 私を父と引き離して、私の心を乱そうというつもりなのだろう。

 

 さらに()は、近く成皋(せいこう)に兵を集め、我らを(みなごろ)しにして雌雄(しゆう)を決しようと画策しているようだ。

 我が軍と()軍は、長期に渡って戦い続けていて、こちらの兵馬は、ますます困窮しつつある。

 

 いま戦っても、勝つことは難しいだろう。

 貴公らの勢力を借りるのでなければ、どうして万全の策を為すことができようか。

 

 それゆえに、ここに使者を星の如く()せて、大元帥を呼びに行かせた。

 すぐに、こちらへ来てもらいたい。ともに相談し、協力して()を破ろう。

 (せい)に勝った大元帥の軍であれば、長期の滞陣(たいじん)で困窮した()軍に勝つことができるだろう。

 

 大元帥の奇謀(きぼう)妙算(みょうさん)によって功績をあげ、良い報告を聞かせてほしい。

 大元帥、どうか早く来て、私の心を(なぐさ)めてくれ』

 

 

   *

 

 

 韓信は、使者を手厚くもてなすと、三軍には成皋(せいこう)行きの準備に取りかからせた。

 

 しかし、ここで、あの蒯徹(かいてつ)が再び韓信の前に進み出た。

「大元帥。これは絶好の機会です。利用しない手はありません。

 こちらからも漢王様に使者を送り、(せい)王の印章を要求するのです。

 

 まず大元帥が(せい)王となる……

 ()討伐(とうばつ)の兵を出すのは、その後です。

 

 大元帥がどれほど活躍なさったとしても、まともな方法で王になることはできません。

 今の状況を利用して、地位と領土を手に入れるのです!

 この時を(のが)せば、二度と機会は巡ってきませんぞ!」

 

 要するに……

『項羽との戦いに参加してほしければ、まず(せい)王の(くらい)をよこせ』

 こう劉邦に要求せよ、と、蒯徹(かいてつ)は言っているのである。

 

 韓信は……

 期待と畏怖(いふ)が半々で混ざり合ったような、なんとも言いがたい笑みを浮かべた。

「私が……王に?」

 

 

   *

 

 

 翌日。

 韓信は、劉邦からの使者を呼んだ。

「ご使者よ。成皋(せいこう)行きの件なのだが、じっくり考えてみると、ちょっとすぐには移動しがたいように思えるのです。

 

 確かに(せい)平定(へいてい)は成しとげましたが、国風というのか、どうも(せい)の民衆には人を(だま)すような人間が多いようで。

 反乱めいた事件も相次(あいつ)いでいて、情勢がなかなか落ち着きません。

 

 そこで、私に(せい)王の印章を貸していただきたいのです。

 これによって(せい)の情勢を完全に安定させ、しかる(のち)()討伐(とうばつ)の兵を出す。

 この手順でも、遅すぎるということはないでしょう。

 

 以上のことを奏上(そうじょう)するため、漢王様のところへ人を送りたいのだ。

 というわけで、ご使者よ。

 滎陽(けいよう)へ帰るとき、私の部下も同行させていただけないだろうか?」

 

 使者としては、

「それは、まあ、かまいませんが……」

 と答えるしかない。

 

 韓信は、大いに喜び、使者に謝礼として(きん)や絹を与え、さっそく劉邦への表文を(したた)めた。

 

 韓信を(せい)王位につけるよう要求する……この重大な任務を(たく)されたのは、西魏(せいぎ)の能臣、周叔(しゅうしゅく)

 周叔(しゅうしゅく)は、表文を持って滎陽(けいよう)へと出発した。

 

 

   *

 

 

 周叔(しゅうしゅく)は、滎陽(けいよう)に到着すると、すぐに漢王劉邦に謁見(えっけん)して、表文を(たてまつ)った。

 さて、劉邦がその表文を開いてみると……

 

『漢の大元帥臣韓信、稽首(けいしゅ)頓首(とんしゅ)して上言(じょうげん)す。

 (あるじ)の存在なしに国を統治するのは、難しいものです。

 なぜなら、(たみ)を服従させるためには、権力によって人々をまとめる必要があるからです。

 

 臣は、漢王様の威光を(あお)ぎ、行く先々から戦勝をご報告してまいりました。

 つい先日も、濰水(いすい)において龍沮(りゅうしょ)を斬り、(せい)田広(でんこう)を捕らえました。

 このように、軍威は十分に振るいましたが、まだまだ民衆の心は落ち着いておりません。

 

 (いにしえ)より、(せい)は変事と(いつわ)りの多い国と言われております。

 (せい)人たちは、表向き我らに従っているようでも、裏切りを繰り返します。

 そのため、なかなか情勢が安定せず、反乱の恐れが(ぬぐ)えません。

 

 そこで、お願いがございます。

 臣に、(せい)王の印章を、お()しくださらないでしょうか?

 

 しばらくのあいだ臣が仮王(かおう)……つまり(かり)の王となり、(せい)の情勢を(しず)めます。

 そうして民衆の心が安定したなら、すぐに()討伐(とうばつ)の兵を出して、漢王様に合流いたします。

 さすれば、天下の国境は安定し、海から山まで全世界が帰服して漢の領土となり、世は安らぎの時を迎えるでしょう。

 

 臣が勝手に(こと)を進めてはいけませんので、お願いの表文を(たてまつ)りました。

 なにとぞ、よろしくお願いいたします――不宣(ふせん)

 

 劉邦は、表を読み終わると、顔色を変えて大激怒した。

「あ……あのクソガキィーッ!

 俺をナメてやがんのか!?

 

 俺が、こんなにも長いあいだ苦しい戦いを続けて困り果て、どうか早く助けに来てほしいと昼も夜も願い続けてるって時に、言うに事欠(ことか)いて『仮王(かおう)になりたいです』だあーっ!?」

 

 と、そのとき。

 すかさず、軍師張良と謀士(ぼうし)陳平(ちんぺい)が、劉邦のそばに(おど)り出て……

 ギュッ!

 と、左右から劉邦の足を踏みつけた。

 

「フギャッ」

 と劉邦が悲鳴を上げる。

 

 張良は、劉邦の耳元に口を近づけ、小声で、ささやいた。

「漢王様は、()の郡県を数十ほど手に入れなさいましたが、まだ勝利したわけではありません。

 項羽は今も広武(こうぶ)山に駐屯し、漢を攻めようと計略を練っているのです。

 

 戦況は、むしろ我らに不利。

 韓信の『(せい)王になりたい』という望みを拒否できるでしょうか?

 

 彼の望みどおりに(こころよ)(せい)王として立ててやれば、韓信は大いに喜び、ますます漢王様のために心と力を尽くして戦うでしょう。

 逆に、韓信の王位を認めなければ、最悪の場合は韓信が漢から離反することさえ考えられます。大きな(うれ)いを1つ増やす結果になりかねないのですよ」

 

 劉邦は、ハッ……と顔色を変えた。

 もともと劉邦は、臣からの諌言(かんげん)を受け入れて、流水のように柔軟に動きを変えられる男である。

 

 劉邦は、すぐに張良たちの正しさを(さと)り……周叔(しゅうしゅく)(にら)んで、また(ののし)りだした。

「おい周叔(しゅうしゅく)! テメエふざけてんのかっ!?

 大丈夫(だいじょうぶ)(立派な男)が天下を平定して諸侯を征服しようってェのに、(かり)たァなんだ、(かり)たァ!

 

 (せい)に戻ったら韓信に言っとけ!

仮王(かおう)とかケチくせえこと言ってないで、今すぐ()()になれ!』ってな!

 

 すぐに勅書(ちょくしょ)を書いて、韓信を東斉(とうせい)王に(ほう)じるぞ!

 勅書(ちょくしょ)と王の印章を臨淄(りんし)に届ける役は……張良先生、お願いできる?」

 

 さすがは劉邦、見事な対応だった。

 すでに罵声(ばせい)は吐いてしまったから、それと辻褄(つじつま)が合うように言葉を(つくろ)いつつ、張良の諌言(かんげん)にもしっかり従ってみせたのだ。

 

 張良は、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「はい。お任せください」

 

 

(つづく)

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