龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十四の甲 激突、広武山!

 

 

 滎陽(けいよう)成皋(せいこう)の中間あたりに位置する山、広武山。

 項羽は、この山上に本陣を置き、叔父(おじ)の項伯、()鍾離眜(しょうりまい)(とも)に軍議を行っていた。

 

 項羽が言う。

「劉邦は、天下の諸侯を集め、俺に決戦を(いど)もうとしている。

 しかし、彭越(ほうえつ)によって糧道(りょうどう)が遮断されてしまったから、こっちは兵糧(ひょうろう)が足りなくなってきた。

 このままでは、長く戦い続けることは、できない。

 汝ら、なにか計はあるか?」

 

 項伯が言う。

「覇王様は、以前に劉邦の父、太公を捕らえなさいました。

 この太公が、いま彭城(ほうじょう)におりますから、こちらへ呼び寄せては、いかがでしょう?

 

 太公に、劉邦への手紙を書かせるのです。

『すぐに兵を退()けば、太公を解放して成皋(せいこう)に帰らせてやろう』と……

 

 もし、それでも劉邦が兵を退()かないようなら、太公を殺し、劉邦を1万代先の未来まで語り継がれるような親不孝者にしてやるのです。

 この計なら、100万の兵にも(まさ)る効果があろうかと思います」

 

「なるほど」

 と項羽は納得し、彭城(ほうじょう)に人を送って、太公を連れてこさせた。

 

 しばらくして、太公は広武山に到着した。

 項羽は、太公を幕舎に招き入れると、優しげに笑いかけた。

 

「なあ親父さん。汝の息子の劉邦は、ひどいやつだなあ。

 長いあいだ俺に歯向(はむ)かい続けていて、汝のことを、ぜんぜん気にしていないみたいだ。

 

 汝、ちょっと劉邦に手紙を書いてくれないか。

 『兵を退()け』と、劉邦に伝えてほしいんだよ。

 

 劉邦が兵を退()いたら、汝も、劉邦の妻も、成皋(せいこう)へ帰らせてやろう。

 親子夫婦いっしょに暮らせるようになるぞ。

 どうだ? やってくれるな?」

 

 太公は、顔を(くも)らせた。

「はあ……そう言われましても……

 (せがれ)の劉邦は、幼児のころから(ぜに)(むさぼ)るわ、女に目がないわ。

 (わし)ら父母のことなど、ちっとも気にかけてくれない奴でした。

 

 今はもう、王の地位や財産に目がくらんで、(わし)ら家族のことなんか捨てたつもりでおるでしょう。

 (わし)なんぞが手紙を書いても、効き目はないだろうと思いますぞ」

 

 項羽は、眉を()ね上げた。

「実の父親に、ここまで言わせるのか……しかたない奴だな、劉邦は……

 まあいい。とにかく、ためしに手紙を書いてみろ。

 それでダメだったら、そのときは、また別に考えがある」

 

「はあ、それでは……」

 と、太公は、言われるままに手紙を書いた。

 

 項羽は、太公の手紙を読み、まるで我が(こと)のように胸を打たれて、少し涙ぐみさえした。

「うんうん。この手紙なら、きっと劉邦も心を動かされるぞ。

 もしこの手紙を見ても兵を退()かないなら、あいつはもう人間じゃない。鳥や(けもの)が服着て歩いてるみたいなもんだ」

 

 この手紙を届けるため、項羽は、中大夫(ちゅうたいふ)宋子連(そうしれん)を使者として成皋(せいこう)(つか)わした。

 

 

   *

 

 

 さて、その翌日。

 宋子連(そうしれん)は、成皋(せいこう)にやってきた。

 

()の使者宋子連(そうしれん)、太公からのお手紙を、お届けに参りました」

 と宋子連(そうしれん)が告げると、報告を受けた劉邦は、すぐに軍師張良と謀士(ぼうし)陳平(ちんぺい)を呼んだ。

 

 劉邦が問う。

()中大夫(ちゅうたいふ)宋子連(そうしれん)が、俺の親父の手紙を持ってきたらしいぞ。

 一体どういう意図かな?」

 

 張良が答える。

「これは、漢王様に兵を退()かせようという、項羽の計略です。

 よいですか、漢王様。太公の手紙を見ても、決して悲しんだり泣いたりしてはいけません。

 その代わりに、こうお答えなさいませ。この如く、この如く……

 

 ……と、こういうふうに答えれば、1(じゅん)日(10日)の内には太公の帰国が実現するでしょう。

 なに、ご心配なく。太公が()に囚われているとはいえ、項羽は決して太公を傷つけはしませんから」

 

 劉邦は、張良の言葉に、うなずいて、宋子連(そうしれん)を迎え入れた。

 宋子連(そうしれん)が太公からの手紙を差し出すと、劉邦は、さっそくそれを読み始めた。

 その文章に(いわ)く……

 

『太公、書を漢王劉邦に送る。

 むかしむかし、聖帝虞舜(ぐしゅん)は大変な親孝行者で、孝行のためなら、天下を破れた草履(ぞうり)のように捨てることも()さなかったという。

 それにひきかえ、お前という奴は、(とみ)と権力ばかりを大事にして、親である(わし)のことさえ、そこらの通行人と同じくらいに考えているようだな。

 

 (わし)睢水(すいすい)の戦いで捕虜になってから、もう3年も()った。

 (さいわ)い、覇王様のご厚意(こうい)によって誅殺(ちゅうさつ)(まぬが)れ、囚われの身とはいえ飲食に不自由はしていない。

 おかげで、どうにか生きのびることはできている。

 お前の妻の呂氏(りょし)も、こちらに囚われているが、息子のことを思って流す涙の乾く(ひま)もないほどだ。

 

 それなのに、お前という奴は、天下で好き勝手に暴れ回るばかりで、(わし)らのことを気にかけてもくれない。

 それで血の通った人間と言えるのか?

 お前の心臓や腸は、鉄か石でできてるんじゃないか? 骨だって、土や木でできているんだろう!

 

 今、覇王様は(わし)を広武山に連れて来た。

 (わし)誅殺(ちゅうさつ)し、()ねた首を成皋(せいこう)(さら)し、お前がどれほど親不孝かを世の中に示そうとお考えのようだ。

 

 だから(わし)は、二度も三度も悲しんで泣き叫び、この手紙を汝に送る。

 思い出してくれ。お前の体は、一体どこから来たものなのだ? 子の体は、親から生まれたものではないか!

 世の中の人々が、万物の中で最も大切にしているものはなんだ? それは親という存在だろう!

 

 この理屈(りくつ)を分かってくれるなら、偉大なる舜帝(しゅんてい)が天下を破れ草履(ぞうり)のように軽視した、その心がけをマネしてくれ。

 はやく兵を撤収させ、私を国に帰らせてくれ。

 そうして父と子、夫と妻が一緒にいられるようにする。なんとも美しい行いではないか。

 

 逆に、もし兵を駐屯させたまま、さらに戦いを続けるなら、私の(いのち)を保つことは難しいだろう。

 さすれば、たとえ汝が天下を手に入れたとしても、『父の(いのち)を捨てて(とみ)と地位を得た男だ』と、1万代先の未来まで(ののし)られ(つば)を吐かれるだろう。

 それでも汝は、(こころ)(やす)らかなままでいられるのか?

 

 今、(わし)楮紙(こうぞがみ)(こうぞ)を原料とする紙)の前で、泣きながらこの手紙を書いている。

 (せがれ)よ。どうか心を改めてくれ』

 

 太公の悲痛な叫びが聞こえてくるような手紙だった。

 だが……

 

 宋子連(そうしれん)が、ちらりと劉邦の様子を(うかが)い見ると、劉邦は、どうもマジメに読んでいないように見える。

 というより劉邦は、まだ宿酒(しゅくしゅ)(二日酔い)から()めていないらしい。

 焦点の合わない朦朧(もうろう)とした目つきのまま、まったく意にも介さないような顔で、流し読みしているのである。

 

 劉邦は、手紙を読み終わると、あくび半分に言った。

「あ、そう。

 まあ別にいいけど、これだけは言っとくぞ。

 

 俺は昔、項羽と一緒に懐王(かいおう)に仕えていたとき、項羽とは義兄弟の(ちぎ)りを結んだんだ。

 つまり、俺の親父は、項羽の親父でもあるってこと。

 確かに親父は()の陣にいるが、別に漢の陣にいるのと何も違わない。『あっちか、こっちか』なんて比べる必要もないだろ。

 

 項羽に伝えてくれや。

『もし太公を殺したら、確かに天下の人は俺を(ののし)るかもしれないが、お前だって義父殺しの罪で(ののし)られることになるぞ。

 

 お前は、以前に英布に(めい)じて義帝を弑逆(しいぎゃく)したが、その件で、いまだに天下の諸侯は歯ぎしりしているんだ。

 今、俺の親父まで殺したら、人々はますます激しく(つば)を吐いてお前を(ののし)りだすだろうな』

 ってな。

 

 昔、儒者(じゅしゃ)孟子(もうし)が、こう言ったそうだ。

『誰かの父を殺したら、その誰かに自分の父を殺される。だから他人の父を殺すのも自分の父を殺すのも、ほんのちょっとの差でしかないんだ』

 今回の話は、まさにそれだぜ。

 

 宋子連(そうしれん)さんよ。

 ()の陣に戻ったら、親父にも伝えてくれ。

『そのまま、()の陣で、のんびり(くつろ)いでいろよ。たとえ漢の陣に戻ったとしても、別に()と何かが変わることはないからさ』とな。

 

 さて、俺はちょっと、二日酔いがキツいんで、ここらで失礼するわ……じゃあな」

 

 一方的にそう言うと、劉邦は、ふらつきながら立ち上がり、2人の侍女に支えられながら自分の幕舎に戻って行ってしまった。

 

 驚いたのは宋子連(そうしれん)である。

 謁見(えっけん)の後、張良や陳平(ちんぺい)が酒を出して歓待してくれたのだが、宋子連(そうしれん)が気にしているのは劉邦の真意ひとつのみ。

 どうにかもう一度劉邦に会って、真意を問いただそうと思ったのだが、あれっきり、劉邦は二度と幕舎から出てこない。

 

 結局……

 宋子連(そうしれん)は劉邦と再び話すのを諦め、張良らに別れを告げて、()の陣への帰路についた。

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 今回の戦いの舞台となる広武山は、滎陽(けいよう)の北西、成皋(せいこう)の東北東に位置する山である。東西に横たわる長さ15km~16kmほどの山地の中に、南北方向の大きな谷(鴻溝(こうこう))が走っていて、その谷の東西に項羽と劉邦がそれぞれ陣取って激戦を繰り広げたとされている。前回、劉邦が矢傷を負ったが、この出来事も史実では広武山の戦いの中で起きている。

(2)
 劉邦のセリフにある『誰かの父を殺したら、その人に自分の父を殺される』という言葉は、「孟子(もうし)・尽心下」からの引用。原文の意訳は以下の通り。
『私は今、他人の親を殺すことの重大さを知った。他人の父を殺せば、他人もまた私の父を殺す。他人の兄を殺したら、他人もまた私の兄を殺す。だから、自分の家族を殺したわけではなくても、(他人の家族を殺すことは)それとほんの少しの差しかないのだ』
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