龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十三の中 王者はつらいよ

 

 

 漢の蕃(ばん)将婁煩(ろうはん)が、手の付けられない大暴れで楚(そ)の大将3人を次々に討(う)ち取っていく……

 その様子を、後方から、じっ……と睨(にら)んでいた者がいる。

 

 覇王項羽その人である。

 

 項羽は、婁煩(ろうはん)の戦いぶりと、楚(そ)軍の潰走を目(ま)の当たりにすると、みずから戟(げき)を手に取り馬で駆けだした。

 

 すさまじい勢いで戦場に駆け寄ってくる項羽。

 蕃(ばん)将婁煩(ろうはん)は、項羽の接近に気づくと、弓を引いて項羽に狙いを定めた。

 

 と、そのとき。

 項羽が、カッ! と燃えるように目を怒(いか)らせて、

「コラァァッ!」

 と、天地も震えんばかりの大声で一喝(いっかつ)した。

 

 この一声で、婁煩(ろうはん)は震えあがった。

 

 婁煩(ろうはん)は強い。楚(そ)将4人を同時に相手取ってさえ怯(ひる)まなかった男である。

 だが、強者(きょうしゃ)であればこそ、婁煩(ろうはん)はハッキリ悟(さと)ってしまったのだ。

 

 今、目の前にいる、この男……覇王項羽。こいつは、あまりにも強すぎる!

 

 項羽が猛然と迫ってくる。

 婁煩(ろうはん)は魂消(たまげ)るほどに怯(おび)え、項羽の目を見ることも、手の中の矢を放つこともできなくなった。

 

 主人の恐怖は馬にも伝わる。

 婁煩(ろうはん)の馬は、怯(おび)えて数十歩も後退してしまった。

 

 いったんこうなると、もうダメである。

 婁煩(ろうはん)は、そのまま馬を反転させ、漢陣へ向けて逃げはじめた。

 

 

   *

 

 

 項羽は、そのまま大軍を率(ひき)いて、婁煩(ろうはん)を追撃した。

 戦意を失った漢軍は、風のなびくように逃げ回りながら、次々に背中を項羽に斬られていく。

 漢軍の負傷者、戦死者は、数え切れないほどになりつつあった。

 

 この戦況を、劉邦は、後方からハラハラと見守っていた。

 劉邦が、左右の臣に尋(たず)ねる。

「おい! あの、婁煩(ろうはん)を追いかけてる敵将は誰だ!?」

 

 臣が答える。

「項羽です!

 ……ああっ、項羽が、もうすぐそこに! 今にもこちらへ突入してきそうです!」

 

 劉邦は大いに驚いた。

 なにしろ、相手はあの項羽である。漢軍は、上へ下への大騒ぎとなった。

 劉邦は、慌てて後退を命(めい)じ、漢軍の諸将は劉邦を守らんと体をはって壁になる。

 

 と、そのとき。

 項羽が漢軍の前で馬を止め、大音声(だいおんじょう)を響かせた。

「ちょっと話したいことがある! 劉邦! 前に出てこい!」

 

 劉邦は、この声を聞くと、ピタリと馬を止めた。

 

 項羽は、君主同士の問答(もんどう)を持ちかけてきたのだ。

 これを無視して安全な後方に逃げだすのは……恥だ。

 どんなに怖くとも、項羽と並び立つ君主として、情けない姿を部下たちに見せるわけにはいかないのだ。

 

 劉邦は、鎧(よろい)兜(かぶと)をしっかり身につけ、前後左右を多くの漢将に守らせ、空元気(からげんき)で自分を奮(ふる)い立たせて、漢軍の前へと馬を出した。

 

 項羽と劉邦、それぞれの軍勢を背後に置き、距離を置いて対峙(たいじ)する形となった。

 

 項羽が言う。

「こうして直(じか)に話すのは久しぶりだな、劉邦!

 俺とお前の争いは、もう数年も続いている! だが、いまだに俺とお前で一騎打ちをしたことがない!

 

 ここで快(こころよ)く対決し、勝負を決めようじゃないか!

 もうこれ以上、軍の将兵たちを苦しめることはあるまい!」

 

 無茶を言う。

 直接刃を交わせば、項羽が勝つに決まっている。

 だが、ただ勝負を断るだけでは芸がない。劉邦は、薄く笑いながら、ベラベラと舌を振るい始めた。

 

「いやいや、項羽さんよ! 俺は別に、あんたと好き好(この)んで戦ってるわけじゃないぞ!

 あんたが悪いことばっかりするんで、天の神様も地の人間も、みんな怒っているんだ!

 だから天下の諸侯と協力して、無道の君主を討伐(とうばつ)し、民衆の害を取り除こうとしているだけだ!

 

 今から、項羽、お前さんの罪を数(かぞ)えて教えてやろう!

 楚(そ)軍の皆(みな)さんも、漢軍のみんなも、ご静聴(せいちょう)願いまーす!

 

 罪の1! 懐王(かいおう)との約束に背(そむ)いて、俺を漢中に左遷(させん)した!

 罪の2! 反乱計画をでっちあげて、卿子(けいし)冠軍(かんぐん)の宋義を殺した!

 罪の3! 諸侯が趙(ちょう)救援に協力してくれたのに、それに報(むく)いるどころか、逆に脅(おど)してムリヤリ関中攻略戦に従軍させた!

 

 罪の4! 秦(しん)の宮廷を焼き払い、始皇帝の墓を暴(あば)いて財宝を貪(むさぼ)り取った!

 罪の5! 秦(しん)から投降した秦(しん)王子嬰(しえい)を殺した!

 罪の6! 秦(しん)の子弟(してい)20万人を新安で生き埋めにした!

 

 罪の7! 良い土地はぜんぶ手下の諸侯に与えてしまい、そのために元々の六国の王を僻地(へきち)へ追いやった!

 罪の8! 義帝を追放して彭城(ほうじょう)に都(みやこ)を置き、韓国や梁(りょう)国の土地を自分の物にして王を名乗(なの)った!

 罪の9! 長江に伏兵を置き、義帝を暗殺させた!

 

 そして罪の10! 不公平な政治を行い、約束を守らず、大逆無道のふるまいで天下に残虐な害を与えた!

 

 だから俺は義兵を起こし、諸侯と一緒に賊(ぞく)を誅殺(ちゅうさつ)し、罪人に刑を与えようとしているんだ!

 つまり俺は、ただ匹夫(ひっぷ)を討(う)とうとしてるだけってこと!

 

 それを、お前さんときたら、俺に挑戦なんかしてきちゃってさあ?

 バッカじゃねえの?

 対等の勝負なんか、するわけねーだろっ!」

 

 よくこれだけスラスラと悪口(わるぐち)が出てくるものである。

 

 項羽は、自分から論戦を仕掛(しか)けるわりに、煽(あお)られると弱い。すぐ頭にカーッと血が上(のぼ)ってしまう。

 案(あん)の定(じょう)、項羽は激怒し、戟(げき)を振り上げて驀地暗(まっしぐら)に劉邦の方へ駆けだした。

 

 しかし劉邦は、まったく取り合わない。項羽の攻撃をヒョイと躱(かわ)すと、そのまま飛ぶように逃げ出した。

 そこへ漢の大将たちが進み出て、項羽と劉邦の間を塞(ふさ)いで壁となる。

 

 そのまま劉邦は後方へと脱兎(だっと)の如く逃げていった……

 が。

 その途中。林の近くを通りかかったところで、1発の鉄砲(てっぽう)が炸裂した。

 

「えっ!?」

 と驚く劉邦の前に、林の中から楚(そ)兵の一団が現れた。

 実は、楚(そ)将鍾離昧(しょうりまい)が、項羽の命(めい)を受けて、あらかじめ弩弓(どきゅう)兵2千人を伏せていたのである。

 

 楚(そ)の弩弓(どきゅう)兵たちが、劉邦を狙って一斉(いっせい)に矢を放った。

 

「わあっ!?」

 劉邦は、いきなり矢の雨を浴びて、魂を失うほどに驚いた。

 慌てて馬に鞭打(むちう)ち、その場から逃げだそうとしたが……

 

 ドスッ!

 と鈍(にぶ)い音を立て、1本の矢が、劉邦の胸のド真ん中に突き刺さった!

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 蕃(ばん)将の婁煩(ろうはん)という人物が登場した。彼は本編でも説明したように中国外出身の異民族だが、劉邦の麾下(きか)には実際に異民族の将ないし軍勢が存在したことが、史書に記録されている。
 「史記・項羽本紀」によると、漢軍の中には『樓煩(ろうはん)』という騎射の上手い者がいたという。高祖四年十月、楚(そ)の将が3度も挑戦してきたが、樓煩(ろうはん)は、そのたびに敵を射殺した。そのため項羽は激怒し、みずから戟(げき)を手に取って樓煩(ろうはん)に挑戦した。このとき項羽が目を引き剥(む)いて りつけると、樓煩(ろうはん)は項羽と目を合わせることもできなくなり、城壁の中に逃げ帰って、二度と外に出ようとしなくなってしまった。
 この『樓煩(ろうはん)』(異体字で楼煩(ろうはん))というのは、中国の遥か北方に住んでいた異民族の名称である。だからこれはおそらく個人名ではなく、『樓煩(ろうはん)という民族の将』という意味だと思われる。
 一方、「漢書・高帝紀」の高祖四年八月の項には、『北貉(ほくはく)と燕(えん)の人が、梟(ふくろう)のように勇猛な騎兵を送り届けてきて、漢を助けた』とある。
 『北貉(ほくはく)』は中国北方の異民族。燕(えん)は戦国七雄のひとつだが、その国土は中国の最北端にあり、北方異民族の領域と重なっている。
 「通俗漢楚軍談」「西漢通俗演義」では、ここに紹介した2つの記述を組み合わせ、『樓煩(ろうはん)』を個人名とし、二つの地名を合体させた『北貉(ほくはく)燕(えん)』なる架空の土地を出身地として、蕃(ばん)将婁煩(ろうはん)というキャラクターを創り上げたのだと思われる。

(2)
 今回、劉邦が弩(いしゆみ)の矢を受けて負傷する場面が描かれた。
 この場面は、「史記・項羽本紀」において『項王伏弩射中漢王』と記されている。これを『項羽が隠し持っていた弩(いしゆみ)で劉邦を射(い)て、命中させた』と解釈するむきがあるようだが、この場合の『伏』は『伏兵』の意味に取るのが正しいのではないかと思われる。つまり項羽本人が矢を放ったわけではなく、『項羽は、弩弓(どきゅう)兵を伏せておき、劉邦を射(い)させて命中させた』ということになる。
 実際「西漢通俗演義」では、鍾離昧(しょうりまい)が弩弓(どきゅう)兵を伏せておき、劉邦を射(い)たという描写になっている。さらに「通俗漢楚軍談」では、この鍾離昧(しょうりまい)の動きが項羽の指示によるものだという補足を加え、より「史記」の記述に合うように改変を行っている。
 例によって、本編では「軍談」の記述に基づいて描写を行った。
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