龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十五の上 一杯ちょうだい、親父の煮物

 

 

 広武山での戦いで、覇王項羽は散々に打ち負け、ほうほうの(てい)で本陣に逃げ帰ってきた。

 

 被害状況を確認してみたところ、死傷者は実に3万人あまり。

 季布、虞子期(ぐしき)桓楚(かんそ)周殷(しゅういん)などの大将たちも、みんな深手(ふかで)()っていて、とても戦える状態にない。

 

 こんなありさまでは、どうにも身動きが取れない。

 しかたなく、()軍は、治療と休息に集中して日を過ごした。

 

 それから3日後。

 敵の様子を探るために放っておいた間者(かんじゃ)が戻ってきた。

 

「報告いたします。

 韓信は、四方の諸侯の協力を取り付けて兵力を増強し、今から1、2日のうちに、こちらへ攻めてこようと画策しております。

 

 諸侯軍の合流によって、今や漢の兵力は50万以上!

 漢の相国(しょうこく)蕭何(しょうか)兵糧(ひょうろう)を次々に運送して滎陽(けいよう)に集積しており、成皋(せいこう)から500里に渡って、道は漢兵で埋め尽くされております」

 

 項羽は驚き、叔父(おじ)項伯と大将鍾離昧(しょうりまい)を呼んだ。

「漢の兵が、雲のように湧いてきたらしい。

 しかも韓信は、兵を用いるのが上手い。

 

 それにひきかえ、俺たちの兵は負傷者だらけ。

 食料も底をつきかけていて、とてもこのまま戦い続けられるような状態じゃない。

 汝ら、何か、いい策は無いか?」

 

 鍾離昧(しょうりまい)が言う。

「武勇だけを(たの)みとして決戦を挑めば、おそらく、再び股潜(またくぐ)り男の策略にハマり、広武山の二の舞となってしまうでしょう。

 よって、ここは(から)め手で攻めてみるのが良いかと。

 

 我らの陣には、劉邦の父の太公がおります。

 明日、覇王様が出陣して漢軍と対峙(たいじ)し、太公を俎板(まないた)に乗せてやるのはどうでしょう?

 

 つまり、『兵を退()かなければ、太公を料理してやるぞ』と(おど)すわけです。

 劉邦は、親子の情に動かされて、きっと兵を後退させるでしょう。

 そうしたら、太公を漢に帰らせてやるのです。

 

 一方、もし劉邦が退()かなかったなら、太公を鍋に入れて煮殺(にころ)してしまえばよろしい。

 劉邦がその様子を見たら、必ず泣き叫んで許しを()うでしょう。

 そこから、また交渉の糸口が(つか)めます。

 

 いかがでしょうか? 覇王様、よろしくご検討くださいませ」

 

 項羽は、腕を組んで考え込んだ。

「うーん……太公を殺すのは簡単だが、そんなことをしたら、俺が天下の人々に笑い(はずかし)められるんじゃないか?

 こないだ劉邦にも言われたが、俺と劉邦は義兄弟の(ちぎ)りを結んだ仲だからな……

 劉邦の親父は俺の親父でもあるわけで、となると、俺は親殺しってことになってしまう」

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、首を振った。

「これは戦争ですよ。

 敵兵を退()かせるための(はかりごと)を実行しようという時に、『他人に笑われて恥ずかしい』だなんて言っていられますか?」

 

 項羽は、うなずいた。

「……そうだな。よし、やってみよう」

 

 

   *

 

 

 次の日。

 項羽は、みずから軍勢を(ひき)いて出陣した。

 太公は、縛り上げたうえで馬に乗せ、連れて来ている。

 広武山を()りて、目指すは、もちろん漢の本陣である。

 

 漢陣の方では、物見(ものみ)が項羽の接近に気づき、慌てて劉邦に報告した。

「覇王項羽が、太公を縛り、馬に乗せて連れて来ました!

 どういう意図(いと)かは不明です!」

 

 劉邦は、その報告を聞くや、声を放って大いに(なげ)いた。

「俺は、生まれてこのかた、親父にも、お(ふくろ)にも、一度も親孝行したことがない!

 それどころか、俺が天下を()けて争ってるせいで、親父に、こんな苦しみを味わわせてしまうなんて!

 

 もうガマンできねえ!

 俺は今すぐ楚に降伏する! 親父の(いのち)を救うんだあ!」

 

「ええっ?」

 そばにいた軍師張良、謀士(ぼうし)陳平(ちんぺい)が、目を丸くした。

 

 陳平が、慌てて(いさ)める。

「漢王様! どうしてそう、考えるということをなさらないのですか。

 

 項羽は(あせ)っているのですよ。

 先日の戦いで、()軍は手酷(てひど)く打撃を受け、危機的状況に(おちい)りました。

 

 人質の太公を連れて来たのは、漢軍を(おど)して撤退させようと考えてのことでしょう。

 こんなやり方に頼るのは、()軍が追いつめられている証拠です。

 

 今、漢王様は、ようやく天下統一を成しとげる寸前まで来ているのですよ。

 あと一歩で項羽の首を取れるというときに、慌てて降伏などしてどうします?

 まあ、落ち着いてください。

 ここは、知恵をもって勝利を(つか)みましょう」

 

 しかし劉邦は、まだオロオロうろたえている。

「でも、親父は縛られて馬の上に乗せられてるっていうじゃないか。

 俺は、心配で心配で、胸が痛くて……

 

 天下を得るとか得ないとか、それが、なんだってんだよ!

 親父が、目の前で殺されようとしてるんだぞ。俺にとっては、これが何より一番大事なことなんだよ!」

 

 張良が、劉邦を落ち着かせようと、つとめて穏やかに(さと)した。

「漢王様は、今、混乱しておられるのです。

 大丈夫ですよ。ただ安心して、臣の言うことに従ってくださいませ。

 

 おそらく項羽は、こちらの陣の前まで来たら、大きな(かく)(中華鍋)に油を煮えたぎらせ、その上に板でも敷いて太公を乗せ、こう言うでしょう。

『もし兵を退()かなければ、今すぐ太公を煮殺(にころ)してやるぞ!』とね。

 

 そのとき漢王様は、今からお教えするように答えなさいませ。

 さすれば、項羽は千にひとつも太公を殺すことができなくなります。

 その答え方とは……この如く、この如く……」

 

 その耳打ちがまだ終わらないうちに、また兵が駆け込んできた。

「ただ今、項羽が我が陣の前に到着いたしました!」

 

 

   *

 

 

 いち早く対応したのは、大元帥韓信だった。

 韓信は、項羽の軍勢が近づいてきたと報告を受けた時点で、すぐさま周囲の平地に軍勢を展開し、()軍の到着に(そな)えていたのだ。

 

 整列した漢軍の周辺には、びっしりと戦車隊が並ぶ。

 隊列の左右では、旗幟(きし)が風を受けて(おごそ)かに、はためく。

 

 静静(せいせい)粛粛(しゅくしゅく)(からす)(すずめ)の声さえ聞こえず、時を告げる(かね)さえ鳴らず、張りつめた空気が(ただよ)う中で、漢軍は、じっと項羽の到着を待ち構えた。

 

 そこへ、項羽(ひき)いる()軍が到着した。

 

 ところが、()軍の兵卒たちは、先日の大敗によって(およ)び腰になっていた。

 ()兵たちは、漢軍が威儀を整え臨戦態勢で待ち構えているのを見ると、戦いもしないうちから、恐れてザワつきだしたのだ。

 

 項羽は、そんな()軍のありさまを見て、顔をしかめた。

 兵の士気がこう低くては、正面きっての戦いは、やはり難しそうだ。

 

 項羽は、

「まだ動くなよ」

 と全軍に(めい)ると、漢軍に向けて呼びかけた。

 

「劉邦、出てこい! お前と問答(もんどう)したい!」

 

 その呼びかけに答えて、漢陣の奥から、1騎の大将が進み出てきた。

 諸将に周囲を固く守らせながら、全軍の前に馬を出すその男は……もちろん、漢王劉邦である。

 

 劉邦は、項羽に向かって叫び返した。

「よう、覇王!

 お前さんの軍は、かなり困った状態になってるんだろ!

 

 はやく俺に降伏しろよ!

 そうすれば悪いようにはしない! 領土も与えるし、()王の(くらい)だって認めてやる!

 いま降伏しなかったら、その首が地に落ちることになるぞ!」

 

 これを聞くと、項羽は、またしても頭に血を(のぼ)らせた。

「劉邦匹夫(ひっぷ)! でかい(くち)を利いて俺を(はずかし)めやがって!」

 

 項羽は馬を走らせ突撃し、槍をあげて劉邦に突きかかった。

 

「えっ、攻撃するのですか!?」

 そばにいた鍾離昧(しょうりまい)ら諸将が、驚いて目を丸くした。

 

 項羽らしいというか、なんというか……

 太公を人質にして(おど)すという当初の予定は、この時点でもう、項羽の頭から完全に吹っ飛んでいるのである。

 

 ともあれ、漢軍からは、樊噲(はんかい)灌嬰(かんえい)周勃(しゅうぼつ)、王陵の4将が飛び出して、

「させるかっ!」

 と項羽に(いど)みかかった。

 

 項羽と漢4将、4対1での戦いだが、それでも勝負は互角。

 彼らの周囲では、漢軍と()軍が入り乱れて、なしくずしに混戦が始まった。

 

 と、そのとき。

 突然一声(いっせい)の鉄砲が鳴り響き、漢の中軍で黄色の旗が振られた。

 これは韓信が手配しておいた策略である。

 黄旗の合図を受けて、前後左右から漢の伏兵が一斉に飛び出し、項羽を包囲した。

 

「くそっ! また韓信の計略にハメられたか!」

 項羽は、左に突撃し、右に突きかかり、力の限り暴れ狂ったが、なかなか包囲から脱出することができない。

 

 ふと四方を見回せば、項羽の周囲には漢の大軍がビッシリと囲みを作っている。

 そのありさまは、さながら、いくつもの城が(つら)なっているかのよう。

 

 漢の隊列は東から西まで切れ目なく、どこが出口か入口かも分からない。

 愁雲(しゅううん)漠漠(ばくばく)惨霧(ざんむ)朦朦(もうもう)、不気味な雲霧が漠漠(ばくばく)朦朦(もうもう)と立ち込めるかのように、漢兵が項羽を覆い尽くしている……

 

 項羽は思った。

「漢軍の、この陣形は一体なんだ? こんなすごい陣立ては見たことがない。

 斬っても斬っても、次々に新手(あらて)が湧き出てくる……

 強引に囲みを突破しようとしたら、間違(まちが)いなく敵に包み込まれて一巻の終わりだ。

 

 ここは、耐えるしかない!

 味方の諸将も、俺が囲まれたことには気づいてるはずだ。

 

 味方の中に、誰か1人くらいは、この妙な陣形のことを知っている者がいるに違いない。

 そいつが外から攻撃してくれるのを待ち、内側から呼応して脱出を(はか)る……

 生きのびる道は、これしかない!」

 

 と、そのとき。

 まさに項羽の期待どおり、漢の陣形が東の方で乱れ始めた。

 ()の大将周蘭(しゅうらん)周殷(しゅういん)、季布、鍾離昧(しょうりまい)が、軍勢を(ひき)いて漢の陣形に殺入(さつにゅう)(敵陣へ斬りこむこと)してきたのだ。

 

「よしっ、今だ!」

 項羽は、外の()将たちが攻めている方面を狙い、内側からも攻撃を仕掛(しか)けた。

 

 外から4将、内から項羽。

 君臣5人、(みな)で死力を振るって刃を振るい、漢軍を右往(うおう)左往(さおう)蹴散(けち)らして……

 

 とうとう、項羽の前に血路が切り開かれた。

 すぐさま項羽は包囲の外へ駆けだした。

 こうして、項羽と()の大将たちは、どうにか安全地帯まで軍を退()くことに成功したのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
 ()間者(かんじゃ)が『成皋(せいこう)から500里に渡って、道は漢兵で埋め尽くされております』と報告している。
 当時の500里は200km以上にも相当するが、実際には成皋(せいこう)滎陽(けいよう)間は40km程度の距離しかない。「西漢通俗演義」や「通俗漢楚軍談」はあくまで小説なので、話を盛り上げるために少し大げさに表現したのかもしれない。
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