龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十二の乙 劉邦の足をギュッと踏み

 

 

『斉(せい)王に封(ほう)じてほしい』

 という韓信からの無心は、要求通り韓信を王とする、ということで決着した。

 

 その話が済んだところで、劉邦は、周叔(しゅうしゅく)を近くに呼び寄せた。

「ところで、周叔(しゅうしゅく)よう……

 酈生(れきせい)が斉(せい)で煮殺(にころ)されたと聞いた。

 本当なのか? 一体、何があったんだ……?」

 

「は……それは……」

 周叔(しゅうしゅく)は、ずっと韓信のそばで働いてきて、戦(いくさ)の一部始終をその目で見ていたのだ。

 

 周叔(しゅうしゅく)は語った。

 酈生(れきせい)と交(か)わした往復2通の書簡(しょかん)。

 その後の斉(せい)軍との戦いの経過。

 燈籠(とうろう)を吊って龍沮(りゅうしょ)を斬った顛末(てんまつ)。

 そして、斉(せい)王田広(でんこう)を捕らえたこと……

 

 劉邦は、全てを聞き終えると、口惜(くや)しさに地団駄(じだんだ)を踏み、痛恨の溜息をついた。

「酈生(れきせい)は、高陽城で初めて会ったときから、俺の行くところ全てに着いてきて、何度も大きな功績を立ててくれた……

 

 俺はもう、ややこしい仕事は、なんでもかんでも酈生(れきせい)に頼りっぱなしでさあ……

 

 まだ酈生(れきせい)の働きにひとつも報(むく)いてやれてないってのに、田広(でんこう)なんかに煮殺(にころ)されてしまうとは……

 ああ、かわいそうになあ……惜(お)しい人を亡(な)くしたなあ……

 そうだ。せめて、これだけは、やっておかないと……」

 

 劉邦は、涙ぐみながら、記録官を呼び出した。

「今から酈生(れきせい)の功績を挙(あ)げていくから、全部記録しといてくれ。

 

 いつか俺が天下を取ったら、みんなの論功行賞(ろんこうこうしょう)をすることになるだろ?

 そのとき、酈生(れきせい)が働いてくれたぶんは、酈生(れきせい)の子孫に爵位(しゃくい)を与えて報(むく)いようと思ってさ。そのための記録だよ。

 いいか、まず……」

 

 こうして劉邦は、今までの酈生(れきせい)の働きを、一から十まで余(あま)すところなく記録に残していったのだった。

 

 

   *

 

 

 さて、それから数日後。

 軍師張良は、劉邦の使者として斉(せい)の都(みやこ)臨淄(りんし)を訪(おとず)れた。

 

 張良は、韓信と対面し、お互いに礼をし終えると、さっそく本題を切り出した。

「韓信大元帥。

 あなたは漢王様に表を上げ、仮王(かおう)となるべく斉(せい)王の印章を求めなさいましたね。

 

 漢王様は、大元帥が趙(ちょう)を破り斉(せい)を下(くだ)したその功績の甚(はなは)だ大(だい)なるを鑑(かんが)み、こう仰(おっしゃ)いました。

 

『なんで仮(かり)なんだ?

 すぐに真王(しんおう)になれ!』とね。

 

 そこで漢王様は、大元帥を斉(せい)王に封(ほう)じるため、私に印章を預(あず)けて遣(つか)わしたのです。

 大元帥。さっそく王位に上(のぼ)りなさって、三斉(さんせい)を鎮撫(ちんぶ)し、諸侯を征服してくださいませ。

 

 そのうえで、お早く軍馬を整えて成皋(せいこう)を困窮から救い、さらには楚(そ)を滅ぼして、漢の天下を確立していただきたい。

 さすれば、大元帥もまた、座(ざ)して太平を享受(きょうじゅ)する立場に上(のぼ)ることができましょう」

 

 これを聞いて、韓信は驚きに身を震わせた。

 韓信は、震えの止まらぬ手で斉(せい)王の印章を受け取り、劉邦からの勅書(ちょくしょ)を開いて読み始めた。

 

『国を建てて諸侯と親(した)しむことは、天下を繋ぎ合わせて統治を成すために作られた、夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)の三代国家から続く制度である。

 

 大元帥韓信は、すばらしい功績をあげ、天下の国境争いを平定した。

 これはまさしく世に並びなき勲功(くんこう)であり、鐘(かね)や鼎(かなえ)に刻んで後世に伝えるべきことである。

 

 いま新(あら)たに破った斉(せい)の地は、はなはだ征服しにくい国だ。

 高い爵位(しゃくい)と重い権限がなければ、どうして部下の群れに号令することができようか?

 

 そこで、ここに韓信を斉(せい)王に封(ほう)じ、斉(せい)の地を治めさせ、東方を安定させることにする。

 斉(せい)王韓信よ。あらためて人馬を整え、期日を定めて我らに合流せよ。

 力を合わせて、ともに楚(そ)を討(う)とうではないか。

 

 謹(つつし)んで、我が命(めい)を受けよ! 故諭(こゆ)』

 

 韓信は、勅書(ちょくしょ)を読み終え、天を仰(あお)いだ。

「王……

 この私が、王に……!」

 

 感無量だった。

 かつては、その日の食事を人に乞(こ)うほどの貧乏暮らしをしていた韓信。

 己(おのれ)の才覚を世に認められたい、実力によって成り上がりたいと、切実に願い続けてきた韓信。

 その韓信が今、ついに、一国の王の位(くらい)を掴(つか)んだ。

 

 韓信は、劉邦のいる南の方角に向き直り、心からの感謝の言葉を投げかけた。

 そして、何日もかけて張良を饗応(きょうおう)(もてなし)し、漢軍の大将たちからも斉(せい)王即位祝賀の挨拶(あいさつ)を受けた。

 

 数日後。

 張良は、役目を終えて滎陽(けいよう)に帰ることになった。

 

 その別れ際、張良は、韓信に言った。

「漢王様は、お父上が楚(そ)に囚われ続けていることを、日夜悲しんでおられます。

 さらに、また項羽が成皋(せいこう)攻撃を準備している、との情報を耳にして、ますます不安を感じていらっしゃいます。

 

 斉(せい)王様。

 なにとぞ、兵を起こして楚(そ)と戦い、漢王様の父太公(たいこう)を救出してくださいませ。

 可能な限り早くお願いします。遅れてはなりませんよ」

 

 斉(せい)王様、と張良は言った。

 今や、その称号は、韓信のものなのである。

 

 韓信は、力強く、うなずいた。

 

「はい。すぐに各郡県に通達して兵を集め、1旬(じゅん)(10日)以内には出発いたします。

 張良先生、滎陽(けいよう)にお帰りになったら、漢王様に、よろしくお伝えください」

 

 さらに韓信は、周叔(しゅうしゅく)を使者として、張良と一緒に滎陽(けいよう)へ向かわせ、劉邦に感謝の言葉を述べさせた。

 

 張良と周叔(しゅうしゅく)が斉(せい)から去っていった後。

 韓信は、吉日を選んで斉(せい)王の宮殿に昇(のぼ)り、冕旒(べんりゅう)(王の冠(かんむり)に垂らす飾り)を用意し、大小百官からの祝賀を受け、即位の儀式を行ったのだった。

 

 

   *

 

 

 こうして、ついに高貴なる王の位(くらい)に登りつめた韓信だが……

 これは、本当に喜ぶべきことだったのだろうか。

 

 韓信は、まさしく智謀(ちぼう)の大将である。

 しかし、蒯徹(かいてつ)の甘い言葉に惑(まど)わされ、斉(せい)王の位(くらい)を要求してしまった。

 

 漢王劉邦が韓信の即位を認めたのは、項羽と雌雄を争っている最中だったからだ。

 やむをえず認めはした。だが、内心(ないしん)穏やかではない。

 

 韓信は、急ぎすぎたのだ。

 目の前の富貴(ふうき)を得ることばかりに気を取られ、やがて来たるべき大いなる禍(わざわい)を想像することができなかった。

 

 かつて劉邦が睢水(すいすい)で壊滅的な大敗を喫(きっ)したとき、韓信は救出に行こうとしなかった。

 成皋(せいこう)で劉邦が包囲されたときも、危機的状況だったが、韓信は救援に来なかった。

 そして今、天下を賭(か)けて項羽と激戦を繰り広げている時に、韓信は劉邦の足元を見て王位を要求した。

 

 劉邦は、忘れていない。

 

 このとき点(とも)った不信の火は、劉邦の胸の中で燻(くす)ぶり続け……やがて、恐るべき事件を引き起こすことになるのである。

 

 

   *

 

 

 それはさておき、こちらは楚(そ)の都(みやこ)、彭城(ほうじょう)。

 

 龍沮(りゅうしょ)麾下(きか)の斉(せい)救援軍は、韓信によって粉砕され、命(いのち)からがら彭城(ほうじょう)に帰還してきた。

 

 彼ら敗軍の兵は語った。

 韓信が龍沮(りゅうしょ)を斬り、副将周蘭(しゅうらん)を追い払い、楚(そ)軍を大いに打ち破ったこと。

 斉(せい)王を捕らえ、相国(しょうこく)田横(でんおう)らを蹴散(けち)らして、ついに斉(せい)の70余城を乗っ取ったこと。

 

 そして今、斉(せい)の都(みやこ)臨淄(りんし)に大軍を集め、漢王劉邦と合流して楚(そ)に攻め込もうと動いていること……

 

 項羽は、報告を聞き終えて肝(きも)を冷やし、急いで叔父(おじ)項伯と大将鍾離昧(しょうりまい)を呼んだ。

 

「まさか、龍沮(りゅうしょ)ほどの強者(つわもの)が斬られるとは……

 韓信が、ここまで上手く兵を用いるとは思わなかった。

 

 劉邦の方も、滎陽(けいよう)・成皋(せいこう)に大軍を駐屯させて、ものすごい勢力になっている。

 北の韓信と西の劉邦、両方と同時に戦うのは無理だ。

 

 それで考えたんだが、誰か弁舌(べんぜつ)に優れた者を派遣して、韓信を説得し、楚(そ)に復帰させられないだろうか?

 

 ただ、この使命を任せられる人材に心当たりがないんだ。

 叔父上(おじうえ)、鍾離昧(しょうりまい)、いい人物を知らないか?」

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、うなずいた。

「よいお考えと思います。

 臣も、まさに同じ案を検討しておりました。

 この計が実現すれば、まさに社稷(しゃしょく)の洪福(こうふく)、国家にとっての大いなる幸(さいわ)いというものでしょう。

 

 韓信は、もともと楚(そ)の臣でした。

 楚(そ)に復帰してくるのも、至極(しごく)自然です。

 成功の可能性は、十分にあるかと」

 

 項伯も、うなずいた。

「私も同意です。

 肝心(かんじん)の人材についてですが、今、我が方(ほう)に、大夫(たいふ)の武渉(ぶしょう)という男がおります。

 

 知恵では高名な縦横家(じゅうおうか)蘇秦(そしん)をも上回り、弁舌(べんぜつ)では孔子の直弟子(じきでし)子貢(しこう)をも超える、というほどの人物。

 

 覇王陛下、この武渉(ぶしょう)を使者として、斉(せい)に派遣してはいかがでしょう?

 きっと韓信を楚(そ)に復帰させ、陛下の憂(うれ)いを解消してくれるものと思います」

 

「よし!」

 項羽は喜び、すぐに贈り物の金(きん)と絹を準備して、武渉(ぶしょう)を呼んだ。

 

「武渉(ぶしょう)よ。

 汝は臨淄(りんし)に行け。

 韓信を説得して、こちらへ帰服させるんだ!」

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 『こうして、ついに高貴なる王の位(くらい)に登りつめた韓信だが……』から始まる一節は、「西漢通俗演義」には無い、「通俗漢楚軍談」のみの記述。おそらく翻案時に追加した部分だろうと思われる。

(2)
 武渉(ぶしょう)の能力を説明するとき引き合いに出された2人の人物について解説する。
 蘇秦(そしん)は、戦国時代の説客(せっかく)にして政治家。
 当時、西の大国秦(しん)が他の六国に対して大きな圧力をかけており、この状況をいかに乗り切るかが各国の重要な政治的テーマとなっていた。その解決策は大きく2種に分かれる。ひとつは諸国で連携して秦(しん)に対抗しようという合従(がっしょう)策(縦(じゅう))。もうひとつが秦(しん)と同盟して生き延びようとする連衡(れんこう)策(横(おう))。これらの政策を各国で説(と)いた弁舌(べんぜつ)の士が縦横家(じゅうおうか)で、蘇秦(そしん)はその代表的人物だった。
 子貢(しこう)は、孔子の直弟子(じきでし)の中で特に優れた10名、孔門十哲(こうもんじってつ)の1人。
 とりわけ弁舌(べんぜつ)に優れ、師の孔子より賢いと評されることさえあった。実際に、当意即妙の受け答えで聞く者を納得させた逸話がいくつも残っている。
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