龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

190 / 198
六十四の丁 激突、広武山!

 

 

 項羽は、馬に鞭打(むちう)ち、残る手勢と(とも)に、近くの丘の上に登った。

 このあたりには漢兵がいない。項羽は、ここでようやく一息つくことができた。

 

 丘の上から見下ろせば、漢の英布・婁煩《ろうはん》が勢いに乗って大いに攻め立て、季布・桓楚(かんそ)は、じわじわ追い込まれている様子。

 そこへ漢将曹参(そうさん)・陳武の軍まで合流し、しだいしだいに、(しお)の満ちるが如く()軍への包囲を完成させつつあるようだ。

 

 項羽の(そば)についていた鍾離昧(しょうりまい)が、早口に言う。

「覇王様。

 すでに太陽も西に傾き、敵勢は時を追うごとに増えていき、全体でどれほどの数がいるのかも分かりません。

 

 丘のあちら側に、道が1本あるようです。はなはだ狭く細い道ではありますが、敵が布陣している様子はありません。

 陛下! この道からお逃げくださいませ!」

 

 項羽は、鍾離昧(しょうりまい)の提案に従って、細道のほうへ馬を走らせた。

 道の前方には、広武山の(いただき)が見える。

 太陽は完全に沈んだらしく、空が、だんだん黒に染まっていく。

 同じく敵から逃げて来た季布たちの軍勢も、項羽の後ろに合流した。

 

 と、そのとき。

 どこかから、戦場には似つかわしくない優雅な(しょう)(笛の一種)の音色が聞こえてきた。

 

 音の出所(でどころ)を探してみると……

 前方、広武山の山頂に高い()()えられており、その上で、楽師たちに(しょう)や歌を演奏させながら、誰かが悠々(ゆうゆう)と酒を飲んでいるようだ。

 

 その誰かとは……韓信である。

 

 項羽は激怒した。

「あ……あの股潜(またくぐ)り野郎ッ! 戦いの最中(さいちゅう)に、優雅に酒盛(さかも)りだとォ!?

 俺を馬鹿にしてるのか! もう許さん!

 おい、お前ら! 敵の総大将は、あの山頂だ! 攻め上って奴を引っ捕らえろ!」

 

 項羽の下知(げち)を受け、()兵たちは、山頂めがけて走り出した。

 

 が、そのとき、韓信が、サッと腕を振って合図した。

 すると、山頂に隠れていた漢兵が一斉に立ち上がり、丸太や大石を雨のように投げ落とした。

 

 ()兵は丸太に打たれ、石に潰され、誰1人として山に近づくことができなかった。

 

 項羽は、(くや)しさに歯ぎしりし、目を怒らせ、今度は(みずか)ら山を登ろうとしはじめた。

 

 季布が、慌てて項羽を(いさ)める。

「いけません!

 これは韓信の計略です!

 陛下を怒らせ、みずから山を登るようしむけているのです!

 

 もう()()けて、視界が悪くなりました。

 陛下が山を登っているところを、山頂から石や矢で狙われたら、防ぐことは不可能です。

 

 今は、とにかく退(しりぞ)いて陣を取り、夜明けを待ちましょう。

 明日になったら、敵の少ない方を探して逃げるのです」

 

 しかし、項羽は季布に怒鳴(どな)りつける。

退(しりぞ)くなんて、できるかっ!

 目の前に韓信がいるんだぞ! 俺は奴を()つ!」

 

 項羽は、完全に我を忘れているようだ。

 

 これを見た鍾離昧(しょうりまい)は、

「やむをえん……覇王様、お許しください!」

 と、項羽の愛馬烏騅(うすい)手綱(たづな)(にぎ)り、強引に韓信から離れる方向へ引っ張りはじめた。

 

「あっ! やめろ鍾離昧(しょうりまい)、何をする……」

 と項羽が誘導を(こば)もうとした……そのとき。

 

 項羽たちの周囲に、漢軍の新手が渦巻(うずま)くように現れ来て、山の上から鉄砲や火矢を雪の散るように撃ち込んできた。

 たちまち漆黒の夜に火の手があがり、満山(まんざん)の草木ことごとく燃えて、その明るさは白昼(はくちゅう)さながらになった。

 

 ()兵は大いに狼狽(うろた)え、声をあげて逃げ出した。

 そこへ漢軍が攻め込んできて、あるいは殺し、あるいは捕らえ、()軍をメチャクチャに踏み潰していく。

 

 ()軍は(いく)千万人()ち取られたかも分からぬほどの被害を受け……

 項羽に従う者は、とうとう、わずかの大将と兵110騎ほどを残すのみになってしまった。

 鍾離昧(しょうりまい)や季布の部隊とも、いつのまにか、はぐれてしまった。

 

 こうなってはもう、韓信を()つどころではない。

 項羽は諸将と(とも)に力を振るい、包囲の一方を斬り破って、どうにか抜け出すことに成功した。

 

 が、その()く手を、漢の別部隊が(はば)んだ。

 (ばん)婁煩(ろうはん)の指揮する部隊である。

 

 以前の戦いで、婁煩(ろうはん)は、項羽の迫力に(おび)えて逃げ出してしまった。

 しかし、今回は勇敢に項羽へと向かっていき、力の限り槍を繰り出した。

 

 その婁煩(ろうはん)へ、項羽は、雷の落ちるが如くに(おめ)いて挑みかかる。

 婁煩(ろうはん)は、漢の大将たちをも、うならせた強者(つわもの)。けっして項羽にヒケをとるものではない、と思われたのだが……

 

 両者が槍を(まじ)えること、ほんの7、8合。

 項羽は槍先を婁煩(ろうはん)の胸に突き刺し、あっさりと婁煩(ろうはん)を馬から地面に突き落としてしまった。

 

 項羽は、おそるべき強さで婁煩(ろうはん)()ち取るや、諸将を連れて、包囲網から脱出した。

 

 だが安心する暇もなく、今度は漢将陳武・王陵が項羽たちに食らいつき、

「逆賊項羽! はやく降伏せよ!」

 と(ののし)り立ててきた。

 

「やかましいわっ!」

 項羽は、ますます怒って陳武と王陵に攻めかかった。

 ここでも項羽は手の付けられない強さを見せ、陳武・王陵という強豪2人を、たった1人で圧倒した。

 

 項羽は陳武・王陵の部隊を蹴散(けち)らし、近づく奴原(やつばら)を数知れず薙ぎ倒し、馬を飛ばして山の(ふもと)を走りぬけた。

 いまだ()は明けておらず、月の光も(とぼ)しく、空は暗闇に閉ざされている。

 

 そのとき、サラサラと、水の音が聞こえてきた。

 暗くて見えないが、どうやら前方に川が流れているらしい。

 となると、このまま馬で進むことはできそうにない。

 

 そこへ、またしても漢軍が襲ってきた。

 今度は背後からである。

 

 項羽は、奥歯を固く噛みしめた。

「前は水に(はば)まれ、後ろからは漢軍が襲ってきた。

 しかも、月明(つきあ)かりの(とぼ)しい、この暗夜(あんや)……どっちが西か東かも分からない。

 くそっ……俺の命運は、ここで尽きてしまうのか!」

 

 ところがそのとき、追手の漢軍が、急に後ろの方から乱れ騒ぎはじめた。

 一体なにごとか? と様子を見ていると、漢軍は背後からの攻撃を受けたらしく、たちまち粉砕されて逃げ散って行ってしまった。

 

 その漢軍を切り裂くようにして、2人の大将が軍馬をこちらへ駆け寄せてくる。

 項羽は、その大将たちに、

「誰だ!」

 と呼びかけた。

 

「そのお声は、覇王様ですね!

 臣らは、()周殷(しゅういん)桓楚(かんそ)でございます!

 覇王様が敵に囲まれて危機に(おちい)ったと聞き、兵5千を(ひき)いて、覇王様をお探ししていたのです!」

 

 近づいてきた2将の顔を、火把(かは)松明(たいまつ))の光で見てみれば、確かに周殷(しゅういん)桓楚(かんそ)である。

 

 九死に一生とは、このことだ。

 項羽は大いに喜び、周殷(しゅういん)桓楚(かんそ)と合流して、ともに逃げはじめた。

 

 ようやく空も(しら)みはじめた。

 項羽が頭をあげて、四方の様子をうかがうと……そこら一帯(いったい)、地獄のような風景が広がっていた。

 ()兵の(しかばね)は地面を埋め尽くし、流れ出た血が川を成している。

 

 どの方角を見ても、動くものといえば漢兵ばかり。

 山々、峰々(みねみね)、谷の奥まで、漢の兵士は稲・麻・竹・(あし)の如くびっしりと布陣している。

 漢の旗幟(きし)は山に沿って並び立ち、銅鑼(どら)と太鼓の音は休みなく天を震わせている……

 

 項羽は、周殷(しゅういん)に向かって言った。

「俺は、会稽(かいけい)で兵を起こして以来、各地の諸侯と300回以上も戦ってきた。

 だが……韓信のように兵を用いる者は、他に見たことがない……」

 

 周殷(しゅういん)が言う。

「覇王様の武勇が天下無敵であることは、すでに誰もが知っております。

 そえゆえ、韓信は、覇王様を容易(たやす)くは打ち破れないと判断し、()軍を山の中に誘い込み、四面から包囲する戦術を取ったのです。

 

 ()軍が、これほどの敗北を(きっ)したのは、敵の策略にハマってしまったからです。

 ですから覇王様、我らは、片時(かたとき)も、ここに留まってはなりません。

 もたもたしていると、敵は再び我らを取り囲み、我らが疲れ果てるのを待つ策を取るでしょう。そうなったら今度こそおしまいです」

 

 項羽は、うなずいた。

「よし。俺が前に出て退路を切りひらく。

 汝らは俺の後に続け!」

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。