龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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八の下 大将軍項羽

 

 

 数日後、季節外れの寒気が()軍の陣に押し寄せてきた。大雨が何日も降り続き、春先とは思えぬ寒さに士卒は(こご)えた。

 さらに、あまりの長滞陣によって食糧も不足。軍の内部で、宋義を恨む声が高まりはじめた。

 

 項羽は動いた。再び宋義のところへ乗り込んで、真正面から直談判したのだ。

「味方の将士はみんな勇猛だ。すばやく前進して(しん)を討伐しようと意気ごんでいたんだ。なのに宋義将軍、あんたはずっとこんな場所に留まっている。

 ここ数年は飢饉(ききん)続きで、人民はみんな満足に食えていない。まして軍の陣中ではなおさら兵糧も乏しいっていうのに、自分だけ昼も夜も宴会ばかりして楽しんでいらっしゃるとは何事だ!

 

 これが計略だというのも、おかしい。

 (しん)の兵は強くて、(ちょう)の兵は弱い。弱いやつを強いやつと戦わせてるんだぞ。これでどうして(しん)を疲れさせることができるというんだ。

 

 しかも今、武信君(ぶしんくん)が亡くなって、懐王(かいおう)は不安を抱えていらっしゃる。懐王(かいおう)()の兵をすべて将軍に授けなさったのは、(ちょう)を救うためってだけじゃない。(しん)を打ち破ってこのあいだの恨みを晴らすためでもあるんだ。国家の存亡がこの一戦にかかっているんだ。

 なのに将軍は士卒を(いた)わることもせず、一日中酒宴をしている。そんなのは社稷(しゃしょく)の臣じゃない!」

 

 (しゃ)とは土地神、(しょく)とは穀物神。転じて、社稷(しゃしょく)とは国家そのものを指す。

 国家存亡の危機に、我が身さえかえりみず力を尽くして働く立派な人物。それが社稷(しゃしょく)の臣である。

 まっすぐで人一倍正義感の強い項羽にとって、私利私欲で動いているようにしか見えない宋義の行動は我慢ならないものだったのだろう。

 

 だが、これでも宋義は動かなかった。

 

 ……翌日。

 項羽は、宋義の前に進み出ると……いきなり剣を抜いた。

 

 雷鳴の如き項羽の声が、()陣に響いて地を震わせる。

「みんな聞けっ!

 宋義はひそかに息子宋襄(そうじょう)(せい)の国へ派遣し、謀反を計画していた! 我々を足止めしている間に(せい)の兵を呼び寄せ、その力で()を奪おうとしたのだ!

 俺は懐王(かいおう)から密命を(うけたまわ)った! 詳しい説明は……宋義を誅殺(ちゅうさつ)した後だッ!」

 

 宋義は震えあがって逃げだしだ。だが逃げられない。項羽はおそるべき素早さで宋義に追いつき、(もとどり)(まげ))を掴んで引きずり寄せ、弁明の暇も与えぬままに、一太刀で首を()ねてしまった。

 

 血のしたたる宋義の首をぶら下げ、返り血に濡れた項羽が、ギロリ、と背後をかえりみる。

 その場にいた諸将は、呆気(あっけ)に取られて立ちすくんでいたが、項羽の目の色を見るなり慌てて地に平伏(ひれふ)した。

 宋義の謀反? 懐王(かいおう)の密命? 本当か? と、疑問に思う者も大勢いただろう。だがもはや、そんな理屈をさしはさめるような状況ではなかった。下手なことを口にすれば我が身が危ないのだ。

 

 将の一人が、声を震わせながら言う。

「もともと()の後継者を立てたのは項羽将軍の家です。その将軍が、逆臣を誅殺なさったのです。あなたに従わない者がおりましょうか」

 

 かくして諸将は、項羽を()()()、仮に上将軍を名乗らせた。

 そして大急ぎで追手を出して宋襄(そうじょう)(せい)との国境付近で惨殺させ、さらに、桓楚(かんそ)を使者として事態を懐王(かいおう)に報告した。

 

 

   *

 

 

 報告を受けた懐王(かいおう)は、鍾離昧(しょうりまい)(せつ)を持たせ、()陣に派遣した。

 

 (せつ)とは、竹の(ふし)を縦に割ったもので、一種の割符である。竹の(ふし)は一つずつ形が違っているから、同じ竹から取った(せつ)でなければピッタリとは合わない。これを利用して身分の証明とする。昔は本物の竹を用いたが、後に、金属など様々な素材の(せつ)が作られるようになった。

 この(せつ)鍾離昧(しょうりまい)が持たされたことは、王の代理人として、重大な決定を伝える役目を任されたことを意味するのだ。

 

 ()陣に到着した鍾離昧(しょうりまい)は、うやうやしく懐王(かいおう)の意向を伝えた。

「項羽を大将軍に(ほう)ず」

 

 項羽は感激して恩を(しゃ)し、喜び、(いさ)み、すぐさま軍の立て直しに取りかかった。

 すなわち、英布を先陣の大将とし、精兵二万騎あまりを与え、(しん)軍に攻めかからせたのである。

 

 

   *

 

 

 ()軍動く!

 

 この報告を受けた(しん)軍総大将の章邯(しょうかん)は、すぐさま司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)に兵を分け与えた。

「お前たちは黄河の南岸に陣取れ。()軍を防ぐのだ!」

 

 慌ただしく配置を終えた司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)の軍に、英布は勢い急に押し寄せた。

 司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)は馬を並べて出陣し、迎え撃つ。

 

 英布は斧を()()げ突撃し、火花を散らして(しん)軍へ打ちかかった。

 さすがに英布は強い。武勇でならした豪傑だ。だが司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)とて大国(しん)の将。決して負けてはいない。

 両者一歩も退かぬ激戦に、血と汗とをほとばしらせていた……そのとき。

 

 にわかに(しん)軍が背後から乱れ騒ぎはじめた。

 何事か? と怪しむ司馬(しば)(きん)たちの元へ、思いもよらぬ報告が舞いこんだ。

 

「項羽です!

 背後から、項羽の軍勢が攻めこんできましたあッ!」

 

 司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)の顔から血の気が引いた。

 項羽! 奴の異様な強さは、つい先日、身をもって味わったばかり。しかも軍勢の背後を突かれたとあっては、とうてい支え切れるものではない。

 

「これは、英布などと戦っている場合ではない!」

 司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)は大急ぎで陣へ逃げ帰った。

 

 だが、それすらも項羽の手のひらの内であった。

 なんとこのとき、黄河南岸の(しん)の陣屋は、すでに()兵に奪われた後だったのである。

 

 司馬(しば)(きん)たちは、敵の旗がひるがえる陣を前にして、茫然自失した。

 あの項羽という男、ただ強いというだけではない。(いくさ)が上手い!

 英布の軍勢を囮にして注意を引き付けたうえで背後から挟撃してくるなど、実戦経験の浅い青年とは思えぬほどの鮮やかな駆け引きである。(しん)軍の行動をピタリと読んであらかじめ退路を断っておくに至っては、まるで歴戦の老将のような思慮深さではないか。

 

 もはや悔いてもどうにもならない。司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)は追撃を浴びながら強引に黄河の北へ渡り、多大な損害を出しつつ散々に潰走していった。

 

 

   *

 

 

 大将軍項羽の初戦は大勝利に終わった。

 敵が捨てた輜重(しちょう)(食糧や武具、衣服などの軍需物資)を数知れず奪い取り、すぐさま黄河を渡って北岸に上陸した。

 

 項羽は胡床(こしょう)(日本で言う床几(しょうぎ))に腰かけ、剣を手に握って、後陣(ごじん)が渡河し終えるのを待った。

 全軍が北岸に集まったところで、項羽は驚くべき命令を下した。

 

「俺たちが乗ってきた舟を全部沈めろ。釜と(こしき)(炊飯に使う調理器具)は砕き、兵舎は焼き捨て、兵には三日分の食糧だけ持たせろ」

 

 戸惑いながら命令を実行した将兵に、項羽は大音声で号令した。

「いいか! (しん)の軍は長期間(ちょう)を取り囲んで、人も馬もみんな疲れている。あんな奴らを倒すくらい、我ら勇猛なる()人なら三日もあれば十分だ! そうだろう!」

 

 将兵の気配が変わった。男たちが鼻息を吹き、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべ、陣のあちこちから

「そうだ!」

 と賛同の声をあげる。

 

 項羽は力強く剣を振りあげ、虎の如く咆哮(ほうこう)した。

「さあ、ただひたすら前進し、一息に奴らを打ち破れ! 俺たちに退()く道はない!」

 

 諸軍は一斉にうなり声を響かせた。

「おお! 将軍に従って命の限り戦うぞ!」

 ほとんど熱狂に近い士気の盛り上がりに、項羽は大喜びで出陣を命じた。

 ()を打ち鳴らし、()軍が猛然と飛び出していく。

 

 その背を見送りながら、軍師范増(はんぞう)はひそかに鍾離昧(しょうりまい)を呼び寄せた。

「項羽将軍は、一気に章邯(しょうかん)を打ち破るため、釜を破り舟を沈め、わずかに三日分の兵糧のみを持っていった。もし三日のうちに勝てなければ、人馬は必ず()えて疲弊するだろう。

 そこで、ひそかに人を送って、後陣(ごじん)の兵糧を黄河南岸に運ばせておこうと思う。さすれば、万一の時も河南に撤退して人馬を休めることができる」

 

 鍾離昧(しょうりまい)は目を丸くして感嘆した。

「おお……! なるほど、分かりました。先生は、まことに遠くまで見すえた思慮をお持ちだ」

 

 范増(はんぞう)は、まぶしげに目を細めた。

「大胆な無茶は若者の特権よ。そして細心に備えをしておくのが、老人の役目というものさ」

 

 

(つづく)

 

 

 

■次回予告■

 

 破釜(はふ)沈舟(ちんせん)し退路を断って、決戦に臨む項羽と()軍。対する(しん)章邯(しょうかん)は、配下の武将を九陣に配し完全包囲の罠をしかけた。

 絡み合う策。結び合う剣。死力を尽くした激闘の末、勝利するのは敵か? 味方か?

 

 次回「龍虎戦記」第九回

 『鉅鹿(きょろく)の戦い』

 

 ()う、ご期待!

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