龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十四の乙 激突、広武山!

 

 

 ()の陣では、項羽が、宋子連(そうしれん)の帰りを今か今かと待ち続けていた。

 そこへ、部下が報告を持ってきた。

「ただいま宋子連(そうしれん)が帰って来ました」

 

 項羽は、さっそく宋子連(そうしれん)を呼んで、子細を(たず)ねた。

 宋子連(そうしれん)は漢の陣で起きたことを、ひとつひとつ報告していった。

 

 項羽の叔父の項伯は、そばで話を聞いていたが、全て聞き終えて顔をしかめた。

「やれやれ……劉邦は親孝行の気持ちも知らないのか。本当に、大事業を為すための徳というものがありませんな、あの男は。

 覇王様。しっかり準備を整えてから、戦いを交えなさいませ。あんな王の下では、漢が勝てるはずがありません」

 

 項羽もまた、溜め息をついた。

「ほんっとに、しょうがない奴だ、劉邦は……

 頭の中は酒と女ばっかりだ。自分の父母や妻子のことを、そこらへんの雑草くらいにしか見ちゃいない。

 あいつと俺と、どっちが良いとか悪いとか、比べるのもおこがましいわ」

 

 宋子連(そうしれん)が、さらに付け足す。

「臣が劉邦に謁見(えっけん)したとき、どうも宿酒(しゅくしゅ)(二日酔い)から()めていなかったようです。

 あの手紙を読んでなお、太公のことを気にもしていない様子でした」

 

 項羽は、(あき)れ果てて鼻息を吹く。

「ふん……まあ、そうは言っても、太公が()の陣にいる間は、あいつだって全力で攻めることはできないだろ」

 

 そして項羽は、諸将に(めい)じて精兵20万を選抜し、各地の要害に陣取らせて、漢との決戦に(そな)えた。

 

 

   *

 

 

 ……が。

 もちろん、劉邦が宋子連(そうしれん)に見せた言動は、()軍を油断させるための演技だった。

 このとき、劉邦は先日受けた矢傷もようやく平癒(へいゆ)し、水面下で決戦に向けた準備を進めていたのである。

 

 ある日、成皋(せいこう)の宮殿で、劉邦は韓信を呼び、()()つための計略を(たず)ねた。

 

 韓信が答えて言う。

「項羽は広武山に軍を駐屯させておりますが、長期間の滞陣によって兵糧(ひょうろう)が欠乏し、兵もダラけはじめています。

 

 一方、こちらは軍の調練(ちょうれん)に取り組み、よく(じゅく)してまいりました。

 今こそ、攻撃を仕掛(しか)ける好機。

 漢王様、さっそく進発いたしましょう」

 

 劉邦は喜んだ。

「よーし! ぜんぶ大元帥に任す! よろしく頼む!」

 

「は!」

 というわけで、韓信は、ただちに大軍を(ひき)いて城から出発した。

 その後に、漢王劉邦みずから指揮する後陣も続く。

 

 その日のうちに韓信は広武に到着し、()陣から20里(8km)離れたところに陣を作った。

 

 陣作りが片付くと、韓信は諸将を呼び集めた。

「我らは、ここに到着したばかりだ。

 敵は、我らが移動で疲れ果て、今夜ばかりは戦備をしていないだろうと考え、夜討(よう)ちを仕掛(しか)けてくるかもしれない。

 各々(おのおの)、用心して陣を守れ!」

 

「はっ!」

 諸将は、緊張に引き締まった顔つきで、それぞれの陣に散っていった。

 

 

   *

 

 

 そうこうするうちに劉邦の後陣も到着し、韓信たちの隣に陣を置いた。

 

 その(ばん)

 劉邦は、張良、陳平(ちんぺい)蕭何(しょうか)と軍議を行っていたが、

「韓信も招いて、いっしょに軍議したほうがいいだろう。

 誰か、韓信を呼んできてくれ」

 と、韓信の陣へ使者を飛ばした。

 

 しばらくして、使者がバタバタと戻ってきた。

 使者は、慌てた様子で報告した。

「大元帥は、なぜか陣の中におられません。

 大元帥の部下に(たず)ねたところ、『大元帥は、(ばん)になってから、数十騎の(とも)だけを連れて、東南の方角に去って行った。それっきり行方(ゆくえ)が分からない』とのことで……」

 

 劉邦は、色を失った。

「そんな! 今、漢と()が、数十万の軍馬を駐屯させて(にら)みあってるところなんだぞ!

 それなのに、主将が姿を消してしまうなんて……

 

 ひょっとして、()軍の強さを恐れて、逃げ出してしまったのか!?

 あるいは、項羽と内応して、俺を(だま)()ちにするつもりなんじゃあ……」

 

 慌てたのは劉邦だけではない。

 その場にいた張良ら首脳陣も、この韓信の行動は予想もしていなかったようで、

「まさか……」

 と疑うばかりで、誰も何も言うことができなかった。

 

 しかし、韓信が逃げた、あるいは裏切ったと決まったわけではない。

 とにかく真偽を確かめてみなければならない。

 劉邦は部下たちに(めい)じて、さらに韓信の陣の様子を調べさせた。

 

 しばらくして、報告が帰ってきた。

「大元帥の陣は、時刻を告げる太鼓も誤りなく叩かれており、各所の守備も十分に厳重です。軍は普段どおり、きちんと動いております……

 ただ、大元帥の行方(ゆくえ)だけが、いまだに分かりません」

 

 劉邦は、いよいよ不安になってきた。

「分かった。

 汝、もう一回、行ってこい。

 今度は韓信の陣の外に隠れて、様子をうかがえ。そして、韓信が陣に戻ってくるのを見たら、すぐ報告しろ」

 

「承知しました!」

 と部下が駆けだしていくと、劉邦は、みずから灯火(ともしび)を手にして座り、じっと報告を待ち続けた。

 

 そのまま(むな)しく時は過ぎ……

 夜も()けて、月も西の地平に沈み、太鼓の音が3(こう)(午前0時)を告げる頃。

 

 待ちに待った報告が、劉邦のもとに飛び込んできた。

「大元帥が、たった今、陣中に帰ってまいりました!」

 

 劉邦は、しばし、むっつりと考え込んだ。

 陣に帰ってきた……ということは、少なくとも韓信は逃げ出したわけではないらしい。

 だが、項羽と内通している可能性は、まだ否定できない……

 

 そこで劉邦は、相国(しょうこく)蕭何(しょうか)を呼んだ。

「真夜中に呼び出してすまん。韓信が陣に戻って来たらしい。

 蕭何(しょうか)よ。韓信の陣に行って、どういうことなのか問いただしてきてくれ」

 

 

   *

 

 

 蕭何(しょうか)は、さっそく従者を連れて、韓信の陣に向かった。

 韓信の陣の前まで来ると、巡回警備していた大将灌嬰(かんえい)が、蕭何(しょうか)を見つけて呼び止めた。

 

蕭何(しょうか)相国(しょうこく)ではありませんか。

 こんな夜中に、どういう理由で、どこへ向かっておられるのです?」

 

 蕭何(しょうか)が答える。

「大元帥に会いに来たのだよ」

 

 灌嬰(かんえい)が、うなずいた。

「なるほど。大元帥なら、まだお休みにならず、(あか)りを手に持って働いておられますよ。

 ご案内しましょう。どうぞ中へ」

 

 蕭何(しょうか)は、灌嬰(かんえい)に案内されて陣に入った。

 連れられて行った先では、韓信が、確かに忙しく立ち働いていた。

 

 韓信は、蕭何(しょうか)の顔を見ると、ニヤ……と薄く笑った。

相国(しょうこく)殿。こんな夜更(よふ)けにお越しになるとは。さては、私を疑っておられますな?」

 

 まったく、この韓信という男は。劉邦や蕭何(しょうか)の不安や心配を、すべて見通しているらしい。

 そのくせ、こんな皮肉を言う。

 

 蕭何(しょうか)は、あきれ半分に(たず)ねた。

「大元帥。今晩、どこか遠くに出かけて、こんな夜中に帰ってこられたのは、一体どういうわけなのですか?」

 

 韓信は、悪びれもせず淡々と答えた。

「明日の合戦で、()の軍勢を壊滅させてしまいたいんですよ。

 だが、項羽の武勇は言うまでもなく天下無双。

 平地で敵と対面し、野戦にもつれこめば、勝つことは難しいでしょう。

 

 それで、項羽を破るのに一番よい戦場を探して、晩方(ばんがた)から出かけていたのです。

 ちょっと時間はかかりましたが、いい所が見つかったので、さきほど帰ってきました。

 諸将の配置は、明日、伝達する予定です。

 

 軍事上の機密は、たとえ君臣や父子の関係でも、うかつに()らしてはいけない。

 だから漢王様にも報告せず動いたのです。

 

 私には妙策がある……まあ、見ていてください。

 明日、私が項羽を破るところをご(らん)になれば、私の策略がどんなものか分かりますよ」

 

 蕭何(しょうか)は、これを聞いて大いに喜び、劉邦の陣に帰っていった。

 そして韓信の語ったことを報告すると、ようやく劉邦は胸を()でおろしたのだった。

 

 

   *

 

 

 しかし韓信は、自信たっぷりの言葉とは裏腹(うらはら)に、まったく気を緩めていなかった。

 敵の夜襲(やしゅう)を心配して、一睡(いっすい)もせぬまま夜を過ごしたのだ。

 

 そして、夜が明けた。

 

 韓信は、大小の諸将を勢ぞろいさせ、考え抜いた配置を通達した。

 

 まず第1隊は、樊噲(はんかい)灌嬰(かんえい)

 第2隊、周勃(しゅうぼつ)、周昌。

 第3隊、靳歙(きんきゅう)盧綰(ろわん)

 第4隊、呂馬通(りょばとう)楊喜(ようき)

 第5隊、張耳(ちょうじ)張倉(ちょうそう)

 第6隊、(ばん)婁煩(ろうはん)

 第7隊、夏侯嬰(かこうえい)、王陵。

 第8隊、曹参(そうさん)、陳武。

 第9隊、九江王英布。

 第10隊には、漢王劉邦みずから大小の将兵を従える。

 

 各部隊を構成するのは精兵5千。

 それが、ぐるりと山を(めぐ)るように潜伏し、鉄砲の音を合図として一気に打って出るよう、手配を定めた。

 

 

(つづく)

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