龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十四の丙 激突、広武山!

 

 

 漢軍が配置を終えるのと時を同じくして、項羽もまた、みずから大軍を率(ひき)いて出陣した。

 

 楚(そ)軍は、広武山の山道を進み、蜂の群れが集まるように漢軍の本陣へ押し寄せてきた。

 漢本陣の前までくると、項羽は、まず楚(そ)将季布に命(めい)じて、こう呼びかけさせた。

 

「漢王劉邦! 汝に会って言いたいことがある!」

 

 すると、漢の陣から、1騎の大将が進み出てきた。

 劉邦……ではない。大元帥韓信である。

 

 項羽は、韓信の姿を見ると、軍勢の前に進み出て、大音(だいおん)をあげた。

「韓信か! 汝は、もともと楚(そ)の臣だった!

 だから先日、武渉(ぶしょう)を使者として味方につくよう誘ってやったんだ!

 まったく、俺に従わないなんて、バカな選択をしたもんだな!

 

 今日はもう、いつもの卑怯な計略なんか使うんじゃないぞ!

 前に出てこい! 俺と直接戦って決着をつけようじゃないか!」

 

 韓信は、あざけるように答えた。

「覇王陛下は当代の帝王、天下の人々の主君でいらっしゃるはず!

 そういう、やんごとなきお方は、深く九重(きゅうちょう)(宮殿)の奥に隠れ、慎(つつ)ましく威厳を保(たも)っておられるのが、本来のあるべき姿だ!

 

 外敵から侮(あなど)られた時には、手下の大将を派遣して征伐(せいばつ)させればよい!

 それを、みずから槍を提(さ)げ戈(か)を握って、私のような凡下(ぼんげ)の輩(やから)と勝敗を競おうなどとは!

 陛下のしておられることは、自分で自分を辱(はずかし)めるようなものですよ!」

 

 項羽は、顔面を真っ赤に燃やして怒った。

「やっかましい! また無駄口(むだぐち)を叩きやがって!

 さっさとかかってこいっ! もしお前が俺と10合でも戦うことができたなら、すぐに武器を収めて争いをやめ、天下を劉邦に譲(ゆず)ってやろうじゃないか!」

 

 韓信は、馬上で、わざとらしく苦笑してみせた。

「やれやれ……

 自分の武勇に頼りきってはならない!

 いつまでも強さを保(たも)ち続けることもできない!

 

 もし覇王陛下が私などに負けてごらんなさい!

 当代最強の英雄という陛下の名声は崩壊いたしますよ!

 そうなったら、後悔しても、しきれないでしょう!

 

 まあ、悪いことは言わない!

 誰か手下の良将に命(めい)じて、私と戦わせなさい!

 陛下ご自身は、陣の奥深くに引っ込んで、威厳を失わないようにしたほうがよろしい!」

 

 という韓信の煽(あお)り文句を、項羽は最後まで聞きもせず、いつものように大激怒して馬を走らせた。

 

 項羽は、すさまじい勢いで韓信に駆け寄り、手にした槍で突きかかる。

 だが韓信は、

「おおっと」

 と後退して槍を避けると、そのまま1合も戦わずに、東南へ向けて逃げ出した。

 

 項羽は、背後の楚(そ)軍に向けて怒鳴(どな)りつけた。

「行くぞ! 今日こそ必ず、あの股(また)潜(くぐ)り野郎を捕まえて、積もり積もった今までの恨(うら)みを雪(そそ)ぐんだッ!」

 

 そのまま項羽は電光のように韓信を追って駆けていく。

 その後ろから、項伯、項荘、周蘭(しゅうらん)、周殷(しゅういん)、虞子期(ぐしき)、鍾離昧(しょうりまい)、桓楚(かんそ)、丁公、雍歯(ようし)など、楚(そ)の大将という大将が猛然と続く。

 

 やがて楚(そ)軍は、広武山の中の、みっしりと樹木の茂ったあたりへ入った。

 

 ここで鍾離昧(しょうりまい)が、項羽に追いつき、制止した。

「お待ちください!

 この広武山は、樹木も密に生(お)い茂り、はなはだ険阻(けんそ)。

 山から脱出する道は、狭い山道1本しかありません。

 もし敵が伏兵によって山の入口を遮断したら、味方は窮地(きゅうち)に陥(おちい)ります。

 

 陛下! 追撃に力を入れすぎては、いけません!

 しばらく後続の軍勢が追いついてくるのを待ち、いったん、このあたりに陣を取って、様子を見てはいかがでしょう?」

 

 と、そのとき、先行させていた前軍から報告が来た。

「韓信は、どこかへ逃げうせてしまい、行方(ゆくえ)が分かりません。

 また、この道の先は険(けわ)しい山に塞(ふさ)がれていて、これ以上は進めないようです」

 

 これを聞くと、項羽は、ようやく気持ちを落ち着けた。

「そうか……前に道がないんじゃあ、しかたない。

 ここで小休止して後陣が追いついてくるのを待ち、それから徐々に引き返そう」

 

 と。

 そこに、今度は背後のほうから兵が転がり込んできた。

「報告いたします!

 後陣の軍勢は、漢の大将樊噲(はんかい)・灌嬰(かんえい)に攻撃され、大半が討(う)ち取られてしまい、これ以上進めなくなりました!」

 

「なんだと!?」

 と項羽が驚愕(きょうがく)した、まさにそのとき……

 

 ドン! と、項羽の耳に、一声の鉄砲が響いた。

 かと思えば、周囲の四方八面から銅鑼(どら)と太鼓が天にやかましく鳴りはじめ、さらには鬨(とき)の声で山全体を震動させて、漢の兵が雲霞(うんか)の如く群がり出て、項羽たちの背後から襲いかかってきた!

 

「し、しまったっ!」

 と、鍾離昧(しょうりまい)は青ざめた。

「前には大きな山が聳(そび)えていて進めず、後ろは漢の大軍が道を塞(ふさ)いでいて退(ひ)くこともできない!

 

 この場所に留まっていたら、敵の数はますます増えて、どうしようもなくなります!

 覇王様! 早く後方の漢軍を突破して、後陣を救い出しましょう!」

 

 項羽は首を振った。

「いいや。敵が大軍で山の出口を固めているなら、簡単には突破できない。

 無理に突破しようとしても、逆に打ち破られるのがオチだ。

 

 ならば、いっそこのまま勢いに乗って前進し、韓信を追う!

 前方の山を乗り越えれば、その先に必ず活路がある!

 鍾離昧(しょうりまい)! 汝は諸軍をまとめ、俺の後からついてこいっ!」

 

 項羽の叔父(おじ)の項伯が、この指示に異論を唱えた。

「しかし覇王様! 前方の山は、はなはだ険阻(けんそ)で道らしい道が無いとのこと! 大軍を一気に進ませるのは無理ですぞ!」

 

 などと、項羽たちが揉(も)めているところに、今度は四方から鉄砲火矢が飛んできた。

 その直後、項羽たちの周囲を取り囲むように、漢軍が姿を現す。

 

 北からは樊噲(はんかい)、灌嬰(かんえい)、周勃(しゅうぼつ)、周昌。

 西からは靳歙(きんきゅう)、盧綰(ろわん)、呂馬通(りょばとう)、楊喜(ようき)。

 左には張耳(ちょうじ)、張倉(ちょうそう)。

 右には夏侯嬰(かこうえい)、王陵。

 中央からは、多くの大将を率(ひき)いた漢王劉邦その人。

 

 一気に殺到してきた漢軍に、楚(そ)の兵は震え上がり、戦いもせぬうちから大混乱に陥(おちい)ってしまった。

 項伯や鍾離昧(しょうりまい)は、声を張り上げて、

「逃げるなっ! 逃げる者は斬り捨てるぞ!」

 と呼びかけたが、まったく楚(そ)兵たちは鎮(しず)まらない。

 

 項羽は怒った。

「俺は、かつて釜(かま)を破壊し舟を沈めて秦(しん)軍を破った時から、いまだかつて負けたことがない!

 なのに……なぜだ!? どうして韓信と戦う時だけは、こんなふうになってしまうんだ!?

 

 ……いいや! こんなわずかの敵兵に、負けてなどいられるかァーッ!」

 

 項羽は槍を挙げ、がむしゃらに漢軍へ突っ込んでいった。

 なんといっても覇王項羽は当代きっての英雄。さすがの強さで行く先々の漢兵を蹴散(けち)らし、強引に漢軍の中を突っ切っていく。

 

 そのとき、項羽の前に、1騎の大将が立ちはだかった。

 項羽のよく知る顔……かつて項羽の右腕として活躍した強者(つわもの)、九江王英布である。

 

 項羽は、さらに声を大にして罵(ののし)った。

「英布! この裏切り者め!

 どの面(つら)さげて俺の前に出て来やがった!?」

 

 英布も負けじと罵(ののし)り返す。

「項羽! 汝は昔、俺に命(めい)じて義帝を弑逆(しいぎゃく)させておきながら、その罪を全部この俺になすりつけ、天下の諸侯に触(ふ)れ回っただろう!

 俺がこんなに恨(うら)みを抱えてるのは、すべて汝のせいだろうがッ!

 

 俺は、義帝への罪滅(つみほろ)ぼしのために、汝という逆賊を誅殺(ちゅうさつ)する!

 そして、ついでに俺の心の中の怒りも晴らしてくれるわっ!」

 

 英布は、斧を振り上げ、驀地暗(まっしぐら)に項羽へ挑みかかった。

 対する項羽も槍を舞わして受けて立つ。

 

 余人(よじん)を交えず、ただ2人で戦い合うこと50余合。

 覇王項羽は無論の強さだが、英布もまた、その覇王の右腕を務めたほどの男。

 中国一、二を争う強者2人が繰り広げる激闘は、全く勝負のつく気配が見えない。

 

 そのとき、横手から別の軍勢が乱入してきた。

 漢の蕃(ばん)将婁煩(ろうはん)が、項羽の軍に向かって、いきなり攻め込んできたのである。

 

 前方を英布の軍に阻(はば)まれていたところへ、横から婁煩(ろうはん)にも襲われては、ひとたまりもない。

 楚(そ)兵たちは、とうとう完全に統率を失い、散り散りになって逃げ始めた。

 

 項羽は窮地(きゅうち)に陥(おちい)った。

 目の前には強敵、英布。

 周囲の味方は潰走(かいそう)。

 いくら項羽が強くとも、これでは長く持ちこたえられない。

 

 と、そこに楚(そ)将季布・桓楚(かんそ)が馬を馳(は)せて飛び出し、項羽の前で壁を作った。

「覇王陛下! お退(ひ)きくださいっ!

 この賊(ぞく)は、臣らが殺します!」

 

 項羽は、季布・桓楚(かんそ)の忠義に胸を打たれながら、

「……頼むっ!」

 と叫び返して、その場を離れた。

 

 

(つづく)

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